日本男道記

ある日本男子の生き様

14:娘日時計 午の刻

2012年01月01日 | 歌麿名作選

13:娘日時計 午の刻
午ノ刻(十二時)湯上りの図である。
無線摺りにした顔の輪郭に本図では目鼻の線も殊更に淡くひいてある。
娘日時計の五枚の構図はみな女二人の七分身でまとめられているが、構図や配色の点ではこれは一番まとまっているようである。
かきあげられた髪、一人は立ち姿で耳もとのしめりに手拭をあて、一人はしゃがんで朱唇に糠袋をくわえながら手拭をしぼる-それぞれの仕草にも無理がない。

喜多川歌麿
江戸時代の日本で活躍した浮世絵師の代表的な一人。
姓は北川、後に喜多川、幼名は市太郎、のち、勇助(または勇記)と改め、名は信美。
初号は豊章といい、歌麻呂、哥麿とも号す。
通常は「うたまろ」と読むが、秘画本には「うたまる」としているものもある。
俳諧では石要、木燕、燕岱斎、狂歌名は筆の綾丸、紫屋と号して、蔦屋重三郎とともに吉原連に属した。
国際的にもよく知られる浮世絵師として、葛飾北斎と並び称される。
繊細で優麗な描線を特徴とし、さまざまな姿態、表情の女性美を追求した美人画の大家である。

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13:婦女人相十品 文読み

2011年12月25日 | 歌麿名作選

13:婦女人相十品 文読み
婦女人相十品は本図のほかに本集におさめた煙を吹く女、ポッピンを吹く女とほかに一枚の四図がある。これと浮気の相は色数を制限した単純な配色に雲母の背景で最大の効果をあげた点、中年女の魅力を充分に描きつくした点など好一対の逸品である。全体の調和の中で帯の色がアクセントとなっている。外題がないのでどのような発想によるものか判然としないが、歌麿の円熟した技巧がうかがわれる作品である。

喜多川歌麿
江戸時代の日本で活躍した浮世絵師の代表的な一人。
姓は北川、後に喜多川、幼名は市太郎、のち、勇助(または勇記)と改め、名は信美。
初号は豊章といい、歌麻呂、哥麿とも号す。
通常は「うたまろ」と読むが、秘画本には「うたまる」としているものもある。
俳諧では石要、木燕、燕岱斎、狂歌名は筆の綾丸、紫屋と号して、蔦屋重三郎とともに吉原連に属した。
国際的にもよく知られる浮世絵師として、葛飾北斎と並び称される。
繊細で優麗な描線を特徴とし、さまざまな姿態、表情の女性美を追求した美人画の大家である。

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12:当時全盛美人揃 花妻

2011年12月18日 | 歌麿名作選

12:当時全盛美人揃 花妻
誰からの何のたよりかしらないが、その文をねじって昂然とした面持の花妻、ふと何かにふり返り思わず浮かせた片膝、薄墨の着物の下から淡紅の長襦袢の柄模様が透けて、黄の背色の中で、白く浮いた顔や腕と、これに下着の色が映えてポーズの見事さとともに画面いっぱいの色気が漂っている。この揃い物の中でもことに優れた作品である。

喜多川歌麿
江戸時代の日本で活躍した浮世絵師の代表的な一人。
姓は北川、後に喜多川、幼名は市太郎、のち、勇助(または勇記)と改め、名は信美。
初号は豊章といい、歌麻呂、哥麿とも号す。
通常は「うたまろ」と読むが、秘画本には「うたまる」としているものもある。
俳諧では石要、木燕、燕岱斎、狂歌名は筆の綾丸、紫屋と号して、蔦屋重三郎とともに吉原連に属した。
国際的にもよく知られる浮世絵師として、葛飾北斎と並び称される。
繊細で優麗な描線を特徴とし、さまざまな姿態、表情の女性美を追求した美人画の大家である。

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10:高名美人六家撰 辰己路考

2011年12月04日 | 歌麿名作選

10:高名美人六家撰 辰己路考
六家撰とは六歌仙になぞらえたものであろう。富本豊雛、島屋おひさ、扇屋花扇、日の出屋後家、難波屋おきたを加えて揃い物にした。江戸で辰巳即ち東南の地は深川で、深川芸者を辰巳芸者ともいった。吉原の遊女とは異なった、粋で鉄火な江戸芸者の面目がうかがえる。このシリーズで町娘、遊女、芸者、若い美人の後家とそれぞれに描き分けて、情趣深いものにしている。

喜多川歌麿
江戸時代の日本で活躍した浮世絵師の代表的な一人。
姓は北川、後に喜多川、幼名は市太郎、のち、勇助(または勇記)と改め、名は信美。
初号は豊章といい、歌麻呂、哥麿とも号す。
通常は「うたまろ」と読むが、秘画本には「うたまる」としているものもある。
俳諧では石要、木燕、燕岱斎、狂歌名は筆の綾丸、紫屋と号して、蔦屋重三郎とともに吉原連に属した。
国際的にもよく知られる浮世絵師として、葛飾北斎と並び称される。
繊細で優麗な描線を特徴とし、さまざまな姿態、表情の女性美を追求した美人画の大家である。

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9:娘日時計 未の刻

2011年11月27日 | 歌麿名作選

9:娘日時計 未の刻
辰ノ刻(午前八時)から巳、午、未、申と午後四時までの五刻に分けて、町家の娘の一日を描いた揃い物である。
昼食のあと未ノ刻(午後二時)で一服というところであろうか。
この揃い物で歌麿は、顔の輪郭の墨線を排して、空摺りと背景の黄つぶしで女のやわ膚の白くふくよかな感じを出そうとしている。
この図ではあごから肩の線までうかしているが、彫りと摺りの巧みさに負うところの多い図柄である。

喜多川歌麿
江戸時代の日本で活躍した浮世絵師の代表的な一人。
姓は北川、後に喜多川、幼名は市太郎、のち、勇助(または勇記)と改め、名は信美。
初号は豊章といい、歌麻呂、哥麿とも号す。
通常は「うたまろ」と読むが、秘画本には「うたまる」としているものもある。
俳諧では石要、木燕、燕岱斎、狂歌名は筆の綾丸、紫屋と号して、蔦屋重三郎とともに吉原連に属した。
国際的にもよく知られる浮世絵師として、葛飾北斎と並び称される。
繊細で優麗な描線を特徴とし、さまざまな姿態、表情の女性美を追求した美人画の大家である。

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8:難波屋おきた

2011年11月20日 | 歌麿名作選

8:難波屋おきた
浅草観音境内の水茶屋難波屋の娘おきたは歌麿が最も数多くモデルにして描いた評判娘である。島屋おひさと対照的な顔立ちで、鼻すじから顔全体に整いすぎむしろ冷たい感じを与える。寛政時代歌麿が最も脂ののりきった頃の作品で、幾多のおきたの絵柄のなかでもこれは特にすぐれている。淡藍のひとえに黒繻子の幅広の帯、高く結い上げた娘島田から見事に流れるうなじの線と、全体の構図も申し分がない。

喜多川歌麿
江戸時代の日本で活躍した浮世絵師の代表的な一人。
姓は北川、後に喜多川、幼名は市太郎、のち、勇助(または勇記)と改め、名は信美。
初号は豊章といい、歌麻呂、哥麿とも号す。
通常は「うたまろ」と読むが、秘画本には「うたまる」としているものもある。
俳諧では石要、木燕、燕岱斎、狂歌名は筆の綾丸、紫屋と号して、蔦屋重三郎とともに吉原連に属した。
国際的にもよく知られる浮世絵師として、葛飾北斎と並び称される。
繊細で優麗な描線を特徴とし、さまざまな姿態、表情の女性美を追求した美人画の大家である。

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7:南駅は印

2011年11月13日 | 歌麿名作選

7:南駅は印
湯上りにくつろいだ女の姿態の美しさは、古今を通じて変わらないもののようである。ことに無造作にはおった浴衣の衿元からのぞける頸すじから胸元への流れるようなふくよかな線、手拭をもつ抜けるように白い腕―歌麿は遊女や町家の娘、または年増女の湯上り姿を数多くものにしているが、いづれもそれぞれの個性と姿態を描いて妙を得ている。ほかに西駅た印という絵がしられているが、た印、と印などと意味は判然としないが、当時遊客の間で通称されていたものか。

喜多川歌麿
江戸時代の日本で活躍した浮世絵師の代表的な一人。
姓は北川、後に喜多川、幼名は市太郎、のち、勇助(または勇記)と改め、名は信美。
初号は豊章といい、歌麻呂、哥麿とも号す。
通常は「うたまろ」と読むが、秘画本には「うたまる」としているものもある。
俳諧では石要、木燕、燕岱斎、狂歌名は筆の綾丸、紫屋と号して、蔦屋重三郎とともに吉原連に属した。
国際的にもよく知られる浮世絵師として、葛飾北斎と並び称される。
繊細で優麗な描線を特徴とし、さまざまな姿態、表情の女性美を追求した美人画の大家である。

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6:当時全盛美人揃 扇屋の花

2011年11月06日 | 歌麿名作選

6:当時全盛美人揃 扇屋の花
寛政の頃吉原で評判の花魁を十余枚のシリーズとして描いたもので、ここに収めた扇屋の花、雛づる、花妻、若づる、花紫のほかに滝川、玉屋内の小紫、玉屋内し津か、松葉屋内染之助、鶴屋内篠原、越前屋内唐士がある。それぞれの顔の個性にあわせて描きわけられたと思われる女の姿態の美しさを、ここで扇屋の花(扇)にみることができる。

喜多川歌麿
江戸時代の日本で活躍した浮世絵師の代表的な一人。
姓は北川、後に喜多川、幼名は市太郎、のち、勇助(または勇記)と改め、名は信美。
初号は豊章といい、歌麻呂、哥麿とも号す。
通常は「うたまろ」と読むが、秘画本には「うたまる」としているものもある。
俳諧では石要、木燕、燕岱斎、狂歌名は筆の綾丸、紫屋と号して、蔦屋重三郎とともに吉原連に属した。
国際的にもよく知られる浮世絵師として、葛飾北斎と並び称される。
繊細で優麗な描線を特徴とし、さまざまな姿態、表情の女性美を追求した美人画の大家である。

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5:当世踊子揃 鷺娘

2011年10月30日 | 歌麿名作選

5:当世踊子揃 鷺娘
いくつかの揃いものとして描かれているようだが、このほかに吉原雀、三番叟、道成寺がしられている。
歌麿がとりあげた題材のなかで吉原の風俗美を扱ったものがいくつかあるが、この組ものもその一つとみられる。
背色の黒雲母のなかに、夕顔のよに浮き出た踊り子の初々しい白い顔が特に印象的で、舞台でみる白鷺の精の美しさを、踊りのその一瞬にとらえたものであろう。

喜多川歌麿
江戸時代の日本で活躍した浮世絵師の代表的な一人。
姓は北川、後に喜多川、幼名は市太郎、のち、勇助(または勇記)と改め、名は信美。
初号は豊章といい、歌麻呂、哥麿とも号す。
通常は「うたまろ」と読むが、秘画本には「うたまる」としているものもある。
俳諧では石要、木燕、燕岱斎、狂歌名は筆の綾丸、紫屋と号して、蔦屋重三郎とともに吉原連に属した。
国際的にもよく知られる浮世絵師として、葛飾北斎と並び称される。
繊細で優麗な描線を特徴とし、さまざまな姿態、表情の女性美を追求した美人画の大家である。

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4:山姥と金太郎 乳呑み

2011年10月23日 | 歌麿名作選

4:山姥と金太郎 乳呑み
山姥と金太郎の主題で歌麿は約三十種類程も描いている。
享和に入ってからの作品で歌麿が四十歳を過ぎてからのものだが、このほかにも母と子の愛情の交流のさまを色々の角度から描きあげた数多い図柄がある。
どのような理由―心境によるものか測りがたいが、それぞれに母と子の血の通った情感がにじみ出ていて興味深い。
母と子と乳房の三つを画面いっぱいに大胆に描き出したこの図は、この種の数多い絵柄のなかでの代表作である。

喜多川歌麿
江戸時代の日本で活躍した浮世絵師の代表的な一人。
姓は北川、後に喜多川、幼名は市太郎、のち、勇助(または勇記)と改め、名は信美。
初号は豊章といい、歌麻呂、哥麿とも号す。
通常は「うたまろ」と読むが、秘画本には「うたまる」としているものもある。
俳諧では石要、木燕、燕岱斎、狂歌名は筆の綾丸、紫屋と号して、蔦屋重三郎とともに吉原連に属した。
国際的にもよく知られる浮世絵師として、葛飾北斎と並び称される。
繊細で優麗な描線を特徴とし、さまざまな姿態、表情の女性美を追求した美人画の大家である。

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3:姿見七人化粧 おきた対鏡

2011年10月16日 | 歌麿名作選

3:姿見七人化粧 おきた対鏡
高島屋おひさをモデルにした同じ趣向の合わせ鏡の図柄がある。
江戸で評判の難波屋のお北が、整いすぎるほどに整った自分の顔を、無心に見入る姿を描いた歌麿は、自分の好みからだけでなく充分に庶民の要請に応えたつもりであろう。
日常生活のなかでのお北の姿は、小町娘のブロマイド的役割を果たして余りあろう。

喜多川歌麿
江戸時代の日本で活躍した浮世絵師の代表的な一人。
姓は北川、後に喜多川、幼名は市太郎、のち、勇助(または勇記)と改め、名は信美。
初号は豊章といい、歌麻呂、哥麿とも号す。
通常は「うたまろ」と読むが、秘画本には「うたまる」としているものもある。
俳諧では石要、木燕、燕岱斎、狂歌名は筆の綾丸、紫屋と号して、蔦屋重三郎とともに吉原連に属した。
国際的にもよく知られる浮世絵師として、葛飾北斎と並び称される。
繊細で優麗な描線を特徴とし、さまざまな姿態、表情の女性美を追求した美人画の大家である。

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2:団扇をもつおひさ

2011年10月09日 | 歌麿名作選

2:団扇をもつおひさ
浅草観音境内の水茶屋難波屋の娘おきたと並び称せられた美人。おきたの冷たい美しさに比べて、あどけなく愛くるしい。両国薬研堀米沢町の煎餅屋高島長兵衛の娘で、歌麿が好んで描いたモデルの一人である。きら摺りの背色に女の初々しさが浮き出て、寛政の三美人と謳われたおひさのこの絵柄は、当時の庶民の間にさぞ流布されたことであろう。

喜多川歌麿
江戸時代の日本で活躍した浮世絵師の代表的な一人。
姓は北川、後に喜多川、幼名は市太郎、のち、勇助(または勇記)と改め、名は信美。
初号は豊章といい、歌麻呂、哥麿とも号す。
通常は「うたまろ」と読むが、秘画本には「うたまる」としているものもある。
俳諧では石要、木燕、燕岱斎、狂歌名は筆の綾丸、紫屋と号して、蔦屋重三郎とともに吉原連に属した。
国際的にもよく知られる浮世絵師として、葛飾北斎と並び称される。
繊細で優麗な描線を特徴とし、さまざまな姿態、表情の女性美を追求した美人画の大家である。

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1:婦人相学十躰 浮気の相

2011年10月02日 | 歌麿名作選


1:婦人相学十躰 浮気の相
中年女の美しさが画面いっぱいに匂っている。
歌麿の脂ののりきった寛政期の逸品で、ほかに「団扇をもつ女」「鏡を見る女」「指を折る女」と四図がある。
夏の一日、湯上りの櫛巻の髪に、淡い色の浴衣がけの年増女の姿態は、無造作のなかに若い女にはみられない異なった情趣が漂って、みるものをうっとりさせる。
明るい白きらに、淡色最小限の色数でこれだけ効果をあげた歌麿の技巧は非凡というほかない。

喜多川歌麿
江戸時代の日本で活躍した浮世絵師の代表的な一人。
姓は北川、後に喜多川、幼名は市太郎、のち、勇助(または勇記)と改め、名は信美。
初号は豊章といい、歌麻呂、哥麿とも号す。
通常は「うたまろ」と読むが、秘画本には「うたまる」としているものもある。
俳諧では石要、木燕、燕岱斎、狂歌名は筆の綾丸、紫屋と号して、蔦屋重三郎とともに吉原連に属した。
国際的にもよく知られる浮世絵師として、葛飾北斎と並び称される。
繊細で優麗な描線を特徴とし、さまざまな姿態、表情の女性美を追求した美人画の大家である。

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