関越自動車道の立ち往生はまだ続いている。
中越地方の県境は、大雪の状態で、そのほかにも雪が原因のけが人が出たりしている。
初雪でここまでの雪が降るというのは、おそらく初めてだと思う。
ところが、新潟市中心部や私の住む下越地方の平野部には、道路にほとんど雪がない。
少しは降ったのだが、今日は、日陰でなければとけてなくなってしまった。
県外の人からは、大雪で大変でしょうと心配されるが、私の住むところには全く生活に支障がない。
道路に雪がないから、1週間ぶりに走りたくなった。
16時、日頃あまり走らないところで歩道のある道を走ることにし、出発した。
「旅ラン」風に、マイペースで街の様子を見ながら行こう。
細い雨が降り始めていたが、気温は3℃。
3℃だと雨が雪に変わる境目の温度だ。
1kmほど走っていると、イルミネーションになるのだろう、クリスマスツリーの形にセットされた配線を見ることができた。
図書館の前を通ると、自主学習に取り組む高校生たちの姿が室内に見えた。
がんばっているなあ。
2kmを過ぎると、下校途中の小学生とすれ違うようになった。
その中には、見覚えのある顔もあった。
2年前には、よく「パンケーキ食べたい!」とものまねして歌う子だった。
彼には、走ってすれ違う大人なんて目に入らないのだろう。
私のことを知っているはずなのに、気がついてくれなかった。
3kmあたりのところにはコンビニがある。
冬にその前で雪道を歩いていたら、白線上の雪ですべって転んですねを縁石に打ち付け、血が出るほどのすり傷を負ったことがあった。
すぐにコンビニに飛び込んで、大きな絆創膏を買って貼ったことがあった。
あれはもう15年以上前になるだろうか。
4kmを過ぎると小学校がある。
住宅が増えたせいで、この地域だけは人口が増え、児童数も急増。
校舎の増築、グラウンドの改修などの工事の連続、そしてこのCOVID-19 感染症で、今の6年生たちは満足な学校生活が送れていないのではないだろうか。
5kmを過ぎた辺りの交差点で、青信号になったのに軽トラックがエンジン音を出しながら、左折しようとしても進めなくなっていた。
運転者を見ると、かなり高齢の方のようだった。
一生懸命アクセルを踏んでふかすのだが、車は進まない。
後ろに車がつながって、渋滞を引き起こそうとしていた。
おそらく、ギアがニュートラルに入ったままなのだ。
ちゃんとローに入っていないから車は進まないのだろう。
高齢者の運転、やはり怖さがあるなあ。
そう思って走っていると、6㎞付近では、路地に見覚えのある赤い灯りが回転しながら点滅していた。
近付くと、それは、やっぱりパトカーだった。
黒い軽自動車の車体がへこんでいたり、ライトが割れて破片が飛び散ったりしていた。。
接触事故を起こしたようで、女性が困った顔をしてうろうろする周辺で、警察官が距離を測ったり話を聞いたりしていた。
やがて、7㎞付近で暗さが増し、雨が強くなってきた。
細い雨から、小雨になり、雨になった。
だが、少しも悪くない。
風がないのは幸いで、汗をかいて温かくなった体を適度に冷ましてくれるようだ。
8kmを過ぎ、毎年一度くらいは行っている整形外科医院の前を通った。
21年前に私が腰椎椎間板ヘルニアの手術をした時の執刀医が独立して開業したところだ。
だから、季節の変わり目で体が痛んだり、何かあったときにはお世話になっている。
手術をする前には、痛みで立つも座るも非常に苦しんだものだった。
おかげで、こうしてマラソンにも挑戦できるほど元気になりました。
ただ、また最近腰が痛いのですけどね…。
9km走った。
気温は、2℃に下がっていた。
ここまできたら、きれいに10kmで走りを終えたい。
人があまり来ない直線の道を、2往復速いスピードで走った。
珍しく通った対向車の光がまぶしかった。
やがて、手元のウオッチが、10km走ったことを音と震えで知らせた。
家は、すぐそこだった。
街の表情をそれなりに楽しみながらの10kmRUN。
こういう街なか旅ラン風の走りも悪くないものだな。
中越地方の県境は、大雪の状態で、そのほかにも雪が原因のけが人が出たりしている。
初雪でここまでの雪が降るというのは、おそらく初めてだと思う。
ところが、新潟市中心部や私の住む下越地方の平野部には、道路にほとんど雪がない。
少しは降ったのだが、今日は、日陰でなければとけてなくなってしまった。
県外の人からは、大雪で大変でしょうと心配されるが、私の住むところには全く生活に支障がない。
道路に雪がないから、1週間ぶりに走りたくなった。
16時、日頃あまり走らないところで歩道のある道を走ることにし、出発した。
「旅ラン」風に、マイペースで街の様子を見ながら行こう。
細い雨が降り始めていたが、気温は3℃。
3℃だと雨が雪に変わる境目の温度だ。
1kmほど走っていると、イルミネーションになるのだろう、クリスマスツリーの形にセットされた配線を見ることができた。
図書館の前を通ると、自主学習に取り組む高校生たちの姿が室内に見えた。
がんばっているなあ。
2kmを過ぎると、下校途中の小学生とすれ違うようになった。
その中には、見覚えのある顔もあった。
2年前には、よく「パンケーキ食べたい!」とものまねして歌う子だった。
彼には、走ってすれ違う大人なんて目に入らないのだろう。
私のことを知っているはずなのに、気がついてくれなかった。
3kmあたりのところにはコンビニがある。
冬にその前で雪道を歩いていたら、白線上の雪ですべって転んですねを縁石に打ち付け、血が出るほどのすり傷を負ったことがあった。
すぐにコンビニに飛び込んで、大きな絆創膏を買って貼ったことがあった。
あれはもう15年以上前になるだろうか。
4kmを過ぎると小学校がある。
住宅が増えたせいで、この地域だけは人口が増え、児童数も急増。
校舎の増築、グラウンドの改修などの工事の連続、そしてこのCOVID-19 感染症で、今の6年生たちは満足な学校生活が送れていないのではないだろうか。
5kmを過ぎた辺りの交差点で、青信号になったのに軽トラックがエンジン音を出しながら、左折しようとしても進めなくなっていた。
運転者を見ると、かなり高齢の方のようだった。
一生懸命アクセルを踏んでふかすのだが、車は進まない。
後ろに車がつながって、渋滞を引き起こそうとしていた。
おそらく、ギアがニュートラルに入ったままなのだ。
ちゃんとローに入っていないから車は進まないのだろう。
高齢者の運転、やはり怖さがあるなあ。
そう思って走っていると、6㎞付近では、路地に見覚えのある赤い灯りが回転しながら点滅していた。
近付くと、それは、やっぱりパトカーだった。
黒い軽自動車の車体がへこんでいたり、ライトが割れて破片が飛び散ったりしていた。。
接触事故を起こしたようで、女性が困った顔をしてうろうろする周辺で、警察官が距離を測ったり話を聞いたりしていた。
やがて、7㎞付近で暗さが増し、雨が強くなってきた。
細い雨から、小雨になり、雨になった。
だが、少しも悪くない。
風がないのは幸いで、汗をかいて温かくなった体を適度に冷ましてくれるようだ。
8kmを過ぎ、毎年一度くらいは行っている整形外科医院の前を通った。
21年前に私が腰椎椎間板ヘルニアの手術をした時の執刀医が独立して開業したところだ。
だから、季節の変わり目で体が痛んだり、何かあったときにはお世話になっている。
手術をする前には、痛みで立つも座るも非常に苦しんだものだった。
おかげで、こうしてマラソンにも挑戦できるほど元気になりました。
ただ、また最近腰が痛いのですけどね…。
9km走った。
気温は、2℃に下がっていた。
ここまできたら、きれいに10kmで走りを終えたい。
人があまり来ない直線の道を、2往復速いスピードで走った。
珍しく通った対向車の光がまぶしかった。
やがて、手元のウオッチが、10km走ったことを音と震えで知らせた。
家は、すぐそこだった。
街の表情をそれなりに楽しみながらの10kmRUN。
こういう街なか旅ラン風の走りも悪くないものだな。