日本男道記

ある日本男子の生き様

観音経14

2009年07月10日 | お経を読む・理解する
【原文】
若悪獣圍繞 利牙爪可怖 念彼観音力 疾走無邊方

【読み】
にゃくあくじゅういーにょう りーげーそうかーふー ねんぴーかんのんりき しつそうむーへんぽうく

【通釈】
或いは悪獣に取り囲まれて鋭い爪や牙などで迫ってきても、かの観世音菩薩の力を念じるならば、たちまち遠方に行ってしまうであろう。
 
観音経の正式お名前は、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」という。観音信仰の基本経典。「妙法蓮華経」とは、有名な法華経のこと。法華経は二十八品(二十八章)からなり、観音経は(普門品)はそのうちの第二十五番目の章であるということ。その内容は、ひと言で言えば「観音様はどんな菩薩さまか」が説かれたもの。





観音経(偈)Avalokite醇{vara


観音経13

2009年07月03日 | お経を読む・理解する
【原文】
或遇悪羅刹 毒龍諸鬼等 念彼観音力 時悉不敢害

【読み】
わくぐうあくらーせつ どくりゅうしょーきーとう ねんぴーかんのんりき じーしつぷーかんがい

【通釈】
或いは、悪鬼や毒蛇に出遭っても、かの観世音菩薩の力を念じるならば、害されることはないであろう。
 
観音経の正式お名前は、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」という。観音信仰の基本経典。「妙法蓮華経」とは、有名な法華経のこと。法華経は二十八品(二十八章)からなり、観音経は(普門品)はそのうちの第二十五番目の章であるということ。その内容は、ひと言で言えば「観音様はどんな菩薩さまか」が説かれたもの。





観音経(偈)Avalokite醇{vara


観音経12

2009年06月26日 | お経を読む・理解する
【原文】
呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人

【読み】
しゅうそーしょーどくやく しょーよくがいしんじゃー ねんぴーかんのんりき げんじゃくおーほんにん

【通釈】
或いは、呪いや毒薬のために害されようとしても、かの観世音菩薩の力を念じるならば、返ってその呪いや毒薬は使用とした本人が害を受けてしまうことになるであろう。
 
観音経の正式お名前は、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」という。観音信仰の基本経典。「妙法蓮華経」とは、有名な法華経のこと。法華経は二十八品(二十八章)からなり、観音経は(普門品)はそのうちの第二十五番目の章であるということ。その内容は、ひと言で言えば「観音様はどんな菩薩さまか」が説かれたもの。





観音経(偈)Avalokite醇{vara


観音経11

2009年06月19日 | お経を読む・理解する
【原文】
或囚禁枷鎖 手足被杻械 念彼観音力 釈然得解脱

【読み】
わくしゅうきんかーさー しゅーそくひーちゅうかい ねんぴーかんのんりき しゃくねんとくげーだつ

【通釈】
或いは、鎖で牢に繋がれ、手かせ足かせをつけられても、かの観世音菩薩の力を念じるならば、それが取れて身体が自由になるであろう。
 
観音経の正式お名前は、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」という。観音信仰の基本経典。「妙法蓮華経」とは、有名な法華経のこと。法華経は二十八品(二十八章)からなり、観音経は(普門品)はそのうちの第二十五番目の章であるということ。その内容は、ひと言で言えば「観音様はどんな菩薩さまか」が説かれたもの。





観音経(偈)Avalokite醇{vara


観音経10

2009年06月12日 | お経を読む・理解する
【原文】
或遭王難苦 臨刑欲寿終 念彼観音力 刀尋段段壊

【読み】
わくそうおうなんくー りんぎょうよくじゅーしゅう ねんぴーかんのんりき とうじんだんだんえ

【通釈】
或いは、政治上の迫害に遭って処刑されて寿命が終わってしまうという時でも、かの観世音菩薩の力を念じるならば、首を斬ろうとした刀がばらばらに折れるであろう
 
観音経の正式お名前は、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」という。観音信仰の基本経典。「妙法蓮華経」とは、有名な法華経のこと。法華経は二十八品(二十八章)からなり、観音経は(普門品)はそのうちの第二十五番目の章であるということ。その内容は、ひと言で言えば「観音様はどんな菩薩さまか」が説かれたもの。





観音経(偈)Avalokite醇{vara


観音経9

2009年06月05日 | お経を読む・理解する
【原文】
或値怨賊繞 各執刀加害 念彼観音力 咸即起慈心

【読み】
わくちーおんぞくにょう かくしゅうとうかーがい ねんぴーかんのんりき げんそくきーじーしん 

【通釈】
或いは、心に怨みを抱く悪い者が周りを囲み刀で害を加えようとしても、かの観世音菩薩の力を念じるならば、その者達がかえって慈悲の心を起して害を加えることはないであろう
 
観音経の正式お名前は、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」という。観音信仰の基本経典。「妙法蓮華経」とは、有名な法華経のこと。法華経は二十八品(二十八章)からなり、観音経は(普門品)はそのうちの第二十五番目の章であるということ。その内容は、ひと言で言えば「観音様はどんな菩薩さまか」が説かれたもの。





観音経(偈)Avalokite醇{vara


観音経8

2009年05月29日 | お経を読む・理解する
【原文】
或被悪人逐 堕落金剛山 念彼観音力 不能損一毛

【読み】
わくひーあくにんちく だーらくこんごうせん ねんぴーかんのんりき ふーのうそんいちもう  

【通釈】
或いは、悪人に追われて金剛山から落とされようとしても、かの観世音菩薩の力を念じるならば、毛筋一本でも害を与えることはできない
 
観音経の正式お名前は、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」という。観音信仰の基本経典。「妙法蓮華経」とは、有名な法華経のこと。法華経は二十八品(二十八章)からなり、観音経は(普門品)はそのうちの第二十五番目の章であるということ。その内容は、ひと言で言えば「観音様はどんな菩薩さまか」が説かれたもの。





観音経(偈)Avalokite醇{vara


観音経7

2009年05月22日 | お経を読む・理解する
【原文】
或在須弥峰 為人所推堕 念彼観音力 如日虚空住

【読み】
わくざいしゅーみーぶー いーにんしょーすいだー ねんぴーかんのんりき にょーにちこーくうじゅう  

【通釈】
或いは、須弥山の高い山の上で、誰かに突き落とされるようなときでも、かの観世音菩薩の力を念じるならば、太陽のように虚空に住するであろう
 
観音経の正式お名前は、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」という。観音信仰の基本経典。「妙法蓮華経」とは、有名な法華経のこと。法華経は二十八品(二十八章)からなり、観音経は(普門品)はそのうちの第二十五番目の章であるということ。その内容は、ひと言で言えば「観音様はどんな菩薩さまか」が説かれたもの。





観音経(偈)Avalokite醇{vara


観音経6

2009年05月15日 | お経を読む・理解する
【原文】
或漂流巨海 龍魚諸鬼難 念彼観音力 波浪不能没

【読み】
わくひょうるーこーかい りゅうぎょーしょーきーなん ねんぴーかんのんりき はーろうふーのうもつ

【通釈】
或いは、大海に漂って、竜や魚や諸々の鬼が自分を害するようなときでも、かの観世音菩薩の力を念じるならば、波の中に溺れ沈むことはない
 
観音経の正式お名前は、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」という。観音信仰の基本経典。「妙法蓮華経」とは、有名な法華経のこと。法華経は二十八品(二十八章)からなり、観音経は(普門品)はそのうちの第二十五番目の章であるということ。その内容は、ひと言で言えば「観音様はどんな菩薩さまか」が説かれたもの。





観音経(偈)Avalokite醇{vara


観音経5

2009年05月08日 | お経を読む・理解する
【原文】
假使興害意 推落大火坑 念彼観音力 火坑変成池

【読み】
けーしーこうがいいー すいらくだいかーきょう ねんぴーかんのんりき かーきょうへんじょうちー
【通釈】
たとえ殺そうと思っている者に 大火の中に、突き落とされても かの観音の力を念じたなら 大火も変じて池となる
 
観音経の正式お名前は、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」という。観音信仰の基本経典。「妙法蓮華経」とは、有名な法華経のこと。法華経は二十八品(二十八章)からなり、観音経は(普門品)はそのうちの第二十五番目の章であるということ。その内容は、ひと言で言えば「観音様はどんな菩薩さまか」が説かれたもの。





観音経(偈)Avalokite醇{vara


観音経4

2009年05月01日 | お経を読む・理解する
【原文】
我為汝略説 聞名及見身 心念不空過 能滅諸有苦

【読み】
がーいーにょーりゃくせつ もんみょうぎゅうけんしん しんねんふーくうかー のうめつしょーうーくー

【通釈】
私(お釈迦様)は汝のために簡単に説こう。観世音の名を聞き、観世音の姿を見て、観世音を念じて(観世音の慈悲の行いを見たり、その徳を心で念じる)空しく過ごさなければ、諸々の苦しみを滅ぼすことができるであろう。
 
観音経の正式お名前は、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」という。観音信仰の基本経典。「妙法蓮華経」とは、有名な法華経のこと。法華経は二十八品(二十八章)からなり、観音経は(普門品)はそのうちの第二十五番目の章であるということ。その内容は、ひと言で言えば「観音様はどんな菩薩さまか」が説かれたもの。





観音経(偈)Avalokite醇{vara


観音経3

2009年04月24日 | お経を読む・理解する
【原文】
弘誓深如海 歴劫不思議 侍多千億佛 発大清浄願

【読み】
ぐーぜいじんにょーかい りゃつこうふーしーぎー じーたーせんのくぶつ ほつだいしょうじょうがん

【通釈】
その海のような深い誓願は、普通の人が非常に永い間考えても考えきれないほどである。大勢の仏様のもとで修行し、このような大清浄の誓願を起したのである。

 

観音経の正式お名前は、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」という。観音信仰の基本経典。「妙法蓮華経」とは、有名な法華経のこと。法華経は二十八品(二十八章)からなり、観音経は(普門品)はそのうちの第二十五番目の章であるということ。その内容は、ひと言で言えば「観音様はどんな菩薩さまか」が説かれたもの。





観音経(偈)Avalokite醇{vara


観音経2

2009年04月17日 | お経を読む・理解する
【原文】
具足妙相尊 偈答無盡意 汝聴観音行 善応諸方所

【読み】
ぐーそくみょうそうそん げーとうむーじんにー にょーちょうかんのんぎょう ぜんのうしょーほうしょー

【通釈】
立派な相を具えられているお釈迦様は偈(詩)をもって無尽意菩薩に言われました。
汝よく聞くがよい。観世音菩薩の修行は色々な人の境遇や事情に合わせて諸々の方便でもって三十三身に変化して一切の人を救ってきた。
 
観音経の正式お名前は、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」という。観音信仰の基本経典。「妙法蓮華経」とは、有名な法華経のこと。法華経は二十八品(二十八章)からなり、観音経は(普門品)はそのうちの第二十五番目の章であるということ。その内容は、ひと言で言えば「観音様はどんな菩薩さまか」が説かれたもの。





観音経(偈)Avalokite醇{vara


観音経1

2009年04月10日 | お経を読む・理解する
【原文】
世尊妙相具 我今重問彼 佛子何因縁 名為観世音

【読み】
せーそんみょうそうぐー がーこんじゅうもんぴー ぶっしーがーいんねん みょういーかんぜーおん

【通釈】
(その時、無尽意菩薩がお釈迦様に対して尋ねました。)世尊は完全な徳を具えられ、その徳が相に現れています。私は重ねてお尋ねしますが、お釈迦様のお弟子であり、佛子である観世音菩薩はどのような因縁があって、観世音と名づけられるのでしょうか。
 
観音経の正式お名前は、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」という。観音信仰の基本経典。「妙法蓮華経」とは、有名な法華経のこと。法華経は二十八品(二十八章)からなり、観音経は(普門品)はそのうちの第二十五番目の章であるということ。その内容は、ひと言で言えば「観音様はどんな菩薩さまか」が説かれたもの。





観音経(偈)Avalokite醇{vara



座禅和讃15

2009年04月03日 | お経を読む・理解する
当処即ち蓮華国  此の身即ち仏なり、とは
「当処」とは、この場所、つまり、ここのこと。蓮華国とは極楽浄土のこと。従ってこの句は、今ここを離れて極楽浄土はない、ここが極楽浄土である。
「此の身即ち仏なり」の「此の身」とは、自分自身、この私のこと。したがって、この句は、この私自身が仏であるということを改めて自覚し確信するということ。
 
座禅和讃は、江戸時代中期に活躍した僧侶・白隠禅師が著述したもので、大変深い内容を持つ和文で書かれたお経。和讃というのは、声明(しょうみょう)の一つで、日本語で書かれてあり、何らかの功徳を讃えるために作られる長い七五調の歌のこと。この座禅和算は、座禅の功徳を讃えたもの。
『座禅和讃全文』
衆生本来仏なり 水と氷のごとくにて 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ 譬へば水の中に居て 
渇を叫ぶがごときなり 長者の家の子となりて 貧里に迷ふに異ならず
六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり 闇路に闇路を踏みそへて いつか生死をはなるべき
夫れ摩訶衍の禅定は 賞嘆するに余りあり 布施や持戒の諸波羅蜜 
念仏 懺悔 修行等 其の品多き諸善行 皆此のうちに帰するなり
一座の功を成す人も 積みし無量の罪ほろぶ 悪趣いづくにありぬべき 浄土即ち遠からず
辱くも此の法を 一たび耳に触るるとき 讃嘆随喜する人は 福を得ること限りなし 
いはんや自ら廻向して 直に自性を証すれば 
自性即ち無性にて すでに戯論を離れたり 
因果一如の門ひらけ 
無二無三の道直し 無相の相を相として 
往くも帰るも余所ならず 無念の念を念として 謡ふも舞ふも法の声三昧無礙の空ひろく 四智円明の月さえん  此の時何をか求むべき 
寂滅現前するゆえに 当処即ち蓮華国  此の身即ち仏なり