海―湖―洋。
すべて「うみ」。
日本海―猪苗代湖―太平洋。
この3つの「うみ」をつなぐということでうたわれたのが、磐越自動車道だった。
開通したのが、1997年。
新潟県の日本海の海辺の村に生まれた父と、太平洋を目の前にする福島県いわき市に生まれた母が結婚して生まれたのが私。
結婚して、「洋」から「海」に来た母に、文化の違いは多かったようだ。
里帰りする方法は、当時の国鉄の磐越線を西線から東線に乗り換えて鉄道で行くしかなかった。
小さな私の手を引いて、何時間もかけ、一日がかりで帰るのだった。
その費やす時間の多さに、時にはなんでこんなに遠くまで行って結婚してしまったかと、涙したこともあったと言っていた。
それが、今はこうして高速道路を使って、4時間で行くことができるのだ。
時代が変わったと思う。
磐越自動車道が開通したころには、私の父はすでに存命ではなかった。
それでも、私が母を乗せて高速移動したことはあった。
「時代が変わったねえ。」
そう母はつぶやいていた。
その母も、いなくなってから久しい。
もうすぐ17回忌となる。
今日は、私ひとり車を運転して、磐越自動車道を走ってきた。
母の兄である伯父が亡くなり、今夜が通夜、明日が告別式だからである。
さらに時代が変わっていく…。
すべて「うみ」。
日本海―猪苗代湖―太平洋。
この3つの「うみ」をつなぐということでうたわれたのが、磐越自動車道だった。
開通したのが、1997年。
新潟県の日本海の海辺の村に生まれた父と、太平洋を目の前にする福島県いわき市に生まれた母が結婚して生まれたのが私。
結婚して、「洋」から「海」に来た母に、文化の違いは多かったようだ。
里帰りする方法は、当時の国鉄の磐越線を西線から東線に乗り換えて鉄道で行くしかなかった。
小さな私の手を引いて、何時間もかけ、一日がかりで帰るのだった。
その費やす時間の多さに、時にはなんでこんなに遠くまで行って結婚してしまったかと、涙したこともあったと言っていた。
それが、今はこうして高速道路を使って、4時間で行くことができるのだ。
時代が変わったと思う。
磐越自動車道が開通したころには、私の父はすでに存命ではなかった。
それでも、私が母を乗せて高速移動したことはあった。
「時代が変わったねえ。」
そう母はつぶやいていた。
その母も、いなくなってから久しい。
もうすぐ17回忌となる。
今日は、私ひとり車を運転して、磐越自動車道を走ってきた。
母の兄である伯父が亡くなり、今夜が通夜、明日が告別式だからである。
さらに時代が変わっていく…。