日本男道記

ある日本男子の生き様

京都二十四節気 そのニ十四 大寒

2011年10月21日 | 京都二十四節気
京都二十四節気 そのニ十四 大寒
寒さが最も厳しくなる頃 新暦一月ニ十一日~ニ月七日(頃)



京の底冷え(大寒の自然)

小寒は「寒の入り」と呼ばれ、この日から節分までの三十日間(寒の内)は、一年で最も寒さが厳しい頃といわれます。昔から人々は、この時期に、寒稽古や寒中水泳などの耐寒行事を行ってきました。自らを極限状態まで追い込み、心身を鍛練すれば、迷いや煩悩から解放され、前途が開けると考えられていたのです。京都の聖護院では、学僧の修行を目的に「寒中托鉢」が行われます。山伏たちが法螺貝を吹きながら家々をまわり、家内安全や無病息災を祈る慣わしで、京都の冬の風物詩にもなっています。

節分おばけ(大寒の暮らし)

季節の分かれ目は「節分」と呼ばれ、昔から邪気が入りやすいといわれます。立春前日の節分は、冬から春への分かれ目。豆をまいたり、鰯と柊を門につるして、災いの象徴である鬼を払います。京都では、「節分おばけ」という独特の風習も伝えられてきました。女性が男装をしたり、子供が化粧をしたり、舞妓が老婆に扮するなど、いつもと違う格好に変装し、鬼を化かして追い払う慣わしです。怖い鬼退治も、楽しみに変えた先人たち。節分は、どんな時も明るく人生を切り拓いていた人々の豊かな知恵や感性が生み出した風習の一つです。

コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。

京都二十四節気 そのニ十三 小寒

2011年10月14日 | 京都二十四節気
京都二十四節気 そのニ十三 小寒
寒さが最も厳しくなる前の時期 新暦一月六日~一月二十日(頃)


寒修行(小寒の自然)

小寒は「寒の入り」と呼ばれ、この日から節分までの三十日間(寒の内)は、一年で最も寒さが厳しい頃といわれます。昔から人々は、この時期に、寒稽古や寒中水泳などの耐寒行事を行ってきました。自らを極限状態まで追い込み、心身を鍛練すれば、迷いや煩悩から解放され、前途が開けると考えられていたのです。京都の聖護院では、学僧の修行を目的に「寒中托鉢」が行われます。山伏たちが法螺貝を吹きながら家々をまわり、家内安全や無病息災を祈る慣わしで、京都の冬の風物詩にもなっています。

七草粥(小寒の暮らし)

古来より日本には、年の初めに若菜を摘む「若菜摘み」の慣わしがありました。凍てつく大地から芽生える若菜には神の力が宿っていて、これを食せば、厳しい冬も無病息災で過ごせると信じられていたのです。やがて、若菜を食べて立身出世を願う中国の風習と結びつき、正月七日の朝に「春の七草」(せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ)を入れた「七草粥」を食べる風習が生まれました。七草粥は、青菜が不足する冬場の重要な栄養補給であり、正月のご馳走で疲れた胃腸を整える効用もありました。

コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。

京都二十四節気 そのニ十ニ 冬至

2011年10月07日 | 京都二十四節気
京都二十四節気 そのニ十ニ 冬至
一年の間で昼が最も短く夜がもっとも長くなる日 新暦十ニ月二十二日~一月五日(頃)
冬至(冬至の自然)

一年中で、昼の時間が最も短く、夜が最も長くなる日が「冬至」です。この日を境に日が長くなることから、冬至は一年の終わりであり、始まりでもあるとされてきました。悪いことが続いた後、ようやく好運に向かうことを「一陽来福」といいます。冬至は、しばしばこの言葉に当てはめられます。落ち込んでいた太陽の光がようやく復活し、ここから春に向かうと考えられていたのです。とはいっても、寒さの本番はこれから。厳しい冬を乗り切るため、冬至には栄養豊富なかぼちゃを食べたり、ゆず湯に入って体を温める習慣があります。.
年神様(冬至の生活)

古来、日本人は一年の始まりであるお正月をことのほか大切にしてきました。初日の出とともに新年の神様・年神様が降臨し、その年の五穀豊穣や幸運を授けて下さると考えられていたのです。年神様をお迎えするため、様々な風習が生まれ、それらが「お正月行事」となって伝えられてきました。たとえば門松は、年神様が迷わず家にやって来られるための目印。しめ縄は、年神様を迎えるにふさわしい神聖な場所であることを示すもの。鏡餅やお節料理は、年神様へのお供え物。どの風習にも、人々の祈りや感謝、おもてなしの心が息づいています。
コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。

京都二十四節気 そのニ十一 大雪

2011年09月30日 | 京都二十四節気

京都二十四節気 そのニ十一 大雪
雪が激しく降り始める頃 新暦十ニ月七日~十ニ月ニ十一日(頃)
冬ごもり(大雪の自然)

12月中旬頃は、七十二候で「熊蟄穴(くまあなにこもる)」時季。本格的な冬が到来すると、熊は体力の消耗を避けるため、穴の中で冬ごもりをします。熊だけではありません。他の動物や植物、そして人間も、活動をやめたり、それぞれの場所にこもるようになります。その姿は時が止まったかのようですが、木々は冬枯れの中でも花芽をつけ、動物も活動のエネルギーをため込んでいます。万葉集で「冬ごもり」が春の枕詞になっているのは、寒さに耐え、春にそなえる生き物の姿が、待ち遠しい春のぬくもりを感じさせたのではないかといわれます。.
正月事始め(大雪の生活)

現代では、年末ぎりぎりに慌ててお正月準備を始める人も多いようですが、昔は12月13日から取りかかるのが慣わしでした。お正月は、新年の神様・年神様が降りてきて、五穀豊穣や幸運をもたらして下さる大切な日。年神様をお迎えする準備「正月事始め」は、余裕を持って早めに始められていたのです。年末の大掃除「すす払い」を始めるのも、この日。家を清め、年神様をお迎えする大事な行事とされていました。京都には、今も13日から正月支度を始める慣わしが残っています。花街では、鏡餅を持って目上の人への挨拶まわりも行われます。 kyoto24 002 0005d大雪 wmv

コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。

京都二十四節気 そのニ十 小雪

2011年09月23日 | 京都二十四節気
京都二十四節気 そのニ十 小雪
僅かながら雪が降り始める頃 新暦十一月ニ十三日~十ニ月六日(頃)
もののあはれ(小雪の自然)

自然など外界の事物にふれ、何とはなしに生じるしみじみとした情趣が哀感を、「もののあはれ」といいます。これは、江戸時代の国学者・本居宣長が提唱した美的概念で、『源氏物語』をはじめとする平安文学に日本人独特の美意識を発見したことがきっかけでした。秋の落葉は、古来、日本人が「もののあはれ」を感じてきたものの一つです。萌え出れば、やがて色づき舞い落ちる。この木々のさだめに、人々は一瞬の輝きの美しさ、はかなさ、世の無常を感じ、時には自らの人生と重ね合わせ、心を揺り動かされてきました。.
新嘗祭(小雪の生活)

農耕を主たる生活手段としていた日本人は、自然のあらゆるものに神を見出し、豊かな実りに感謝して暮らしていました。新嘗祭は、そんな昔の人々が、一年で最も大切にしていた祭事の一つです。その年の収穫を天皇が神々にお供えし、自らも食して感謝するもので、この儀式が終わるまでは、誰も新米を食べることはなかったといわれます。戦後、新嘗祭が行われていた11月23日は「勤労感謝の日」となりました。懸命に働く人々への感謝とともに、豊穣をもたらしてくれる自然への感謝の心も忘れたくないものです。
コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。

京都二十四節気 その十九 立冬

2011年09月16日 | 京都二十四節気
京都二十四節気 その十九 立冬
初めて冬の気配が現われてくる頃 新暦十一月八日~十一月二十二日(頃)
小春日和(立冬の自然)

晩秋から初冬にかけ、時折、暖かく穏やかな日があります。移動性高気圧におおわれたような気圧配置の時にこのような天気となり、春の陽気に似ていることから、「小春日和」と呼ばれるようになりました。「小春」は旧歴10月の別称で、冬の季語にもなっています。
この頃、よく行われる「日向ぼっこ」は、「日向ぼこり」という言葉が変化したもの。「ぼこり」は、暖かくほっとするという意味の「ほっこり」に通じると考えられています。ただし、「ほっこり」は、京ことばでは「疲れた」という意味で、標準語とは異なる使い方をします。
七五三(立冬の生活)

子どもの健やかな成長を祝うため、子どもに晴れ着を着せて神社に詣でる習わしで、武家社会の「髪置(かみおき)」「袴着(はかまぎ)」「帯解(おびとき)」の儀式に由来しています。昔は幼児の死亡率が高く、「七つまでは神のうち」、七歳になって初めて人間の世界に参加すると考えられていました。七五三は、七歳まで無事に生きてきた子どもの成長を氏神に見せて、感謝する意味もあったとされています。11月は秋の実りを神様に感謝する大切な月だったことから、収穫の感謝とあわせ、この時期に行われるようになったといわれています。
コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。

京都二十四節気 その十八 霜降

2011年09月09日 | 京都二十四節気

京都二十四節気 その十八 霜降
露が霜となって降りる頃 新暦十月二十四日~十一月七日(頃)
紅葉狩り(霜降の自然)

昔から、日本には、紅葉を眺めて楽しむ風習があります。紅葉狩りの「狩り」は、もともと鳥や動物を捕まえるという意味で使われていましたが、平安時代、狩りをしなくなった貴族たちが野山をめぐり、自然を愛でる様子が狩りに似ていたことから、紅葉を眺めることを「紅葉狩り」というようになったといわれます。美しい紅葉の錦を愛でながら、貴族たちは宴を開き、歌を詠みました。これが、紅葉狩りの始まりとされています。紅葉は、葉を落とし、冬を迎えるための、木々の冬支度。人間も、そろそろ本格的に冬支度を始める頃です。 .
亥の子の火入れ(霜降の生活)

旧歴10月初めの「亥の日」に火入れをすると、火事が起こりにくいという言い伝えがあり、この日に炬燵や火鉢に火入れをする風習が残っています。これは、古代中国の五行説に基づくもので、十二支のひとつ「亥」は「水」に分類され、火を鎮めると考えられていました。茶の湯の世界では、地炉を開く「炉開き」が行われます。亥の日の亥の刻に「亥の子餅」を食べる「亥の子の祝い」という風習もあります。亥の子は田の神とされたことから、収穫を感謝し、無病息災を願うもので、さらには多産な亥にあやかって子孫繁栄も祈ります。 ...
コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。

京都二十四節気 その十七 寒露

2011年09月02日 | 京都二十四節気

京都二十四節気 その十七 寒露
露が凍りそうになる頃 新暦十月八日~十月二十三日(頃)
十三夜(寒露の自然)

秋のお月見は、十五夜だけではありません。約1ヵ月後の十三夜にも月を愛でる風習があり、「後の月見」と呼ばれています。十五夜は中国から伝わったため、日本では秋の長雨と重なることが少なくありません。十三夜は日本固有の風習なので、晴れてきれいに見えることが多く、平安時代には、宇多天皇から「無双の月」と賞されました。十五夜と十三夜のどちらか一方だけ月見をすることは「片見月」といわれ、昔から縁起が悪いとされています。十三夜は、栗や枝豆をお供えするので、別名「栗名月」「豆名月」とも呼ばれます。
ゑびす講(寒露の生活)

商いの神・ゑびす神に、商売繁盛と家運隆盛を祈る風習で、毎年10月20日に行われます。江戸時代、江戸へ行商に出かけた京の商人は、この日、京に帰り、旅の無事と商売の繁盛をゑびす神に感謝しました。これがゑびす講の始まりです。大黒天(大国主命)も一緒に祀られることがありますが、これはゑびす神が大国主命の子の事代主神であるという説があり、ともに商いに福をもたらす神として、一組で信仰されることがあるためです。商売上の駆け引きで客を欺いた罪を祓う「誓文払い」や懺悔の意味を込めた「大安売り」も行われます。...
コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。

京都二十四節気 その十六 秋分

2011年08月26日 | 京都二十四節気
京都二十四節気 その十六 秋分
昼夜の長さが ほぼ同じになる日 新暦九月二十三日~十月七日(頃)
秋霧(秋分の自然)

秋が深まると、内陸の盆地では頻繁に霧が発生します。京都では「丹波霧」が有名で、盆地を埋め尽くす深い霧が幻想的な光景を創り出します。霧は、無数の微細な水滴が空気中に煙のように立ち込める現象。万葉の頃は季節に関係なく「霧」と呼んでいましたが、平安時代になると「春は霞、秋は霧」と使い分けるようになったそうです。「春秋の争い」という言葉がありますが、かつて日本人は、春と秋のどちらが優れているかを議論しました。同じ現象でも微かな趣の違いを捉え、季節を対比して魅力を確かめ合う――そんな、豊かな感性があったのです。.
精進料理(秋分の暮らし)

もともとは修行僧の食事で、殺生を禁じる仏の教えに従い、肉や魚をいっさい使わず、野菜や豆類、穀物を工夫して作られます。海から遠い京の都は魚介類の入手が困難で、その代わりとして寺社による精進料理が発達しました。農家の人々は、これを支えるため、努力や工夫を積み重ね、味わい深く栄養価の高い野菜を生み出していきます。これが、「京野菜」のはじまりといわれます。寒暖の差が激しい独特の気候や豊かな土壌も、良質の野菜を育んできた要因の一つでした。信仰心の篤い京都では、今でも大切に、この仏のご膳が継承されています。...
コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。

京都二十四節気 その十五 白露

2011年08月19日 | 京都二十四節気

京都二十四節気 その十五 白露
大気が冷えて来て、露ができはじめる頃 新暦九月七日~九月二十二日(頃)
露草(白露の自然)

秋の明け方は気温が下がり、空気中の水蒸気が凝結して露が降りやすくなります。この「朝露」は、日差しとともに消えてしまうことから、古来、儚いもののたとえとされてきました。路傍で可憐な花を咲かせる「露草」は、朝開き、日差しとともにしぼんでしまいます。その儚さが朝露を連想させるとして、「露草」と名付けられたという説があります。露草の色素は水にあうと跡形もなく消えることから、染物の下絵を描く絵具として使われました。古くは「月草」とも呼ばれ、人の心と同様に「移ろいやすいもの」として、多くの和歌に詠まれています。
中秋の名月(白露の暮らし)

旧暦8月15日の月(十五夜の月)は「中秋の名月」と呼ばれ、昔からその美しさが愛でられてきました。京都には、この夜、紅絹(もみ)の小裂(こぎれ)で糠袋(ぬかぶくろ)を縫う習わしがあります。月明かりを頼りに縫うと、裁縫が上達すると言い伝えられてきました。糠袋とは米糠を入れる小袋で、石鹸がなかった時代、顔や体を洗う道具として使われました。特に紅花染めの絹(紅絹)で作った糠袋は洗顔すると肌が美しくなるといわれ、重宝されたようです。女性たちは、完璧な月に様々な祈りを込めていたのかもしれません。


コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。

京都二十四節気 その十四 処署

2011年08月12日 | 京都二十四節気

京都二十四節気 その十四 処署
暑さが峠を越えて 後退し始める頃 新暦八月二十三日~九月六日(頃)
野分(処暑の自然)

立秋が過ぎ、猛暑が一段落すると、台風がやってきます。「台風」という言葉は明治以降に使われ始めた言葉で、それまでは「野分(のわき)」と呼ばれていました。野の草を分けるほど強い風、という意味です。『枕草子』には、<野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ>と、台風一過の清々しい様子が記されています。野分が去ると、「風見舞い」といって、人々は親しい人の安否を気遣い、家を訪問しました。日本には数々の「見舞う」風習がありますが、人生にも嵐が吹くことを知っていたからこそ、励まし、慰め合って生きていたのかもしれません。 地蔵盆(処暑の暮らし)
京都では、8月23日、24日に「地蔵盆」が行われます。地蔵菩薩は地獄の鬼から子どもを救うと信じられ、平安時代より信仰されました。疫病や戦乱で多くの子どもが亡くなった京都では、特に篤く信仰され、京都市内だけでも5千体以上の地蔵菩薩があるといわれます。地蔵盆になると、祠から地蔵菩薩を出し、洗い清めて化粧をし、新しい前垂れをかけるのが習わしです。会場では、赤ちゃんの名前が入った提灯が吊るされ、主役である子どもたちのために、ゲームや盆踊り、景品がもらえる「畚(ふご)おろし」など、様々な催しが繰り広げられます。


コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。

京都二十四節気 その十三 立秋

2011年08月05日 | 京都二十四節気
京都二十四節気 その十三 立秋
初めて秋の気配が表れてくる頃 新暦八月七日~二十二日(頃)
極楽の余り風(立秋の自然)

夏の土用が明けると、暦の上では、いよいよ秋。まだ厳しい残暑が続きますが、時折、昨日とは違う風に、はっとさせられることがあります。「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風のおとにぞ おどろかれぬる」(古今和歌集)と歌にもあるように、いにしえの人々は、ひそかな風のそよぎの中に秋の気配を感じていました。この西から吹く気持ちよい涼風は、「極楽の余り風」と呼ばれ、都人たちは夏の盛りから敏感に感じ取ってきました。荒波の人生でも、心を正し、自然に耳を澄ませば、極楽のお裾分けがいただける、ということなのかもしれません。.
六道まいり(立秋の暮らし)

京都では、先祖の霊を「お精霊(しょらい)さん」と呼び、お盆になると、「六道まいり」といって、六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)にお迎えにいく習わしがあります。冥土まで響くという鐘をつき、戒名を記した卒塔婆に槙の葉で水をかけ、その槇を持ち帰ると、お精霊さんが家に帰ると信じられてきました。六道とは、仏教で、生物が生死を繰り返す六つの世界。珍皇寺が六道といわれるのは、平安時代の葬送地・鳥辺野に近かったためで、現世と冥土の境目「六道の辻」とも呼ばれました。お精霊さんは、「五山の送り火」で、ふたたび冥土へ送られます。...
コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。

京都二十四節気 その十二 大暑

2011年07月29日 | 京都二十四節気
京都二十四節気 その十二 大暑
快晴が続き 気温が上がり続ける頃 新暦七月二十二日~八月六日(頃)
きゅうり封じ(大暑の自然)

立秋前の18日間は夏の土用。もっとも暑さの厳しい頃です。京都には、暑さ疲れの出るこの土用の丑の前後に、病気などの厄災を封じる「きゅうり封じ」の習わしがあります。その歴史は古く、今からおよそ1200年前、弘法大師が病魔や悪鬼をきゅうりに封じ込める密教秘法を行ったのが始まりといわれます。きゅうりに名前、年齢、病名などを記し、祈祷を受けて清浄な土に埋めると、病気を持ち去ってくれると信じられてきました。五智山蓮華寺では、土用の丑の前日と当日、二の丑に行われ、毎年多くの人々が無病息災などを願って訪れます。
千日詣(大暑の暮らし)

愛宕神社では、7月31日の深夜から8月1日の未明にかけて、「千日詣」が行われます。愛宕神社は火伏せの神として信仰を集め、この日に参拝すると、火よけや防火など、千日分のご利益があると信じられてきました。うだるような暑さの中、参拝者たちは、標高924メートルの山頂にある愛宕神社まで歩いて登ります。昔から、京都の人々は、登る人に「おのぼりやす」、下る人に「おくだりやす」と京都言葉で声をかけ合い、励まし合って登ってきました。道が険しいからこそ、一期一会の喜びや、互いを気づかうやさしさが生まれるのかもしれません。kyoto24大暑wmv

コンセプト

四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。

京都二十四節気 その十一 小暑

2011年07月22日 | 京都二十四節気
京都二十四節気 その十一 小暑
梅雨明けが近づき 厚さが本格的になる頃 新暦七月七日~七月二十一日(頃)
鱧[はも](小暑の自然)

鱧は「梅雨の水を飲んで旨くなる」といわれ、梅雨明け頃に旬を迎えます。京都では、祇園祭の時期と重なり、祭り料理とされました。祇園祭は別名「鱧まつり」と呼ばれます。輸送技術が発達していなかった昔、海から遠い京の都へ新鮮な魚を運ぶのは至難の技でした。生命力が強い鱧は、水揚げしてからも長時間生存するため、生きたまま持ち込める魚として珍重されたといいます。鱧は硬い小骨が多く、包丁で細かく切り目を入れる「骨切り」をしなければ食べることができません。京の板前たちは技を磨き、厄介な鱧を秀逸な食材に仕立て上げました。
七夕(小暑の暮らし)

七夕の頃は、ちょうど稲の開花期にあたるため、日本では昔、収穫の無事を祈り、棚機津女(たなばたつめ)という女性が衣を織って神の降臨を待つ禊(みそぎ)の行事を行っていました。この日本古来の風習に、中国の織姫・彦星伝説が結び付いて生まれたのが七夕だといわれます。機織りの名手・織姫と牛使い・彦星は夫婦仲がよく、仕事をしなくなりました。これに怒った天帝が二人を引き離し、一年に一度、7月7日の夜だけ天の川で会うことを許したという恋物語です。織物の町・西陣では、手芸・文芸の上達などを祈り、五色の糸をお供えします。
コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。

京都二十四節気 その十 夏至

2011年07月15日 | 京都二十四節気
京都二十四節気 その十 夏至
一年中で一番昼が長く 夜が短い日 新暦六月二十一日~七月六日(頃)
短夜(夏至の自然)

秋の「夜長」に対し、短く明けやすい夏の夜は「短夜」と呼ばれ、昔、人々はそのはかなさを尊びました。電気が照明器具として使用される以前、夜は暗く恐ろしいものでしたが、一方では、男女の逢瀬の大切なひとときでもありました。短い分、夜がいとおしく思えたにちがいありません。平安時代の女流作家・清少納言も、「夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍おほく飛びちがひたる」(『枕草子』)と記し、夏の最も素晴らしい時間帯を夜と言って讃えています。明るい昼も、暗い夜も、一瞬一瞬がかけがえのない時間だったのかもしれません。
水無月(夏至の暮らし)

一年のちょうど折り返しにあたる6月30日、京都では、半年の罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈願する「夏越祓(なごしのはらえ)」が行われます。昔から、この日には「水無月」という和菓子が食べられてきました。半透明の白い外郎生地に邪気を祓う小豆をのせた、三角形の餅菓子です。昔、氷は貴重品で、貴族の食べ物とされ、庶民は氷をかたどった菓子を食して暑気払いを行いました。これが水無月のはじまりで、京都独自の習慣といわれます。モノがなくても足るを知り、質素に暮らす――その心もまた、穢れを祓っていたのかもしれません。

コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。