『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

『人の物差し』の話

2018年11月05日 | ジジイの呟き

先週書いた『人の物差し』の話。

「物差し」という言葉は、物の長さを測るという意味から転じて
人や物事の価値を測る尺度とい意味も持っている。
人は誰でも、それぞれ違った『物差し』を持っていて、『好き嫌い』もその一つです。

逆に誰もが同じ長さの『物差し』を使わなければならないのもが有る。
たとえば身長計や体重計と言った物理的な判断をする道具。
長さを計る『物差し』、時間を計る時計などもそう云った道具です。

法律も最低限の判断をするための『物差し』なのかも知れません。
ただし時と場合によって、その『物差し』は同じものでは無くなる。
いわゆる『情状酌量』なんて言う部分が、その辺りなんでしょう。

人とお付き合いする場合、この『物差し』を幾つ持っているか?が凄く大事になる。
たとえば外見。
人は見た目がすべて・・・・なんて言う事をよく目にする。
確かにそう云う部分も否定はしません。
歳を取ると若い頃には気にしなかった事も気になるようになりますからね。
経験から来る物事の判断基準が変化した部分なんでしょう。
それは『好き嫌い』というものではなく、会社では制服を着用するとか、
上着にネクタイを締めるとか、単純に判断出来るものです。

『好き嫌い』は人によって違う。
痩せた人が好きな人も居れば、ふくよかな人を好む人も居る。
外見など全く気にしない人は、そう云う部分の『物差し』を使わないのです。
甘いものが好きな人も居れば、辛いものが好きな人も、両方好きな人も居る。
『好き嫌い』は一つの『物差し』で、人によって目盛の幅も違う。

そういう事を理解せずに『好き嫌い』を人に押し付ける人が居ます。
いわゆる『自分の物差しで他人をはかる』人ですね。
多分、本人は「押し付け」とは思って居ないのでしょうけれど、
自分の価値観だけで物事を判断して、目盛の違いなどお構いなしなのです。

もっと面倒なのは『自分の物差し』を持ち合わせていなくて、『他人の物差しで物事を見る』人ですね。
こう云う人は信用できない上に、一緒に何かをする場合に依頼心が強くて疲れる。
今時のネット社会では、この両者が異常に多くて、バッシングなどは一方向に流れる。
虐めも、そう云った類の人間が引き起こす問題だと思っています。

残念ながら最近はそういう『残念な人』に遭遇する事が多くなりました。
僕はそう言った方々とは距離を置くようにしています。
ハッキリ言えば『付き合いたくない』人達です。

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