新神戸駅から三ノ宮までは地下鉄でも一駅ですから歩いても15分ほどの距離です。ひさしぶりに歩きました。トップの画像は加納町の交差点にある「イスズベーカリー」の創業店。「イスズベーカリー」はいま神戸でも旬なパン屋さんの一つです。三ノ宮から元町にかけていくつも店があり、どの店もいつも賑わっています。昭和21年に出来た頃は普通の町のパン屋さんだったそうですが、このあたりは最初に進駐軍相手の、次は外国船の船乗り相手のバーやクラブがあったところで、彼らに鍛えられて本物のパンを作り出した?イスズの店の前を通りかかるとつい入ってしまいますが、多少多めに買いすぎても家で文句を言う人は誰もいません。
その横には同じく昭和20年代に開店したという「アカデミーバー」があります。駅からの距離もあって入ったことはありません。市電が走っていた頃は、目の前の交差点で市電に乗れば、酔っ払っても歩かずに市内東西どこへでも帰れたロケーションだったと思います。
大磯の吉田茂宰相の屋敷へ毎朝、パンを航空便で届けたという伝説を持つドイツパンの
「フロインドリーブ」は、震災後中山手の本店からこの元ユニオン教会の建物に移転しました。今から40数年前、初めてフロインドリーブの山食を食べた時、それまで食べていたパンはなんだったのだろうと思いました。なお、昭和45年に開店した東京・広尾の「東京フロインドリーブ」は神戸のフロインドリーブで8年間修業した人がやっているそうです。
大通りから少し入ったところにお風呂屋さんがあるのに気がつきました。
表通りで戦後づっと小商いをしていた個人経営の店は殆ど姿を消し、洒落たマンションやコジャレたショップに変わってしまって、自分が知っていた街はもうなくなっています。この大衆浴場もいつまで営業出来るのかと思います。
その横には同じく昭和20年代に開店したという「アカデミーバー」があります。駅からの距離もあって入ったことはありません。市電が走っていた頃は、目の前の交差点で市電に乗れば、酔っ払っても歩かずに市内東西どこへでも帰れたロケーションだったと思います。
大磯の吉田茂宰相の屋敷へ毎朝、パンを航空便で届けたという伝説を持つドイツパンの
「フロインドリーブ」は、震災後中山手の本店からこの元ユニオン教会の建物に移転しました。今から40数年前、初めてフロインドリーブの山食を食べた時、それまで食べていたパンはなんだったのだろうと思いました。なお、昭和45年に開店した東京・広尾の「東京フロインドリーブ」は神戸のフロインドリーブで8年間修業した人がやっているそうです。
大通りから少し入ったところにお風呂屋さんがあるのに気がつきました。
表通りで戦後づっと小商いをしていた個人経営の店は殆ど姿を消し、洒落たマンションやコジャレたショップに変わってしまって、自分が知っていた街はもうなくなっています。この大衆浴場もいつまで営業出来るのかと思います。