透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「水が消えた大河で」を読む

2024-09-12 | A 読書日記


 手元にあるリーフレットに**「信州しおじり  本の寺子屋」は、2012(平成24)年7月29日(日)に開講しました。**とある。これまでに何回か本の寺子屋の講演を聴いているが、今年度の講演会では、6月16日に作家・山本一力さんの「生き方雑記帳」、8月4日に東京大学教授・加藤陽子さんの「超長寿社会の平和と戦争を考えるために」と題された講演を聴き、更に9月8日に行われた朝日新聞記者でルポライターの三浦英之さんの「日本という国家の幻影を追って」を聴いた。

三浦さんは講演で開高 健ノンフィクション賞を受賞した『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』と新潮ドキュメント賞と山本美香記念国際ジャーナリスト賞を受賞した『太陽の子  日本がアフリカに置き去りにした秘密』に登場する人物などの写真をスクリーンに映しながら、日本という国家の素顔について熱く語った。他に『水が消えた大河で ルポJR東日本・信濃川不正取水事件』も触れていた。

おかしいことはおかしい。そのことをどこかに忖度することなくきちっと伝える姿勢に感動すら覚えた。講演会には遠く山形県からの参加者もいて、びっくりした。

フィクションは人生を変える力を持ち、ノンフィクションは社会を変える力を持っている。 

日中戦争の最中に満州国に設立された建国大学。1970,80年代にこの国がアフリカで行っていた資源開発が頓挫して、日本人とコンゴ人女性との間に生まれた子どもたちが現地に取り残された・・・。どちらのことも全く知らなかった。それからJR東日本が信濃川の中流域ににある宮中ダムで当初から改ざんプログラムを設置していて、長年不正に大量の水を抜き取っていた「事件」のことも知らなかった。信濃川にほとんど水が流れていない流域があったなんて・・・。信濃川は日本海に向かって滔々と流れているものと講演を聴くまで思っていた。

講演終了後に会場で『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』(集英社文庫2017年)を買い求めた。講演を聴いて、読みたいと思ったので。それから『水が消えた大河で ルポJR東日本・信濃川不正取水事件』(集英社文庫2019年)も読みたい、いや直ちに読まなくてはならないと思ったが会場には無かったので、ネット注文した(普段は書店で注文している)。一昨日(10日)届いたので早速読んだ。そこにはJR東日本によって行われていた信じられないような不正が詳細に綴られていた。加えて生態系への深刻な影響も。

信濃川の中流域には東京電力とJR東日本の取水ダムと発電所がそれぞれ別々にあって(東京電力:西大滝ダム 長野県飯山市 JR東日本:宮中ダム 新潟県十日町市)、ダムで取水された水は発電所までの間に落差をかせぐために延々と地下トンネルを流れる。そのため、その間、両者合わせて63.5kmは信濃川にはごく少量の水しか流れない。

**清流魚であるヤマメは二〇℃を超えるとエサを食べない。冷水性のカジカやアユは二五℃以上では生きていけない。**(31頁) 信濃川を流れる水量が上記の理由で極端に減り、流速も遅くなって水温が上昇、**魚が死に、流域周辺の井戸が枯れ、人びとが心の拠り所としてきた雄大な大河の風景が姿を消した。**(33頁)という。

このような事態を招いた東日本の不正を三浦さんは多くの関係者に取材をして厳しく追及していく・・・。

**「あなた方は毎秒三一七トンの水を抜いていおて、わずか毎秒七トンの放流ですよ。信濃川は石河原になって死んでいる。JR東日本の売り上げは二兆七二七〇億円。そんな独占的な優良企業が十日町の命の水をさらに不当に取っているなんて、まさしく屍に鞭を打つ、吸血鬼のような行為ですよ」**(175,6頁)
**「信濃川を涸らしておいてどこが地球に優しいんだ」**(176頁)

不正が明るみに出て、JR東日本が行なった信濃川中流域で暮らす人びとへの説明会で、次々と批判の声が上がる。

**謝罪をしている人間の面前でヤジと罵声を投げつけるという、見ていても胃が締め付けられるような苦々しい住人説明会は、終わってみれば、JR東日本にとって極めて都合のいい「セレモニー」だった。住民の前で幹部が謝罪こそしたものの、説明資料すら用意されず、補償も次の話し合いの場も提示されない説明会にあっては、彼らが口々に発する「誠意」という言葉も完全に宙に浮いていた。**(180頁)

三浦さんは状況を理性的に見据えて判断する。次に『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』を読みたいところだが、他にも読みたい本があるし、安部公房の作品を読むのはノルマだし・・・。



2024.09.11付信濃毎日新聞第二社会面

今度はJR貨物か・・・


 

 


「経済学者たちの日米開戦」を読む

2024-09-10 | A 読書日記

320


 『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「まぼろしの報告書」の謎を解く』牧野邦昭(新潮選書2018年5月25日発行、2021年12月25日13刷)を読んだ。塩尻のえんぱーくで8月4日に行われた加藤陽子東大教授の講演「超長寿時代の平和と戦争を考えるために ―全ての世代の立場から―」で紹介された本。

**「なぜ日本の指導者たちは、正確な情報に接する機会があったのに、アメリカ、イギリスと戦争することを選んでしまったのか」について考察したい。**(6頁) 本書の魅力は課題(解き明かすべき謎)が明確に設定され、その課題(謎)を分かりやすい論理の展開によって解き明かしていくこと。そう、この本にはよく出来た推理小説のような謎解きの面白さがある。

謎解きの過程で著者は数多くの史料を丹念に読み込む。名探偵が解けない謎をさらりと解いてしまうのとは訳が違う。巻末に掲載されている史料のリストは実に26頁に及ぶ(ただし引用頁まで示しているため、複数回掲載されている同一史料もある)。

課題(謎)は第五章の「なぜ開戦の決定が行われたのか」において、行動経済学のプロスペクト理論と社会心理学の集団意思決定の集団極化の理論という現代の経済学などの知見によって解き明かされる。

プロスペクト理論の説明で著者は次のような解りやすい例を示している。
(a)確実に3,000円支払わなければならない。
(b)8割の確率で4,000円支払わなければならないが、2割の確率で1円も支払わなくてもよい。

このような場合には多くの人が(b)を選ぶという(ある調査では92%が(b)を選択したそうだ)。(b)の期待値は-3,200円で(a)の-3,000円より損失は大きいのに。このことについて、**人間は損失を被る場合にはリスク愛好的(追及的)な行動を取るのである。**と、著者。

このようなことが太平洋戦争開戦前にも起きていたのだ・・・。

(A)開戦しない  2,3年後には確実に国力を失い、戦わずして屈服(ジリ貧)
(B)  非常に高い確率で致命的な敗北を招く(ドカ貧) 非常に低い確率でイギリスの屈服によるアメリカの交戦意欲喪失、日本にとって有利な講話に応じる。

上の例で(b)を選ぶように(B)  を選択した。で、この選択には.、個人が意思決定を行うよりも結論が極端になるという集団意思決定の集団極化の理論が働いていたと著者は説く。

**つまりもともと個人の状態でもプロスペクト理論によってリスクの高い選択が行われやすい状態の中で、そうした人々が集団で意思決定をすれば、リスキーシフトが起きて極めて低い確率の可能性に賭けて開戦という選択肢が選ばれてしまうのである。**(160頁)

謎解きの面白さがある、と紹介しておきながらその中身を具体的に書き過ぎた。

本書を近現代史に関心がある方にはもちろん、ない方にもおすすめしたい。


 


火の見櫓の見張り台のタイプ分け2

2024-09-08 | A 火の見櫓っておもしろい

火の見櫓の小分類 ― 火の見櫓構成要素の分類 その2  見張り台のタイプの分類

 
①-1 ①-2

 
②-1 ②-2

 火の見櫓の見張り台は床と手すりによって構成されている。従って見張り台は床と手すりのタイプを組み合わせることによって、タイプ分けすることができる。前回は床のタイプ分けについて考え、手がかりをつかむことができたかと思う。

今回は手すりについて少し考えてみたい。手すりは手すり(上端の手で掴む部分。階段の手すりは断面が円いのが一般的だが、掴むのに不向きな断面形状のものもある)と手すり子(手すりを支える部分)から成るが、タイプ分けには手すり子に注目するのが良さそうだ。

手すり子には①-1 ①-2のように飾りの無いものと、②-1 ②-2のように飾りのあるものがある。飾りの有無によって、大きく二つのタイプに分けることができるだろう。次は飾りのタイプ分け。

 
③-1 ③-2
 
 
④-1 ④-2

 
⑤-1 ⑤-2

これらの飾りを一体どのような視点でタイプ分けすればよいのだろう・・・。


 


火の見櫓の見張り台のタイプ分け1

2024-09-07 | A 火の見櫓っておもしろい

火の見櫓の小分類 ― 火の見櫓構成要素の分類 その2  見張り台のタイプの分類

 
①-1 ①-2

火の見櫓の中分類では櫓と屋根と見張り台の平面形に注目した。それで例えば①-1は444型(それぞれ平面形が4角形)、①-2は3〇〇型(櫓は3角形、屋根と見張り台は円形)というように分類する。

前の記事で示したように、脚もいくつかのタイプに分類した。それで次は見張り台の分類に臨みたい。あれこれ試行錯誤する様を載せて行こうと思う。 

  
②-1 ②-2

中分類で既に平面形に注目しているから、平面形に関係なく見張り台の分類に有効な観点(視点と観点の違いがよく分からない。このような場合には視点の方が良いのかもしれない)を探そうと思う。見張り台の構成要素は床と手すりだから、この2つの要素を分類してその組合せで捉えるのがよいと思う。オーソドックスな要素還元主義的な考え方だ。

まずは床。②-1と②-2とは何がどう違う? 床材の平鋼をすのこ状に並べているがその向きが違う。②-1は3方向に並べているが(*1)、②-2は1方向。分類の観点として床材の並べ方は有効かもしれない。床材は平鋼の他に丸鋼などもあるがすのこ状に並べるタイプとして材料の違いは問わなくてもよいかもしれない。ただし鋼板で床をつくっていたり、エキスパンドメタルでつくっているものもある。この違いは分類の観点として挙げた方が良さそうだ。となると、平鋼と丸鋼も別に扱うのがよいのかもしれない。床の下地材(建築の根太に相当する部材)に注目すると、②-1と②-2とでは掛け方が違う。これも分類の観点として有効かもしれない。

*1 開口部廻りは考慮していない。

 
③-1 ③-2

③-1の床材は丸鋼、③-2は平鋼。とりあえずこの違いは考慮しない。下地材の本数が違う。③-1は床面と3等分したそれぞれの部分で1本渡している。③-2は2本。

 
④-1 ④-2

④-1の床の構成は③-1と同じと見ることができる。④-2は床材の並べ方が②-2と同じで1方向。

分類の観点は少なくて有効なものを見つけたい・・・。その手がかりが見つかったような気がする。次は手すりについて考えてみたい。


 


火の見櫓のタイプの体系的分類

2024-09-07 | A 火の見櫓っておもしろい

  ①-1,①-2
 火の見櫓の研究のスタートとしてタイプの分類(タイポロジー)は欠かせない。研究対象が何であれ、分類は「基本のき」。それで研究対象の総体を明らかにし、その中に研究対象を位置付ける。この場合、なんとなくタイプが似たものをひとつのグループとしてまとめるのではなく、根拠に基づく体系的な分類をしなくてはならない。

以下は過去数回掲載した火の見櫓のタイプ分けに関する記事をまとめたもの。

①に電柱の写真を載せた。どちらも柱が2本の複柱で、柱の本数だけに注目して分類すれば両者は同じ分類肢に入る。だが、①-1と①-2では柱の役割が違う。①-1では主柱と控え柱とに役割を分担している。①-2では2本の柱が構造的役割を等しく分担している(積載荷重を等しく支えている)。このことにより、両者を区別して別の分類肢を設定する。この捉え方を火の見櫓の分類にも適用する。

 ②-1,②-2
電柱に対応させて火の見櫓を挙げた。どちらも柱3本だが、後方の柱の役割が電柱と同様に異なる。


1 火の見櫓の大分類 ― 柱の本数による分類

柱1本
・火の見柱 
・火の見柱梯子掛け
柱2本
・火の見梯子 
柱3本、4本
・火の見梯子控え柱付き(②-1 控え柱1本、2本)
・3柱または4柱1構面梯子(②-2:3柱1構面梯子)
・火の見櫓 (→2 中分類)
その他

柱の本数は火の見櫓の最も基本的で有効な分類の観点。それで3柱、4柱というように柱の本数に代表させて櫓の特徴を捉え、表現している。ブレースや火打ちなど櫓の他の要素の分類は今後の課題だが、梯子状に組まれた構面には注目して分類要素とする。


 ③-1,③-2
3柱1構面梯子 左:長野県茅野市 右:長野県塩尻市


柱6本の火の見櫓 茨城県小美玉市 撮影日2016.09.04 

茨城県小美玉市、結城市には柱6本の火の見櫓があったが共に撤去され現存しない。


2 火の見櫓の中分類 ― 火の見櫓の構成要素の平面形による分類

火の見櫓の構成要素の内、櫓と屋根、見張り台の平面形に注目すれば網羅的に分類することができる。

 ④-1,④-2
④-1 櫓3角形、屋根6角形、見張り台円形 ④-2 櫓4角形、屋根4角形、見張り台4角形

コードナンバー的に36〇、444という表記ができる。これは例えばサッカーではフォーメーションを4-4-2,4-2-3-1 のように表記することや野球ではポジションを数字で示し、643のダブルプレーというような表現することに倣ったものだ。具体的な表記でも一向に構わない。目的に応じた表記をすればよい。


3 火の見櫓の小分類 ― 火の見櫓構成要素の分類 その1  脚の分類


火の見櫓の構成要素とその名称

火の見櫓は⑤に示す構成要素から成る。これらすべての分類をする必要があるが、現時点で分類できているのは脚のみ。それ以外の構成要素の分類は今後の課題。

脚のタイプ分類 以下、過去ログの再掲。


① 開放 


   
② ブレース囲い 左:片掛けブレース 右:交叉ブレース


 


③ ショート三角脚



④ ロング三角脚



⑤ ショートアーチ脚



⑥ ロングアーチ脚



⑦ 束ね(たばね)脚  アーチ形の補強部材の両端を主材(柱材)と束ねて下端まで伸ばしている。


 
⑧ トラス脚 (右をトラスもどきと名付けるが、トラス脚に含める)

⑨ 複合脚 ①~⑧の組合せであることから、次の例の様に名付ける。

     
正面束ね脚 他ブレース囲い  正面トラス脚 他ブレース囲い


注:現時点では火の見櫓の形状のみに注目し、高さや材質を分類の観点にしていない。

※2023.02.09、2024.09.07 修正



ドンピシャ!

2024-09-05 | A あれこれ

 
朝9時6分過ぎに奈良井川橋梁を渡って松本駅に向かう上高地線の列車

 一昨日(3日)は途中で少し早すぎるかなと思いました。案の定30秒くらい早く奈良井川橋梁西側の踏切を私の車は通過してしまいました。踏切通過時刻の調整はごく僅かしかできませんよね。走行速度は後続車がいない場合には落とすことができますが、それにも限度があります。その逆、速度を上げることも無理です。

途中の道路事情で踏切通過時刻には数分のずれが生じますから、なかなかドンピシャにはならないんです。

それが昨日、4日の朝はドンピシャ! 踏切手前20mくらいだったかと思いますが、警報機が鳴り始めて、遮断機が下りました。9時6分(30秒過ぎくらいかと思います)、松本駅に向かう20100形(20101-20102号車)が通過していきました。ブルーのラインが印象的な車両です。

初代なぎさちゃんはこの秋引退します。その前に、ここで会いたいなぁ。

 


彫刻家 上條俊介

2024-09-03 | A あれこれ

 

 
 松本城の黒門の先に市川量造と小林有也のレリーフがある。このふたりがいなかったら、国宝松本城は現在存在しなかっただろう。


今日(3日)松本城に出かけたが、レリーフを見て、どちらにも「俊介  作」と刻まれていることに気がついた。俊介・・・、上條俊介の名が浮かんだ。ネットで調べた。やはりこのレリーフの制作者は長野県朝日村出身の彫刻家上條俊介だった。


松本駅東口広場の「播隆上人像」も上條俊介の作品。


播隆上人(1782年~1840年)は槍ヶ岳開山の祖 。幾多の苦難を乗り越え1828年に槍ヶ岳登頂を果たした。


松本城の形式

2024-09-01 | A あれこれ

『城の日本史』や『松本城のすべて  世界遺産登録を目指して』(信濃毎日新聞社2022年)などを読んで松本城の形式について学んだことを備忘録として記しておきたい。


信濃国松本城図(戸田氏時代)


撮影日2020.10.30

 郭の縄張:梯郭と環郭の複合形式   梯郭式 連郭式 環郭式 渦郭式     

 天守の縄張り:梯立式と連立式の複合形式  梯立式(複合式) 連立式(転結式) 環立式(連立式) 単立式(独立式) 
梯には寄りかかるという意味があるという(『城の日本史』91頁)。松本城は天守の東側に辰巳附櫓と月見櫓を付し(寄りかからせ)、北に乾小天守を連立させている(天守と乾子天守を渡櫓で繋いでいる)。

 天守の外観:層塔型 望楼型 
**前期望楼型にみられる下層の大入母屋を改め、やがて層塔型天守で特徴となる寄棟形式の屋根を先駆的に採用している結果とも評価でき、(後略)**(『城の日本史』233頁)

 天守の構造:井楼式通柱構法 (井楼 せいろう) 互入式通し柱構法


 


「城の日本史」を読む

2024-09-01 | A 読書日記

 『城の日本史』内藤  昌  編著(講談社学術文庫 2011年8月10日第1刷発行、2020年9月23日第4刷発行)を読み終えた。やはり今まで知らなかったことを知ることは楽しい。

既に書いたように本書は次のような構成になっている。

第一章 城郭の歴史 ― その変遷の系譜
第二章 城郭の構成 ― その総体の計画
第三章 城郭の要素 ― その部分の意味
第四章 日本名城譜 ― その興亡の図像

第四章には全国各地の29城が取り上げられているが、国宝である松本城ももちろん取り上げられ、特徴などが解説されている。その中で、松本城の形式が梯郭+環郭式平城となっている。本書を読む前に形式を示すこの用語を目にしても、どういうものなのか全く分からなかっただろう。

城郭の縄張は「梯郭式」「連郭式」「環郭式」「渦郭式」にタイプ分けされるが(第二章で解説されている)、松本城は「梯郭式」と「環郭式」の複合タイプとのこと。このことが解り易く描かれた絵図が『松本城・城下町絵図集』松本市教育委員会(2016年)に載っている(過去ログ)。


信濃国松本城図(戸田氏時代)北を上にして載せた。

本丸をコの字形の二ノ丸(*1)が囲み(上図)、更にその外側を三ノ丸が二ノ丸と同じコの字形で囲む形式を梯郭(ていかく)式、本丸を中心に二ノ丸、三ノ丸が共にロの字形で囲む形式を環郭(かんかく)式という。

上図で解る通り、松本城の場合は本丸を囲む二ノ丸が梯郭式、三ノ丸(松本城では台形を逆さにした形をしている)が環郭式となっている。このような複合形式を梯郭+環郭式というとのことだ。 

『松本城・城下町絵図集』を買い求めたのは2016年5月だが、その時は何の知識も無く、ただ漫然とこのような絵図を見ているだけだった。やはり知らないことは見えない。


国宝 松本城 撮影日190117

絵図には本丸を囲む内堀、その外側の外堀、さらにその外側の総堀が描かれている。だが、現在は外堀の西側、それから南側の半分くらいが埋め立てられ、また総堀は大半が埋め立てらている。だから、梯郭+環郭式という形式であることは現状からは分からない。


松本市立博物館常設展示室の松本城下のジオラマ 撮影日2023.10.25

本書を読んでいれば松本城下のジオラマも上の絵図に描かれていることが解るように、総堀を全て入れて南側から撮っただろうに・・・。

本書を読んで知識を得たから城の見方も変わるかもしれない。来年1月に小倉城を見るのが楽しみになった。旅行直前に復習しなければ・・・。


*1 『城の日本史』では二丸と表記されている。