【まくら】
江戸には官許の遊郭は吉原しかなかった。その他は「岡場所」と言い、本来は違法な遊郭である。「廻し」というのは遊女が一夜に複数の客をとって順番に接することだが、岡場所である品川の遊里から起こって広まった。吉原の一流のおいらんには、こういうことはない。吉原では、客はある遊女のなじみになると、他の遊女には通わないのが基本ルールである。他の遊女に通うには、きちんとした挨拶をして前の遊女とは切れなくてはならない。また一流の遊女は、相手が金持ちかどうかで態度を変えるようなことはなかったという。おおらかで教養あるのが、一流の遊女だっただ。
しかし岡場所では何が起こっても不思議ではない。「廻し」の話は、当時の庶民のさまざまなタイプを語り分けるのが目的であったが、そこに本当は働きたくない遊女の本音が覗いていておかしい。
出典:TBS落語研究会
【あらすじ】
関東の遊郭には「廻し」という制度がある。一人の遊女が一度に複数の客の相手をするのであるが、遊女の嫌な客になると長時間待たされたり、ひどいのにはちょっとしか顔を見せない「三日月振り」とか、全く顔を見せない「空床」「しょいなげ」来てもすぐ寝る「居振り」などがあるので、客はたまらない。
そんな客の苦情を一手に引き受けるのは、「若い者」「妓夫太郎」(ぎゅうたろう)と呼ばれる男性従業員である。吉原のある遊郭、遊びは終わって、客と遊女が床にはいる大引け(午前0時ごろ)も過ぎたころ、若い者は、客たちからお目当ての遊女が来ないと文句を言われて四苦八苦である。
一人目の客からはさんざん毒づかれて、吉原の由来まで聞かされた揚句、「ぐすぐすしてやがると、頭から塩かけてかじっちゃうぞっ!!」と一喝される。
「少々御待ちを願います。ええ、喜瀬川さんえ」と汗だくになって遊女を探しているが、二人目の客に「ちょいと廊下ご通行の君」と呼ばれる。今度は薄気味悪い通人で、ねちねちと責められ、「君の体を花魁の名代として拙に貸し給え。」と迫られ、焼け火箸を背中に押しつけられそうになる。
ほうほうの態で逃げ出すと、三人目の客に捕まる。権柄づくの役人で「小遣!給仕!」と呼ばれ、さんざん文句を並べて「この勘定書きに、娼妓揚げ代とあるがね。オイ、こら何じゃ。相手が来んのに揚げ代が払えるか。法律違反じゃよ。」と責められる。
「へえ。お待ちくださいまし。」と逃げだせば、四人目の客が「若けえ衆さあん。若へえ衆さあん。ちょっくらコケコ!」と呼んでいる。「鶏だね。どうも。・・・へい。何でげす。杢さんじゃありませんか。」見れば馴染みの田舎客である。
だが、この田舎客も前の三人と同じ苦情を並べたて「ホントにホントにハア。ホントにイヤになりんこ。とろんこ。とんたらハア。トコトンヤレ、トロスク、トントコオ。オウワアイ!」と意味不明の叫びをあげて若い者を呆れさせる。
そんな騒ぎをよそに遊女の喜瀬川はお大尽と遊んでいるが、若い者の知らせにお大尽の方が気にして「おい。花魁。ワシが揚げ代を他の四人に渡してやるちゅうに、帰ってもらうべえ。」「じゃあ、わちきにもお金をくんなまし。」「お前に銭こ渡してどうする。ほれ。」「ありがと。じゃ、このお金を主さんに上げますから、四人と一緒に帰ってくんなまし。」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【オチ・サゲ】
ぶっつけ落ち(おたがいに相手の言っていることが通じないで、食い違ったままで落ちになるもの。 )
【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『吉原が明るくなると家は闇』
『人は客わが身は間夫(まぶ)と思う客』
『女郎(じょうろ)買い振られて帰る果報者』
【語句豆辞典】
【傾城傾国】傾城も傾国も同じ意味で、城主・国主が美人におぼれると、城をなくし、国を亡ぼす、ということから、後には遊女の別称となる。
【ご名代】目当ての遊女が病気、その他で客席に出られない場合は、妹女郎が代理に出るが、これを名代という。但し、名代が客と特別の関係になることは禁じられていた。
【引付座敷】遊客が登楼して最初に通される部屋。ここでやり手(おばさん)を通していろいろの交渉をする。
【牢名主】江戸時代、伝馬町の牢屋では、各牢部屋を、ある程度、自治的に治めさせるために牢名主の制度を黙認していた。牢名主になる者は重罪犯に限られ、牢内では五~十枚の畳を重ねて座っていた。
【この噺を得意とした落語家】
・五代目 古今亭志ん生
・八代目 林家正蔵
・六代目 三遊亭圓生
・三代目 古今亭志ん朝
【落語豆知識】
【下げ】笑わせて、噺の結びとする部分。落ちともいう。