【原文】
諒闇の年ばかり、あはれなることはあらじ。
倚廬の御所のさまなど、板敷を下げ、葦の御簾を掛けて、布の帽額もかうあらあらしく、御調度どもおろそかに、皆人の装束・太刀・平緒まで、異様ことやうなるぞゆゝしき。
倚廬の御所のさまなど、板敷を下げ、葦の御簾を掛けて、布の帽額もかうあらあらしく、御調度どもおろそかに、皆人の装束・太刀・平緒まで、異様ことやうなるぞゆゝしき。
【現代語訳】
皇帝が父母の喪に服している一年間より、乾いた北風みたく淋しい気持ちになることは無いだろう。
喪に服すために籠もる部屋は、床板を下げて、安物のカーテンを垂らし、貧乏くさい布をかぶせる。家具なども手短な物を選ぶ。そこにいる人々が着ているものや、刀や、刀ひもが、普段と違ってモノクロームなのは、物々しく感じる。
喪に服すために籠もる部屋は、床板を下げて、安物のカーテンを垂らし、貧乏くさい布をかぶせる。家具なども手短な物を選ぶ。そこにいる人々が着ているものや、刀や、刀ひもが、普段と違ってモノクロームなのは、物々しく感じる。
◆鎌倉末期の随筆。吉田兼好著。上下2巻,244段からなる。1317年(文保1)から1331年(元弘1)の間に成立したか。その間,幾つかのまとまった段が少しずつ執筆され,それが編集されて現在見るような形態になったと考えられる。それらを通じて一貫した筋はなく,連歌的ともいうべき配列方法がとられている。形式は《枕草子》を模倣しているが,内容は,作者の見聞談,感想,実用知識,有職の心得など多彩であり,仏教の厭世思想を根底にもち,人生論的色彩を濃くしている。