ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

墓場の中を走って忘れ物を取りに行っていたことを思い出した

2020-12-08 22:18:06 | 生き方
12月8日。
巷では、ジョン・レノンの命日に関してのニュースが、あった。
もう、それから40年にもなる。
太平洋戦争開戦の日にちなんだニュースもあった。
当県では、長岡市の中学生がハワイとネットでつないで交信したというニュースが流れていた。
…まあ、これらは今日の代表的な(?)歴史的出来事だ。

自分としては、今日がどういう日かというと、父方の伯母の命日である。
昔は、同居したりわが家の隣に住んだりしたりしていたので、非常にお世話になった方であった。
亡くなったのは、私の母が亡くなった翌年であり、13回忌も昨年済んでいる。
だが、お世話になったことへの感謝の心で、先日、命日を前に墓参りをしてきた。

墓のある場所は、かつて私たちが住んでいた家から歩いて300メートルほど行ったところにあるのだが、実は家の前も墓場だったのだ。
その墓場も、以前多くあった松の木がすべて枯れてなくなってしまい、ずいぶん明るくなっていた。



雰囲気が変わったなあと思いながら、墓場だけにじっくり見たことはなかった。
今回、ちょっとその墓場をのぞいてみようかと少しだけ中に入ってみた。

そこには、少年時代の懐かしい風景が残っていた。



少しは偉い家人の墓だったのだろうか、少し大きな墓が並び、その周りには石が垣根のようにつながっていた。
伸びた笹竹の向こうには、小学校の建物が見えた。
この小学校は、かつて私が通った学校だった。

当時は、忘れ物をすると、「家まで走って取りに行ってきなさい」と、先生に叱られたものだ。
今の時代は、そんなことをさせると事故が起きたときの学校の責任が問われるから、絶対にさせない。
あの当時は、それが普通だった。
家から遠かった級友は、走って忘れ物を取って戻ってくると、もう次の時間の授業になっていて、取りに行ったことが全くムダということが結構あったのだった。
さて、実は今もそうなのだが、忘れ物をするのは、私は大得意(?)であった。
「家まで取りに行って来い!」と怒鳴られて、家まで走って帰ったのは一度や二度ではない。
毎週、ひょっとすると毎日のように忘れ物をすることがあった私であった。
そして、家まで走ることになるわけだが、少しでも早く家に帰って少しでも早く学校に戻らなくてはいけないので、通学路ではない近道を走るのが普通だった。
通学路は、直角三角形の直角を挟む2辺のような普通の道。
近道は、直角三角形の斜辺のような道なのであった。
その近道が、実は、この墓場の中を通ることなのであった。
大して怖がりもせず、ダダダダッと走って行き、家で忘れ物を取ってすぐに帰ったものだった。

あの頃、先の写真の真ん中を走っていった。
今、向こうに見える学校の建物は傷んでいて、アイボリーホワイトだったのが今は無残に黒カビが生えたようにくすんでいる。



それも当然だ。
私が小学校5年生の時、つまり50年以上前に建てられた鉄筋コンクリートの校舎は、今はもう閉校してから何年もたち、使われなくなってしまっているのだから。


久々に入り込んだ墓場の中。
そこを走って行き来した少年の自分を想像し、しばらくしみじみした気分に浸った。
伯母の墓参りに行ったついでに、伯母に本当によく世話になっていた子ども時代の自分を思い出していたのだった…。

コメント
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