【原文】
子貢曰、如能博施於民、而能濟衆者、何如、可謂仁乎、子曰、何事於仁、必也聖乎、尭舜其猶病諸、夫仁者己欲立而立人、己欲逹而逹人、能近取譬、可謂仁之方也已、
【読み下し】
子貢が曰わく、如(も)し能く博(ひろ)く民に施して能く衆を済(すく)わば、何如(いかん)。仁と謂うべきか。子の曰わく、何ぞ仁を事とせん。必らずや聖か。尭舜も其れ猶(な)お諸(こ)れを病めり。夫(そ)れ仁者は己れ立たんと欲して人を立て、己れ達っせんと欲して人を達す。能く近く取りて譬(たと)う。仁の方(みち)と謂うべきのみ。
【通釈】
子貢が[仁のことをお訊ねして]「もし人民にひろく施しができて多くの人が救えるというのなら、いかがでしょう、仁と言えましょうか」といった。先生はいわれた、「どうして仁どころのことだろう、強いて言えば聖だね。尭や舜でさえ、なおそれを悩みとされた。そもそも仁の人は、自分が立ちたいと思えば人を立たせてやり、自分が行き着きたいと思えば人を行き着かせてやって[他人のことでも自分の]身近にひきくらべることができる、[そういうのが]仁のてだてと言えるだろう」
【English】
Tsze-kung said, "Suppose the case of a man extensively conferring benefits on the people, and able to assist all, what would you say of him? Might he be called perfectly virtuous?" The Master said, "Why speak only of virtue in connection with him? Must he not have the qualities of a sage? Even Yao and Shun were still solicitous about this.
"Now the man of perfect virtue, wishing to be established himself, seeks also to establish others; wishing to be enlarged himself, he seeks also to enlarge others.
"To be able to judge of others by what is nigh in ourselves;-this may be called the art of virtue."
『論語』とは、読んで字の如く「論じ語る」、孔子と弟子達や要人達との間に交された対話録。
『論語』は私たちの生き方の原点を見つめた思索の宝庫であり、人間性を磨く叡智が凝縮した永遠の古典。
読めば読むほど胸に深く沁み込む簡潔な言葉の数々。
『孟子』『大学』『中庸』と併せて儒教における「四書」の一つに数えられる。
全20編(学而第一~堯曰第二十) 構成され、編の名称は各編の最初の二文字を採ったものであり内容上の意味はない。
したがって、学而第一から順に読む必要はなくどこから読んでもかまわない。