透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

火の見櫓のタイプの体系的分類

2024-09-07 | A 火の見櫓っておもしろい

  ①-1,①-2
 火の見櫓の研究のスタートとしてタイプの分類(タイポロジー)は欠かせない。研究対象が何であれ、分類は「基本のき」。それで研究対象の総体を明らかにし、その中に研究対象を位置付ける。この場合、なんとなくタイプが似たものをひとつのグループとしてまとめるのではなく、根拠に基づく体系的な分類をしなくてはならない。

以下は過去数回掲載した火の見櫓のタイプ分けに関する記事をまとめたもの。

①に電柱の写真を載せた。どちらも柱が2本の複柱で、柱の本数だけに注目して分類すれば両者は同じ分類肢に入る。だが、①-1と①-2では柱の役割が違う。①-1では主柱と控え柱とに役割を分担している。①-2では2本の柱が構造的役割を等しく分担している(積載荷重を等しく支えている)。このことにより、両者を区別して別の分類肢を設定する。この捉え方を火の見櫓の分類にも適用する。

 ②-1,②-2
電柱に対応させて火の見櫓を挙げた。どちらも柱3本だが、後方の柱の役割が電柱と同様に異なる。


1 火の見櫓の大分類 ― 柱の本数による分類

柱1本
・火の見柱 
・火の見柱梯子掛け
柱2本
・火の見梯子 
柱3本、4本
・火の見梯子控え柱付き(②-1 控え柱1本、2本)
・3柱または4柱1構面梯子(②-2:3柱1構面梯子)
・火の見櫓 (→2 中分類)
その他

柱の本数は火の見櫓の最も基本的で有効な分類の観点。それで3柱、4柱というように柱の本数に代表させて櫓の特徴を捉え、表現している。ブレースや火打ちなど櫓の他の要素の分類は今後の課題だが、梯子状に組まれた構面には注目して分類要素とする。


 ③-1,③-2
3柱1構面梯子 左:長野県茅野市 右:長野県塩尻市


柱6本の火の見櫓 茨城県小美玉市 撮影日2016.09.04 

茨城県小美玉市、結城市には柱6本の火の見櫓があったが共に撤去され現存しない。


2 火の見櫓の中分類 ― 火の見櫓の構成要素の平面形による分類

火の見櫓の構成要素の内、櫓と屋根、見張り台の平面形に注目すれば網羅的に分類することができる。

 ④-1,④-2
④-1 櫓3角形、屋根6角形、見張り台円形 ④-2 櫓4角形、屋根4角形、見張り台4角形

コードナンバー的に36〇、444という表記ができる。これは例えばサッカーではフォーメーションを4-4-2,4-2-3-1 のように表記することや野球ではポジションを数字で示し、643のダブルプレーというような表現することに倣ったものだ。具体的な表記でも一向に構わない。目的に応じた表記をすればよい。


3 火の見櫓の小分類 ― 火の見櫓構成要素の分類 その1  脚の分類


火の見櫓の構成要素とその名称

火の見櫓は⑤に示す構成要素から成る。これらすべての分類をする必要があるが、現時点で分類できているのは脚のみ。それ以外の構成要素の分類は今後の課題。

脚のタイプ分類 以下、過去ログの再掲。


① 開放 


   
② ブレース囲い 左:片掛けブレース 右:交叉ブレース


 


③ ショート三角脚



④ ロング三角脚



⑤ ショートアーチ脚



⑥ ロングアーチ脚



⑦ 束ね(たばね)脚  アーチ形の補強部材の両端を主材(柱材)と束ねて下端まで伸ばしている。


 
⑧ トラス脚 (右をトラスもどきと名付けるが、トラス脚に含める)

⑨ 複合脚 ①~⑧の組合せであることから、次の例の様に名付ける。

     
正面束ね脚 他ブレース囲い  正面トラス脚 他ブレース囲い


注:現時点では火の見櫓の形状のみに注目し、高さや材質を分類の観点にしていない。

※2023.02.09、2024.09.07 修正



ドンピシャ!

2024-09-05 | A あれこれ

 
朝9時6分過ぎに奈良井川橋梁を渡って松本駅に向かう上高地線の列車

 一昨日(3日)は途中で少し早すぎるかなと思いました。案の定30秒くらい早く奈良井川橋梁西側の踏切を私の車は通過してしまいました。踏切通過時刻の調整はごく僅かしかできませんよね。走行速度は後続車がいない場合には落とすことができますが、それにも限度があります。その逆、速度を上げることも無理です。

途中の道路事情で踏切通過時刻には数分のずれが生じますから、なかなかドンピシャにはならないんです。

それが昨日、4日の朝はドンピシャ! 踏切手前20mくらいだったかと思いますが、警報機が鳴り始めて、遮断機が下りました。9時6分(30秒過ぎくらいかと思います)、松本駅に向かう20100形(20101-20102号車)が通過していきました。ブルーのラインが印象的な車両です。

初代なぎさちゃんはこの秋引退します。その前に、ここで会いたいなぁ。

 


彫刻家 上條俊介

2024-09-03 | A あれこれ

 

 
 松本城の黒門の先に市川量造と小林有也のレリーフがある。このふたりがいなかったら、国宝松本城は現在存在しなかっただろう。


今日(3日)松本城に出かけたが、レリーフを見て、どちらにも「俊介  作」と刻まれていることに気がついた。俊介・・・、上條俊介の名が浮かんだ。ネットで調べた。やはりこのレリーフの制作者は長野県朝日村出身の彫刻家上條俊介だった。


松本駅東口広場の「播隆上人像」も上條俊介の作品。


播隆上人(1782年~1840年)は槍ヶ岳開山の祖 。幾多の苦難を乗り越え1828年に槍ヶ岳登頂を果たした。


松本城の形式

2024-09-01 | A あれこれ

『城の日本史』や『松本城のすべて  世界遺産登録を目指して』(信濃毎日新聞社2022年)などを読んで松本城の形式について学んだことを備忘録として記しておきたい。


信濃国松本城図(戸田氏時代)


撮影日2020.10.30

 郭の縄張:梯郭と環郭の複合形式   梯郭式 連郭式 環郭式 渦郭式     

 天守の縄張り:梯立式と連立式の複合形式  梯立式(複合式) 連立式(転結式) 環立式(連立式) 単立式(独立式) 
梯には寄りかかるという意味があるという(『城の日本史』91頁)。松本城は天守の東側に辰巳附櫓と月見櫓を付し(寄りかからせ)、北に乾小天守を連立させている(天守と乾子天守を渡櫓で繋いでいる)。

 天守の外観:層塔型 望楼型 
**前期望楼型にみられる下層の大入母屋を改め、やがて層塔型天守で特徴となる寄棟形式の屋根を先駆的に採用している結果とも評価でき、(後略)**(『城の日本史』233頁)

 天守の構造:井楼式通柱構法 (井楼 せいろう) 互入式通し柱構法


 


「城の日本史」を読む

2024-09-01 | A 読書日記

 『城の日本史』内藤  昌  編著(講談社学術文庫 2011年8月10日第1刷発行、2020年9月23日第4刷発行)を読み終えた。やはり今まで知らなかったことを知ることは楽しい。

既に書いたように本書は次のような構成になっている。

第一章 城郭の歴史 ― その変遷の系譜
第二章 城郭の構成 ― その総体の計画
第三章 城郭の要素 ― その部分の意味
第四章 日本名城譜 ― その興亡の図像

第四章には全国各地の29城が取り上げられているが、国宝である松本城ももちろん取り上げられ、特徴などが解説されている。その中で、松本城の形式が梯郭+環郭式平城となっている。本書を読む前に形式を示すこの用語を目にしても、どういうものなのか全く分からなかっただろう。

城郭の縄張は「梯郭式」「連郭式」「環郭式」「渦郭式」にタイプ分けされるが(第二章で解説されている)、松本城は「梯郭式」と「環郭式」の複合タイプとのこと。このことが解り易く描かれた絵図が『松本城・城下町絵図集』松本市教育委員会(2016年)に載っている(過去ログ)。


信濃国松本城図(戸田氏時代)北を上にして載せた。

本丸をコの字形の二ノ丸(*1)が囲み(上図)、更にその外側を三ノ丸が二ノ丸と同じコの字形で囲む形式を梯郭(ていかく)式、本丸を中心に二ノ丸、三ノ丸が共にロの字形で囲む形式を環郭(かんかく)式という。

上図で解る通り、松本城の場合は本丸を囲む二ノ丸が梯郭式、三ノ丸(松本城では台形を逆さにした形をしている)が環郭式となっている。このような複合形式を梯郭+環郭式というとのことだ。 

『松本城・城下町絵図集』を買い求めたのは2016年5月だが、その時は何の知識も無く、ただ漫然とこのような絵図を見ているだけだった。やはり知らないことは見えない。


国宝 松本城 撮影日190117

絵図には本丸を囲む内堀、その外側の外堀、さらにその外側の総堀が描かれている。だが、現在は外堀の西側、それから南側の半分くらいが埋め立てられ、また総堀は大半が埋め立てらている。だから、梯郭+環郭式という形式であることは現状からは分からない。


松本市立博物館常設展示室の松本城下のジオラマ 撮影日2023.10.25

本書を読んでいれば松本城下のジオラマも上の絵図に描かれていることが解るように、総堀を全て入れて南側から撮っただろうに・・・。

本書を読んで知識を得たから城の見方も変わるかもしれない。来年1月に小倉城を見るのが楽しみになった。旅行直前に復習しなければ・・・。


*1 『城の日本史』では二丸と表記されている。