阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

水仙の最初の一輪

2008年03月13日 | 花・草・木・生き物
水仙の花が咲き出しました。
木瓜(ぼけ)の花芽もふくらんでいます。

スミレの草叢が元気です。
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大工道具の美しさ      三の内の完

2008年03月12日 | 神戸あちこち
日本で古代から材木として使われてきた木の実物サンプルです。



ヨーロッパの大工道具。木工部分に装飾があります。

短時間ではとても見切れない収蔵品があります。神戸に来られたら観光スポットの合間に「竹中大工道具館」を是非お訪ねください。
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まくれ雪でしょうか?めくれ雪でしょうか?

2008年03月11日 | 船橋社中

雪がこんな風に下りてくるのを始めてみました。



アキバの姐さんに札幌にお住まいのご友人が送信された画像をお借りしました。
札幌は昨日、今日と9℃まで気温が上がって暖かいそうです。

石垣の上まであった雪がだんだん下がってくるんだそうですが、ズルズル下がってくるのではなく、巻かれておりてくるんだそうです。

天上のデザイナーは素敵な造形を考えるものですね!
札幌からの珍しい画像をありがとうございました。
このシーンを愛でていただいたおかげで、神戸の地でも楽しませて頂きました。
 

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神戸「相楽園」の楠の大木

2008年03月11日 | 神戸あちこち
「諏訪神社」と「竹中大工道具館」の中間に「相楽園」があります。元神戸市長の小寺家の私邸だったお屋敷が神戸市に寄贈され、市民に公開されています。つつじが有名です。今回、34、5年ぶりに入園しました。見事な楠の木がありました。

建物は、こたびのアメリカ空軍の焼夷弾絨毯爆撃ですべて消失しましたが、「厩舎(うまや)」だけが建築当時のまま残っています。



日本庭園の池のそばに「浮き輪」が!
かって溺れた人がいたのか?神戸市港湾局のスペアーが寄贈されたのか?

私は昔から、葉が落ちた大木の枝を見るのが大好きです。


◎相楽園は、本市都市公園のうち唯一の日本式庭園であって 元神戸市長小寺謙吉氏の先代小寺泰次郎氏が明治18年頃築造 に着手し、明治末期に完成したものです。なお、平成17年11月に相楽園が国の登録記念物(名勝地)に登録されました。
戦前には、園内に豪壮な本邸その他付属建物がありましたが第二 次大戦により焼失し旧建物としては、欧風スタイルの厩舎 (昭和45年6月重要文化財指定)、塀および各門が名残をとどめています。
その後、旧ハッサム住宅(昭和36年6月重要文化財指定)、 相楽園会館(昭和38年10月完成)、茶室(昭和38年10月完成)、船屋形(昭和55年移転)などが 建築され、往時にまさる景観が見られるようになりました。 (相楽園HPから引用)

◎三田藩士・小寺泰次郎が幕末から明治維新の混乱で困窮する三田藩の財政を立て直すべく、九鬼隆義、白洲退蔵(白洲次郎の祖父)らとともに神戸で事業を起こし実業家として成功を収め、小寺の私邸として建設されたもので、1885年頃から築造を始め1911年に完成させた広大な庭園と邸宅である。当初「蘇鉄園」と呼ばれていたが1941年に神戸市が譲り受け、名称を中国古書にある「和悦相楽」より取った「相楽園」と変えて一般公開されるようになった。

庭園の形式は池泉回遊式を基本としているが、西洋文化の影響をうけて広場が設けられている。戦前までは園内に小寺家本邸をはじめとする多数の建造物があった。しかし西洋風の旧小寺家厩舎(重要文化財)以外は全て1945年6月の神戸大空襲により焼失した。現存する大楠や蘇鉄林、大灯篭、塀、門などから失われた邸宅の雄大さをうかがうことができる。

第二次大戦後になって神戸市生田区(現・中央区)北野町から旧ハッサム住宅(重要文化財)が移築保存され、神戸市の迎賓館施設として相楽園会館、茶室「浣心亭」が建設され、さらに神戸市垂水区から船屋形(重要文化財)が移設されて現在の景観に至る。(『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用)


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大工道具の美しさ      三の内の二

2008年03月10日 | 神戸あちこち
前回の掲載に磯のすーさんからコメントをもらいました。
「木を愛し、慈しみ、親しみ そして 木を活かすための技と工夫が強く感じられます。昨今の大工さん、電動ノコや電気ドリルが手放せなくなったようですが、寂しさを感じますわ。」

このコメントについこんな返事を書いてしまいました。
「以前の屋久島「縄文杉博物館」の木こりの道具写真を覚えていてくれてありがとうございます。カテゴリの「屋久島・種子島あちこち」にあります。

靴紐もファスナーでくっつけるだけの時代!
紐が結べない、鋏が使えない!
世界で一番早く退化する哺乳類ホモサピエンス日本人のような・・
人類をここまで持ってきた「便利さの追求」が、個々の人間の身体能力を劣化させていくのは、大いなる皮肉ではあります。」
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スミレが咲きました

2008年03月09日 | 花・草・木・生き物
昨年は2月18日には満開でしたが、今年の冬の寒さのせいかスミレが遅れて咲き出しました。
花の数も少ないので寂しい。


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大工道具の美しさ      三の内の一

2008年03月08日 | 神戸あちこち
諏訪山公園をほぼ真っ直ぐ下りていくと「竹中大工道具館」があります。B1階にはビデオ化された貴重な記録映像が豊富にあり、自由に見る事が出来ます。

古代から現代に至る日本だけではなく、中国や欧州の大工道具も見る事が出来て、1日居ても飽きることはありません。父方の祖母が代々の大工の家から来たせいもあるのか、道具を見ていると馴染んだ世界にいるような気がします。
余談ながら、その棟梁の家の流れから、「タンポポハウス」や木の上の茶室「高過庵」などを作った建築家、藤森照信さんも出ています。




続く
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神戸・諏訪山公園の諏訪神社                     

2008年03月08日 | 神戸あちこち

千葉県の南柏にいたときは,流山市駒木にある諏訪神社に毎年一家4人で初詣に行き、最近は東京でご縁が出来た平井にある諏訪神社に

時々お参りしているのに、2回目に住んでからでも21年になる神戸の諏訪神社にはお参りしたことがありませんでした。

諏訪山という地名は諏訪神社から取られた名前だそうで、金星台という公園がありました。
明治7年にここでフランス人が金星を観測したことからついた名前だそうです。JR元町駅から真っ直ぐ六甲山麓を目指して上がっていきます。
社務所で神社の由来を書いたリーフレットを貰いながら聞くと、「はい、この神社は信州の諏訪大社から勧請された神様を御祀りしています」とのことでした。
由来を読むと1600年前に創建されたそうですから仁徳天皇の時代に遡るようです。

金星台からはKobeの市街地がよく見えました。

K造船所のジブクレーンも見えました。前面の木をもう少し払ってもらいたいと思いました。

ルーツの地、信州の諏訪から1600年前に、ここ神戸に来られ、1182年頃の源平合戦のとき、源義経も武運を祈願したという神様に、
「ご挨拶が遅れてどうもすいません」とお詫びしながら、二礼二拍一礼し、長年の宿題をすませたような気分でほっとしました。

webから借用。

三重県四日市市の諏訪神社⇒こちら

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自動車運搬船の進水式  

2008年03月06日 | 神戸あちこち
3月5日の満潮に合わせて、午前8時50分から和田岬にあるM重工神戸造船所で6万トンの船が進水しました。このあたり一帯は、奈良時代から大輪田の泊と言われ、平清盛の時代には宋の国との大型交易船が何艘も何艘も、もやっていたところです。
船の後部を真横のアングルから見ると「機関車トーマス」ではないけど、「運搬船ロザンヌ」とでも言いたいような美しい横顔が見えていました。
船名と諸元は、
船名:“AMETHYST ACE”
全長:200m
全幅:32.26m
全高:34.52m
喫水:9.7m
自重:18,690t
G.ton:60,200t
輸送車数:6,400台
高さ34mはビルで言えば15階建てくらいでしょうか。傍に居ると真っ直ぐに切り立った城壁を見上げているように見えました。“TUG”と書いてある箇所はタグボートが押すポジションを示します。




命名式の動画はこちら
進水式の動画はこちら
船の後部。

このあと見学者が続々集まりました。

シャンパンは運搬船の構造上、船腹のサイドに取り付けられていました。

無事に神戸港に浮かんだ姿です。


大輪田泊:「潮待ちの港の中で、これ程歴史的内容のある、また戦いや戦争、そして災害により廃墟と化しては復興を繰り返して来た港は珍しい。古くは日本書紀に出てくる神功皇后伝説の時代に始まり、奈良時代から”大輪田泊”と呼ばれる良港として栄えた。特に平安時代には平清盛による大輪田泊の修築と中国宋との貿易、福原遷都、そして源平合戦による焼却。鎌倉時代には重源の大輪田泊の修築により、国内第一の港として"兵庫津"と呼ばれるようになった。南北朝時代には湊川合戦の戦場となって再び廃墟と化した。江戸時代には朝鮮通信使や北前船、尾州廻船など瀬戸内海運の拠点として栄えた。 1868年1月1日日米修好通商条約により、神戸港が開港され、交易の拠点としての地位を神戸に譲り、明治以降兵庫津は産業の拠点として発展して来た。太平洋戦争による戦災と復興、そして阪神淡路地震による震災復興と発展している」。webより引用。
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雲南省の働く女性たち

2008年03月05日 | ゲストルーム
千葉県印旛郡の住人Kさんの雲南省レポートの続きです。
「雲南省の車に続いて、働く女性をまとめてみました。
とにかく女性は働き者です。
1.上の画像はタイ族村で糸をつぐむ老婆。
2.タイ族村の屋台で民族料理の魚を焼いている女性。

3.日の出の観光ポイントで、日の出前にゆで卵を売り歩いている女性。
  でも誰も買ってくれない。なぜか物寂しげでした。

4.トラックより石炭の塊を背負う女性。この近辺は傾斜地に人家があるために、トラックはこれ以上入れないので人海戦術しかない。

5.馬をひく女性。

6.菜の花の咲く畑より帰る女性。

7.市場の果物屋のオバチャン。
青ナツメとタマリンド合計100円位を買ったら、恥ずかしそうに写真を撮らせてくれた陽気なオバチャン。

Kさん、こうしてテーマを絞って撮影するとその土地の雰囲気が浮かび上がりますね。おかげで雲南省に自分も行ったような気持ちになりました。謝謝祢!!
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ネコ犬と呼ばれている犬たち

2008年03月03日 | 身辺あれこれ
ネコと違って犬はお互いくっつかないと聞きますが、この犬たちは日向ぼこをこうして楽しんでいます。
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久しぶりの「セリのおひたし」

2008年03月03日 | 居酒屋“e”&一日の昼食と夕食
○鯖の味醂干し、○フロフキ大根とセリのおひたし、○ウドとモズクの酢の物にイカソーメン、
○まかない食の蕗のとうのミジン切りを入れた豆腐の味噌汁も貰いました。
酒は、焼酎の「黒霧島」。居酒屋“e”にて。
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