3人目の別れのあいさつは、韓国のチョ・ヨンチョル選手だった。
2009年から3年間所属したことのある彼の復帰は、走れて攻撃力もあるから戦力になると思っていたが、5試合の途中出場にとどまった。
皆さん、こんにちは!
今年、本当に久しぶりに新潟に戻れて本当に幸せな気分でした。
もっとチームに貢献したかったし、ぼくに熱心に応援をしてくれた人たちに、ぼくがプレーをしている姿をたくさん見せたかったのですが、本当に申し訳ございません。
今年、本当にぼくが思うのは、新潟の過去の選手と現在の選手、あと未来の選手がそろっている、素晴らしいチームでサッカーができて、また、一生忘れられない思い出ができて、本当に感謝しています。
もっと新潟で長くやりたかったのですけれど、実現できなくて悔しいんですが、また次会ったときも、笑顔であいさつできるようがんばるので、応援よろしくお願いします。
最後に、来年新潟がJ1昇格できるように、遠くから応援するし、またみんなJ1でプレーして、ぼくもがんばってまた戻って来れるように本当にがんばるので、みんながんばりましょう。
ありがとうございます。
「過去の選手と現在の選手、未来の選手がそろっている素晴らしいチーム」と、ヨンチョルはアルビレックス新潟を語った。
今季で、その「過去の選手たち」が退団していく。
ヨンチョルもその一人だ。
先日の練習場でも、笑顔の素敵な彼は、駆けつけたおばちゃんたちに愛されていた。
30歳の彼は、「ぼくもがんばってまた戻って来れるように本当にがんばる」と言っている。
その言葉が、真実になるようにがんばってほしい。
Nスタンドのサポーターが掲げた横断幕は、かつて彼が一生懸命練習して読み書きができるようになった日本語で書かれていた。
ふたたびヨンチョルとたたかえて おれたちもしあわせだった!ありがとう!
漢字のない、ひらがなとかたかなで表現されていたことは、書いたサポーターたちの真心の印だった。
いよいよ去り行く選手たちの最後は、矢野貴章選手。
「おかえりなさい」を2度も言えた、つまり3度にわたって新潟でプレーしてくれた選手。
新潟で活躍して、ワールドカップ出場まで果たした。
彼は、21歳で新潟に来たときの思い出や、新潟への思いを、心の底から表してくれた。
今シーズンも、まず初めに、皆さんのたくさんのご声援、本当にありがとうございました。
目標であったJ1昇格には届きませんでした。
非常に悔しいですし、自分はこのチームに何ができたのだろうと思います。
2005年、神田強化部長に声をかけていただき、2006年1月に新幹線を降り、新潟の地で吸った (間) 冷たい空気は、(涙ぐむ) 今でも鮮明に覚えています。
オレはここでプレーするんだ、と思って、3度、計8年半プレーさせていただきました。
(目を閉じる ひたいをかく)
皆さんに、「オメ決めれ、貴章」と叫ばれ、声を枯らし応援されたことは、一生忘れません。
そして、それがぼくを動かしてくれました。
離れれば離れるほど、新潟が恋しく、
過ごせば過ごすほど、新潟が好きになりました。
このクラブ、この街、応援してくれるサポーターの皆さんが好きになりました。
ここで過ごしたことは一生忘れません。
本当にたくさんの思い出をありがとうございます。
この悲しい気持ちも、一日たち、一週間そして一か月と立てば、忘れています。
そして、皆さんの日常にあるアルビレックスを、皆さんも応援していると思います。
ぼくも、どこからでもアルビレックス新潟を応援しています。
今日、本当に、ぼくをピッチに立たせてくれた監督やスタッフ、そして一緒に戦った選手、本当にありがとうございました。
一緒にできたことが誇りです。
ありがとうございました。
静岡で生まれ育ち、高校を出てから柏に入団した彼が、初めて冬の新潟に来たときは、様々なギャップにどれだけ驚いたことだろう。
どれだけ心細かっただろう。
でも、彼の真剣なプレーに、新潟のサポーターたちは引きつけられたのだ。
彼が試合に出ているとき、確かに、私たちは叫んだ。
「オメ決めれ、貴章!」と。
外しても外しても、次こそシュートを決めろ!と。
彼が2度も戻って来てくれたことに、私たちは、心から感謝している。
今季は、シーズンを通して、後半に得点がほしいとき、守り切りたいとき、どちらであっても矢野貴章は起用され続けた。
不器用さは残しながらも、彼の必死な姿は、チームをもサポーターをも勇気づけた。
新体制の構想外となってしまい、本当に残念だ。
だからこそ、Nスタンドの横断幕には、こう書かれていた。
新潟から世界に羽ばたいた矢野貴章 これからも心は共に
「これからも心は共に」は、最後まで離れたくなかった互いの思いが表れている。
離れても、互いを応援し続けるという意思の表れだ。
大きな足跡を残しながら新潟を離れる4選手のあいさつの言葉は、彼らの心の内を素直に表していながら、新潟へのチーム愛にあふれていた。
また、応援してくれた人々に対する心からの感謝の思いが伝わるものだった。
そして、それは来季の選手たちにも受け継がれていく。
2009年から3年間所属したことのある彼の復帰は、走れて攻撃力もあるから戦力になると思っていたが、5試合の途中出場にとどまった。
皆さん、こんにちは!
今年、本当に久しぶりに新潟に戻れて本当に幸せな気分でした。
もっとチームに貢献したかったし、ぼくに熱心に応援をしてくれた人たちに、ぼくがプレーをしている姿をたくさん見せたかったのですが、本当に申し訳ございません。
今年、本当にぼくが思うのは、新潟の過去の選手と現在の選手、あと未来の選手がそろっている、素晴らしいチームでサッカーができて、また、一生忘れられない思い出ができて、本当に感謝しています。
もっと新潟で長くやりたかったのですけれど、実現できなくて悔しいんですが、また次会ったときも、笑顔であいさつできるようがんばるので、応援よろしくお願いします。
最後に、来年新潟がJ1昇格できるように、遠くから応援するし、またみんなJ1でプレーして、ぼくもがんばってまた戻って来れるように本当にがんばるので、みんながんばりましょう。
ありがとうございます。
「過去の選手と現在の選手、未来の選手がそろっている素晴らしいチーム」と、ヨンチョルはアルビレックス新潟を語った。
今季で、その「過去の選手たち」が退団していく。
ヨンチョルもその一人だ。
先日の練習場でも、笑顔の素敵な彼は、駆けつけたおばちゃんたちに愛されていた。
30歳の彼は、「ぼくもがんばってまた戻って来れるように本当にがんばる」と言っている。
その言葉が、真実になるようにがんばってほしい。
Nスタンドのサポーターが掲げた横断幕は、かつて彼が一生懸命練習して読み書きができるようになった日本語で書かれていた。
ふたたびヨンチョルとたたかえて おれたちもしあわせだった!ありがとう!
漢字のない、ひらがなとかたかなで表現されていたことは、書いたサポーターたちの真心の印だった。
いよいよ去り行く選手たちの最後は、矢野貴章選手。
「おかえりなさい」を2度も言えた、つまり3度にわたって新潟でプレーしてくれた選手。
新潟で活躍して、ワールドカップ出場まで果たした。
彼は、21歳で新潟に来たときの思い出や、新潟への思いを、心の底から表してくれた。
今シーズンも、まず初めに、皆さんのたくさんのご声援、本当にありがとうございました。
目標であったJ1昇格には届きませんでした。
非常に悔しいですし、自分はこのチームに何ができたのだろうと思います。
2005年、神田強化部長に声をかけていただき、2006年1月に新幹線を降り、新潟の地で吸った (間) 冷たい空気は、(涙ぐむ) 今でも鮮明に覚えています。
オレはここでプレーするんだ、と思って、3度、計8年半プレーさせていただきました。
(目を閉じる ひたいをかく)
皆さんに、「オメ決めれ、貴章」と叫ばれ、声を枯らし応援されたことは、一生忘れません。
そして、それがぼくを動かしてくれました。
離れれば離れるほど、新潟が恋しく、
過ごせば過ごすほど、新潟が好きになりました。
このクラブ、この街、応援してくれるサポーターの皆さんが好きになりました。
ここで過ごしたことは一生忘れません。
本当にたくさんの思い出をありがとうございます。
この悲しい気持ちも、一日たち、一週間そして一か月と立てば、忘れています。
そして、皆さんの日常にあるアルビレックスを、皆さんも応援していると思います。
ぼくも、どこからでもアルビレックス新潟を応援しています。
今日、本当に、ぼくをピッチに立たせてくれた監督やスタッフ、そして一緒に戦った選手、本当にありがとうございました。
一緒にできたことが誇りです。
ありがとうございました。
静岡で生まれ育ち、高校を出てから柏に入団した彼が、初めて冬の新潟に来たときは、様々なギャップにどれだけ驚いたことだろう。
どれだけ心細かっただろう。
でも、彼の真剣なプレーに、新潟のサポーターたちは引きつけられたのだ。
彼が試合に出ているとき、確かに、私たちは叫んだ。
「オメ決めれ、貴章!」と。
外しても外しても、次こそシュートを決めろ!と。
彼が2度も戻って来てくれたことに、私たちは、心から感謝している。
今季は、シーズンを通して、後半に得点がほしいとき、守り切りたいとき、どちらであっても矢野貴章は起用され続けた。
不器用さは残しながらも、彼の必死な姿は、チームをもサポーターをも勇気づけた。
新体制の構想外となってしまい、本当に残念だ。
だからこそ、Nスタンドの横断幕には、こう書かれていた。
新潟から世界に羽ばたいた矢野貴章 これからも心は共に
「これからも心は共に」は、最後まで離れたくなかった互いの思いが表れている。
離れても、互いを応援し続けるという意思の表れだ。
大きな足跡を残しながら新潟を離れる4選手のあいさつの言葉は、彼らの心の内を素直に表していながら、新潟へのチーム愛にあふれていた。
また、応援してくれた人々に対する心からの感謝の思いが伝わるものだった。
そして、それは来季の選手たちにも受け継がれていく。