
まず、次の文章。
最近の政治家や高級官僚、企業経営者などの目を覆いたくなるような不祥事は、人間の能力について改めて考えさせる。どうして、あの人たちが、あのようなことをしてしまったのだろうか。彼らは皆、人並み以上の知識や知恵や技術を身につけた高い能力をもった人だと自他ともに認めた人たちだからである。
冒頭、こんな書き出しで始まる本書は、2003年の出版である。
本棚に読まれないまま眠っていた本の1冊である。
2003年出版なのに、書き出しの内容が10数年たった今でも同様のことが起こっていることは、相変わらず人間として何らかの欠如が起こっているからなのだろうと思う。
「知性は人間力」(新潟日報事業社)で、著者の宮坂啓象氏は、先の文章に続けて、人間には種類の違う二つの能力が必要であると述べている。
そのうち一つは、「個別的能力」と呼べるもので、知識や知恵や技術にかかわる能力。
もう一つは、「普遍的能力」で、その中身は、知識や知恵や技術を誤りなく使う能力。
氏は、後者を「知性」と呼び、わかりやすく言えば、「してはお終いのことはしない」能力と「しなければお終いのことはする能力」のことであるとしている。
そして、これこそまさに人間としての能力で、「人間力」と呼ぶべきものである、としている。
非常に分かりやすい文章で始まった本書。
教育は人間の能力を育てることだから、教育では、この種類の違った2種類の能力を育てることだということは明白。
個別的能力の育成は「知育」、普遍的能力の育成は「徳育」と言える。
不祥事を起こす人がいるということは、個別的能力の育成に目を奪われて知育ばかりを優先して、徳育を軽視して人間力の育成の大切さを忘れていたということだ。
個別的能力が高ければ高いほど、その人は、重要な任務を任せられる。
そこでの普遍的な人間力の欠乏は、致命的になる。
たしかに、そのようなことが大きな不祥事となって起こっている。
このことは、そのまま個々の組織にも当てはまり、しっかりした組織であるためには、「専門的なスキル」と呼ばれる個別的能力と、「組織のモラル」と呼ばれる普遍的能力が不可欠である。
なるほど、もっともだ。
このようなことを考え方の基本として、人間力の内容と重要性とを、生き方、親子関係、教育、仕事、時事などをテーマにして述べている。
先人の言葉や格言を使って、伝わりやすく語っていて、いちいち納得できるものが多かった。
シンプルに言えば、
「してはお終いのことはしない」「しなければお終いのことはする」
それこそが人間力だという。
さて、宮坂氏は、東京工業大学の教授や名誉教授等の経歴を経て、一時期新発田市の収入役を務めた。
本書は、そのころに出版されたものである。
収入役というと、最近の関西電力の関係自治体で、故人となっているある方の存在が大きくクローズアップされたばかりだ。
同じ役職名でありながら、その品格には大きな差があったのだと改めて思う。
出版されてから10数年たっても新鮮な説得力があるのは、人間として普遍的に大切なことを、シンプルかつ論理的に語っているためであろう。
飽きっぽい私がこういう本を一気読みするのは、珍しい。
「本棚の肥やし」になっていた本だったが、間違いなく「心の肥やし」になった一冊だった。