『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

人を育てる

2007年11月26日 | Weblog
人を育てる。
子供じゃなく、仕事の後継者の話。
僕の会社は、製造業。つまり、設計する人間と作る人間が居る。
製造部での「育てる」と言うのは、主に教える事が主になる。
決まった事を、きちんとやるために自分で創意工夫して
いかに効率よく、無駄が無く、作りやすい環境を整えるか?
それが製造部門、いわゆる生産技術の人間に求められる事。

それゆえに、先輩が経験を後輩に教えてゆく作業が「育てる」事になる。
語弊があるかも知れないが、そういう意味では創意工夫があっても
クリエイティブな部分は、設計に比べるとそんなに要求されない。
まずは、確実に仕事をこなせる事が大前提になる。

ところが設計部門での「育てる」は、ちょっと意味が違う。
設計者に求められるのは、新しい技術や手法。
今まで通りのものを採用するのでも、それを採用する理由をきちんと
説明できなければ、設計ではなくコピーになってしまう。
それゆえに、実験一つするのでも自分がどんなものを作るのか?
それがどれだけ将来に繋がり、どれだけ必要な技術であるかも
自分なりに説明できなければならないと僕は思っている。

コピーだけでも、十分な性能を出せる事が多いのだけれど
それでは設計者としては全くクリエイティブではないと思うのです。

たとえて言うならば、料理のレシピを作るようなもの。
どんな材料を使い、どのように加工して調理するのか?
調味料や火加減にもこだわりがあって、美味しい料理が完成する。
それを最初に考える人は、研究と失敗を繰り返しているはず。
設計者に通じるものがある。

一方で、そのレシピを忠実に守って作って考案者の味を再現する。
これも料理人の腕である。
伝統料理の料理人はこの類に入るのかもしれない。
それはそれで大変で、むしろこちらの世界の方が厳しいかも知れない。

僕は前者。
つまり、若者に手取り足取り教えてしまっては、自分で考える部分が
無くなってしまう、創造力が養われないと思っている。
失敗を恐れず、自分の考えを作り上げる。そして失敗の中から何かを掴む。
傍から、「馬鹿」といわれる事があるくらいじゃないと、
誰もやった事のない事に挑戦するのは無理と云うもの。

それだけに、ヒントだけ与えて遠くで見ているのだが、そういった設計の筋書きを
全く作らず、闇雲に実験したりしていると、つい小言を言ってしまう。
そのせいか、最近の若者は煙たそうに僕を見ている気がする。
製造部の人間から見ると、
「それなら、口出ししなければいい。邪魔しているだけじゃないか」
と、言われてしまった。
そうなのかなぁ?・・・・・・・そういうのを邪魔っていうのか?
「育てる」と云う感覚が、全く違うから話をしても噛み合わない。

同じように、子供に何かを「教える」のと、考え方を「育てる」のも違うと思うのだが
こんな事を考えても、仕方が無いのかな?大きなお世話なのかも知れない。

今日は、そんな事で悩んでしまった。
コメント
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