★「俳句がうまくなる1OOの発想法」の著者ひらのぼこ氏によれば俳句ほど命令の似合うものは無い、と次のような例句をあげている。
外にも出よ触るるばかりに春の月 中村汀女
船室に寝ず飛魚の飛ぶを見よ 茨木和生
こほろぎのこの一徹の貌を見よ 山口青邨
桜散るあなたも河馬になりなさい 坪内稔典
吊るされし鮟鱇なにか着せてやれ 鈴木鷹夫


外にも出よ触るるばかりに春の月 中村汀女
船室に寝ず飛魚の飛ぶを見よ 茨木和生
こほろぎのこの一徹の貌を見よ 山口青邨
桜散るあなたも河馬になりなさい 坪内稔典
吊るされし鮟鱇なにか着せてやれ 鈴木鷹夫



河馬はそんなことに無頓着。河馬は河馬の時間を生きていますから。
私もなぜか河馬が好きです。
この句について考えてみました。
桜が散っています。私はもう河馬になっています。
あなたも河馬になりなさい。
花が散る。あることが終る。ひとつの区切り目。
飛躍する時です。さあ、あなたも河馬になりなさい、
と呼びかけられた相手は誰?
恋人なのか?
でもヘンな句。
桜は日本文化の象徴。
西行にとっては日本の神々の象徴であった。
数多くの歌や句が詠まれ、
新しい桜の歌や句が次々と生まれた。
さらに新しい桜を詠むには、かなりの力技が必要。
そういう文脈で読むと、
作者は、もう日本伝統の文芸の世界、
いや人間界そのものを離れて
河馬になってしまった、とも読める。
そして、河馬の世界へ誘っている。
作者は河馬が大好きのようです。
困ってしまいます。
どういう句なんでしょうかね?