『方丈記』の著書、鴨長明は伝記によると、京都の下鴨神社の禰宜(ねぎ)の出だという。
因みに、徒然草の著書、吉田兼好の先祖も京都の吉田神社の社家だそうです。
鴨長明が『方丈記』を書いたのは晩年の57歳の頃のことです。
『方丈記』の2項目「安元の大火」では記者のような眼で記述しています。
ところが、9項目「また、同じことかとよ」で取り上げた「元暦の地震」では、
安元の大火のようなリード部分もなく、いきなり、地震の有り様から始まっています。
記者の眼から随筆家の眼に。
全体の文脈をみると、どうやら地震の怖さを見聞きした具体例を挙げて、忘れがちな災害に警鐘を鳴らしているようです。
「元暦の地震」は元暦2年(1185)、都でおきた大地震のこと。
私は若い頃、覚えたこの1185年という年号が何故か今も記憶に残っています。
1185年という年の3月24日、壇ノ浦の戦いで平家が滅亡、鎌倉時代が成立しています。
平安時代から鎌倉時代へ(1185年を覚えておくと何かと便利です)。
そして、この僅か4か月足らず後の7月9日、 元暦の地震が都を襲っています。
鴨長明は30歳の頃、
このような歴史の大きな転換期を生き、災害や飢餓を目の当たりにしています。
平家物語にも 元暦の地震について同じような記述があります。
例えば、『平家物語』(巻第12)より
「…鳥にあらざれば、空を翔(か)けり難く、龍にあらざれば雲にも上り難し。…」
『方丈記』では
「…羽なければ空をも飛ぶべからず。龍ならばや、雲にも乗らむ…」
『方丈記』は鎌倉初期、一方『平家物語』の原形は鎌倉中期といわれているため、
『平家物語』の方が『方丈記』を参考にしてると思われます。
『方丈記』ではこの大地震の記述の最後は
「…月日重なり、年経にし後は、ことばかけて言ひ出づる人だになし。」
と、災害は忘れた頃にやってくると警告しているのに対して、
『平家物語』では
「…平家の怨霊にて、世の失すべき由、申しければ心ある人の嘆き悲しむは、なかりけり。」
と、無常観を込めて詠嘆調で終わっています。
『方丈記』は、18項目あるうち、私が目を通した限り、無常観を詠嘆調に述べた箇所は見当たらず
一見、淡々と述べていますが、それが、かえって、心に残ります。
前回、掲載した拙文について、とても、教養豊かな「文科系」さんから
コメントをいただきました。この方からは以前にもコメントをいただき、
励まされたのを覚えています。
鴨長明の著書『方丈記』『発心集』を読んでいるばかりか、賀茂神社に
再現された庵も見ておられるとのこと。恥いるばかりです。
琵琶の名手でもあった長明。音楽の力、美の力について述べて
おられます。ありがとうございました。
竹中 敬一
鴨長明はジャーナリストの目を持っているのですね。
歴史の生き証人ですね。
私もブラタモリ見てました。社家の街並み素敵でした。