大陸の細道 (講談社文芸文庫) | |
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講談社 |
【一口紹介】
◆内容説明◆
敗色濃い満洲を「日本の親爺」が飄々と行く戦争末期、持病を抱え友情と酒を味方に外地での人生の闘いを始めた木山正介――温かく飄逸味溢れる絶妙な語り口で、満洲体験を私小説世界に結晶させた傑作長篇。
◆内容(「BOOK」データベースより)◆
すでに日本の敗色は濃厚な昭和十九年暮れ、M農地開発公社嘱託として極寒の満洲に赴いた木川正介は慣れない土地で喘息と神経痛の持病に苦しんでいた。
さらに、中立を破り突如参戦したソ連軍を迎え撃つため四十二歳にして軍に召集されてしまう。
世渡り下手な中年作家が生き残りを賭け闘う姿をあたたかく飄逸味あふれる描写で綴った、私小説の傑作。
◆著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)◆
木山/捷平
1904・3・26~1968・8・23。小説家。岡山県の生まれ。1929年、詩集『野』を自費出版。33年、太宰治等と「海豹」創刊。34年、「青い花」同人。
39年、最初の作品集『抑制の日』を刊行。44年、満洲開発公社嘱託として長春に赴き、45年8月、現地で応召。敗戦後長春で難民となる。
この間の経緯は『耳学問』『大陸の細道』(芸術選奨)『長春五馬路』等に書かれる。96年、木山捷平文学賞創設
【読んだ理由】
わが母校岡山県立矢掛高校の大先輩に敬意を表して。
私が高校在校時に古文を教わった定金恒次(元倉敷市立短大教授)先生が山陽新聞(2014/8/5)で木山文学の魅力を紹介されていた記事を拝見して。
【コメント】
著者の言う「備中の草深い田舎」に、著者は1904年(明治二十七年)、私は1950年(昭和二十五年)、約半世紀後に生をうけて育った。
同じ風土の中で育ち、すべての短編が懐かしく、心地よい。
そのお名前だけは存仕上げていたが、これを機に全作品を読破しよう企んでいる。
詩も素晴らしい。
五月!(詩集『野』「ふるさと」
ふるさとへ帰りたいのう。
ふるさとにかへつて わらびがとりに行きたいのう。
わらびをとりに行つて 谷川のほとりで
身内にいっぱい山気を感じながら ウンコをたれながら
チチツ チチツ となく
山の小鳥がききたいのう。