575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

底見せて流るる田川春浅し  千香子

2022年02月18日 | Weblog

今回難しかったのは「春浅し」という季節感覚。

まだ春が整っていない微妙な時期は、早春、初春とも違う特殊な感情のこもる言葉です。

強烈な寒波襲来や、コロナ感染者数の激増など様々な情報の中、家にこもったままでは感情のセンサーも働かず苦戦をいたしました。

そんな中、「田川」という言葉を使いたかったという千香子さんの句はシンプルな描写で、巧みにこの季節を浮かび上がらせましたね。

 

皆さんのコメントです。

竹葉さん:「底が見える」でなく、「底見せて」る川の表現がいいと思います。

能登さん:「春浅し」を分かりやすく表すと、こうなるという佳句 

麗子さん:上五の「底見せて」に魅かれました。水温む前のまだ冷たい小川。真冬とは違った春の訪れを目で感じられたのでしょう。

等さん:春めいた川の川底に、植物の芽や生き物の子など、何かあれば句になるでしようが・・・。季節が少し後なら”春”ですし、早いなら“冬”になるのですがこの季語の難しいところでしょうね。

晴代さん:素直に情景が浮かびます

泉さん:ほのぼのとした風景が春を待っている様子

亜子さん:◎の句。田んぼの中の小川。もっと春が深まれば雪解けの水で水量も増えて来ることでしょう。今はまだ川も浅く底を見せている状態。「春浅し」という季語がこれしかない、動かない感じがしました。

    

“ これしかない、動かない感じ ”で 季語を生かすこと。

非体験でも句意を共有できる俳句の基本でしたね。

この視点で自分の句を見返すと・・・(笑)

おのずと悪いところが見えてきました、感謝です!郁子

 

コメント (3)
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