【一口紹介】
◆出版社/著者からの内容紹介◆
素直で正直、器が大きなアホであれ!
バイオテクノロジーの世界的権威がたどりついた究極の知恵
遺伝子工学の第一人者・村上和雄教授が、神様に好かれる「アホ」な生き方を提言します。
今の世の中、みな「少しでも早く」「少しでも賢く」「少しでも無駄なく」「少しでも損をしないように」と目先のことばかり気にしているのではないでしょうか? しかし、ほんとうは眼前のことにあまりとらわれず、アホ、ボンクラ、デクノボーといわれるぐらいに生きているほうが充実した幸福な人生をおくれるのかもしれません。遺伝子工学の第一人者である筑波大学名誉教授の村上和雄氏が、自分の研究成果である遺伝子ONの話、有名な科学者の逸話、大きな悲劇から立ち直りつつある方々の話などからさまざまな例をあげ、ほんとうに豊かで幸せな「神の望むアホな生き方」とはどんなもので、どのようにたどりつけばいいのかを語ります。
◆内容(「BOOK」データベースより)◆
素直で正直、器が大きなアホであれ!バイオテクノロジーの世界的権威がたどり着いた究極の知恵。
◆出版社からのコメント◆
「利口であるより、愚直であれ!」「役立たずで、ムダなものこそ大きな突破口になる!」「大きく深い鈍さをもて!」なんて尊敬する村上先生がおっしゃるので私はホッとし、うれしくなってしまいました。アホであるからこそ社会に貢献できる。アホであるからこそ成功する。そう信じられれば、私もこれからもワクワクと生きていけそうです。
◆カバーの折り返し◆
「利口であるより、愚直であれ!」
「役立たずで、ムダなものこそ大きな突破口になる!」
「大きく深い鈍さをもて!」
◆著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)◆
1936年生まれ。筑波大学名誉教授。63年、京都大学大学院農学研究科農芸化学専攻、博士課程修了。同年、米国オレゴン医科大学研究員。76年、米国バンダビルト大学医学部助教授。78年、筑波大学応用生物化学系教授となり、遺伝子の研究に取り組む。83年、高血圧の黒幕である酵素「レニン」の遺伝子の解読に成功、世界的な業績として注目を集める。96年、日本学士院賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
◆抜粋◆
●「でくのぼう」という愚かで深い生き方
こういうと、アホなことをいうな、そうそうバカみたいに笑ってばかりいられるかとお叱りを受けそうです。しかし、その「苦しいときこそ笑っていられる」ようなアホやバカが、いまこそ必要なのだということを、私はこれからこの本で述べてみたいのです。
笑いが減るのと並行するように、世の中に利口な人がふえました。頭の回転が早く、目先のことに鼻がきいて、機を見るのに敏。人に先行して、競争に強く、ムダや抜け目がなく、合理的かつ効率的で、どんな問題もすばやく解いて、決められた道を最短距離で行くことが得意。いわば、そんな人たちです。
しかし、そういう利口な人たちを見ていて気づくことがあります。一つは、その利口やかしこさのスケールがどこか「小さい」点です。
頭は切れる、学歴も高い、知識も豊富だ。しかし、ヘンに世間知らずだったり、人間関係がうまく結べなかったり、人の心の機微に疎かったり。あるいは分析は鋭いけれど視野がせまかったり、理が勝ちすぎていて柔軟性に欠けていたり。
そのために、せっかくの知性に偏りが生まれて、そのせいで頭脳や人間のスケールが小さく感じられるのです。こういう人は、人間としての容量が小さいので、挫折に弱いところもあります。ちょっとしたことでつまずき、つまずくとなかなか立ち直れない。
高級官僚や企業エリートなどの不祥事を見るにつけ、私はそうしたこざかしい知恵や知識の限界を目のあたりする思いがします。
食糧自給率が四割を割る一方で、美食飽食を満喫し、余った食べ物をどんどん捨てている。こんな「モノは栄えたが、心が貧しい」社会のあり方も、かしこいようで実に愚かであり、こざかしい人や小利口な人がふえたことの反映であるように思えます。
二つめは、利口な人は傲慢になりやすいという点です。
つまり、なまじ頭もよくて、ものがよく見えるから、そうでない人を見下したり、自分のかしこさを振りかざして、自分だけの力で生きていると思い上がる。驕りや増長におちいりやすい欠点も、頭のいい人たちにはついて回るのです。
こういう小利口な人間のこざかしさや傲慢さは、聖書のむかしから、神がもっとも手を焼いてきた人間の「愚かな罪」であり、実は、神さまがもっとも嫌うところなのです。
それなら、神が好くものは何か。これは、その反対概念を考えればいい。つまり、神の好きなものは「器の大きなバカ」「素直で正直なアホ」なのです。
たとえば宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の詩に出てくる、欲は少なく、いつも静かに笑っていて、自分を勘定に入れず、病気の子どもがいれば看病してやり、日照りのときは涙を流し、寒さの夏はオロオロ歩く--世間からは「でくのぼう」と呼ばれながらも、まじめに、不器用に、誠実に生きていく。そんな人です。
正直で勤勉で一徹で、どこか抜けているお人よし。知識や学問は少ないが、コツコツと自分の信じる道を地道に歩み、手間や回り道を惜しまない。時代遅れで融通もきかず、利にも疎いが、ゆったりかまえて、あせらず、屈せず、くさらず。
「おれが、おれが」でなく、「アフター・ユー(お先にどうぞ)」の精神を持ち、頭はわるいが心は豊かで、わずかなことで満足できる。
あるいは、そんなに立派でなくても、単純で感激屋で、人を楽しませるのが好きで怖さ知らず。おっちょこちょいで根拠のない自信にあふれていて、能天気でよく笑い、失敗を恐れない。ムダ話や寄り道が多く、いばらず、かざらず、かっこつけない。信じやすいが物事を決めつけず、忘れっぽいがあきらめない。
そのせいで、「アホやなあ」「バカだなあ」、そう人からあきれられ、愛されもする人。フーテンの寅さんみたいな、愚かという「徳」を持った人。
そういう人が神からも好かれ、利口な人より時間はかかっても、大きな幸せを手に入れることができるのだと思います。
最後には、カメがウサギを追い抜くように、バカは利口を超えるところがあります。利口とは、ある範囲内において限界まで届く知性のことですが、バカやアホというのは、その限界をあっさり超えてしまうことがしばしばあるからです。
そういう、こざかしい理屈や常識の枠を超える「大きな愚かさ」。鈍いけれども深い生き方。その復権が、いまこそ必要なのではないでしょうか。
●ハングリーであれ、愚かであれ!
アホが常識を超え、世界を変えていく例は企業社会でも見られます。
アップルコンピュータの創始者で、世界でもっとも洗練されたパソコンといわれるマッキントッシュを開発したスティーブ・ジョブズ。彼もまたけっして利口とはいえない半生を送ってきた人物のようです。
彼の人生は挫折と波乱つづきのジグザグ人生です。彼の母親は未婚の大学院生のいわゆるシングルマザーで、妊娠中から、自分では育てられないから、生まれたらすぐに養子に出すと決めていたといいます。
生まれてすぐ、母親の望みどおり養子に出され、養親のもとで育つが、せっかく入学した大学をドロップアウトしてしまう。コーラの瓶を集めて食費をひねり出すような貧乏暮らしの末に、起業したアップル社は大成功するが、よく知られているように、そのみずから起こした会社を、他の経営陣との対立がもとで追い出されてしまう。
彼は世界でもっとも有名な「落伍者」となってしまうのです。やがて再度、アップルに復帰し、世界的なヒットとなるiMACやiPODなどを開発して業績不振に陥っていた同社を再成長に導くが、その矢先、病魔に襲われてしまう--。
そのジョブズがスタンフォード大学で行った卒業祝賀スピーチは、感動的な内容を持つものとしてインターネットを通じて広く流布されました。その最後は、「Stay hungry, stay foolish」という言葉で締めくくられています。
「ハングリーであれ、愚かであれ」--自分自身、つねにそうありたいと願い続けてきたし、キミたち(卒業生)もそうであるよう願っていると、彼はスピーチを結んでいるのです。
スピーチやプレゼンテーションの天才としても知られるジョブズは、この言葉によって、何をいいたかったのでしょうか。
さまざまな解釈が可能でしょうが、枠にはまった優等生、みんなからほめられるようなお利口さんになんかなるな。こざかしく、小さくまとまるくらいなら、愚か者であるほうを選べ、それも、常識なんかはみ出してしまう器の大きなバカになれ。
ジョブズが若い人に贈り、自分にもいい聞かせていたのは、そういうことなのだと思います。いつも、満足せず、小利口ぶらず、一つの道をひたすら究めようとする愚かさを大切に維持するとき、その愚かさが石や岩をも砕く重く大きな武器となって、あなたを成功に導くだろう--。
たしかにビジネスの世界でも、愚直を貫いて成功したという例は少なくないようです。愚直なのに成功したのではなく、愚直であるがゆえに成功をたぐり寄せるのです。
利益を上げることが最大目的のビジネスにおいても、ときには損得抜きで、「そんなバカなことはやめときなさい」と周りから止められるような、非合理的で向こう見ずな大決断をしなくてはならない場合があるからです。そしてその決断が、その後の流れを大きく変えることが間々あるからです。
京セラを世界的企業に育て上げた稲盛和夫さんが、KDDIをつくって電話事業に参入したとき、周囲からは「ドンキホーテが出てきたぞ」と揶揄されたといいます。当時、同事業分野は、国営事業である電電公社から民営化されたNTTの寡占状態にありました。
そこに電話事業の技術も経験もない稲盛さんたちが参入するのは、巨像にアリが挑むのに等しい。しかし、だれかがやらなければ、電話事業はいつまでも独占状態にあって競争原理が働かない。
その一途な思いから、稲盛さんはすすんで貧乏くじを引くような決断をしたのです。その愚直なばかりの決断がどのような結果をもたらしたかは、現在のKDDIの隆盛を見ればよくわかるでしょう。
こういう損得や欲得を離れた大決断は、なまじ利口で先のよく見える人にはできません。人からは「ちょっと頭のめぐりがわるいんじゃないか」と思われるような、愚直で度量の大きな人間にしかできないことなのです。
だから、器用に枝葉を伐りとる鋭いナイフのような人間であるよりも、大木を根っこから倒してしまう鈍重なナタのような人間であれ。スティーブ・ジョブズがいう「愚かであれ」とはそういう意味、つまり、「器の大きなアホのすすめ」なのだと私は思っています。
【印象に残った一行】
小利口でこざかしい知識や知恵、速度や効率、駆け引きや計略、私利私欲や傲慢さ、おごりや増長、攻撃性や支配性、鋭いが冷たい理知ーそういうものには無縁か、距離を置きながら、目に見えないものを信じ、先を急がず、ゆったりとかまえ、学問や知識は多くなくても、自分の信じる道を正直に地道に歩み、手間を押します、回り道を厭わない。
時代遅れで融通もきかず、利にも疎いがあせらず、いばらず、くさらず、わずかなことで満足を覚え、不平不満よりは感謝の言葉が多く、批判的であるより親和的で、悲観的より楽観的で、いつもニコニコ笑みを絶やさず、でくのぼうのようなぬくもりをにじませつ、人を裁くより赦して、「自分などたいたいした人間ではない」と自己への戒めを忘れず、命とは何か、生きるとは何かとついて時間をかけてゆっくりと考え、大きな回路をぐるりとめぐって大きな答えにたどり着く。
そんなぬ部区、遅く、重い生き方をしながら、自分の中の「愚」をひそかにしっかりと守ること。その深く大きな愚かさを一生涯かけて貫くこと。神が望んでいるのはそういう生き方ではないでしょう?
【コメント】
「愚」を論点の中心に置きスケールの大きな本だ。万人の方に一読をお薦めする。