年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

日本のデンマ―ク

2024年10月16日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
特攻で亡くなった叔父の経歴と当時の東と西の葛飾郡の社会状況を図書館で調べている。千葉県の野田市の郷土博物館で染谷亮作と川間村という平成28年度特別展の冊子を九段下の昭和館図書室で読んだ。彼は今は野田市の一部となった川間村に農業と教育の理想の実現に奔走した物語でした。染谷の力と野田の醤油業者の連携で、野田農工学校が設立され、叔父はそこに入学し、卒業して埼玉師範学校へ向かったのです。
 染谷は千葉の高校を出て、東大農学部に入り、その後に愛知県立農林学校として、1901(明治34年)設立された。初代校長は山崎延吉が着任し、山崎に誘われて染谷亮作が教師となった。安城の農林学校は多くの人材を輩出し、大正時代の日本三大農学校と言われ、全国から生徒を集め、世間では日本のデンマ―クと言われるほどの農業先進地となった。安城市史には日本のデンマ―クと言われた様子とその後の失敗となった様子が書かれている。今は農業と自動車の工業との混在地帯となっていて、違った形で明治用水の恩恵を受けている。

 染谷は数年安城で農業教育に尽くし惜しまれて故郷に戻った。川間村の親からしつこく郷土に戻り川間村の発展に力を出せと言われたようだ。川間の地に醤油輸送の鉄道の駅誘致、地域の学問の場として小学校の設立などがある。また利根川江戸川に挟まれた地域の改良にも力を出した。地域のための人生は今ネット検索しても、図書館の蔵書検索にも出てこない埋もれた人物となっている。
 特攻で亡くなった叔父の経歴を調べていると、軍国少年という話が出てこず、どのような進路を選択したか不明だったが、今調べてゆくとやはり日本のデンマ―クという農業というものを複数の農業生産物で安定化し、さらに食品業、協働の考えもあったと思われる。このあたりの研究が野田市の複雑な大正から昭和にかけての野田大労働争議の影響がある気がする。都立中央図書館の3階にある、日本各地の都市史で野田市の正式な市史は所蔵されていない。あるのは別編だけである。おかしいのはキッコ-マンの社史はある。
 山崎延吉を図書館で検索すると農本主義者の本が出て来る。これは戦後の先の戦争の諸原因を探る歴史学者の迷走から来ていて、今は山崎延吉を農本思想家と見ている学者は減っているようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

算数の筆算のはじまり

2024年10月15日 | 宅老のグチ
JR王子駅の付近には飛鳥山公園のほかに多くの観光地がある。
そこを歩きまわっている時に順天学園という高等学校を横目に見ながら、ここが福田理軒の作った学校と思いながら、通過した。そこで検索で気になった順天学園の創立155年の学校史の本を手に取り読むと自分が気にしていた明治改暦の件は無く、どちらかというと大坂が学校の発祥地の事が書かれていた。日本でも比較的に古い私立の学校のようだ。順天学園の学校史の本によると、順天の名称が付く有名なところとして、順天堂大学・津村順天堂・桃谷順天堂があって、津村順天堂はいま漢方薬のツムラと名称が変わり、桃谷順天堂は明色化粧品となり、肌荒れの化粧品を主力としている100年超えの化粧品会社で主力商品はニキビのケアの様に見える。この中で順天の名称がついていて、医療と全く縁がなさそうな順天学園が気になり、福田理軒の本を探すと、図書館で一冊出てきて読む。
 筆算を広めた男 幕末明治の算数物語 丸山健夫著
江戸時代の大坂で適塾の緒方洪庵と並ぶほど有名だった順天堂という算学塾の塾長・経営者が福田理軒であった。彼は暦の関係で江戸時代の最先端の学問を取り込みながら、算学の研究・教育・出版までの総合的な仕事をしていた。
 自分的には明治期以後の順天学園の発展史の方が気になっている。多くの私立の学校は戦後に生徒の急増、急減という状況で、戦前から対処に追われている。公立の学校は地方では空き校舎となり、税金の使い道で転用が難しく放置されている所がある。墨田区を散歩していた時、学校が統合され、跡地に特別養護老人ホ―ムとなっていたのをみた。これからは保育園より高齢者施設だろう。それも幼稚園のような老地縁というべきだろう。

 福田理軒の和算の改良はソロバンの計算から、筆でも計算できる方法という。漢字の数字の計算より、洋数字の位取りを考えた筆算の方が計算しやすい。ソロバンは商人の計算と思う。明治の改暦の逸話は江戸時代に基礎ができていて、急に西洋の学問に追従できた日本の和算家のすごさを感じる。明治の国の税収を確定する土地制度の測量は今でも使われていて、精度の良さで驚く。
 日本の天文学が中国から離れたのは宝暦13年・1763年9月1日の昼間に日食があったことから始まる。月初めの日は幕府の行事があって、日食等の事がある時は行事の時間をずらしていたという。ところが市井の学者が日食があると予報し、幕府に通告しているにかかわらず、朝廷・幕府の御用の土御門家・天文家は無視していた。ここから日本の暦の改良が始まり、西洋の天文学から他の学問が日本に入る。しかし、キリスト教との絡みで揺れている様子が日本史でも見える。西洋の学問の底流にはキリスト教思考があって、純粋に学術輸入といえないもどかしさが長崎にあった様子が見える。
 戦後の順天学園の発展史は女子教育の発展史の変遷と見える。下町の女子教育を衣服・食の学校とし、女子教育の変化に対応しつつ、今の学園になり、さらに共学となり、国際交流を目指している様子が見える。ここが本当の福田理軒の遺産といえる。変化を知り、それに対処する姿勢が学園経営者の歴史本と見ることが出来る。

 なお順天百五十五年史は都内の図書館の20館で蔵書があって、さらに隣接県にもありそうだ。経営者の営業努力を感じる。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書の熊谷恒子記念館へ

2024年10月14日 | 宅老のグチ
大田区の馬込文士村にいくつかの記念館がある。良く行くのは川端龍子記念館で、ここを知ったのが池上本門寺の本堂天井に未完の龍の絵があって、川端龍子の作であった。
10月11・12・13日は池上本門寺の御会式で昨年はコロナ明けの普通の開催だったが行けなかった。そのあとに力道山の墓もうでで自分の過去の記憶を呼び戻していた。
 10月12日に長い間閉館していた、熊谷恒子記念館が再開された。都営浅草線西馬込駅から歩いて10分ほどで着く。サクラの開花時期は見事な桜並木を眺めながら歩いて行ける。
 桜並木のセブンイレブンの所を曲がり、坂を上ってゆく途中に記念館がある。記念館の階段を昇ると玄関前に筆を持った銅像がある。玄関に座り、靴を脱いで受付の人に聞いて、シルバ-パスを提示し無料となる。靴箱に入れて、普通の民家を歩き回る感じの記念館。自分には書の素養も無いし、書いてあるうねるひらがな・漢字に読解力が皆無と知る。でも無いことを知ることも必要と今は感じる。世の中にはこの書を価値あるものとして流通している。
 眺めつつ、雑念が沸いてくる。スマホでこの書を写真撮影し、翻訳したらどのような回答になるのだろうか。日本の古文書がAIで読みやすい漢字変換になる時代が来るのだろうか。こんなことを考えつつ記念館を出る。そこですっかり御会式の当日ということを忘れた。記念館から歩いて行ける距離でもあった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024豊洲市場祭り・初開催11月3日 昼過ぎには終わる

2024年10月13日 | 宅老のグチ
築地市場が移転して、豊洲市場が開業して6周年の新聞記事があった。自分が種々の会議に傍聴人として、会議資料の収集役をしていたので、会議の内容の変化の具合も肌で感じていた。途中経過も知っていたので、今からの感想を言うと、前提として築地市場の流通市場としての場所として時代遅れ感があって、小売の場が量販店に向かっているにも関わらず、法規制の前提で行政が動いていた。それの基本的な考えは大正年間のコメ騒動をきっかけとした、社会主義者の反乱を恐れていて、弱者救済色が出ていた。そこから昭和に入って、戦時体制になると、物資の配給所となり、敗戦後は統制経済が終わり、自由になり多くの市場が大都市周辺に生まれ、競争激化となった。そこから抜け出した小売店が規模拡大となったのだが、一つの制約があった。それは商店の会計時の入力で、多くの女性は手の指の腱鞘炎に罹って、ベテランの人を安易に増やすことが出来なかった。いまはバーコ-ドで決済されるので臨時の店員でも簡単である。店ごとの商品の値段が異なり、値段のシ-ルを貼って、納品することを要求されていた。そのために納品問屋の必要性があった。多品種少量の店から大規模店に向かうのはバ-コ-ドの普及が必要だった。このことが必需となったのがセブンイレブンの要求から始まった。初期は印刷業者の技術が未熟でバ-コ-ドが読めないとか、一つのバ-コ-ド番号の使いまわしの事件もあった。
 時代遅れ感のあった築地市場の移転を動かしたのは石原知事で、やっと本腰感があった。でも多くの現状維持派が反対ししばしばとん挫し、最後の手段としてオリンピック招致となり、これにも一度失敗し、再招致で東京オリンピック2020となったが、これもコロナで2021となった。
 築地移転の誘導となった豊洲移転は6年がたった。これから都内各地の市場が徐々に消える。小売店の減少は鮮魚商の組合員の数が水産仲卸の数より少ない。量販店の取引はネットでほとんど行われていて、飲食店が市場需要の中心となっている。それゆえ豊洲市場は築地市場と同様に開放的にならないといけないのに、行政の法の問題で一般人が市場へは入れない。
 市場祭りは一般人が卸売市場に平気で入れる唯一の機会となっている。これも変化するだろう。築地市場の第1回目の祭りは十数万人の人出があって、来場者の安全性の確認問題で二回目で終わった。兵庫県明石市の花火事故の責任問題から、市場祭りの危機感があった。豊洲は築地と違って建物設備の危険性は少ないし、衛生面も対処できるので毎年開催できると思う。ただ築地と違って駐車場問題をどう解決するかが問題で、買った生鮮品をどう持ち帰るのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プ-チンのアシスト感があるノ-ベル平和賞

2024年10月12日 | 宅老のグチ
今年のノ-ベル平和賞は広島の原爆被害者団体協議会が受賞した。宮島・広島が日本の観光地としていま混んでいる。もう79年も過ぎて、語ることの出来る人が少なくなってきて、物のみが悲惨さを伝える。でも福島の後始末はまだ現実で、化石燃料の消費過大が空気の汚染にあらわれ、再度日本以外では安定した発電となる原子力発電に向かっている。この揺れはなんだろう。
 今度の平和賞の受賞はロシアに対抗する北欧の当てつけ感がある。韓国の文学賞も受賞した女性作家が韓国では不適切な文学書として禁書扱いで、急遽図書館でも読まるようになったが作家の発言は親が代行したという。なにかヨーロッパの当てつけ感がある今年のノ-ベル賞。
 ついでにAI技術が中国で自由がないので発達しないと思う。ドンナ回答が出るかわからない。ドッキリ賞の間違いと思う人もあるに違いない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明治改暦のゆくえ・下村育世著を読みに

2024年10月11日 | 宅老のグチ
都営浅草線御成門駅近い港区立みなと図書館に明治改暦のゆくえ・下村育世著があるので、都立中央図書館通いも飽きたので、東京タワ-付近を散歩がてら、行って見た。
 この本に関心があったのは、偶然に順天百五十五年史 渡辺 孝蔵編
出版社 東京 順天学園
この本を見つけたのは、明治改暦を指導したのが、内田五観・福田理軒と思っていて、順天学園がJR王子駅付近にあって、その周りをうろついていて、記憶に残っていて、思わず図書館から借り出した。内容は順天学園の困難な経営の歴史で、福田理軒の理念とかの内容は無かった。この原因は王子という土地柄と学校の面積規模の規制から起きていて、さらに時代の要求する教育の内容によって、学生数が急増したり、急減する状況に翻弄されている様子が判る。今後の少子の時代で女子の教育に向かう対策の歴史の本だった。
 さてこの本で自分が気にしていた福田理軒の経歴はあったが、肝心の明治の改暦での活躍の記述がない、見つからなかった。そこで最近の明治改暦の本をもう一度探してみたら、明治改暦のゆくえ・下村育世著というのがあって、どんな内容か気になった。
 例によって二時間の根気力の続く時間で、読んだところでは暦の研究で著者が参考になる文献として渡辺敏夫・岡田芳朗の本が良いという。そもそも日本の暦は中華文明圏の歴史では中国王朝の威信を示すのが中国の天文学から来た暦で太陽太陰暦だった。日本には中国の暦の改定が全て取り入れたことでなく、数回ほど導入したようだ。最後に導入してから数百年ほどそのままにしていて、17世紀後半に渋川晴海が日本の天体運動と中国暦の差異があって、日本独自の暦を作るきっかけとなった。この頃は日本が中華文明から離脱していく時期で、本草学も貝原益軒が日本の本草と中国の本草が一部異なるとして、大和本草を著わした。
 福田理軒の経歴が大坂から始まっていて、明治の改暦とどのような関係があったのか中々判らなかった。江戸時代の暦の権威者は伊勢神宮で神宮の宣伝のため毎年伊勢暦を販売する組織があって、一種の利権でもあった。
 本の内容から福田理軒の明治改暦の関与、もしくは文献研究が少なく、学校の歴史書として書くには自信がなかったかもしれない。この順天学園の学校史は5年毎に更新出版されているので、最新の学校史の変化を読んでみたい。今は少子という、時間が読める厳しい時代で、それでも伸びている学校もある。
 戦前の暦の根本は伊勢暦であった。今は春分秋分の日を決めるのが天文台だったと思うが中国でも同じように、一年の始まりを決める太陽太陰暦の春節を決めるのが、国のようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

60年前の東京オリンピックの記憶

2024年10月10日 | 宅老のグチ
60年前の10月10日は東京オリンピックの開会式で、記憶に残るのは雲一つない青空だった。この後の記憶は今でも残っていて、浮き沈みがあって今に至る。浮き15年低迷35年で平穏10年位に感じる。
 雨天時に読書をしていて、失われた10年がいつの間に30年になり、まだ金利のある世界に程遠い。インフレは歴史から見ると生活コストの上昇を自己の生活手段にの労働に収入増加を得られないと自然に退出される。この例外が農水産業であって、この産業が聖職思想で社会が維持されている。食がなければ、金銭が豊富でも餓死することが普通である。
 日本という国は普通の国と違って、自然災害の多い国で多くの貯蓄や人々の連帯で生きながられた過去がある。戦後でもほぼ5年以内で人命が失われる地震災害があった。今年も能登半島で300名を超す地震があり、さらに河川の氾濫による災害死もあった。

 国会で衆議院が解散となり、いきなり選挙の10月となった。これで10月19・20日のべったら市は人出が低迷と予想する。今日の新聞を読んでいて、やはり日本経済のデフレ思考から逃れられない。そこに財務省の隠れた増税というより、年金財政の安定ということで、年金資金を密かに日銀の買い集めたETFを買い取り方向に向かっている気がする。無理にETFを市場に放出すると、暴騰・暴落の影響をうけ、さらに次の放出が困難になる。今中国の株価が急上昇しているが、どうも情報収集によると政府の煽りで、裕福で不動産低迷の影響を受けない経営者が自社の株を売っている様子が見える。経営者は共同富裕の政策が共同貧困と見ていて、株を政府に売り渡し、現金化した資金を香港経由で海外に移転させる姿が見える。香港は早々と下落に向かっているの早晩上海指数は3200まで下がり上下しつつ、個人投資家のつかの間の夢を煽り、2800まで下がると予想する。
 日本の失われた30年も上下しつつデフレとなった。この経験を中国の日本探索者は怠けていたのだろうか。自分が思うに日本がデフレを逃れなかったので無視したのではないのだろうか。これは中国の慢心の結果でもある。又は日本人のおだてに乘ってしまったと思われる。やはり14億の市場は魅力だが今は10億が貧困民で残りの裕福な人はいまヒヤヒヤしつつ、自分の資産を中国以外の国に移そうとしている。そのとばっちりが日本の東京にも来ていて、中国人向けのテロが日本以外で頻発していて、中国政府が日本も危ないと警告しているが、浅草は中国人で賑わっている。脅しに屈していない華僑の血は日本に来ていて、どう日本の不動産に関心を持っている。それも逃げやすい東京で。

明の末期にも中国から日本へ文化人が来た。同様に清朝の末期に孫文等が日本に留学した。福神漬の了翁禅師は明末期に中国から日本に渡航した隠元禅師の寺で修業した。刀豆の伝来もほぼ同じ時期に日本に伝来した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猛暑なのに梅干しの売り上げ減

2024年10月09日 | 梅干
今年の夏は史上最高の気温の夏だった気がする。ところが梅干しの売り上げデ―タと量販店の売り場で目立った熱中症対策でウメボシの特売が目立たなかった。塩飴、塩ぐみとかのコンビニでもウメボシ関係は目立たなかった。多分漬物のコラムを書いている、ライタ―達はまだ気が付いていないと思われる。今頃和歌山では衆議院選挙の話題で持ち切りだと思うが、そこには二階元自民党幹事長の子息の出馬、参議院から無所属で立候補する世耕さんの出馬が予定されていて、注目となるがこの状況下でウメボシ業界の駆け引きがあることを知らない。(参考・農協の闇)
 この和歌山のウメボシは4年程日本の政治を動かしていた。4年もJAのリーダ-だった紀南農協の人でウメボシの生産・消費・販売の中心でもあった。全国の農協で6次産業を実現し、梅バブル時期は紀南地域の梅畑が都市近郊の土地価格と同じと言われ、政治力で谷を埋め、土砂を運んで整地し、梅畑を造成した。パイロットファ―ム(24ha)もできた。そのあと梅バブル崩壊があって、梅の農家もだいぶ減ってしまった。築地市場が移転した2018年は梅雨が6月29日に明けて、猛暑の夏となった。丁度その時に7月にNHKが和歌山のウメボシの効能を宣伝した。そうしたらまだ梅雨が明けたばかりでも、特売計画が殺到し、多くの量販店が欠品した。この欠品を見た消費者がお中元を実用品としての熱中症対策として、梅干しを送ることが復活した。今の米騒動で産地から割高でも購入することと同じである。
 あとで梅業界の人との話を総合すると、梅の漬け込み時期と天日干し・お中元の製造・量販店向け製造が重なり、人手が足りなかったようだ。そこで利益の良い固定した通販客を優先し、量販店は前年並みの出荷にして、取引がカットされないようにしていた様子が見える。これは東日本大震災当時の量販店と同じで、当時の記憶では3月11日以後に特売が消えていた。多くの量販店が梅干しが消えた。
 今年のウメボシが猛暑でも特売が少なかったと思うのは2018年のウメボシ欠品の記憶があって、来年の欠品を恐れている。新規の得意先開拓は中々難しい。今年はグリコのシステム不調で欠品がでて、他社の人がグリコの売り場をとる事が簡単だったと思われる。そこで売り場の埋め合わせ製品が消費者に受けられるとグリコの復活は消える。食の世界は代打がヒットすると定番が外される。
 ではなぜウメボシ業界が今年の夏に特売を抑えたかの回答は、地球温暖化によって、2024年は暖冬の影響で梅の開花が10日〜2週間ほど早く,今年の1月の梅の開花があって、2月11日の南部梅林の梅まつりは五分咲き位で、梅の受粉を助けるミツバチの活動がない時だった。この結果和歌山県の調査で、着果率が低く、4月の時点で梅の実の大不作が予想されていて、前年繰り越しのウメボシ在庫と計算していて、夏の特売計画が4月以降で抑えられていた様子が見える。ここで普通なら中国からの輸入梅干しになるのだが中国も農家の人件費・輸送費・環境整備費等の上昇で、安くは入らないし、日本の梅情報が中国の人にだだ洩れしていて安くは日本に入らない。このあたりの調整は誰が行っているのか不明である。
 このミツバチの話は文献がある。
参考 ミツバチの秘密 高橋純一著 緑書房
 第7章 和歌山が誇る熊野密と南高梅
 日本ミツバチが梅の受粉に関係していることが記述されている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

曇天の今・・ためらいながら強行外出へ

2024年10月08日 | 宅老のグチ
文京区の所で本を読み、その後に上野公園から浅草の混み具合観察。どちらかというと歩く目的がおおい。データによると歩数が減り気味で、気が付くと体重が増えている。これから寒くなるとますます出不精(デブ症)になりそう。コロナ期間中に感染を恐れ、この病気に罹患し、ズボンが数本ほど廃棄処分となった。ついでにベルトも廃棄。
 気温が20度位が歩きやすい。汗もほどほど、寒くはない。
韓国の事を調べていて、大学入試で一番難易度の高いのがソウル大学医学部という。ノーベル賞の発表時期だが韓国人が受賞数が少ない理由がトップクラスの人が医者になる。その医者にも序列があって、美容整形の方に向かっているという。本当なのだろうか。日本でも今開業を目指す医学生は美容系志向があると負いう。
 アメリカの研究で100歳まで寿命が延びないという。ほっとした部分もある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2025年問題を感じる街歩き

2024年10月07日 | 宅老のグチ
近所の散歩はいつも歩くコ-スを変えて、歩いているので時々こんな風景だったかと感じることがある。今日も違和感があって、その感覚を確認すると古家が消え、更地となり、ネットが張られていて、そこには建築予定、売り出し案内も無く、存在している。コロナ期間は普通の景色だが、オリンピックが終わって建築物価が安定するという見込みの一戸建てブ-ムが終わった感がある。リモ-トということで、狭い土地に木造3階建てス―パ-の価格の様に4980万円5480万円と書いた昇り旗がひらめいていて、3戸分譲なら1戸は売れ残り、暇そうな不動産屋さんが現地で椅子に座っていた。今はそのような分譲住宅でも予約制で仲介業者はいない様子が見える。
 そんな近所の一戸建て不動産販売が目立たなくなった。その原因はウクライナ戦争による諸物価高騰で、一番初めに日本に現れたのが水回りの設備で、その設備がないために入居が出来ず、それから予定の引っ越し、退去通告のキャンセル問題まで生じた。今は木造のメ-カ-の業績が悪い。
 それに反して都内のマンションはバブル崩壊で販売力のある業者だけが競争していて、少ない物件を高所得者に販売していて、バブル時の様に売り上げ重視でなく、単価を下げて売り残しを避けている様子が見えない。バブル時には何回かに分けて販売していても、売り残しが他社の様子から値引き販売が目立っていて、先行購入した人をイライラさせた。
 今の中国の様子は不動産販売の基本の仕組みが異なるが、初期の販売価格から上がる見込みが消えている様子から、必需の人しか下がった物件を急いで買う人はいない。従ってこの困難な状況を打破するには古い家屋を強制移転させ、売れ残り物件に移住させ剰余感を減らすしかない。古い家は更地化し公園にして、古家に残留希望を消すしかない。

 日本人の平均寿命は84歳で、2025年には団塊の世代と言われた、戦後の生まれが後期高齢者になって、病院通いが増える。自分が70歳を過ぎて、急に病気が増えてきて。今の毎日の家族の日程確認は優先順位は病院で次が買物、そして自分の趣味の調べごと。そこに天気が加わる。
 散歩で近隣の更地が目立ってきたのは、戸建てのメ-カ-が高騰した土地の仕入れを抑えている気がする。職人不足でリフォ―ムの業界に職人が向かっているように見える。戸建ては10年経つと価値気減るので、今はマンションに購入者の目が行っている気がする。
 相続で余った親の不動産を更地にして、処分する考えが増えている気がする。固定資産税が増えても、人手はこれからますます減り、家を更地にする費用は年々上がる。古家は維持管理が大変で、離れた家族が昔仲良くしていた隣人から古家の管理で仲が悪くなり、いい思い出がいやな思い出で上書きされる。それが2025年問題の根本だろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言刃・ことば

2024年10月06日 | 福神漬
 福神漬の材料でナタマメがある。漢字にすると鉈豆/刀豆と書く。

学校でのいじめが原因とみられる自殺に「ことば」が絡まないことは、まずなかろう。「命」の文字は「令」と「口」の組み合わせで、「令」はひざまずく人を表し、「口」は神にささげる文、祝詞を入れる器だという。いま、その器にどんな言葉を注げばいいのだろう。
 明治文学を研究していた前田愛先生の著作を読んでいて、妙に納得したのが婦女子の識字率が江戸時代の日本で高かった。明治の10年代に少年向けの読者による投書雑誌があった。『穎才新誌』は、明治10年に陽其二が発行した日本初の活版印刷による子ども向けの投書雑誌で,性別は明示されていないが明らかに少女の投書があって、見事な論説でさらに今から思うと明治漢文の素養が現れている。この穎才新誌の内容を分析している学者によると、徐々に女性の投書が明治10年から徐々に少なくなっているという。明治の初めは文明開化で開放の時代と立身出世の時代だった。制度が固まるにつれて、女性は家に縛られる様子が見える。その原因は女性が働いて金銭を売る仕事が今の仕事の分類では風俗系と髪結いの仕事しかないように見える。
 武士の時代が終わると、武士の象徴の刀の意味が変わってくる。そこに懐旧の情から刀という象徴に意味が加わる。福神漬の命名時期は一応明治18年説があるが根拠となる文献はまだ見つからない。しかし明治18年以前には福神漬という漬物が出てこない。
 福神漬の材料でナタマメ・刃豆は重要な材料で低価格品の福神漬には刀豆の割合が少ないか全く入っていない福神漬もある。日本農林規格JAS法の福神漬の材料として7種以上の野菜となっていて、ダイコンが殆どの漬物に福神漬という表示は好ましくない。
 でも味を求めない客が多いカレ―ショップには低価格のカレ―ライスにはタダで付けられる福神漬に上品質の福神漬は出せない。人工着色し、サッカリンで甘味を出し、大量生産となる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

75歳を過ぎると平等に年寄となる。

2024年10月05日 | 宅老のグチ
70歳を過ぎると、平均とか普通という言葉が気になってくる。特に後期高齢者健康保険証が75歳になる寸前に自分に届く。お役所仕事と届いたときは思っていて、普通の74歳までの国民健康保険証が届いて、少し経って後期高齢者健康保険証が届いた。内容をよく読むと、日本人から単なる年寄りに変わった。つまり資産の有無、仕事の有無、健康状態の良否、介護の状態の様子も関係ない。あるのは負担割合。前年の収入から後期保険料が3割(現役並みの収入のある)2割負担(今は制度が出来たばかりで、値引きがある)ほとんどの人が1割負担。この1割負担も間も無く資産課税の導入があると思う。収入が少なく、金融資産の非課税申告なら1割負担という技もあるようだ。このようなテクニックで後期高齢者保健料と介護保険料を減額している人もある。節約できない人が2割負担になっている人もあるだろう。
 票数の多い低所得者層をだまして給付金で選挙に勝つ。資産家は税理士の知識で節税し、支払った税より多くの税を取り戻す。一番良い例はふるさと納税という仕組みで、住民税をすこし取り戻せることが出来る。多くの住民税の少ない人はほぼ関係ない制度でもある。そして若者に将来の生活設計として年金の天引き。

多くの75歳以上の後期高齢者は収入は年金のみの収入のみで生きていると思う。そこから貯金を切り崩し生きていると思うが動ける人は、道路警備とかの仕事で収入を得ている。学校児童の見守りがボランティア活動も見える。動けるうちは世に役に立ちたい、生きている存在感を生きざまで見せる。童話のアリとキリギリスの世界が後期高齢者の標準でそこまでの人生の決算と結果をだしている。
 間も無く65歳の年金支給を遅らし、徐々に70歳まで年金支給が遅れる。年金財政と少額年金となっている離婚・死別した女性の貧困を減らすため、制度設計が変わる。

 ロシアの少子対策で女性が18から19歳で子供を産むことを促進する政策を出してきた。戦前の日本も同様な事があった。そのうちに女性に子ども製造ノルマが出来そうで、一人産むと年金ポイントで老後の優遇制度ができそうである。凍結受精卵でアフリカ女性の体から生まれる出産工場もあるという。日本は法制度が整備されていないので、遺伝子解析からこれから揉めそうだ。なぜなら当人が死去しても予期せぬ時期の子孫が生まれることもある。受精卵を破損した時殺人罪になるのだろうか。判例では胎児も人と見なされる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マイナンバ-カ-ドはなぜ嫌われるか

2024年10月04日 | 宅老のグチ
マイナンバ-カ-ドはなぜ嫌われるか。このことを考えてみた。
 ある報道によると公務員の取得率が少ない、利用率も少ないという。キムチの歴史を調べていて、在日朝鮮人の歴史を調べている内に日本に在留している朝鮮人の押捺問題で騒いていた時があった。今の日本人がアメリカや中国などの両行に行くとには現地に入国する時、指紋を10本取られるのが普通でなぜ昔騒いで反感を持ったかの歴史があったことをキムチ関連で知った。

 マイナンバ-カ-ドですでに銀行等の金融機関、税関係の書類は登録済となっている。多くの人は日本の情報の洩れを心配しているが、今の街角で配布されるポイントカ-ドで情報漏洩があることを知らないようだ。自分自身が当選詐欺にあって、。クレジットカ-ド番号とセキュリティ番号を盗まれたことがある。慌てて検索して詐欺と知ったがその手口は当選のための手続きで10円のクレジット決済が必要という。10円ならと思い決済したのだが冷静になって考えると10円が必要でなく、クレジットカ-ド番号を盗んで、物を買って金に換える詐欺と思ったのでクレジットカ-ド会社に紛失届を出し停めた。早めの手続きで被害は10円で済んだが新規のクレジットカ-ドの発行料が高かった。
 マイナンバ-制度には欠点がある。ただこれを嫌っていると日本が時代遅れとなる。多くの公務員が嫌っているのはこの制度が普及すると彼らの老後の出先機関が減少することを考えている。築地市場の移転問題で最初は中央区だった。中央区の人口が減って、隣接区との統合の話もあった。都議会議員も一人でいつでも消滅する恐れがあった。統合となれば役職も減る。今はタワマンが増え、人口が減る見込みが消え統合話があった過去は誰も記憶から消えている。中央区の住民は高所得者とその人たちのサ-ビスのための低所得者が混在している。低所得者でも地域の価値保持のため、高価な服を着ることが要請される。区立の小学校の制服がアルマニ-二というブランド制服。銀座に住んでいる人は全員が金持ちではない。親の都合で銀座に住むことになっただけで、特に深夜まで飲食業を営業している人は近所に住むしかない。警備清掃の人達も同様である。彼らの子どもも銀座に住むしかない。銀座京橋小学校に併設されている幼稚園の行事の母親の服装は世間の常識を超えている。

 マイナンバ-カ-ドの忌避は明治期の鉄道忌避に似ている。多くの鉄道忌避の地域は没落した。いまは新幹線と高速道路のインタ―忌避だろう。マイナンバ-の制度には欠陥がある。しかし情報漏洩はいまでもある。この対処の仕事が引退した公務員の新しい仕事になる。高齢者の運転教習でその手続きの仕組みがネットで行うのが基本だが、高齢者のために電話窓口が用意されている。しかし電話が繋がらない。ネットで電話相談の時間予約をすれば、待ち時間を減らせる。高齢者でもネットを使う人が増えている。一律にネットが使えないというのは高学歴公務員の高齢者の見下し感がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅干野さん//読み方は?

2024年10月03日 | 梅干
グ-グルアラ-トで梅干を登録していて、着たメ―ルが梅干野xxという人が横浜の有名女子大の教会の所でコンサ-トがあって、観覧希望者募集と告知のようだった。このメ―ルで人名でウメボシと読むのだると思っていて、ネット検索すると女性のオルガン奏者で東京芸大卒の演者であった。ただウメボシという苗字でシワだらけのウメボシ婆あの顔を思い出し、不謹慎と思いつつ、読み方を検索すると、ホヤノと読むようだ。保谷とも関係ありそうで全国に50人というほどで、東京都に10人・神奈川西部に40という。絶滅危惧の苗字となりそう。年寄り向けの苗字で若い女性には逃げたい苗字かもしれない。一応文字入力で(ホヤノ)と入れ、文字変換すると梅干野と変換される。
 神奈川県西部には梅干しの産地があって、小田原の曽我の梅林は有名である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウソ細工は事実と天候に負ける

2024年10月02日 | 宅老のグチ
石破首相の誕生で、アベノミクス継続を望んでいた高株価・低金利・大都市のみの不動産神話の復活が今の株価で期待が消えている。これから下がって、少し戻しての繰り返し。中国政府の株価対策で3200位で行き来すると思っていて、ダラダラ下がって2800位で低迷していて、中々動けない、動かないと思っていた。いまは日本と同じように何かの仕組みで3200に戻し、株を無制限に買い上げている。日本の株も一時は日銀が買っていて、いまは含み益があるという。中国の悲しいことはバブル崩壊の後始末の成功した前例がないことで、結局日本の様に30年以上の時間が必要なのかもしれない。過剰生産は結局戦争で在庫を消化するしかない気がする。イスラエルの戦火はもう第三次大戦が静かに始まっていて、見た目では限定戦争に様に見える。つぎは何処に飛び火するのだろうか。サラエボの一発が第一次大戦の始まりとなった様にヨ-ロッパは体制が一つではない。アフリカも資源があるので武器の供給がある。一時の景気が戦争の誘惑を招く。裕福なアジア人が日本の秋を楽しんでいる姿が都営浅草線で見ることが出来る。中国政府は日本観光が危険というが、実際はどう感じるのだろうか。日本観光で一番危険なのは奈良公園の鹿に餌をあげないで、お辞儀を要求する観光客で、よく襲われている動画を見る。長い不景気で日本は金にひれ伏しているので、復活すれば過度のサ-ビスは期待できない。底辺の仕事が人手不足で止まっている様子が見える。今年のコメの品質が悪いという。来年も米騒動がありそうで、外食系のご飯は外米と日本米との混ぜご飯と予想する。また純日本米が上がる。地球温暖化で北海道は強大なコメ産地拡大の誘導となり、乳牛は廃れ、中国にいじめられているニュジ-ランドの乳製品が日本に来るかもしれない。

 中国にとって、巨大な台風18号の予想進路がまた台湾経由で中国大陸に向かっている。上海ならまた台風という気分だろう。今年の上海に上陸した台風は戦後最強だったがウソ報道の多い中国にしては動画の様子では人的損害は少ない感じがした。多分避難情報が十分に周知されていたと思われる。そこから海南島のリゾ-トを襲った、超巨大台風は追加報道が少ないので、結果は来年春節時期にわかるだろう。今の様子では中国の復旧工事は予算不足で無理な気がする。今年の台風は何か台湾上陸を回避するコ-スが見える。

 口先約束で日本の選挙が始まる。普通なら政権与党が負けるのだが何かもう一度来年の夏の参議院の選挙は衆議院も解散となる同時選挙となるかもしれない。御一新選挙。年寄り政治家の引退勧告のように感じる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする