ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

マラソン大会は26kmまで それ以降は「遠足」だった③ ~2022新潟シティマラソン~

2022-10-11 19:30:57 | RUN
西海岸公園に至ると、海と別れていったん道は中へ入る。
「関屋浜」の文字がある公園内の道で、後ろから急に名前(苗字)を呼ばれた。
「50foxさん!」
え?こんなレースで私より後ろから抜いていく人って、いるの?
と思って見ると、ランニングサングラス姿の若者が…。

「Hです。」
と、名乗ってくれて分かった。
6年前、定年退職時に同じ職場で仕事をしていたHKさんだった。
「おお…。今のお勤めは?」
…など勤務先や、お子さんのことも聞くと、あの頃保育園に預けたばかりだったのが、もう小学2年生だという。
時の流れは早いものだ。
「だいぶきつくなってきましたね」と言いながらも、キロ7分で走っているのだそうだ。
同じようなTシャツで走っている人がそばにいたから、
「どうぞ、遠慮なく抜いてってください」
とHKさんに話し、先に行ってもらうことにした。

2人の黄色い少し先に行くと、間もなく道は再び海が見える道を行く。
さっき抜いて行ったHKさんたちの背中を見ながら、自分のペースで走ることにした。

頭を前へ傾け、腕をあまり振らずに、頭の重さで前に進むような走り方をしてみた。
すると、これが意外に楽だった。
2kmくらいは、そんなふうにして走っただろうか。

海と別れて、道は関屋分水の河口に来た。
そこで応援していた、アルビのユニを着ていた人が、私の姿を見て、声は出さないが、「ALBIREX」と書かれたタオルマフラーを広げて見せてくれた。
その姿は、アルビの試合の前のサポーターの姿。
「ありがとう!がんばります!」
と思わず声が出た。

ここが25kmの新潟大堰橋。

11年前、初めて新潟シティマラソンにチャレンジしたときのコースは、ここが30kmポイントだった。
ここで制限時間切れのため、強制収容されたことをよく覚えている。
今のコースは、ここから国道402号線を2.5km行って、また戻ってくるコースとなっている。
㉒7分4秒㉓6分55秒㉔6分55秒㉕6分53秒

一度坂道を上って行く。
そこで、再び息子と会った。
なかなか快調に走っているらしい。
およそ5kmも差がついたというわけか。
互いに笑って、エア・ハイタッチをして通り過ぎた。

その直後に、息子の後50mくらいに知っているランナーの姿を見つけ、驚いた。
先月のたいない高原マラソンでも会ったSIさんだ。
私と同年齢なのに、我が息子とほとんど変わらない速さで走っているなんて、すごい!
「SIさん!」と叫ぶと、
「おお!」と答えてくれた。
「速いね!」
感心した。
さすが、今まで全国のマラソン大会を100ほど走っているだけある。
高年齢化などまったく関係ないかのように走れているのはすばらしい。

坂を下ると2kmほど松林が続く。
もう脚が、正確に言うと両方の太ももが痛くてまったくスピードを出せなくなっていた。
頭を下げ、下を向いて、少しでも前へ進む。
自分なりにがんばってはいるのだが…。

26㎞地点を過ぎた辺りで、後ろから、頭に風船をつけたランナーが私をゆっくり抜いて行った。

その背中のゼッケンには、番号ではなく「5時間」と書かれてあった。
ゴールタイムを5時間の目安とする「5時間ランナー」だ。
それより遅れるペースだとは分かっているが、体が言うことをきかない。
かつてのレースでは、制限時間は5時間だったから、このランナーに抜かれるということは、失格、途中棄権となることを意味していた。
私は、2度その憂き目にあっている。
今回で、3度目だ。
ああ、私が走れるマラソン大会は、ここまでか。
あとは、走ったり歩いたりしていくしかない。
とはいうものの、今は制限時間が7時間だから、抜かれても大丈夫。
きっと、6時間ランナーや7時間ランナーもいて、後ろから走ってくるはずだ。

その先の第7エイドは、その気分と裏腹に、楽しいフードエイドだった。
何がというと、ここで提供されたのが、新潟のソウルフードだったからだ。


そう、笹団子。
包むためのひもを解いたうえで、食べやすいように半分ずつに切られていた。

大好物ではあるのだが、新潟県人とはいえ、今はあまり食べる機会がなくなっている。
「いただきま~す」と、2つ取ってほおばった。
うまかった!

まもなく、27.6㎞にある、第2折り返し。


この進行方向で松林の中の道をいくと、いやがおうにもマラソン初挑戦の時を思い出す。
あの時のこの道は、両脚が痛くて痛くて走れずに歩くしかなかった。
それが、今日も同じような状態になっている。
目の前には、歩いては走る、私と似たような人たちが何人もいた。
つらいレースとなった人たちが多いのだ。
「歩く」と「走る」を繰り返しながら、行くしかないと覚悟して進むが、やっぱりつらい。
29km過ぎの青山斎場の坂では、完全にきつくなり、坂の頂点まで大股で歩いた。
㉖7分4秒㉗7分13秒㉘8分40秒㉙7分45秒㉚8分19秒

30km。

ようやく関屋分水まで戻ってきた。
川沿いの道へ降りていく。

ここからは、ずっと川に沿っていく。
だが、もう脚が痛くて走り続けられないから、走っては歩き走っては歩きで、キロ8分台に落ち込んだ。

途中で、「アイシテルニイガタ。アルビ、昇格おめでとう!」と励まされ、
「ありがとう。次はJ2優勝だ!」なんて返す、口の余裕はあった。

「苦しいのは気のせい ファイト!」なんてパネルをもって応援してくれる人もいた。
「気はしっかりしているんですが、太ももの痛みだけは本物で走れません!」と叫ぶと、
「それも、気のせいです!」との声が返ってきたのには、恐れ入った。

やがて土手に上がったが、ここでも見えるのは、前方に向かって歩く人ばかり。

その人たちが、ある場所に来たら、皆走り出した。
少しゆるやかな下り坂を生かして走っている。
そこにいたのは、アルビレックスチアリーダースの女性たち。

これか!?
いや、違う。
声が聞こえた。
ひっきりなしに、励ます声が。

近づくにつれて分かってきた。
そこに見えたのは、高橋尚子さんの姿だった。

33kmの往路・復路のちょうど交わるガード下で、両方向のランナーたちを励ましていたのだった。
なるほど、だからみんな走り出すのだ。

自分も同様に走り出し、「毎年、ありがとうございます!」と手を振って、高橋尚子さんの前を走って通り過ぎた。
その時だった。
右脚の付け根の辺りでグキッという痛みが走った。
いたたたた…。
見栄を張って、普通に走ったのがいけなかった。
どうしよう、痛くて歩くのもきつい…。         
股関節が痛くてしばらく立ち止まるはめになってしまった。
㉛8分15秒 ㉜8分45秒 ㉝9分9秒
(つづく)
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マラソン大会は26kmまで それ以降は「遠足」だった② ~2022新潟シティマラソン~

2022-10-10 19:12:56 | RUN
信濃川沿いに走って行くが、土手があるのであまり川は見えない。
旧コースの頃はスタートしてからあまりたたないうちにここを逆向きに走っていたが、道幅がそんなに広くなかったので、走りにくかったことを思い出す。

コースからは、信濃川にかかる橋が見える。
最初は、JRの通る鉄橋、そして昭和大橋、八千代橋と橋を数えていく。
4つ目の萬代橋が、われわれが渡る橋だ。
その手前で、万代シティバスセンターの方へいったん折れて、ファンランコースは道の右側を、フルマラソンコースは左側を走ることになる。

万代橋を渡る。

橋からは、下流の朱鷺メッセのビルが見える。

道の左側に今回から設けられた、「ユニバーサル・ラン」のコースがあり、車椅子に乗った人も、補助してくれる人と共に、楽しそうに2kmのコースを進んでいた。

やがて、道は柾谷小路へと進む。

その辺りで、先行している息子とすれ違うのを期待したが、もっと早く行ったようで会えなかった。
しかし、ゲストランナーの一人である、東京五輪銅メダリストの永田務さんが、ユニバーサルランの参加者たちを激励して走っているのとすれ違った。
NEXT21の前、西堀通の交差点で折返し。

やがて、コースは信濃川沿いの道へ向かい、ファンランコースとお別れ。

この通りを走るのを待っていた。
なぜなら、この通りの端までいくと、およそ2時間近くずうっと我慢していた仮設トイレがあるのだ。
その1kmほど前にある公衆トイレに次々と立ち寄るランナーも見かけた。
みんな我慢していたのだなあ…。
と、横目で見て、自分はもう1km余りガマンガマン、と言いきかす。

対岸にある朱鷺メッセ。

そして、新潟市歴史博物館みなとぴあの横をすり抜けて走ると、やがて11km地点となる。

そこに、待望の仮設トイレがあった。
やった、幸い空いているトイレがあった。
即入室、用を足した。
ずっと我慢していたため、その小用は、1時間20秒ほどもかかっても止まらず、われながらびっくりしたよ。
いやあ、すっきりした。
(品がなくてすみません)
⑧6分43秒 ⑨6分30秒 ⑩6分24秒 ⑪8分11秒(小用の長さが分かる)

やがて、道は、新潟みなとトンネル入口へ。

右側のトンネルからは、もう出てくるランナーたちがいる。
速いなあ、今の自分よりも7km以上も先を走っているということか。
そう思いながら、片道3.26㎞ある海底トンネルへ入っていく。
最初は、下りで走らされる感覚。
暗いせいもあり、途中から平らなのか上っているのか、わからなくなった。

やたら汗をかくようにもなってきた。
それでも、ウオッチで自分のペースを確認すると、1km6分台を維持することができたので、われながら順調だと思った。

トンネルを抜けると、上り坂。
きついと思っていたら、第1折り返しを終えた息子とすれ違うことができた。
いい感じで走っていた。
互いに手を挙げ、「ナイスラン」と声が出た。
その直後には、私がこの新潟シティマラソンに初挑戦したときに職場で縁のあったランナーのIさんとすれ違うことができた。
「Iさん!」
と声をかけると、大きく目を見開いて驚いたようだった。
互いに走りながら、「がんばりましょう!」とエールを交わして過ぎ去った。

15.7㎞で初のフードエイド。

こういう時には必ずあったフルーツがない。
以前なら、バナナやオレンジが必ずあったのに。
そうか。これも、感染症禍の大会ゆえか。
代わりに置いてあったのは、ハッピーターンやキャラメル類などの菓子類。
これでは腹はふくれないなあ、とちょっぴり残念に思いながら、近くの第1折り返し点を回った。


そこから、再びみなとトンネルの復路に入っていく。

往路側を見ると、自分が走ったときよりたくさんのランナーが歩いていた。
まだ15km手前なのに、今から歩いているのではこれから先大変だな、なんてその時にはまだ余裕のあった私だった。

そんな自分が、トンネルの中で、初めて太もも前部に疲れを感じた。
ラップも、1km6分台の後半から7分へと落ちてきた。
まだこれは想定内。
そう思いつつ、先は長いのにと少々心配にはなった。

トンネルを抜けて、新鮮な空気を吸ってほっとした。
だが、まだそこは19km。

中間点にも達していない。
これからがきつくなる、と覚悟しながら海沿いの道を進んでいった。
⑫6分33秒 ⑬6分39秒 ⑭6分25秒 ⑮6分56秒 ⑯7分00秒 ⑰6分40秒 ⑱6分47秒 ⑲7分07秒

時々佐渡が見える。

この道には、多少のアップダウンがある。
上り坂は、大股で腕を振って進むようにし、走り続けた。
そうするだけでも、脚は疲れてきたがキロ6分50秒台で進めていたのだ。


中間点を示す札を持っている方がいて、「写真撮ってもいいですか?」と尋ねて取らせてもらった。

太ももがだいぶきつくなったが、我慢していくしかない、と気持ちを持ち直した。
やっと中間点だ。
まだ半分でしかない。
きつくなってきたけど大会を楽しむしかない、と改めて決意した。
⑳6分55秒 ㉑6分55秒
(つづく)
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私のマラソン大会は26kmまで それ以降は「遠足」だった① ~2022新潟シティマラソン~

2022-10-09 21:24:11 | RUN
4年ぶりの大会開催。
新潟シティマラソンに久々に参加することができた。
フルマラソンに出場することにはかなり迷ったけれど、やっぱり参加してよかったよ。
そう思った。

だけどね。
マラソン大会らしく走れたのは、26kmまで。
それ以降は、走るよりもほぼ歩きまくった。
だから、26km以降は「遠足」であった。

「遠足」をしながら、5時間30分を切るタイムでゴールできた。
歩いても、完走できたことを喜んでいる。

朝から大会のことをずっと振り返ってみていくことにする。


朝は、5時前に起きて、スポンサーのサトウ食品にあやかって(?)朝食は、モチ。
休日の朝なので、道路もすいすい。
7時前にビッグスワンスタジアムに到着。

同じくフルマラソンに出場する息子と共に、2日連続でここに来た。
15時間前には、アルビレックス新潟の快勝、J1昇格にわいたスタジアムだ。

しばし、それを思い出し、心地よさを味わう。
トイレに行き、レース中の持ち物を確認していると、もう7時半を過ぎていた。

外に出て、7時50分までに預けなければならない手荷物袋を預け、今度はスタジアムのトラックに進む。

指定場所の列が違うので、息子と健闘を誓いあって別れて並び、開会セレモニー。

新潟シティマラソンのゲストランナー高橋尚子さんも8回目。
感染禍のため、ハイタッチができないのが残念。


スタート場所に歩いて移動していくが、参加者が多すぎて、スタート地点が見えないままに出発の号砲が鳴った。

300mくらい歩いてスタート地点に行く。

そこで高橋尚子さんが、手を振りながら一生懸命激を飛ばしていた。

さあ、先頭が行ってから3分くらいしてから、いよいよ私もスタート。
長い長い旅が始まった。

ただ、ここで実は困った状態になっていた。
整列前のトイレから1時間がたち、気温が低かったので、小用を足したくなってしまったのだ。
そういう人は多かったようで、いずこのトイレにも人が並んだ。
時間がもったいないので、できる限り我慢して進む。
ねらうのは、ファンランの部のランナーたちと別れて人数が少なくなった場所のトイレ。
でも、そこは11km地点だから、およそ1時間強我慢しなくちゃいけない。
つらいなあ…。

そんなことを思って走っていたら、後ろからあの聞き覚えのある声。
なんと高橋尚子さんが後ろから走って追いついてきたのだ。
私がスタートしてから、まだ3kmになっていないのに、あのスタート地点で全員の出発を見送ってから、一気に来たのか。
すごいものだ。
「いつもありがとうございます。今年も先に行って後の所でまた応援してください」
なんて声をかけていた私だった。

町の中に入り、応援してくれる人が増えた。
中には、アルビのレプユニを着て応援する人が結構いる。
それらの人たちの多くは、「アイシテルニイガタ」のユニを着ている私に、声をかけてくれる。
「アルビ、がんばれ!」
「J1昇格おめでとう!」
昨日、昇格を決めたから、喜んでそんな声をかけてくれる人の多いこと。
「ありがとうございます!よかったです!」
と、私も気持ちよく言葉を返した。

今日は、速く走らない。
1km6分30秒から7分のペースで、なるべく走り続ける。
そういう強い気持ちで、体力を残しながら走っていたつもりだった。

5kmの初のエイドで水やスポーツドリンクを飲むと、コースは信濃川沿いへ。
万代橋までまっすぐ進む。
まだ小用は我慢できているぞ。
タイムも、ねらい通りに走れている。
① 7分0秒 ②6分36秒 ③6分30秒 ④6分28秒 ⑤6分48秒 ⑥6分27秒 ⑦6分27秒 
いい感じだ。
このままいくぞ。
そう思って走っていた。               (つづく)
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チーム力で決めたJ1昇格 ~ホーム仙台戦~

2022-10-08 21:04:01 | アルビレックス新潟


勝った!
J1昇格決定だ!


宮沢ミシェルさんは、昨日のNHK新潟の特番で、この仙台戦、試合開始からの15分がカギだと言っていた。
だから、どうなるかと思っていたが、ほとんど新潟がボールを支配していた。
仙台とは、実力が違うよ。
今はそう言えるような、アルビレックス新潟の選手たちの動きだった。
チームとしての戦い方ができている。
ただ、決定的な場面に至るシーンが少なくはあった。
あと一歩だった。

前半、圧倒的にボールを保持してチャンスを作り、仙台のシュートを1本に抑えていたとはいえ、0-0で終わった。
これは、後半どうなるかわからないぞと思った。

だが、後半になっても流れは変わらなかった。
ただ、点が取れない時に、ひょんなことで相手に点が入るのは、今までたくさん見てきた。
そうならないといいが、と思っていた。
その懸念は、幸いにも裏切られた。
64分、77分、伊藤涼太郎が、連続してシュートを決めた。


いずれも、チームでゴール前に迫り、フィニッシャーが涼太郎だったということ。
チームみんなで喜び合う姿が、とても素晴らしかった。
アディショナルタイムでは、カウンターで相手ゴールに向かうと、ゲデスに丁寧なラストパスを送って、ダメ押しの1点を挙げたのも、チームの和だなあと思った。
3-0。
新潟の完勝だった。


新潟の今季いいのは、この「全員サッカー」だ。
得点を取るのも、守るのも、ピッチにいる選手だけでなく、控えの選手たちやベンチ入りしていない選手たちも、みな共有し合う。
チームとして信頼し合ってプレーしているから、次に何をするか、どうすればいいかが分かっている。
それで、得点は多くなり、失点は少なくなる。

試合後の公式スタッツを見ると、新潟のシュート21本、仙台のシュートわずか5本。
新潟のコーナーキック8本に、仙台のそれは、なんと0本。
そして、スコアは、新潟の3-0だ。

思えば、開幕戦は、仙台-新潟で、0-0だった。
それから、シーズン終了近くになってこんなに差がつく。
新潟が、シーズン中にいかに力をつけ、仙台とチーム力に差をつけたかということだ。


昇格を決めた後のセレモニーのキャプテン堀米にしても、


今日の試合のヒーローインタビューの伊藤涼太郎にしても、


少しうるっときた瞬間はあったようだ。
だが、2人とも、10月23日優勝することを目指しているから、気を緩めることなく戦うというメッセージを残した。

前十字靭帯の手術を終えた高木も、松葉杖をつきながら、姿を見せた。


試合後のパフォーマンスや場内1周時にも同行していたのは、安心できた。




あと2試合。
いずれも勝利して、J2優勝を手土産にして、来季はJ1で戦おう。



Ⅴisca Albirex !!


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新潟シティマラソンを2日後にひかえて

2022-10-07 17:13:52 | RUN
今日は、本来なら、胃がん検診の日だった。
だけど、今日はパスして、後日受診することにした。

なぜかというと…、
明日のアルビレックス新潟対ベガルタ仙台戦を心地よくホーム観戦して、J1昇格を見届けるため
…ではない。

今日の新潟日報に特集記事が組まれていた。


そう、2日後の日曜日、新潟シティマラソンなのだ。
久々に、フルマラソンに挑戦する。
だから、バリウム飲んで不調が続く中で42km走るのはキツイ。
そんなわけで、胃がん検診、今日は見送り。


なにしろ、フルマラソンは、4年前のこの大会で走って以来のRUNだ。

新潟シティマラソンは、今まで9回エントリーし挑戦してきた。
毎回ブログに書いてきたので、振り返る。

① 2011年、20km走もしたことがないのに、無謀にも初挑戦、見事に走れなくなり30kmで強制収容。(54歳)

② 2012年、グロスタイムで5時間を10数秒越えてしまったが、初完走。

③ 2013年、病で入院していた娘のことがあって練習不足。36kmまで行き強制収容された。

④ 2014年、娘の心配のために練習が満足にできなかったため、別種目のハーフマラソンに出場し、完走。

⑤ 2015年、3年前の雪辱を晴らし、5時間以内の完走、という一つの夢を実現した。

⑥ 2016年、ふくらはぎ痛など痛みにもかかわらず、前年と似たようなタイムでゴール。

⑦ 2017年、新コースになったが歩いてしまい、終盤は高橋尚子集団に救われて走った。

⑧ 2018年、歩かないぞと決めて走り通し、4時間35分台の自己ベストを出した。(61歳)

⑨ 2019年、それなりの痛みはあっても自分に期待していたが、台風で無念の中止。

さて、今年は、4年ぶりのフルマラソン。
その間に、貴重な私の60代前半は過ぎ、今年はしっかり高齢者の仲間入りをしてしまった。
体に負荷をかけるときつくなったので、記録には挑戦せずに、とにかく制限時間の7時間以内にゴールにたどり着きたい、これが本音。
大会当日、どこまでやれるか、どんな思いをするか、それを楽しむことにしよう。

ところで、デンカビッグスワンスタジアムは、
8日(土)14:00サッカーJ2リーグ、アルビレックス新潟対ベガルタ仙台
9日(日)5:30 マラソンスタート会場として開場
と、週末大きなイベントが2つ連続して開催される。
楽しみが続くなあ。
でも、考えてみると、土曜日に盛り上がった試合が終わるのは16:00近く。
その試合の後始末が終わってから、マラソン大会の準備をすることになるはずだから、関係者はきっと大変だろう。

関係者の皆様、両日お世話になります。
その労苦に少しでも報いるために、明後日のマラソンを自分なりにがんばります!

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「生き心地の良い町  この自殺率の低さには理由(わけ)がある」(講談社; 岡 檀(まゆみ) 著)

2022-10-06 20:45:54 | 読む


「住み心地の良い町」というのなら分かるが、「生き心地の良い」という表現にはひかれるものがあった。
「生き心地の良い町」に続いて、「この自殺率の低さには理由(わけ)がある」と書いてあるから、なんとなく内容の想像がつくと言う訳だ。

著者が、調査した結果、全国で最も自殺率の低い自治体を調べたら、次のようであった。



これらを見ると、島しょ部では自殺率は低いと言える。
だが、率の低さで8位に入っている徳島県海部町は、島ではない。
そして、すでに平成の大合併で別な町になってもいる。
それなのに、新たな町となっても、この海部町の地域だけが自殺率は低いことに、著者は着目した。
自殺を予防する因子が、当町にはあるのではないか、と。

実際に、著者は、海部町に移り住んで暮らし、調査を進めた。
その町に足を踏み入れて調査し、なぜ率が低いのかをまとめたのが、本書である。

同町で、著者が見つけたいわゆる「自殺予防因子」には次のようなものがあった。

その1 いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい
その2 人物本位主義をつらぬく
その3 どうせ自分なんて、と考えない
その4 「病」は市に出せ
その5 ゆるやかにつながる


別な言葉で言い換えていくと、

☆ 個人の多様性を重視する
☆ 職業上の地位や学歴、家柄や財力などにとらわれることなく、その人の問題解決能力や人柄を見て評価する
☆ 自己効力感をもつ
☆ やせ我慢しないで、助けを求める
☆ 破ったら制裁を加えるような厳しいルールはもたないで、寛容性を持つ

このようになるだろうか。

自殺を予防する因子、とは着眼点がすばらしいと思う。
人間として生きていくうえで生きづらさを感じることは多いのだが、それが多いと、生きる意欲を失うことはあるだろう。

読んでいて、自分の子どものころを思い出した。
いじめられて、孤立無援だった時代のことだ。
子どもの社会の間ではあったが、
硬直化した人物評価で、序列が決まっていた。
みんなと同じであることを求められた。
できないことがあると、はじかれた。
一度の失敗を許してくれなかった。
ボロクソに言われて、立ち直れないほど責められたり暴力を受けたりと、いじめられた。
人に助けを求めると、「弱虫!」とさらにひどい目にあった。
…一人で耐えるしかなかった。

とてもじゃないが、自殺予防因子ではなく、「推進因子」だらけだった。
だから、よくないどころか「生き心地」はしなかった。
毎日毎日生きていくのがつらい経験ばかりだった。
そんな経験をしてきたから、なおさら本書の自殺予防因子の効力について、うなずけるところがあった。

現代のSNS上での炎上も、予防因子と逆のことばかりだから起こるのだよなあ、と確かに思う。
こういう世の中は、生きづらい。
本書を読んで、どういうことができれば、生き心地の良い集団、生き心地の良い社会になるのかが分かった思いがする。
そんなコミュニティをつくりたいものだ。

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世界2位のパスサッカー、誇らしいじゃないか!!

2022-10-05 20:23:31 | アルビレックス新潟
アルビレックス新潟を応援する身として、なんだかとても誇らしいなあと思った。
この記事のこと。


え?分からない?
そういう方は、この元の記事を見て、日本語訳してください。
さもなくば、日本語の記事なら、ここかな?


世界中の71の大会、1,226チームのデータを分析すると、なんとアルビレックス新潟のパスの回数が世界で2位だというのだ。
世界2位だよ。誇らしいじゃないか。

これは、国際サッカー連盟(FIFA)の関連調査機関である『CIESフットボール・オブザーバトリー』が公表したデータで、今季の「リーグ戦1試合平均のパス本数」を示したもの。
2022のシーズン、または2022/23シーズン開幕から9月26日までのリーグ戦を参考にしたデータなのだそうだ。

ちなみに、1位は、イングランドのマンチェスターシティ。
その1位のマンCの1試合での回数が、754回。
2位のアルビレックス新潟の回数は、711回。
ほかに3位だったポルトガルのベンフィカが708回で、世界中で700回を超えたのは、マンC、アルビ、ベンフィカしかしないのだから、なおさらすごい。
パリ・サンジェルマンやバイエルンミュンヘンなどよりも、アルビレックス新潟の方が上位に位置しているのだから、なんだか感激してしまう。



そして、日本の他チームでは、19位に、現在J1で首位の横浜F・マリノス、その下の20位に川崎フロンターレがいる、と表に示されている。

パスサッカーを展開し、強いチームが世界中で注目されているから、こんなデータが出てくるのだろう。
それにしても、日本の2部リーグであるアルビレックス新潟まで対象に入れて調査してくれてこの結果が出ていることに感激したりもする。

だけど、このニュースを日本語の記事では、
「FC東京アルベル監督の賜物!J2新潟がマンCに次ぐ世界2位に。横浜FMは19位」
と紹介されていた。
「FC東京アルベル監督の賜物」!?
確かにそうかもしれないけれど、アルベル監督ばかりを持ち上げているような見出しや内容なのが少し気に入らないなあ。
松橋監督の指導の下、さらに磨きをかけたのだぞ。

それはともかく、この世界2位のパスサッカーの強さと面白さを見せて、次節ベガルタ仙台戦に勝利し、J1昇格を決めてほしい。
昇格を期待して、チケットはすべて売り切れているから、当日は3万人を超える観衆が予想される。
大観衆の中で、今季磨かれた魅力あるパスサッカーを見るのが、今から楽しみだ。

Visca Albirex !!
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来年の村上市元旦マラソン大会の案内が届く

2022-10-04 21:08:50 | RUN


昨日、第68回村上市元旦マラソン大会の案内が届いた。
去年の今頃届いたのは、開催を中止するというものだったことを思い出す。
1年たったのだなあ…。

さて、村上市や岩船郡で行われるマラソン大会は、
1月 村上市元旦マラソン
4月 笹川流れマラソン
6月 関川マラソン
9月 かみはやし穀菜マラソン
とあるのだが、この感染症禍になってからというもの、2020年1月の村上市元旦マラソンを最後に、みな開催中止になってしまっていた。

先月、たいない高原マラソンで久々に会ったSIさんとの会話には、
「来年は、村上の元旦マラソンはあるのかねえ?」
というのも出てきた。
やはり大会開催を待望しているのだなあ、と思ったよ。
2020年までは、年明け早々に行われるこの大会で、SIさんと会って新年の挨拶をするのが恒例のようになっていたのだった。
ということは、来年また元旦マラソンに行けば、SIさんに会えるかな?

一般のランナーには、3km、5km、10kmという種目があるのだが、私は3kmや5kmでは少ない気がして、10kmを走ってきた。
60代になってから、ちょっといい練習を積めていたので、60代の部では3位とか8位とかになって、入賞の経験ができたのは、とてもうれしかった。
だが、さすがにこの頃は練習も少ないし、追い込んだ練習をしようとすると胸が苦しくなるので、もう入賞を目指したり自己記録を伸ばしたりすることはしないことに決めている。

とはいえ、2回も入賞経験をさせてくれた大会だから、速くなくても走れるのなら出場して少しでもにぎやかにできるといいのかもしれないな。


さて、今秋は、先月のたいない高原マラソンだけでなく、11月にはごせん紅葉マラソンも開催される。
そのうえ、この村上市元旦マラソン大会が開催となると、世の中は完全に以前のように戻って行くような感覚になる。
まだまだ感染対策をしながらなのだろうけれど、かつての日常に近づいていきつつあることを思わせる、開催案内の送付であった。

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久々の川堤RUN11km

2022-10-03 21:52:50 | RUN
新潟シティマラソンまで1週間を切った。
練習不足は否めないが、走ることを楽しみに行きたい。
楽しむためには、今、少しくらい走って、走り方を整えておかないと。
今日の目標、11kmを走る。
…で、どこを走ろうか?
あまり人がいないところで、しばらく走っていないところにしよう。

そこで選んだのが、加治川堤。
4月に走ってから走っていない。
普通走るときには、16㎞走るコースとするのだが、今日は11kmだから途中で折り返そう。

いざ走り出すと、まずは追い風。
楽は楽なのだが、スピードが出やすいので、走らされている感じ。
1㎞6分30秒くらいのペースで行きたいのに、5分台の走りではかえって疲れてしまう。

追い風に乗り、ススキもそよぐ中を行く。


ようやく足が慣れたのは、4kmほど走った後。
足元に咲いていたのは、イタドリの花。


中学生のころ、同級生は、これのことを「ドンゴロー」と呼んでいたのを思い出す。
その茎の中に、釣りの餌となる虫がよくいたことを覚えている。

5㎞近くなったら橋が見えた。
その橋の名前は、「さくら大橋」。


比較的新しい橋で、街灯が少ししゃれていたし、欄干には桜の模様が波のようになって付いていた。


この橋を渡って、反対側の堤を走って戻る。

川があり、遠くに山と空が見えるのは、いい風景だ。


だが、向かい風になって走りにくくなったぞ。

風にそよぐ、アキノノゲシの花。


少ないけど、黄色があざやかイヌキクイモの花。


こちら側の堤の方が花が多いのは、きっと日当たりがいいからだろう。

だから、ヒガンバナも群落のように咲いているところもあった。


…とまあ、時々足を止めて、花見RUNの要素も入れながら、向かい風の中を走った。
その風には下を向かせられ、行きより帰りの方が、1㎞あたり50秒程度遅くなってしまった。
もっと落ち着いてゆっくり走りたかったのに、風は気まぐれ、行きはよいよい帰りはこわい。
ちょっぴり疲れたぞ。

それでも、6日後にフルマラソンを走るのだから、今日はその約4分の1の距離を走れてよかった、よかった。
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苦しいときは、心の中でいつも「イノキボンバイエ」を流してきた ~アントニオ猪木氏の逝去を悼む~

2022-10-02 20:33:43 | うた
30代の働き盛り(?)の頃、仕事上いやなことがあっても、自分ががんばらないといけない場面では、自分の頭の中に、いつも自分を励ます音楽を流していた。
その音楽の曲名は、「炎のファイター イノキボンバイエ」。

プロレスラーアントニオ猪木の入場曲だった。

理不尽な状況に追い込まれたとき、自分を励ましたいとき、自分を勇気づけたいとき、私は、いつも心の中に、あの「イノキボンバイエ」の始まりのメロディーを流し、「負けるもんか」と勇気を奮い起こしていた。

私は、プロレスファンでもなかったし、アントニオ猪木のファンでもなかった。
なぜ、その曲で奮い立つのだろう?
よくわからないままに、何度も窮地に追い込まれた自分は、とにかくこの曲を想起しながらそこで踏ん張りがんばることができた。

今になって考えてみれば、やはりその曲で登場するアントニオ猪木の生き様が格好よく見えていたから、というのはあっただろう。
深くは考えたことはなかったが、アントニオ猪木は、心を揺さぶるカッコよさをもっていたのだ。

私の学生時代、「世紀の一戦」と言われながらのちに「世紀の凡戦」と言われた、モハメッド・アリとの異種格闘技戦があった。
寝転がってばかりいる猪木の姿に、がっかりした人は多かったが、ボクシングの世界ヘビー級チャンピオンと戦うプロレスラーのすごさを感じた。
また、異種格闘技戦といえば、当時世界最強の空手家と言われたウイリー・ウイリアムスとの一戦が思い出される。
場内に殺気が満ちていて、怖いくらいの雰囲気の中で行われていたのを思い出す。
最後には、第4ラウンド、リング外で猪木が場外で腕ひしぎ十字固めを決めたまま試合終了。
猪木は肋骨にヒビが入り、ウィリーは腕十字で右ヒジの腱を痛めたことによる両者ドクターストップの引き分けとなったが、まさに真剣勝負に見えた、あの緊迫した雰囲気は忘れられない。

そんな異種格闘技戦を、自らは傷つきながらも切り拓いたという生き方は、とても真似できないと、あの頃は思ったものだった。

その猪木の格好よさを、私に再び印象付けたのは、彼が現役を引退するときに披露された「」という詩を通じてだった。

この道をゆけばどうなるものか。
危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。
迷わず行けよ 行けばわかるさ。

この詩は、また別の機会にも口にしていたのを見たことがあるが、彼の生き方そのものがよく表れているのだな、と思ったものだ。

迷うより悩むより、まず自分を信じて行け!
勇気をもって、一歩踏み出せ。
その踏み出した先にこそ、後悔のない人生がある。

そんなふうに聞こえる言葉たちだった。

そうなのだ。
そういう思いを持って有言実行してきた人の登場曲だから、「イノキボンバイエ」は私を、いや私たちを奮い立たせてくれたのだろうか。

仕事を持たなくなってから、自分が窮地に立たされることはなくなった。
だが、時々この曲は聴きたくなる。

「元気ですか~!?」
「元気があれば なんでもできる!」
そう言っていた、元気をくれた人、アントニオ猪木が亡くなった。

元気に生きていきたいと思う。
「イノキボンバイエ」を時々聴きながら。

合掌。
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