goo blog サービス終了のお知らせ 

575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

私のみた『方丈記』(3)

2022年06月20日 | Weblog

 

『方丈記』の著書、鴨長明は伝記によると、京都の下鴨神社の禰宜(ねぎ)の出だという。

因みに、徒然草の著書、吉田兼好の先祖も京都の吉田神社の社家だそうです。

鴨長明が『方丈記』を書いたのは晩年の57歳の頃のことです。

 『方丈記』の2項目「安元の大火」では記者のような眼で記述しています。

ところが、9項目「また、同じことかとよ」で取り上げた「元暦の地震」では、

安元の大火のようなリード部分もなく、いきなり、地震の有り様から始まっています。

 記者の眼から随筆家の眼に。

全体の文脈をみると、どうやら地震の怖さを見聞きした具体例を挙げて、忘れがちな災害に警鐘を鳴らしているようです。

 「元暦の地震」は元暦2年(1185)、都でおきた大地震のこと。

私は若い頃、覚えたこの1185年という年号が何故か今も記憶に残っています。

1185年という年の3月24日、壇ノ浦の戦いで平家が滅亡、鎌倉時代が成立しています。

平安時代から鎌倉時代へ(1185年を覚えておくと何かと便利です)。

そして、この僅か4か月足らず後の7月9日、 元暦の地震が都を襲っています。

鴨長明は30歳の頃、

このような歴史の大きな転換期を生き、災害や飢餓を目の当たりにしています。

平家物語にも 元暦の地震について同じような記述があります。

例えば、『平家物語』(巻第12)より

「…鳥にあらざれば、空を翔(か)けり難く、龍にあらざれば雲にも上り難し。…」

『方丈記』では

「…羽なければ空をも飛ぶべからず。龍ならばや、雲にも乗らむ…」

 

『方丈記』は鎌倉初期、一方『平家物語』の原形は鎌倉中期といわれているため、

『平家物語』の方が『方丈記』を参考にしてると思われます。

『方丈記』ではこの大地震の記述の最後は

「…月日重なり、年経にし後は、ことばかけて言ひ出づる人だになし。」

   と、災害は忘れた頃にやってくると警告しているのに対して、

『平家物語』では

「…平家の怨霊にて、世の失すべき由、申しければ心ある人の嘆き悲しむは、なかりけり。」

   と、無常観を込めて詠嘆調で終わっています。

『方丈記』は、18項目あるうち、私が目を通した限り、無常観を詠嘆調に述べた箇所は見当たらず

一見、淡々と述べていますが、それが、かえって、心に残ります。

 

前回、掲載した拙文について、とても、教養豊かな「文科系」さんから

コメントをいただきました。この方からは以前にもコメントをいただき、

励まされたのを覚えています。

鴨長明の著書『方丈記』『発心集』を読んでいるばかりか、賀茂神社に

再現された庵も見ておられるとのこと。恥いるばかりです。

琵琶の名手でもあった長明。音楽の力、美の力について述べて

おられます。ありがとうございました。

                   竹中 敬一  

 

コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 宇宙食開発したる我が母校作... | トップ | 紫陽花句会の投句が集まりま... »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (郁子)
2022-06-20 08:42:42
平家物語との対比が面白いです。
鴨長明はジャーナリストの目を持っているのですね。
返信する
Unknown (佐保子)
2022-06-20 09:11:55
たまたま土曜日のNHKのブラタモリで、京都鴨川を歩き、上加茂神社のあたり一帯が、古代の豪族加茂氏の治めるところというので、社家町も映されていて、あそこ行ったねと夫とみました。また、期待していた神主の地位を親族に取られ、気落ちした長明の人生を思ったりしました。神主さん、勉強家だったんですね。
返信する
Unknown (麗子)
2022-06-20 14:25:23
鴨長明も加茂一族だったのですね。
歴史の生き証人ですね。
私もブラタモリ見てました。社家の街並み素敵でした。
返信する

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事