【原文】
かくうたふを聞きつつ漕ぎ来るに、黒鳥といふ鳥、岩の上に集まり居り、その岩のもとに、波白くうち寄す。梶取のいふやう、「黒鳥のもとに、白き波を寄す」とぞいふ。このことば、何とにはなけれども、ものいふやうにぞ聞こえたる。人の程にあはねば、とがむるなり。
かくいひつつ行くに、船君なる人、波を見て、「国よりはじめて、海賊報いせむといふなることを思ふうへに、海のまた恐ろしければ、頭もみな白けぬ。七十路、八十路は、海にあるものなりけり。
わが髪の雪と磯辺の白波といづれまされり沖つ島守
梶取(しまもりかじとり)いへ
【現代語訳】
このように詠うのを聞きながら、漕いで来ると、黒鳥という鳥が岩の上に集まっており、その岩の下に、波が白く打ち寄せている。それを見て船頭が言うには、「黒い鳥のところに白い波が寄る」と言う。この言葉は、なんということもないが文学的な秀句を言っているように聞こえたのだった。 梶取と言う身分には似つかわしくないことを言うので、気にかけたのだ。 このように言い言いして行くと、船君(貫之)が波を見て、土佐の国府を出立以来始めて、海賊が報復をしに来るかもしれないことを思う上に、海がまた恐ろしいので、海のみならず頭髪までも白くなってしまった。七十歳とか八十歳とかは、なんと海の上にあるものだったのだなあ。 わが髪の… (わたしの頭髪の雪のような白さと、磯辺の白波と、どちらが勝って白いかね、沖の島守よ。) 梶取よ、どっちか言いなさい。 |
◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。