京都二十四節気 そのニ十四 大寒
寒さが最も厳しくなる頃 新暦一月ニ十一日~ニ月七日(頃)
京の底冷え(大寒の自然)
小寒は「寒の入り」と呼ばれ、この日から節分までの三十日間(寒の内)は、一年で最も寒さが厳しい頃といわれます。昔から人々は、この時期に、寒稽古や寒中水泳などの耐寒行事を行ってきました。自らを極限状態まで追い込み、心身を鍛練すれば、迷いや煩悩から解放され、前途が開けると考えられていたのです。京都の聖護院では、学僧の修行を目的に「寒中托鉢」が行われます。山伏たちが法螺貝を吹きながら家々をまわり、家内安全や無病息災を祈る慣わしで、京都の冬の風物詩にもなっています。
節分おばけ(大寒の暮らし)
季節の分かれ目は「節分」と呼ばれ、昔から邪気が入りやすいといわれます。立春前日の節分は、冬から春への分かれ目。豆をまいたり、鰯と柊を門につるして、災いの象徴である鬼を払います。京都では、「節分おばけ」という独特の風習も伝えられてきました。女性が男装をしたり、子供が化粧をしたり、舞妓が老婆に扮するなど、いつもと違う格好に変装し、鬼を化かして追い払う慣わしです。怖い鬼退治も、楽しみに変えた先人たち。節分は、どんな時も明るく人生を切り拓いていた人々の豊かな知恵や感性が生み出した風習の一つです。
コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。
寒さが最も厳しくなる頃 新暦一月ニ十一日~ニ月七日(頃)
京の底冷え(大寒の自然)
小寒は「寒の入り」と呼ばれ、この日から節分までの三十日間(寒の内)は、一年で最も寒さが厳しい頃といわれます。昔から人々は、この時期に、寒稽古や寒中水泳などの耐寒行事を行ってきました。自らを極限状態まで追い込み、心身を鍛練すれば、迷いや煩悩から解放され、前途が開けると考えられていたのです。京都の聖護院では、学僧の修行を目的に「寒中托鉢」が行われます。山伏たちが法螺貝を吹きながら家々をまわり、家内安全や無病息災を祈る慣わしで、京都の冬の風物詩にもなっています。
節分おばけ(大寒の暮らし)
季節の分かれ目は「節分」と呼ばれ、昔から邪気が入りやすいといわれます。立春前日の節分は、冬から春への分かれ目。豆をまいたり、鰯と柊を門につるして、災いの象徴である鬼を払います。京都では、「節分おばけ」という独特の風習も伝えられてきました。女性が男装をしたり、子供が化粧をしたり、舞妓が老婆に扮するなど、いつもと違う格好に変装し、鬼を化かして追い払う慣わしです。怖い鬼退治も、楽しみに変えた先人たち。節分は、どんな時も明るく人生を切り拓いていた人々の豊かな知恵や感性が生み出した風習の一つです。
コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。