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日本男道記

ある日本男子の生き様

おすわどん

2009年06月21日 | 私の好きな落語
【まくら】
もともと埋もれていた噺を歌丸師匠が復活したものだという。
この噺、歌丸以外の噺家には演じることが難しいような風味を持っている。。

【あらすじ】
江戸時代、下谷の阿部川町に呉服商の上州屋徳三郎さんが住んでいた。女房おそめと大変仲の良い夫婦であった。おそめさんは病の床について、それが元で亡くなってしまった。一周忌も終わって親類からも薦めるので奥で働いているおすわという後妻を娶った。おすわどんは良く働き店の者にも評判が良かった。夫婦仲の良い二人が出来上がった。
二十日過ぎのある晩、徳三郎は夜半に小用に立って部屋に戻るとき、表の戸を”ばたばた、ばたばた”と叩くような音がした後にか細い声で「おすわどォ~ん。おすわどォ~ん」と聞こえてきた。空耳かなと気にも留めなかったが、次の晩も同じ時刻に、表の戸を”ばたばた、ばたばた”と叩くような音がした後にか細い声で「おすわどォ~ん。おすわどォ~ん」と聞こえてきた。先妻が恨んで出たのかと一瞬思った。
ところが毎晩「おすわどォ~ん」と呼ぶ声がして、奉公人も怖がってひととこに丸まって耳を塞いでいた。それを聞いたおすわどんも気を病んで患ってしまった。亭主は誰かの嫌がらせだろうと、番頭に頼んだがそれだけは勘弁してくれと逃げ腰であったので、剣術の荒木又ズレ先生に犯人を捕まえてもらうことにした。
いつもの深夜、先生が待ち構えていると、表の戸を”ばたばた、ばたばた”と叩くような音がした後にか細い声で「おすわどォ~ん。おすわどォ~ん」と聞こえてきた。バタバタっと駆け寄って捕まえてみると、夜泣き蕎麦屋であった。
「その方か、毎夜、店先でご家内の名を呼ぶのは」
「いいえ。私は毎夜商いをさせてもらっているお蕎麦うどん屋です。『お蕎麦うどォ~ん』と。」
「『お蕎麦うどォ~ん』?『おすわどォ~ん』。バタバタさせているのは何だ」、「それは渋団扇で七輪の口を扇いでいるのです」。
「病人も出ており、拙者も頼まれたことだから、その方の首をもらう」
「身代わりで勘弁して下さい。私の子供を差し出しますから」
「引出しから出した、これは何だ」
「蕎麦粉でございます。蕎麦の粉だから蕎麦屋の子でございます」
「ふざけるな、こんなものを身代わりに取ってどうする」
「手打ちになさいまし」。

出典: 落語の舞台を歩く

【オチ・サゲ】
地口落ち。

【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『幽霊の正体見たり枯れ尾花』

【語句豆辞典】
【夜鷹蕎麦(夜鳴蕎麦)】夜間、深夜まで路上で蕎麦・饂飩を売り歩く人。夜鳴蕎麦ともいう。

【この噺を得意とした落語家】
・桂 歌丸
 



今戸焼

2009年06月14日 | 私の好きな落語
【まくら】
歌舞伎がテーマとなっているので、歌舞伎役者の知識がないとわからない。ここでいう「宗十郎」は古風な芸で人気のあった7代目澤村宗十郎を、「吉右衛門」は6代目尾上菊五郎とならぶ名優初代中村吉右衛門を、「福助」は夭折した美貌の女形5代目中村福助をそれぞれ指している。いずれも大正期から戦前にかけて人気のあった歌舞伎役者である。

【あらすじ】
夕刻亭主が帰宅したら女房がいない。「あの野郎。どこへ行きやがった。ははあ。こんところ、かみさん連中寄るといつもべしゃべしゃ芝居(しべえ)の話してやがったから、芝居いきやがったんだよ。あん畜生め、・・・・別に芝居行くのはかまわないけどさ、晩飯一人で火をおこす身にもなってみやがれってんだ。」「この前呼ばれた友達んとこは新婚でいいなあ。それにくらべて俺んとこは・・・止せばよかった舌切雀、ちょいとなめたが身の因果っていうけれど、えれえもん、なめちゃったねえどうも。今や悲しき六十歳だね。」と一人でぶつぶつ女房の不満をこぼしているところへ、女房が帰ってくる。
案の定近所のかみさんと一緒の芝居見物の帰りであった。すっかり膨れている亭主を見て
「あらお前さん、どうしたの。どうしたのってさ。まあ、いやだ、怒ってるの。お前さん怒ってる方が顔が苦み走っていいよ。普段でれりぼおってしてるよりよっぽどいいわよオ。」
「そんなおこってばっかりじゃ顔疲れちまうよ。どこ行ってたんだい。」
「芝居。」
とあっさり答えられ、亭主は怒る気もなくなり「そらア・・・行っちゃだめだとは言わないよ。家で待ってる俺の身にもなってくれよ。」と愚痴をこばす。だが、「あら。怒ることないじゃないの。あたしだって蔭で亭主のこと悪く言ってないわよ。」と言われるとそこは夫婦。「そうかい。だが、おめえの芝居の話きいてるとよ。元っさんは宗十郎に似ている。三吉ッあんは吉右衛門に似てますって、よその亭主のことばかりだ。物にはついでてえものがある。浮世には義理てえものがある。夫婦の仲には人情てえものがある。・・・ヘヘンてんでエ。俺は誰に似てるんだ。」
「あら、あたしだってちゃんと手を廻してますよ。」
「じゃあ誰に似てるんだ。」
「お前さん福助。」
「あの役者のか。」
「なあに、今戸焼の福助だ。」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

【オチ・サゲ】
途端落ち(終わりの一言で話全体の結びがつくもの)

【語句豆辞典】
【今戸焼】浅草の今戸で作られた焼き物。火鉢、人形などがあった。
【紅粉(こうふん)】化粧に使う紅とおしろい。
【衣紋竹(えもんだけ)】衣服をかけてつるす竹製の棒。

【この噺を得意とした落語家】
・八代目 三笑亭可楽
 



『反魂香』(はんごんこう)

2009年06月07日 | 私の好きな落語
【まくら】
香をたくと、使者の姿が現れるという迷信が、この噺の中核となっている。

【あらすじ】
カーンカーン…カーンカーン…。
夜中に響く鐘の音。最近、相長屋へ越してきた浪人者が夜通し鉦をたたくので、八五郎は不眠症に悩まされいた。
「もう我慢できねぇ!」
ある晩、とうとう頭に来た八五郎は浪人の長屋へ怒鳴り込む。話を聞いた浪人は、自分の非を詫びると事情を説明し始めた。
「私は元、因州鳥取の藩に属していた、島田重三郎という者でございます。ある日、江戸勤番の話の種に、仲間数人と吉原遊廓へ行き、かの三浦屋高尾太夫に一目ぼれをしました」
高尾も重三郎の愛を受け入れ、二人は「末は夫婦に」という契りを立てる。その証として、重三郎は高尾に家宝の短刀を、高尾は重三郎に香箱を贈った。
「このお香は、魂を反すと書いて反魂香、またとない名香です」
ところが、重三郎が勤番明けで江戸を離れているうちに、高尾は時の仙台公・伊達綱宗に身受けされてしまったのだ…。
「私との操を守ろうとするあまり、高尾は綱宗公になびきません。とうとう頭にきた公は、高尾を三叉の船中で斬り殺してしまいました」
世の無常を感じた重三郎は、自ら脱藩して浪人となり、残りの人生を高尾の供養に費やそうと決意した…。
「なるほど、そんな訳があったんですかい…」
ジーンとなる八五郎。実は彼も、最近女房のお熊を病で亡くしたばかりで、重三郎の苦悩はよーく解る。
「で…その『反魂香』っていう奴なんですが、そいつを焚くと、本当に高尾が現れるんですかい?」
重三郎はそうだと言う。興味を持った八五郎は、一度目の前で焚いてくれと重三郎に頼み込む。香炉に香をくべると、なんだか妙な雰囲気がしてヒュードロドロ…!
『おまえは…島田重三さん…』
立ち上る煙の中に、高尾の姿が現れた。
「そちは女房、高尾じゃないか」
『取り交わせし反魂香、余り焚いて下さんすな…香の切れ目が、縁の切れ目…』
「焚くまいとは思えども、そなたの顔が見たき故。俗名、高尾。頓生菩提、南無阿弥陀仏ナムアミダブツ…」
一陣の風ともに、高尾の姿は掻き消えて…。
「物は相談なのですが、そのお香…、少し譲ってはくれませんか?」
「できません。これは高尾が現世に残した形見であって…」
「そうでしょうね。…ところで、そのお香、なんていうんでしたっけ?」
「反魂香です」
「ありがと!!」
自分で買えばいいんだ。そう思った八五郎は重三郎の長屋を飛び出した。そのまま薬屋へと駆けて行き、店じまいをしていた親父を捕まえると「アレをくれ!」。
当然、薬屋は何の事だか分からない。
「ワカラネェ? えーと…あれだなぁ、あれだ…あら?」
あんまり慌てていたせいで、八五郎は肝心の品物の名を忘却していたのだ。
「仕方がねぇ。そこの棚に並んでいる奴を、右から順に読んでくんねぇ」
並んでいるのは伊勢浅間の『万金丹』に、越中富山の…。
「反魂丹!? それだ!!」
…本当は反魂香である。だが、八五郎はそれに気づかず、反魂丹をしこたま買い込むと店を飛び出した。
「ありがてぇ、ありがてぇ!」
戸を突き破るようにして家へ飛び込み、火鉢を持ってくると炭をくべて団扇でバタバタ…。
「これでかかぁに会える! うれしいねぇ、かかぁはなんて言うかな?」
『おまえは、島田』…じゃない、それは隣だ。『おまえは、やもめの八五郎さん』かな。俺は「そちは女房、高」…それも隣だ。「そちは女房、お熊じゃないか」かな?。
楽しい想像をめぐらせ、火鉢のケツを一生けん命バタバタ…火種を入れるのを忘れた。
「いけね」
慌てて火種を入れ、十分に火が起こったところで、八五郎は薬を一つまみくべてみる。
「ゴホゴホ…! 煙りは出てくるけど、なかなか女房が出てきやがらねぇ。量が少ないのかな?」
とうとう自棄になった八五郎。薬を袋ごと放り込むと、途端に火事場まがいに煙がドーッ!!
「ゴホ…ゴホ…!!」
むせていると、裏口で戸をたたく音がする。
「あの野郎…恥ずかしいってんで裏口から来やがった。『そちゃ、女房。お熊じゃないか?』」
「違うよ、隣のお崎だよ。さっきからきな臭いのは、お前の家じゃないのかい?」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

【オチ・サゲ】
途端落ち(終わりの一言で話全体の結びがつくもの)

【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『忘れかね反魂丹を焚いてみる』

【語句豆辞典】
【反魂香】漢の孝武帝の故事から、死んだ人の魂を呼び戻し、その姿を煙の中に現わす香。
【反魂丹】 江戸時代から明治にかけて、よく知られた薬。解毒と。かくらんをなおす。特に越中富山のものが有名だった。

【この噺を得意とした落語家】
・八代目 三笑亭可楽
・八代目 林家正蔵
 



片棒

2009年05月31日 | 私の好きな落語
【まくら】
ケチの話は多いが、これは少し形が変わっている。
ケチ比べ、あるいはケチの金を使って困らせるものではない。
三人の息子に問題を出して、その答えの面白さを楽しむというもの。

【あらすじ】
石町(こくちょう)の赤螺屋吝兵衛(あかにしや・けちべい)さん。一代で身代を築き上げた人なのですが、その名の通りけちな方でございました。
この吝兵衛さんには三人の息子さんがあった。問題はこの内、誰に店を継がせるかでございます。不心得の息子に継がせたら、せっかく苦労して築いた身代をいっぺんに潰される。順に行けば長男ですが、ここは分け隔てなく三人の息子の内で一番見所のある者に譲ろうと一人一人の考えを聞く事にしました。
まず長男の一郎を呼んで、
 私が死んだら、葬儀はどの様に出すかと訪ねると、
「通夜はしないが、日比谷公園を借りて、歳も不足がないので紅白の幕を張り巡らして、花輪も派手に飾って、呼び込みの音楽に”軍艦マーチ”をかけます。」、「まるでパチンコ屋の開店だな。」
「祭壇の中央には金を握りしめ、誰にもあげないぞ~という写真を飾り、僧侶を50人ほどお願いし、一流レストランで料理を作らせ、銀座のホステスをずら~っと列べます。棺桶も鋼鉄で立派な物を造り、夕方から出棺となります。棺を飛行機に 乗せて、会場の上空に来たら、陽気に花火を揚げます。宙返りをしたのを合図に、仕掛け花火で赤螺屋吝兵衛告別式と出します。飛行機の後ろからは”南無阿弥陀仏”と出ると、会葬者が、天をあおいで『バンザ~イ』と叫びます。」、「バカやろ~、祝賀会じゃねぇや」。そこで次男の次郎を呼んで、
 「お前だったらどうするね。」
「私だったらお兄さんとは違います。」、「違ってくれなくてはいけないよ。」
「”練り”でやります。要は行列を作って練り歩きます。お祭りの太鼓を先頭に、東京中の組頭、鳶を集めて木遣りを歌いながら進み、それで新橋、柳橋、芳町、赤坂の芸者を総動員して、手古舞が続きます。その後に山車 (だし)が続きます。山車の上にはお父様にそっくりな人形がソロバン片手に立っています。神田囃子がはやしながら、それに併せて人形が動きます。(仕草が入り、人形の動きや 、電線をくぐる様子が入る。場内大爆笑)。続いて、揃いのハッピを染め抜いて、景気よく御輿が出ます。」
唾を飛ばすほどお囃子のテンポが速くなり、葬列か祭列か解らなくなってきた。吝兵衛あきれてものも言えずにいると、弔辞の文句も「・・・ケチだ、栄養不良だ、挙げ句には山車の人形になって面白くも愉快なり。」と来たから、怒鳴りつけた。
最後の息子に聞くと、
 「もっと質素にしたい。」、「いいね!その調子」。
「チベットでは”鳥葬”と言うのがありますが、ハゲ鷹に食べさせよと思いましたが、親戚がうるさいので、やめます。出棺は午後1時と言う事にして、実際は明け方に出してしまいます。」、「参列者が困るだろう」
「文句が出ても、お茶を出さずに済みます。棺桶も燃やしてしまうので、勿体ないから裏のタクアン樽に入ってもらいます。死んでいるから臭くありません。」、「分かった、古いのから使いなさい。」
「荒縄で縛って丸太を通します。人足を頼むとお金が掛かります。で、前棒は私が担ぎますが、後棒が・・・。」、
「心配するな、その片棒は私が担ぐ。」

出典: 落語の舞台を歩く

【オチ・サゲ】
途端落ち(終わりの一言で話全体の結びがつくもの)

【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『争えと 言わんばかりに 貯めて死に』

【語句豆辞典】
【石町(こくちょう、中央区日本橋本石町)】赤螺屋吝兵衛さんが住んでいた所。今は、三越・日本橋本店の裏が本石町。金融界の重鎮「日本銀行」本店が有る。
【手古舞(てこまい)】 江戸時代の祭礼の余興に出た舞。もとは氏子の娘が扮したが、後には芸妓が、男髷に右肌ぬぎで、伊勢袴・手甲・脚絆・足袋・わらじを着け、花笠を背に掛け、鉄棒(カナボウ)を左に突き、右に牡丹の花をかいた黒骨の扇を持ってあおぎながら木遣(キヤリ)を歌ってみこしの先駆をする。現在も神田祭などで見られる。

【この噺を得意とした落語家】
・三代目 三遊亭金馬
・九代目 桂 文治
・八代目 雷門助六
 



六尺棒

2009年05月24日 | 私の好きな落語
【まくら】
道楽息子と父親の争いを描いた噺。結局息子が父親をからかった形で終わっている。およそ教育的ではないが、落語が説教じみていては面白くない。

【あらすじ】
道楽息子の孝太郎が吉原からご帰還。
「あーあ、『床屋行ってくる』で十日間、吉原になだれ込んで居座っちゃったな。ちょっと長居だったよねぇ。親父、怒ってるだろうな…。
でも、うちは番頭さんがしっかりしているから大丈夫だ。出かける前にちゃんと打ち合わせしておいたから、きっと親父に黙って入れてくれるはず。
よ、家に着いた。戸口を…開かねぇぞ。鍵がかかってるよ」
戸口をどんどんたたく。やがて声が聞こえてくるが、それがなんと親父の声!
「ええ、夜半おそくどなたですな? 商人の店は十時限り、お買い物なら明朝願いましょう」
「いえ、買い物客じゃないんですよ。あなたの息子の、孝太郎でございます」
「ああ、孝太郎のお友達ですか。手前どもにも孝太郎という一人の倅がおりましたが、こいつがとんだ道楽者で、毎晩、夜遊び火遊び。
あんな者を家に置いとくってえと、しまいにゃこの身上をめちゃめちゃにしかねません。
末恐ろしいから、あれは親類協議の上、勘当いたしました。と、どうか孝太郎に会いましたなら、そうお伝えを願います。」
「勘当…。参りましたね。私は一人息子ですよ、私を勘当したら身代どうするんです?」
「そんなこと、お前が心配する必要はない!! …とお言伝を願います」
「だいたいね、『できが悪い』だなんて言ってお叱りになりますがね、私はなにも頼んで産んでもらったのではないのです。
あなた方が勝手に産んだんじゃないですか。それなのに"製造元"の不備を省みず、私ばかり糾弾するのは筋違いというものですよ?
出来がよければ受け入れて、悪ければ捨てるというのは身勝手だ…」
「やかましい!! 他人事に言って聞かせりゃいい気になりやがって!!
世間を見てみろ。たとえば隣の孝蔵さんは、親孝行で働き者じゃないか。
親の具合が悪ければ、『肩をたたきましょう』『腰をさすりましょう』、風邪をひけば『お薬を買ってまいりましょう』と尽くしてくれてるじゃないか。はたで見ていても涙が出らァ。少しは世間のせがれを見習え」
「そうですか…分かりました。勘当、結構です。できるものならやって見ろってんだ。
そのかわりね、どこの馬の骨とも牛の骨とも分からないヤロウに、この身代持って行かれるのはシャクですから火をつけます。放火します。
ちょうど袂にマッチがありますから、ひとつここに転がってる空き俵に火をつけて…」
マッチに火をつけてみせたから、戸のすきまから様子をうかがっていたおやじ、さすがにあわてだす。
「あれじゃ本当にやりかねないぞ。あのヤロウ…そうだ、ここに六尺棒があるから、こいつを使って向うずねでもかっぱらってやる! このヤロウ!!」
幸太郎、これはたまらんと逃げだして、抜け裏に入ってぐるりと回ると家の前に戻った。
いい具合に、おやじが開けた戸がそのままだったので、中に入るとピシャッと閉め込み、錠まで下ろしてしまった。
そこへおやじが腰をさすりながら戻ってくる。
「おい、開けろ」
「ええ、夜半おそくどなたですな? 商人の店は十時限り、お買い物なら明朝願いましょう」
「野郎、もう入ってやがる。客じゃない、お前のおやじの孝右衛門だ」
「ああ、孝右衛門のお友達ですか。手前どもにも孝右衛門という一人のおやじがありますが、
あれがまあ、朝から晩まで働いて、金儲けばかりに励みやがって困っております。
ああいうのをうっちゃっとくってえと、終いに日本中の金を集めかねません。
『宵越しの銭は持たない』という、江戸っ子の信条に反する極道者ですから、あれは親類協議の上あれは勘当いたしました…とお言伝を願います」
「勘当…。親父を勘当してどうするんだ?」
「そんなこと、お前が心配する必要はない!! …とお言伝を願います」
「幸太郎…、冗談を言ってないで開けておくれ。私は夜中に駆け出して疝気が…」
「やかましい!! 他人事に言って聞かせりゃいい気になりやがって!!
世間を見てみろ。たとえば隣の孝蔵さんの父親は、子供思いでやさしいじゃないか。
せがれさんが風邪でもひいたってえと、『一杯のんだらどうだ?』『小遣いをやるから、女のとこへ遊びにでも行け』。
はたで見ていても涙が出らァ。少しは世間のおやじを見習え」
「何を言やがんだ…。そんなに俺のまねをしたかったら、六尺棒を持って追いかけてこい!」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

【オチ・サゲ】
間抜け落ち(会話の調子で間抜けなことを言って終わるもの。また奇想天外な結果となるもの)

【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『親の脛かじる息子の歯の白さ』
(親の脛をかじる者が、かえって身奇麗にして遊び暮らすケースが多い事を皮肉ったもの)

【語句豆辞典】
【六尺棒】カシなどで作った長さ六尺(1.8㍍)の棒。防御に用いる。
【あんころ】あんころ餅。
【円タク】戦前にあった市内均一のタクシー。転じて流しのタクシーをみな円タクと呼んだ。

【この噺を得意とした落語家】
・五代目 古今亭志ん生
・九代目 桂 文治
・立川談志
 



元犬

2009年05月17日 | 私の好きな落語
【まくら】
原話は、文化年間に出版された笑話本「写本落噺桂の花」の一編である「白犬の祈誓」。
犬が人間になるという、まさに奇想天外な噺。

【あらすじ】
蔵前八幡の境内に1匹の純白の野良犬が参詣客に大変可愛がられていた。
参拝客の一人から「しろヤ、おまえのような純白な犬は人間に近いという。次の世には人間になるのだぞ」と言われ続けていた。しろも考えて、人間に御利益があるのなら、この俺にだって叶うはずと、三・七、21日の裸足参り。満願の日風が吹いてくると、体中の毛が抜けて人間になった。ただ、素っ裸で立っていると、三間町の桂庵(けいあん=職業紹介所)武蔵屋、吉兵衛さんに出会い、話をして羽織を着せて貰い店まで連れていって貰う。
部屋に上がれと言えば、汚い足で上がろうとし、雑巾で足を拭いてからと言えば、口にくわえて振り回すし、女房を紹介すれば、「知ってます。こないだ台所に来たら、水をぶっかけられた」。女房と相談して、とぼけた人が良いという、千住のご隠居に紹介することに。さらしを切って下帯にと出せば、首に巻いてじゃれるし、着物も着込んで出掛けようとすれば、履き物を四つ足に履いてしまう。
千住に着いて、「地方から来たから、言葉が分からない」と弁解し、待たせている彼を呼ぶと、「寝ちゃている?それはいけません。玄関の敷居に顎を乗せて?」。部屋内に通すと、「この人はきれい好きだ。だってグルグル回って、畳の匂いをかいでいる」。吉兵衛さんが帰って、彼に「生まれは?」「蔵前の掃き溜めの裏で生まれた」「え!・・そうか、卑下をして言うとは偉い」。「両親は?」「両親て何ですか」。「男親は?」「あー、オスですか」「オイオイ」「鼻ずらの色が似ているからムクと違うかと思います」「女親は?」「メスは毛並みが良いと、横浜から連れられて、外国に行っちゃいました」「ご兄弟は?」「三匹です。一匹は踏みつぶされてしまいました。もう一匹は咬む癖があるので、警察に持って行かれました。」「お前さんの歳は?」「三つです」「そうか、二十三位だろうナ」「名前は?」「しろ、です」「白・・と有るだろう」「いえ、只のしろです」「そうか、只四郎か、イイ名前だ」「お前がいると、夜も気強い」「夜は寝ません。泥棒が来たら、向こうずねを食らいついてやります」「気に入った。居て貰おう。ところで、のどが渇いたから、お茶にしよう。チンチン沸いている鉄瓶の蓋を取ってくれ、・・・早く」「ここでチンチンするとは思わなかった」と犬の時のチンチンをする。「用が足りないな。ほうじ茶が好きだから、そこの茶ほうじを取ってくれ。茶ほうじダ」「?」「茶ほうじが分からなければ、ほい炉。ホイロ」「うー~」。「ホイロ!」「ワン」。「やだね。(女中の)おもと~、おもとは居ないか、もとはいぬか?」
「今朝ほど人間になりました」 。
 チョ~ン、お後がよろしいようで。


出典: 落語の舞台を歩く

【オチ・サゲ】
ぶっつけ落ち(意味の取り違えがオチになるもの。)

【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『真っ白な犬は人間に近い』

【語句豆辞典】
【蔵前八幡】現在、蔵前神社(台東区蔵前3-14-11)と言い、ここでたびたび相撲興行が行われた。当時は広かったが今は狭くて人々が集まれるだけの境内が無い。
江戸城鬼門除けとして五代将軍綱吉が京都山城国より石(いわ)清水八幡宮を勧進奉斎したのが始まりで、昭和26年3月蔵前神社と名を変えている。

【この噺を得意とした落語家】
・五代目 古今亭志ん生
・八代目 春風亭柳枝
 



紀州

2009年05月10日 | 私の好きな落語
【まくら】
原話は、松浦静山が文政4年(1821年)に出版した随筆・「甲子夜話」の「第十七巻」。

【あらすじ】
徳川家七代将軍のご他界があって、跡目相続の話が持ち上がり、水戸家、紀州家に尾州家の御三家から選ばれる事になった。水戸家は歳を取って引退していたので辞退し、紀州公か尾州公のどちらから八代将軍を選ぶ事になった。
 尾州公は男として将軍になりたかったので、うがい手水に身を固め柏手を打って屋敷を後にした。駕籠に乗っていても”天下”を取りたいと思っていた。今井町を通ると鍛冶屋で鎚の音がトンテンカンと聞こえず「テンカ~、トール」と聞こえてきた。さい先が良いと登城し、紀州公と並んで座った。小田原の城主、大久保加賀守が尾州公の前に進み出て「この度、七代将軍ご他界し、お跡目これなく、しも万民の為、任官あってしかるべし」と頭を下げた。この時受けてしまえば終わっていたのを、見栄が働いて 、断っても再度言葉が掛かるだろうと「余はその徳薄くしてその任にあたわず」と断ってしまった。すると意に反して、向きを変えて紀州公の前に行って「この度、七代将軍ご他界し、お跡目これなく、しも万民武育の為、任官あってしかるべし」と同じ事を言った。紀州公は何て 答えるだろうと聞いていると「余はその徳薄くしてその任にあたわず」と同じ事を言った。しかし、続けて「・・・なれども、しも万民武育の為、任官いたすべし」と応えた瞬間、将軍職は尾州公を通り越して紀州公に決まってしまった。
 尾州公はぼんやりしながら駕籠に揺られて今井町まで来ると、鍛冶屋がまだ”テンカ~、トール。テンカ~、トール”と打っていた。「おかしいな、まだ天下取ると聞こえる。そうか紀州公は返事はしたが『やはり将軍職は尾州公様に』と頼みに来るんだろう」と思っていた。「鍛冶屋の鎚の音は幸先のイイものだ。これで私が天下を取れる」。まだ鍛冶屋ではテンカ~、トール、テンカ~、トールと打っていると、 テンテンテンと打ち上げて、真っ赤に焼けた鉄を水の中に入れると”キシュ~(紀州)”。

出典: 落語の舞台を歩く

【オチ・サゲ】
不明

【語句豆辞典】
【御三家】江戸時代、尾張の徳川家(尾州家)、紀伊の徳川家(紀州家)、常陸の徳川家(水戸家)の総称。諸大名の上に位し、将軍に嗣子のない時は三卿(サンキヨウ)と共に尾張・紀伊両家から継嗣を出した。水戸家はその特典なく、代々副将軍。三家。

【この噺を得意とした落語家】
・五代目 古今亭志ん生
・三代目 三遊亭金馬
・六代目 三遊亭圓生

 



藁人形

2009年05月03日 | 私の好きな落語
【まくら】
願人坊主、刑場跡地コツ(小塚原)の遊女街と、怪談噺の舞台装置としては文句なし。女郎屋で板頭(売り上げトップ)を張るお熊の不人情な強欲さと、西念の執念深い恨みがよく描かれた噺。

【あらすじ】
神田のぬか問屋「遠州屋」の美人で一人娘お熊は今は身を持ち崩して、千住の若松で板頭を張っている。毎日、表を通る千住河原町(志ん生は、千住のいろは長屋への九番)に住む西念と言う乞食坊主を父親の命日だから供養してくれと呼び込み、部屋に上げ親切にしてあげる。父親に生き写しだから、父親代わりに親孝行をしたいとの話で、爪に火を灯す思いで貯めた全財産30両をかたり取ってしまう。
 西念は身体をこわし外に出られなくて持ち金が無くなった。お熊の所に行って小銭を無心したが断られた。30両も知らないと言う上、70の歳を越えた身体にけがまでさせて、追い返してしまう、お熊。
 絶望して長屋に帰った西念は外にも出ずに過ごすのを長屋の住民も心配していると、甥の甚吉が訪ねて来た。中にはいると西念が一人憑かれたようにいた。話の途中で小用に立つ西念が「鍋の中だけは見るな」と言付けた。見るなと言われれば見たいのが人情、中は藁人形を油で煮ていた。そこに戻った西念が蓋が曲がっているから見ただろうと、問い詰め「そうか。これで呪いが効かなくなった」と肩を落として、甚吉に一部始終語った。甚吉は呪いをかけるなら5寸釘に藁人形だろうと言うと、「釘じゃーきかねーんだ。相手はぬか屋の娘だ」。

出典: 落語の舞台を歩く

【オチ・サゲ】
途端落ち(終わりの一言で話全体の結びがつくもの)

【語句豆辞典】
【千住宿】品川、板橋、内藤新宿の江戸四宿のひとつで、人口からすると一番大きかった。奥州街道・日光街道の江戸から最初の宿場。
【板頭】その店(貸座敷=郭)でナンバーワンを張っていた遊女(志ん生)。吉原では「御職(おしょく)」で、岡場所ではこう呼ばれた。武道などの道場では板に書いた名札を上位者から順番に張り出し、序列を付けた。それと同じように、女郎の名札を壁に掛けて序列を付けた。その最上位者。
【ぬか屋】ぬかは当時飼料、漬け物、肥料、石鹸の代用、駄菓子等の原材料になった。用途がかなり有ったので、問屋まであった。今の東京にも2軒ほどのぬか屋が有る。

【この噺を得意とした落語家】
・五代目 古今亭志ん生
・八代目 林家正蔵
・桂 歌丸

 



天狗裁き

2009年04月26日 | 私の好きな落語
【まくら】
元来上方の噺だが、上方では途絶えてしまっていた。それを桂米朝が、十代目金原亭馬生が演じているのを聞き、面白い噺だと思って速記が残っていないかと探したところ、明治時代のものがり、それをもとに復活させた。

【あらすじ】
うたた寝をしている亭主熊五郎が、ブツブツ言ったりニヤニヤしているので何か夢でも見ているのかと思って起こしてみると、亭主は夢は見ていないと言う。「そんな事無いでしょう、夫婦の間で隠し事をするなんて・・・。」見ていないと亭主は言うが、「ヤキモチ焼きの私だが、そんなにも言えない夢でも見たのか」、と詰め寄った。「見てないものは見ていない」、と言うのを、「アンタはいつもそうなんだから・・・、私がこれだけ切り盛りして家計を助けているのに薄情なんだから」と、涙声になってきた。見てないものは言いようがないと、亭主の声が大きくなって喧嘩腰になってきた。「アンタは都合が悪くなってくるとそうなんだから」。亭主も売り言葉に買い言葉「はり倒すぞ!」、「殴るなり蹴るなりして貰おうじゃないか。この人殺し~~ぃ!」。

 「オイオイ喧嘩はいい加減によせよ」、と隣家の男が仲裁に入った。
 事情を聞くと夢の話であった。あまりにもバカバカしいので男の家に泣くおかみさんを行かせて、亭主を諌めた。「で、どんな夢を見たんだ。」、夢は見ていないと言ったが、「女房にも言えない夢を見る事があるし、俺はどんな事があっても他言はしないし、昔からの親友だろ。」と詰め寄った。昔話を持ち出して恩や義理があるだろうと更に詰め寄ったが、らちがあかず、ついに手が出て、仲裁の氏神が喧嘩の主になってしまった。

 そこに家主が仲裁に入った。今までのいきさつを家主に聞かせたが、あまりにもバカバカしいので、隣家の男を家に帰した。
 「そんな事で喧嘩なんてするな。でも、お前は偉かった。あいつは口の軽いので有名だ。明日になれば町内中に知れ渡ってしまう。そこいくと、私は・・・歳だし、他言はしない。。。で、どんな夢を見たんだい」。見ていないと言ったが、それでも町役だからとか家主は親だからとか、詰め寄ったが聞き出せなかった。最後には「店(たな)空けろ!」。その上、お上に訴え出ても店空けさせてやると乱暴な事になってしまった。

 奉行所でも、あまりにもバカバカしい訴えなので、即却下。熊五郎だけをそこに残し、口の堅いのを褒めたが、その夢の話を奉行にだけに話して見ろと、詰め寄った。見てないものは話せないと言うので、人払いもして聞き出そうとした。見てない夢は話しようが無いので、断ると拷問にかけてもと、庭の松の木にぐるぐる巻きに縛られてしまった。

 そこに一陣の風が吹き、天高く舞い上がり、高尾の山中に連れてこられてしまった。その主は天狗であった。町に出たら不思議な話を聞いたと言う。「始め女房が聞きたがり、隣家の男が聞きたがり、家主が聞きたがり、奉行が聞きたがった夢の話。私は天狗だ、そんな夢の話は聞きたくもない」。と前置きした ・・・が、話したくなったら、話しても良いという。見てない夢は話しようがないと言うと、脅かしに掛かった。「天狗を侮ると八つ裂きにしてしまうぞ!」と胸ぐらを捕まえ、脅し始めた。「痛いイタイ!助けてください!勘弁して~くださいよ~」。

 「何だね。この夫(ひと)、うなされて? チョイと~、お前さん、どんな夢見ていたんだい?」
 「夢? ・・・夢なんて見ていないよ。」
 「ウソだよ。見てたよ。ブツブツ言ってたよ」
 「見ていないよ」
 「アンタって、いつもそうなんだから。夢の話ぐらいしてくれたって良いだろ」と詰め寄った。  

 (演者・権太楼 )この噺、ず~~っと続くんです。m(_ _)m ・・・さようなら__ _ _


出典: 落語の舞台を歩く

【オチ・サゲ】
不明

【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『大家といえば親も同然、店子(たなこ)といえば子も同然』

【語句豆辞典】
【天狗】深山に住むという想像上の怪物。姿は人に似て、鼻が高く翼があり、常に団扇を持ち、自由に空を飛ぶ。
【かきもち】もちを薄く切って乾燥したもの。
【時の氏神】タイミングよく出てきて仲裁などをしてくれる人。
【町役(ちょうやく)】町役人。江戸時代に町奉行の支配下で町を治めた町人。

【この噺を得意とした落語家】
・五代目 古今亭志ん生
・十代目 金原亭馬生
・三代目 柳家権太楼
 



鈴振り

2009年04月19日 | 私の好きな落語
【まくら】
原話は、松浦静山が文政4年(1821年)に出版した随筆、『甲子夜話』でいわゆる艶笑話。原話では、五戒の一つである『邪淫戒』のテストとして鈴を使い、弟子が全員アウトになった後で師匠の様子をみると、師匠が真っ先にアウトになっていたことが判明する。

【あらすじ】
禁欲の世界にいる出家たちは、十八檀林で修行をするが、その厳しいことは大変なことであった。その十八檀林はまず、下谷 幡随院を振り出しに、最後に芝の増上寺に着いて、大僧正の位を与えられたが、修行もそこまで行くのが大変であった。
そのころ、藤沢にあった易行寺(いぎょうじ)で、若者たち1千人程が、同じように修行をしているので、大僧正の位のある住職が跡取りを誰にするかが分からず、悩んでいた。そこで一計をはかると・・・。
旧の5月18日知らせを出して、「跡目を出す相談をしたいので28日にお集まり願いたい」と、修行僧を集める。客殿に集まった若い修行僧に一人ずつ脇に呼んで、「あなたかもしれないので、”せがれ”にこれを・・」といって、金の小さな鈴を付け、同じように千人全員に付けてしまった。「今日は特別な日なので、酒、肴を許す」と。そのうえ、酌人に17~8の美人揃いの綺麗どこが、揃いの紺の透綾(すきや)で現れた。白い肌が透き通る短めの紺透綾を素裸の上に着ているだけなので悩ましい上に、立て膝をついて「いかがですか?」とお酌をされると、「なんたることだ、これも修行の内か」と思いながら、下を手で押さえていたが、お酌をされるので手を離したとたん、『チリ~ン』。あちらでも『チリ~ン』。こちらでも『チリ~ン』。それが千人『チリ~ン、チリ~ン』と、鳴り響いた。、それを聞いた大僧正が嘆いていると、一人の若者が目を半眼に開いて座禅をしている。その彼だけが鈴の音がしない。彼こそが跡継ぎであるというので、別室に案内して「鈴を見せてくれ」といい、見ると鈴が無い。彼曰く「鈴はと~に、振り切りました」。

出典: 落語の舞台を歩く

【オチ・サゲ】
途端落ち(終わりの一言で話全体の結びがつくもの)

【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『日の本は岩戸神楽の始より女ならでは夜の明けぬ国 』
『外面如菩薩内心如夜叉 (げめんにょぼさつないしんにょやしゃ)』
女は表面は菩薩のように柔和だが、心の中は夜叉の如く恐ろしいとの意。お釈迦 様の言といわれる。
『庭に水新し畳伊予簾、数寄屋縮みに色白のたぼ』

【語句豆辞典】
【五戒(ごかい)】仏教において在家の信者が守るべき基本的な五つの戒のこと。不殺生戒(ふせっしょうかい) - 生き物を殺してはいけない。 不偸盗戒(ふちゅうとうかい) - 他人のものを盗んではいけない。 不邪淫戒(ふじゃいんかい) - 自分の妻(または夫)以外と交わってはいけない。 不妄語戒(ふもうごかい) - うそをついてはいけない。 不飲酒戒(ふおんじゅかい) - 酒を飲んではいけない。
【関東十八檀林(だんりん)】浄土宗(鎮西派)の学問寺のことで、関東に18ヶ所有ったので、関東十八檀林といった。
【十八檀林(だんりん) 】檀林というのは栴檀(せんだん)林を詰めた言い方です。「栴檀は双葉より芳し」の栴檀です。学問をする寺のことで、寺の若者を集めて学事に従わせた。中国からきた考え方。
【透綾(すきや)】スキアヤの約。薄地の絹織物。もと、経(タテ)に絹糸、緯(ヨコ)に青苧(アオン)を織り込んだが、今は生糸ばかりを用い、また、配色の必要から半練糸や練糸をも混用。夏の衣服に用いる。

【この噺を得意とした落語家】
・五代目 古今亭志ん生

 



山号寺号

2009年04月12日 | 私の好きな落語
【まくら】
別名『恵方参り』ともいう。また、この落語の内容から、「○○さん○○じ」という言葉を見つける言葉遊びも指すようになった。
ほとんどの寺院には「○○山○○寺」という呼び名があり、この山号と寺号を合わせて「山号寺号」と呼ぶ。

【あらすじ】
若旦那が浅草にある観音様にお詣りにいく。そこへ幇間の一八が現れる。
どこへ行くのかと尋ねた一八に、浅草の観音様だと答えると、「ああ、金龍山浅草寺ですか」と言う。
さらに一八はどんなところにも山号寺号があると言ってしまう。
どんなところにもあるんだなと念を押して、若旦那はこの場にも山号寺号があるか、と一八に迫る。
弁解をする一八だが、若旦那は言うことを聞かない。もしあったら金一円(時代により異なる)やるという。
頓知を利かせて一八は次々に「山号寺号」を披露する。
「車屋さん広小路」、「おかみさん拭き掃除」、「乳母さん子を大事」、「時計屋さん今何時」、「看護婦さん赤十字」、 「肉屋さんソーセージ 」、「お医者さんイボ痔」。
お蔭で若旦那はすっかり金を巻き上げられてしまう。
「今度は私がやろう」と、若旦那は一八の財布をふところに入れ、「一目散随徳寺」と言って逃げる。(「随徳寺」とは、ずいっとそのままにして逃げることを指す古い言葉である)
それに対して、逃げられた一八は「南無三、仕損じ」というのが落ちである。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

【オチ・サゲ】
にわか落ち(駄洒落の落ち、「地口落ち」とも)


【この噺を得意とした落語家】
・八代目 春風亭柳枝
・六代目 春風亭柳橋

 




三年目

2009年04月05日 | 私の好きな落語
【まくら】
「厩火事」・「替り目」・「文七元結」・「粗忽の釘」・「堀の内」・「火焔太鼓」など、江戸の庶民生活を描いている落語の中では色々な夫婦が出てくるが、「三年目」という落語はだいぶ違った様相を呈している。

【あらすじ】
昔は亡くなると、親類縁者の方が集まって、仏様の髪に剃刀を当てたのだそうです。怪談話で幽霊が髪を振り乱して登場するのは、ですから、きちんと供養されていない証拠なのだそうです。
ともあれ。
仲のいい夫婦がおりました。夫は大変優しい人で、妻もやはりよく気のつく、かわいらしい方でした。ところが、奥様の方が、もともと体が弱かったと言うこともあって、はやり病にかかり倒れてしまいます。夫の寝ずの看病にもかかわらず、奥様はとうとう亡くなってしまいます。
亡くなる前に奥様は、少しやきもちの気持ちもあったのでしょう。夫に、あなたは大変優しくて素敵な人だから、きっと新しい奥様をもらわれることでしょう。それは仕方ないと思うのですが、それでもやっぱり新しい奥さんを可愛がられると思うと、心残りで……と言います。夫は、苦笑して、それならこうしましょうと妻と約束します。
夫が言うには、もし周囲からの勧めを断れきれず、結婚することになったら、新婚の夜に幽霊になって枕元に出てきなさい。あなたが幽霊だろうとなんだろうと、私の方は一向に構わないが、新しい妻とすれば、驚いて里に帰るだろう。そういうことが度重なれば、あそこの家には先妻の幽霊が出ると評判になって、嫁の来てがなくなる。これなら私も独身でいられるだろう?
妙な約束をしたものです。
さて、奥様が予想したとおり、奥様が亡くなると、やはり親戚のものが、はやく後妻をもてと男にけしかけます。男はとうとう断り切れず、結婚することになります。
新婚の晩。男としては、はやく先妻の幽霊が出てきてくれないかと思うのですが、結局その晩彼女は現れません。まぁ、十万億土も離れたところから来るんだから、1日ぐらい遅れることもあるわなぁと思って、次の夜も寝ずに待ちますが、やはり現れません。その次の日も、その次の日もと待ちますが、やはり一向に現れる気配もありません。
そうこうするうちに、3年の月日が経ち、子供もできます。そんなある夜、とうとう先妻の幽霊が現れます。
夫としては、ちょっと困るわけです。もちろん、先妻を今でも愛していますが、そうは言っても新しい妻をもらって3年も経てば、それはそれで情が移りますし、それになにより子供がいます。なんだって、今頃になって現れたんだいと、少々怒りながら幽霊にたずねます。
すると、先妻はもじもじしながら、
「だって、あなたに嫌われたらいやだから、髪が伸びるのを待ってたんだもん」

【オチ・サゲ】
途端落ち(噺の脈絡がその一言で結びつく落ち)

【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『親子は一世、夫婦は二世、主従は三世』(親子の関係はこの世だけ、夫婦の因縁は現世だけでなく来世にもつながり、主従の縁は過去にも来世にもつながる。主従関係はそれほど強い因縁である、ということ。続けて「間男はよせ」とも)

【この噺を得意とした落語家】
・六代目 三遊亭圓生
・十代目 金原亭馬生
・三代目 古今亭志ん朝

 




桃太郎

2009年03月29日 | 私の好きな落語
【まくら】
短く登場人物も少ないので手軽にやれる噺として東京上方ともに多くの演者がある。3代目桂春団冶は「いかけ屋」のマクラに演じている。

【あらすじ】
昔話を親が語る傍らで子供が寝入っていた風景は、今や昔。 布団に入ってもなかなか寝付けない、ませた子供のケン坊と、なんとか寝かしつけようとする父親のやり取り。
昔話の『桃太郎』をして寝かしつけようとすると、話を聞くことと寝ることは同時に出来ないと反論するケン坊。 「昔々」と言えば「年号は」、「あるところに」と言えば「どこに」、「お爺さんとお婆さんが」と言えば「名前は」と聞き、話がまったく進まない。
そんなものは無かったくらい昔の話として強引に話を進める父親に、ケン坊は理詰めで解説する。
時代や場所を、「昔々」や「あるところに」として細かく設定しないのは、いつの時代のどこの子供にも聞かせられるように。 お爺さんが山にいるのは、父親の恩は山よりも高く、お婆さんが川にいるのは、母親の恩は川よりも深いことを表現している。 桃から誕生するのは、子供が神様からの授かり物である象徴、鬼が島での鬼退治は、世間の荒波を表現している、など。
しかしやがて、話を聞いている父親のほうが寝入ってしまう。 その父親を見たケン坊が、「今どきの親は罪がないわ」。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

【オチ・サゲ】
逆さ落ち(噺の結末で、冒頭のときより、物事が反対の結果になってしまったり、立場が逆転してしまうこと)

【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『父の恩は山より高く、母の恩は海より深い』

【この噺を得意とした落語家】
・四代目 柳亭痴楽
・五代目 古今亭志ん生

 




ねずみ

2009年03月22日 | 私の好きな落語
【まくら】
「竹の水仙」「三井の大黒」などと並び、名工・甚五郎の逸話ものの一つ。
元々浪曲のネタ。2代目広沢菊春の得意ネタだった「左甚五郎」を3代目桂三木助が「加賀の千代」と交換して演じたのが始まりとされる。

【あらすじ】
奥州仙台の宿場町。ある旅人が、宿引きの子供に誘われて鼠屋という宿に泊まる。そこはとても貧乏で布団も飯もろくになく、腰の立たない主と十二歳の子供の二人だけでやっているという貧しい宿だった。
主の宇兵衛は元々、向かいにある虎屋という大きな宿の主人だったが、五年前に妻に先立たれ、迎えた後妻は腰を悪くした宇兵衛とその子に辛く当たり、番頭とつるんで虎屋を乗っ取ってしまった。宇兵衛は物置小屋を仕立ててなんとか宿にし、その物置に棲んでいたネズミにちなんで鼠屋と名付けたという。
この話を聞いて、旅人は自らが左甚五郎だと明かし、木片でねずみを彫り上げ、それを店先に置いて立ち去っていった。するとなんと、その木彫りねずみが本物のねずみのように自分で動き回る。この噂が広まるやいなや、鼠屋に泊まればご利益があると、部屋に収まり切らないほどの客が入り、見る見るうちに鼠屋は大きくなっていった。
一方、向かいの虎屋は鼠屋の繁盛につれてかつての主をいびり出したという自らの悪行も吹聴され、客足が途絶えていく。腹を立てた虎屋の主人は、伊達様お抱えの彫刻師、飯田丹下に虎を彫らせた。主人はそれを鼠屋のねずみを見下ろすようにして店先に飾った。すると途端にねずみは動かなくなってしまった。
しばらくして、それを知った左甚五郎が再び鼠屋を訪れる。自分が彫ったねずみは、虎に怯えたように顔を伏せ、じっとしていて動かない。しかし甚五郎には、虎屋の店先の虎はとても出来損ないの彫刻に見えた。顔はひどく弱気そうで、額に虎を示す王の字の模様もない。
「ねずみよ、俺は魂を込めてお前を彫った。なぜ、あんなおかしな顔の虎に怯える?」
すると、ねずみはふと振り返って、
「え、あれ虎だったの? 猫かと思ってた」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

【オチ・サゲ】
途端落ち(噺の脈絡がその一言で結びつく落ち)

【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『甚五郎左が過ぎしか水を飲み』
『旅人は雪呉竹の村雀、止まりては立ち(発ち)止まりては立ち(発ち)』
(次々に宿にやってきて、宿泊しては出発していく旅人の様子を雀に例えた歌)

【語句豆辞典】
【飯田丹下】実在の彫工で、仙台藩・伊達家のお抱え。生没年など、詳しい伝記は不詳。三代将軍家光の御前で、甚五郎と競って鷹を彫り、敗れて日本一の面目を失ったという逸話がある。

【この噺を得意とした落語家】
・三代目 桂三木助

 




宮戸川

2009年03月15日 | 私の好きな落語
【まくら】
話は前後編に分けられ、一般には前半のお花半七馴れ初め(おはなはんしちなれそめ)のみが演じられる。

【あらすじ】
お花半七馴れ初め
小網町に住む半七は、友人宅で大好きな将棋を指していて帰りが遅くなってしまい、締め出しを食ってしまった。お花も友人宅でカルタをしていたら帰りが遅くなり、締め出しを食ってしまったという。
半七は締め出しを食らうと、いつも霊岸島に住む叔父の家に一晩お世話になっている。その叔父は近所で『飲み込みの久太』と呼ばれており、先読みをしすぎてしまう人物である。お花は、「そこで私も一晩お世話になりたい」と半七に申し出るが、半七は「叔父に勘違いされると、どうなるか分からない」と断り、一人で行こうとする。しかし、お花は付いてきてしまう。
そのまま叔父の家に着いてしまい、案の定勘違いを受けてしまい、布団が一組しかない2階へ二人は案内される。二人きりになると、お花は満更でもない態度をとる。そのうち、雷鳴が鳴り響き、お花は怯えて半七の胸元へ飛び込む。お花の着物がはだけ、半七は我慢の限界になり、お花の体へ手を伸ばす...(前半のみの場合「ここでお時間です」と下げる。)

後半
二人は夫婦になり暮らしていたある日、お花が浅草寺へお参りに行く。帰りに雷雨に遭ってしまい、小僧に傘を取りに帰らせる。そこにならず者達が現れ、お花はさらわれてしまう。
半七は懸命になって探すが、行方知れずのまま1年が過ぎてしまう。半七がたまたま乗った船の船頭に「昨年の夏に、女をさらって殺し、宮戸川へ放り込んだんだ」と聞かされ、犯人の一人であると知る。
これは、うたた寝していた半七の夢であり、お花は無事に帰ってくる。起こされた半七は、「夢は小僧(五臓)の使い(疲れ)だ」と下げる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

【オチ・サゲ】
地口落ち(話の終わりを地口で締める、地口は、駄洒落の一種と見なすことができる言葉遊び)

【この噺を得意とした落語家】
・五代目 古今亭志ん生
・八代目 春風亭柳枝
・十代目 金原亭馬生