575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

田籾焼くけぶりは先祖供養かな  結宇

2019年11月13日 | Weblog

籾殻焼く。秋の季語です。
モミガラを焼いて灰をとること。
灰には、イネが倒れにくくなる、連作障害を防ぐなどの効果があるとか。
昔からのリサイクルの智恵です。

田籾を焼くことは少なくなりましたねと、しみじみ。
出席者もほとんど見ていない光景でした。

籾殻を焼く煙が嫌われて、苦情が出るそうです。
私の子供時代には考えられないこと。
なにが変わったのでしょうか?

農業は国の根本。しかし、食料自給率の低下。
根元から倒れんばかりです。
日本人の原風景が消えつつあります。遅足




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中日歌壇より

2019年11月12日 | Weblog
今朝の中日新聞、宗匠の歌が中日歌壇に掲載されました。

島田 修三 選

 電線にあまたの黒き影並べ電気を盗み食いする烏


島田先生評 電線のカラスを意表を衝いた発想で描き
     なるほどと思わせる。



おめでとうございます。
電線のカラス、ヒッチコックの映画を思い出させます。
盗み食いとは、すこし人間臭さも感じられて面白い発想ですね。
 木枯らしの季節になりました。
虎落笛という季語を句会で知り挑戦したいと思っています。
電線も寒々しく見えてきます。鳥もうかうか止まっていられないかな。
カラスも井戸端会議するのでしょうか。郁 
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「落葉」句会近づく。   遅足

2019年11月11日 | Weblog
冬が近づいてきました。
散歩にゆく大学構内も落葉が始まっています。
散った木の葉ばかりでなく、木の葉の散る様子、
地面や水面に散り敷いたようすも「落葉」と言います。
昔は落葉焚き煙が上がったりも。
落葉を雨に喩えた落葉の雨・落葉の時雨なども季語です。
すてきな季語です。

詩のテクニックのひとつにリフレインがあります。

 日の落葉月の落葉と渓を埋め  岡田日郎

 落葉する音と落葉を踏む音と  岡田順子

 入れ替はり人ら憩へる樹の下は落葉つもれり言葉つもれり 小島ゆかり

短い俳句の場合は特に効果があります。
一度、挑戦してみて下さい。(遅足)
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照る月や死臭腐臭の波の音  等

2019年11月10日 | Weblog

60年前の伊勢湾台風の記憶を詠んだ句。
作者は放送局に入社したばかりでした。
現場での臭いが忘れられないという話に衝撃を受けました。

テレビに映らない真実のひとつが臭い。
一時期、研究されたこともありましたが、実現しませんでした。



写真は8日の中日新聞に載った航空写真。
台風直後の名古屋市南部や旧海部郡を米軍が撮影したもの。
黒く写っているのは海の水です。大昔に戻ってしまいました。

地球温暖化で伊勢湾台風を超えるスーパー台風も予想されるとか。
この写真は13日から名古屋大学の減災館で公開予定です。
見に行こうと思っています。遅足
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龍淵(ふち)に潜(ひそ)むや風に立つ水面  亜子

2019年11月09日 | Weblog

中国では、龍は雨と日照りを自在に操る神獣と考えられています。
「春分には天に昇り、秋分に淵に潜む」とも言われ、
ここから「龍淵に潜む」が秋の季語に。

作者が名古屋の鶴舞公園の竜ヶ池を訪れた際に詠んだもの。
池の位置が旧名古屋市の東南(巽)の方向にあることから
竜ヶ池の名が起こったとか。

静かな池も秋の夕暮れ、風で波立つことも。
何かが隠れている不穏な感じに心がざわつきます。

  龍淵に潜む水面のまつたひら  大野崇文

こちらも不気味ですね。
いまの世界の経済の水面は波立ってきましたね。 遅足


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「冬枯れに 異国の少女 決意あり」  殿

2019年11月08日 | Weblog
There is a decision in a winter foreign girlhood.

大学の雑用に追われるなか、母子家庭の子どもを預かる
「子供お絵かき教室」に参加。

「子供お絵かき教室」は託児ボランテイア活動。
あずかるのは外国人と日本人との間に生まれた子供。
こうした国際結婚は離婚する割合が髙く3組に1組。
母子家庭となった母子は翌日から生活に困ります。
お母さんは国外退去となる場合も。

私が預かっているマリア。お母さんは国外退去となって離れ離れ。
ゴミを拾い暮らしていたマリア。タガログ語のみの文盲。
お母さんが日本に戻るまで教会のシスターが保護しています。

マリアの夢は人を助ける医師となること。
生まれて初めてのマクドナルドでの笑顔。今年8歳です。

彼女を教会に送っていくとき。夜空がとても美しく・・・




 「繋ぐ手は 異国の童女 星月夜」

  Conversation with me and her.
  Wait for me. I need you.
  Don't worry. I'm always near you.
  You may call me dad.

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ブライクコ&レイコ  森林公園編   麗

2019年11月07日 | Weblog
雲一つない穏やかな小春日和の昨日。郁子さんと尾張旭の森林公園をブラ散歩♪
6月の全国植樹祭で天皇皇后両陛下が来られたところです。
植物園の中の広芝生に出来た木製のステージではフィットネスが行われていました。気持ちのいい青空のもと園内をゆっくり散策。
おにぎりとあり合わせのおかずで作った即席弁当をこの写真の噴水の見えるベンチで食べました。噴水に虹がかかっていました。一句作ろうと思いましたが、「噴水」も「虹」も夏の季語です。この光景を詠むにはどうしたらいいのでしょうか?

さて、今月の落ち葉句会に備えて出かけていったのに、落ちているのはどんぐりなどたくさんの木の実でした。
以前作った木の実の俳句。

     手のひらにあふれるほどの木の実降る  麗


そして、郁子さんが「小さな木の実」を歌い出したところからなぜか二人での合唱大会に(笑)
偶然にも私が小学校5年生の時の合唱コンクールでピアノ伴奏をした「気球に乗ってどこまでも」を今、郁子さんがコーラスグループで練習されていることもわかり、アルトとソプラノではもり、口ピアノで楽しく歌いながらの散策となりました。
すみません。静かな公園をにぎやかに歌っていたのは私たちです。「真っ赤な秋」も歌いました
子供の頃に母が歌ってくれた童謡や小学校の音楽教育って大事だと心から思いました。

先週、母がまた圧迫骨折で緊急入院したりで心が重くなっていた私ですが、40数年ぶりに「気球に乗ってどこまでも」を歌って当時のことを思い出し、心が軽くなっていきました。郁子さん、ありがとうございました。


     小春日や気球に乗ってどこまでも   麗
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玻璃戸より浅間眺めし虚子秋思  等

2019年11月06日 | Weblog

かって、訪問した信州・小諸に高浜虚子は疎開していました。
虚子が散歩した辺りを歩きました。浅間の噴火もかすかに見えた秋。
懐かしく思いだしました、と結宇さん。

高濱虚子が小諸に疎開したのは昭和19年から4年間。
冬は厳しく、しかし四季の美しい風土に接した虚子。
「小諸時代」と呼ばれる世界をつくりあげ、
のちに「小諸百句」として発表されています。
そのなかから。

 淺間嶺《ね》の一つ雷《かみなり》訃を報ず

 虹立ちて忽ち君のある如し

 虹消えて忽ち君の無き如し

 虹を見て思ひ思ひに美しく

 人の世も斯く美しと虹の立つ

 秋晴の淺間仰ぎて主客あり

この時、虚子が住んだ家は今も「虚子庵」として保存されています。
玻璃戸から歪んで見える浅間を眺めた虚子。
疎開先からふるさとを思う虚子。

その同じガラス戸から浅間を眺めた作者。
虚子の秋思に心を寄せて詠んだ一句と読みました。遅足




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雲流れ飽かず眺むる秋思かな  能登

2019年11月05日 | Weblog

秋一日、雲が流れてゆくのを眺めています。
元気な時は、長くはみていることは出来ません。
飽きが来て、こころは別のものに移っていきます。

老いを意識した頃でしょうか。
流れる雲を飽かずに見ていたのを思い出しました。
きっと、こころが風邪をひいていたのでしょう。

能登さん、お元気ですか?  遅足

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姑の逝きて身深き秋思かな   静荷

2019年11月04日 | Weblog

作者は、最近100歳を越えた姑を亡くされました。
生前は「いけず」のオバアチャンで、お屋敷に独り住まい。
ご機嫌伺いに訪れると、先制パンチが飛んできたとか。
とくに食べ物に関してはウルサカッタようです。
長男の嫁という立場だった作者。商家のお嬢様。
もちろん負けてはいなかったようです。

文化の違うお二人。喧嘩をすればするほど親しくなって・・・。
そして、喧嘩相手ならぬ話し相手がいなくなってしまいました。
寂しい日が続いています。

「身深き秋思」という表現に心が痛みます。(遅足)
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頬杖にちょっと秋思のポーズして   狗子

2019年11月03日 | Weblog

京都・広隆寺の弥勒菩薩を思い出しました。
弥勒菩薩は仏陀となることが約束された修行者。
遠い未来にこの世に現われ、人々を救済するとされています。

仏像は頬杖をついた「考える人」のようです。
でも頬杖をついているのではありません。
半跏思惟(はんかしゆい)というポーズだそうです。

半跏とは右足を下ろした左膝の上に乗せたポーズ。
右手の人さし指と中指を頬に添えることで
「思惟」を表現しているそうです。
永いいいいいいいいいいいいい・・・思惟。
救済の言葉はみつかるのでしょうか?

        

狗子さんの句。頬杖をついていましたが、
ちょっとあそび心が動きました。

  頬杖に秋思の小指そえてみる

秋思らしくなったでしょうか?(遅足)
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取り込みし干し物冷やり秋思かな  すみ

2019年11月02日 | Weblog

日が落ちて少しひんやりとしてきました。
取り込んだ洗濯物もちょっとヒンヤリと。
日常の感覚を掬い上げた句。

書き留めておかなくては忘れてしまうような些細なこと。
もう少し踏み込んでみましょう。

取り込んで洗濯物はなんだったのか?
だれのものだったのか?

  取り込みし夫のシャツにある秋思

  取り込みしシャツの秋思を畳けり

あるいは

  秋思濃き夫のシャツをあらいけり

ちょっと遊びすぎですね。遅足
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朽葉落つ 樵<こ>り積む吾は 無為の生  殿

2019年11月01日 | Weblog




注釈、朽ちた葉が落ちてゆく。嘆きばかり重ねる吾。何のために生きているのか。

           

今日から11月。冬のはじまりです。

樵<こ>り積む。辞書には、薪とする木を切って集める。
転じて、思いの募ること、とあります。

人生の意味を問うことは無意味、と仏陀の教えにあったかな・・・遅足



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