日本男道記

ある日本男子の生き様

黒崎~箱の浦 2

2025年02月04日 | 土佐日記


【原文】 
このあひだに、今日は、箱の浦といふところより、綱手引きて行く。
かく行くあいだに、ある人のよめる歌、
たまくしげ箱の浦波立たぬ日は海を鏡とたれか見ざらむ
また、船君のいはく、「この月までなりぬること」と嘆きて、苦しきに堪へずして、人もいふこととて、心やりにいへる、
引く船の綱手の長き春の日を四十日五十日までわれは経にけり

【現代語訳】
ところで、今日は、箱の浦と言う所から綱をつけて引っ張って行く。
このようにして行くうちに、ある人が詠んだ歌は、
たまくしげ箱の…
(箱の浦の波の立たない日は、誰がいったい海を鏡のようだと見ないことがあろうか)
また、船君(貫之)が言うのに、「二月にまでなってしまった」と嘆いて、あまりの長い旅路の苦しさに堪えきれず、「まあ、ほかの人も言うことだから」と言い訳しながら、せめてもの気晴らしに歌を詠んだ。
引く船の…
(この船を引く綱のように長い春の日々を四十日、五十日と私たちは旅をしてきたんだなあ)

◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

黒崎~箱の浦 1

2025年01月28日 | 土佐日記


【原文】 
二月一日。朝の間、雨降る。牛時ばかりにやみぬれば、和泉の灘といふところより出でて、漕ぎ行く。海の上、昨日のごとくに、風波見えず。
黒崎の松原を経て行く。ところの名は黒く、松の色は青く、磯の波は雪のごとくに、貝の色は蘇芳に、五色にいま一色ぞ足らぬ。

【現代語訳】
二月一日。 朝のうち、雨が降った。お昼ごろにやんだので、和泉の灘(たな川)という所から出て、漕いで行く。
海上は、昨日と同様に、風も吹かず波も立たない。黒崎の松原を過ぎて行く。土地の名は黒く、松の色は青く、磯の波は雪のように白い、貝の色は蘇方、五色にあと一色だけ足りない。

◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

和泉の国へ 3

2025年01月21日 | 土佐日記


【原文】 
三十日。雨風吹かず。海賊は、夜歩きせざなりと聞きて、夜中ばかりに船を出だして、阿波の水門をわたる。夜中なれば、西東も見えず。男、女、からく神仏を祈りてこの水門をわたりぬ。
寅卯の時ばかりに、沼島といふところを過ぎて、たな川といふところをわたる。からく急ぎて、和泉の灘といふところに到りぬ。今日、海に波に似たるものなし。神仏の恵みかうぶれるに似たり。
今日、船に乗りし日よりかぞふれば、三十日あまり九日になりにけり。
今は和泉の国に来ぬれば、海賊ものならず。

【現代語訳
三十日。雨も降らず風も吹かない。海賊は夜は行動しないと聞いて、夜中から船を出して、阿波の海峡を渡った。夜中なので、西も東もわからない。男も女も一心に神仏に祈って、この海峡を渡った。
朝の五時ごろに、沼島という所を通り過ぎて、たな川と言う所を渡る。懸命に急いで、和泉の灘という所に到着した。今日は、海に波らしいものはない。神仏の恵みを蒙ったというところか。
今日、船に乗った日から数えると、三十九日になってしまっていた。
今はもう、和泉の国に来てしまったので海賊も問題にならない。

◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

和泉の国へ 2

2025年01月14日 | 土佐日記


【原文】 
おもしろきところに船を寄せて、「ここやいどこ」と、問ひければ、「土佐(とさ)の泊(とまり)」といひけり。昔、土佐といひけるところに住みける女、この船にまじれりけり。そがいひけらく、「昔、しばしありしところのなくひにぞあなる。あはれ」といひて、詠める歌、
年ごろを住しところの名にし負へば来寄(きよ)る波をもあはれとぞ見る
とぞいへる。
【現代語訳
景色のいいところに船を寄せて、「ここはどこ」と聞くと、土佐の港ですと言う。
昔、土佐という所に住んでいた女が、同船していた。その人が言うには、「昔、私がしばらく住んでいた所と名の通う所です。懐かしいこと。」と言って、よんだ歌は、
年ごろを住し…
(ここは以前何年も住んだ所と同じ名を持っているから(懐かしくて)寄せてくる波さえもしみじみとした思いでみることだ)
と言ったのである。


◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

和泉の国へ 1

2025年01月07日 | 土佐日記


【原文】 
二十九日。船出(い)だして行(ゆ)く。うらうらと照りて、漕(こ)ぎ行(ゆ)く。
爪(つめ)のいと長くなりにたるを見て、日をかぞふれば、今日(けふ)は子(ね)の日(ひ)なりければ、切らず。正月(むつき)なれば、京の子の日のこといひ出でて、「小松もがな」といへど、海中(うみなか)なれば、かたしかし。ある女(をむな)の書きて出だせる歌、
おぼつかな今日(けふ)は子(ね)の日か海女(あま)ならば海松(うみまつ)をだに引かましものを
とぞいへる。海にて、「子の日」の歌にては、いかがあらむ。
また、ある人のよめる歌、
今日なれど若菜(わかな)も摘(つ)まず春日野(かすがの)の我が漕ぎ渡る浦になければ
かくいひつつ漕ぎ行(ゆ)く。

【現代語訳
二十九日。船を出して行く。うららかに日が照って、その中を漕いで行く。
爪がかなり長く延んだのを見て、出発以来の日を数えてみると、今日は子の日なので切らない。正月(の子の日)なので、京の子の日のことを(誰となく)言い出して、「小松があったらなあ」と言うけど、海の中なので難しい。ある女が書いて出した歌は、
おぼつかな…
(たよりないなあ、今日は本当に子の日なのかな、自分がもし海女ならせめて海松を小松の代わりに引いてみようものを)
と言う。海の中で、「子の日」の歌と言うのはどんなものだろうか。
また、ある人が詠んだ歌は、
今日なれど…
(正月子の日は今日なのに若菜も摘まない。春日野は今自分が漕ぎ渡っている浦には無いのだから)
このように言い言いしながら漕いで行く。


◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

海賊の恐怖 4

2024年12月31日 | 土佐日記


【原文】 
これかれ、かしこく嘆く。男たちの心なぐさめに、漢詩に「日を望めば都遠し」などいふなる言(こと)のさまを聞きて、ある女(をむな)のよめる歌、
日をだにも天雲(あまぐも)近く見るものをみやこへと思ふ道のはるけさ
また、ある人のよめる、
吹く風の絶えぬ限りし立ち来れば波路(なみぢ)はいとどはるけかりけり
日一日(ひひとひ)、風やまず。爪(つま)はじきして寝(ね)ぬ。
二十八日。夜もすがら、雨やまず。今朝も。

【現代語訳
誰もかれもやたらにため息をつく。男の人たちが気晴らしに、漢詩で「日を望めば、都遠し」(はるかなはずの太陽は見えるが、かえて近いはずの都は見えないから遠い)なんていってるらしい詩のあらましを聞いた挙句、ある女が詠んだ歌は、
日をだにも…
(お日様でさえ、空の雲のすぐそこに見えるのに、一刻も早く帰りたい京への旅路の、ほんとに遠いことったら)
また、ある人がよんだ。
吹く風の…
(海を吹く風がやまぬかぎりはねえ、波も限りなく起こってくるものだから、船路はまだまだ先の遠いことですね)
一日中風が止まなかった。爪はじき(指の爪をはじいて悪いことを避けるおまじない)をして寝てしまった。
二十八日。一晩中雨が止まなかった。今朝もである

◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

海賊の恐怖 3

2024年12月24日 | 土佐日記


【原文】 
このあひだに風のよければ、梶取いたく誇りて、船に帆上げなど、喜ぶ。その音(おと)を聞きて、童(わらは)も媼(おむな)も、いつしかとし思へばにやあらむ、いたく喜ぶ。この中に、淡路(あはぢ)の専女(たうめ)といふ人のよめる歌、
追風の吹きぬるときは行く船の帆手(ほて)うちてこそうれしかりけれ
とぞ。
天気(ていけ)のことにつけつつ祈る。
二十七日。風吹き、波荒ければ、船出ださず。

【現代語訳
さて、手向けをしてからは風の具合もよいので、梶取はすっかり得意になって、船に帆を上げなどして喜んでいる。帆がはためく音を聞いて、子供もお婆さんも、早く早くとそればかり思っていたからでしょうか、大喜びです。一行の中で、淡路の婆さんと言う人が詠んだ歌は、
追風の吹きぬるときは…
(追風が吹いてきたときは、進んでいく船の帆が、パチパチと拍手のような音を立てて喜んでいるよ。そのように、私たちも手を叩いて嬉しがっていることよ)
ということだ。
こんなふうに、何かといえば天気のことについて祈る。
二十七日。風が吹いて、波が荒かったので、船を出さない。


◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

海賊の恐怖 2

2024年12月17日 | 土佐日記


【原文】 
二十三日。日照りて、曇りぬ。
このわたり、海賊の恐りあり、といへば、神仏を祈る。
二十四日。昨日の同じところなり。
二十五日。梶取らの、「北風悪し」といへば、船出ださず。
海賊追ひ来、といふこと、絶えず聞こゆ。
二十六日。まことにやあらむ、海賊追ふ、といへば、夜中ばかりより船を出だして漕ぎ来る。
途に、手向けするところあり。
梶取して、幣奉らするに、幣の東へ散れば、梶取の申して奉る言は、、「この幣の散る方に、御船すみやかに漕がしめたまへ」と申して奉る。これを聞きて、ある女の童のよめる、
わたつみのちふりの神に手向けする幣の追風やまず吹かなむ
とぞよめる。

【現代語訳
二十三日。日が照って、その後曇った。
このあたりは海賊襲来の恐れがあるということなので、神仏に祈る。
二十四日。昨日と同じところにいる。
二十五日。船頭たちが「北風が吹いて船を出すのに具合が悪い」と言うので、船を出さない。
海賊が追いかけてくる、と言うことが絶えず聞えてくる。
二十六日。ほんとうだろうか。海賊が追って来る、と言うので、夜中ほどから船を出して漕いで来る。
その途中に航路安全を祈願するところがある。
梶取に命じて、幣をささげたところ、(幣は神に祈る時の捧げ物。アサ、木綿、帛(きぬ)、又代わりに紙も用いた)幣が東の方に散るので、梶取が祈願して申し上げる祝詞には、「この幣の散る方角に、御船をすみやかに漕がせてください」とお願い申し上げる。
これを聞いて、ある女の子が詠んだ歌は、
わたつみのちふりの神に…
(海路をお守りくださる道触(ちふり)の神様に手向けした幣を、東になびかせる追風よ、どうかやまずに吹き続けておくれ)
こう詠んだことです


◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

海賊の恐怖 1

2024年12月10日 | 土佐日記


【原文】 
二十二日。昨夜の泊より、異泊を追ひて行く。
はるかに山見ゆ。年九つばかりなる男の童、年よりは幼くぞある。この童、船を漕ぐまにまに、山も行くと見ゆるを見て、あやしきこと、歌をぞよめる。その歌、
漕ぎて行く船にて見ればあしひきの山さへ行くを松は知らずや
とぞいへる。幼き童の言にては、似つかわし。
今日、海荒げにて、磯に雪降り、波の花咲けり。ある人のよめる、
波とのみひとつに聞けど色見れば雪と花とにまがひけるかな

【現代語訳
二十二日。昨夜の港から別の港を目指して行く。
遥か遠くに山が見える。年九つばかりの男の子、年よりはもっと幼い。この幼児が船を漕ぐにつれて、山も同時に進んでいくように見えるのを見て、不思議に思い、歌をよんだ。その歌は、
漕ぎて行(ゆ)く…
(漕いで行く船から見ると、山さえも動いていくのを松は知らないのであろうか)
と言う。幼い子供の歌としてぴったりである。
今日は、海が荒模様で、磯には白波がまるで雪が降ったようで、波の花が咲いている。ある人が詠んだ歌は、
波とのみ…
(耳で聞けばただ波だなと一つに聞こえるだけだが、その色を見ると雪にも花にも見まがうものだったんだなあ)




◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

磯部の白波 2

2024年12月03日 | 土佐日記


【原文】 
かくうたふを聞きつつ漕ぎ来るに、黒鳥といふ鳥、岩の上に集まり居り、その岩のもとに、波白くうち寄す。梶取のいふやう、「黒鳥のもとに、白き波を寄す」とぞいふ。このことば、何とにはなけれども、ものいふやうにぞ聞こえたる。人の程にあはねば、とがむるなり。
かくいひつつ行くに、船君なる人、波を見て、「国よりはじめて、海賊報いせむといふなることを思ふうへに、海のまた恐ろしければ、頭もみな白けぬ。七十路、八十路は、海にあるものなりけり。
わが髪の雪と磯辺の白波といづれまされり沖つ島守
梶取(しまもりかじとり)いへ
【現代語訳
このように詠うのを聞きながら、漕いで来ると、黒鳥という鳥が岩の上に集まっており、その岩の下に、波が白く打ち寄せている。それを見て船頭が言うには、「黒い鳥のところに白い波が寄る」と言う。この言葉は、なんということもないが文学的な秀句を言っているように聞こえたのだった。
梶取と言う身分には似つかわしくないことを言うので、気にかけたのだ。
このように言い言いして行くと、船君(貫之)が波を見て、土佐の国府を出立以来始めて、海賊が報復をしに来るかもしれないことを思う上に、海がまた恐ろしいので、海のみならず頭髪までも白くなってしまった。七十歳とか八十歳とかは、なんと海の上にあるものだったのだなあ。
わが髪の…
(わたしの頭髪の雪のような白さと、磯辺の白波と、どちらが勝って白いかね、沖の島守よ。)
梶取よ、どっちか言いなさい。



◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

磯部の白波 1

2024年11月26日 | 土佐日記


【原文】 
二十一日。卯の時ばかりに船出だす。
みな、人々の船出づ。これを見れば、春の海に、秋の木の葉しも散れるやうにぞありける。おぼろけの願によりてにやあらむ、風も吹かず、よき日出で来て、漕ぎ行く。
このあひだに、使はれむとて、つきて来る童)あり。それがうたう舟唄、
なほこそ国の方は見やらるれ、わが父母ありとし思へばかへらやとうたふぞ、あはれなる。

【現代語訳
二十一日。朝の6時ごろに船を出す。
みんな、ほかの人々が乗る船も出航する。これを見ると、まるで春の海に秋の木の葉が散ったようである。格別な願掛けのせいだろうか、風も吹かず、良い日和になって、漕いで行く。
このとき、私たちに使ってもらおうとしてついてくる子供がいた。その子が詠う舟唄は、
なほこそ国…
(やっぱり国のある方角を遠くに眺めてしまう。自分の父母がいると思えばさ。帰ろうよ。)
と詠うのが、しみじみと心を打つ。


◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

阿倍仲麻呂 2

2024年11月19日 | 土佐日記


【原文】 
かの国人、聞き知るまじく、思ほえたれども、言の心を、男文字にさまを書き出だして、ここの言葉伝へたる人にいひ知らせければ、心をや聞き得たりけむ、いと思ひのほかになむ賞でける。唐土とこの国とは、言異なるものなれど、月のかげは同じことなるべければ、人の心もおなじことにやあらむ。
さて、今、そのかみを思ひやりて、ある人のよめる歌、
みやこにて山の端に見し月なれど波より出でて波にこそ入れ

【現代語訳
あちらの国の人々は、これを聞いてもわかるまいと思われたが、この歌の内容を漢字でおおよその様子を書き表して、こちらの言葉を習得している人(通訳)に説明したら、歌の心を理解することができたのだろうか。大変意外なことにこの歌を称賛したそうだ。唐と日本とは言葉は違うが、月の光は同じはずだから、人の心も同じなのだろう。
さて、今その昔を思いやって、ある人の詠んだ歌は、
みやこにて…
(都で山の稜線に出たり入ったりしているのを見た月だけど、ここでは波から出て波に入っていくのだよ)


◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

阿倍仲麻呂 1

2024年11月12日 | 土佐日記


【原文】 
二十日の夜の月出でにけり。
山の端もなくて、海の中よりぞ出で来る。
かうやうなるを見てや、昔、阿倍仲麻呂といひける人は、唐土にわたりて、帰り来ける時に、船に乗るべきところにて、かの国人、馬のはなむけし、別れ惜しみて、かしこの漢詩作りなどしける。飽かずやありけむ、二十日の夜の月の出づるまでぞありける。その月は、海よりぞ出でける。
これをみてぞ仲麻呂のぬし、「わが国に、かかる歌をなむ、神代より神もよん給び、今は上、中、下の人も、かうやうに、別れ惜しみ、喜びもあり、悲しびもある時にはよむ」とて、よめりける歌、
青海原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも
とぞよめりける。

【現代語訳
二十日の夜の月が出てきた。
山の端(稜線)も視界に入らず、その月は海の中から出てきた。
このような光景を見てでしょうか、昔、阿倍の仲麻呂という人は、唐に渡って、帰国する時に、乗船するはずの場所で、あの国の人々が餞別をし、別れを惜しんで、あちらのすばらしい漢詩を作ったりなどした。
それでも、名残も尽きなく思ったのであろう、二十日の夜の月がでるまで、そこにいたのだった。
その月は海の中から出た。
この月を見て仲麻呂は、「私の国では、このような歌を神代から神様もお詠みになり、今日では、上中下いずれの人でも、このように別れを惜しんだり、嬉しい時も、悲しいことがある時も詠むのです。」と言って、詠んだという歌は、
青海原
(青海原を遥か遠くに眺めますと、(月は今しも波間から昇っている。)まあ、あの月は、故国の春日にある三笠山に昇ったのと同じ月なのだなあ。)
とまあ詠んだのだった。


◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

室津(ニ)3

2024年11月05日 | 土佐日記


【原文】 
この歌どもを、すこしよろし、と聞きて、船の長しける翁、月日ごろの苦しき心やりによめる、
立つ波を雪か花かと吹く風ぞ寄せつつ人をはかるべらなる
この歌どもを、人の何かといふを、ある人聞きふけりてよめり。その歌、よめる文字、三十文字あまり七文字。人みな、えあらで、笑ふやうなり。歌主、いと気色悪しくて、怨ず。
まねべどもえまねばず。書けりとも、え読み据ゑがたかるべし。今日だにいひがたし。まして後にはいかならむ。
十九日。日悪しければ、船出ださず。
二十日。昨日のやうなれば、船出ださず。
みな人々憂え嘆く。苦しく心もとなければ、ただ、日の経ぬる数を、今日幾日、二十日、三十日とかぞふれば、指もそこなはれぬべし。いとわびし。夜は寝も寝ず。

【現代語訳
これら二首の歌を、まあ、悪くもないと聞いて、船の長をしている老人が、先月来の心の憂さを晴らそうと詠んだ歌は、
立つ波を…
(立つ波を、あるいは雪か花かと見まがうが、それは風が吹きよせ吹き寄せして人をだましているらしい)
これらの歌を人々が何かと批評するのを、ある人がじっと聞いていて、歌を詠んだ。
ところが、その歌はなんと三十七文字で構成されていた。人々はみんなこらえきれず笑っているようだ。
歌を詠んだ人はとても機嫌をそこねて、人々を恨めしがる。
歌主の詠んだとおり詠んでみようと思ってもどうしてもできない、たとえ、書いたとしても、ちゃんと型どおりに詠めないだろう。
いま聞いた今日でさえ、言いにくい。まして後日というのはどうであろうか。
十九日。天候が悪いので、船を出さない。
二十日。昨日と同じような悪天候なので船を出さない。
人々はみんな心配し、嘆いている。苦しく、不安なので、経過した日を、今日は何日だろうか、二十日、三十日と数えると指が傷んでしまいそうだ。とてもわびしい。
夜は安眠できない。


◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

室津(ニ)2

2024年10月29日 | 土佐日記


【原文】 
かくいふあいだに、夜やうやく明けゆくに、梶取ら、「黒き雲にはかに出で来ぬ。風吹きぬべし。御船返してむ」といひて船返る。このあひだに、雨降りぬ。いとわびし。
十八日。なほ、同じところにあり。海荒ければ、船出ださず。
この泊、遠く見れども、近く見れども、いとおもしろし。
かかれども、苦しければ、何事も思ほえず。男どちは、心やりにやあらむ。漢詩などいふべし。船も出ださで、いたづらなれば、ある人のよめる、
磯ふりの寄する磯には年月をいつともわかぬ雪のみぞ降る
この歌は、常にせぬ人の言なり。また、人のよめる、
風による波の磯には鶯も春もえ知らぬ花のみぞ咲く

【現代語訳
こう言っている間に、夜が次第に明けてきたのに、船頭たちが「黒い雲が急に出てきました。きっと風も出てくるでしょう。船を返しちゃおう」と言って船を戻した。この間、雨が降った。とてもわびしい。
十八日。さらに、同じところにいる。海が荒れているので、船を出さない。
この港は遠くから見ても、近くからみてもとても美しい。
ではあるけれど、やはり、こう旅がはかどらぬと嫌になって、何の感興もわかない。男の仲間たちは憂さ晴らしであろうか、漢詩など歌っている。
船も出さないで、することがないので、ある人が次のように詠んだ。
磯(いそ)ふりの…
(荒波の打ち寄せる磯には年月を分かたず四季の区別なく雪だけが降っている。)
この歌は日ごろ、歌を詠まない人が詠んだ歌だ。
また、別の人が次のように詠んだ。
風による波の…
(風が吹いて白波が打ち寄せる磯には鶯も春も知らない波の花だけが咲いている)


◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。