「諏訪神社」と「竹中大工道具館」の中間に「相楽園」があります。元神戸市長の小寺家の私邸だったお屋敷が神戸市に寄贈され、市民に公開されています。つつじが有名です。今回、34、5年ぶりに入園しました。見事な楠の木がありました。
建物は、こたびのアメリカ空軍の焼夷弾絨毯爆撃ですべて消失しましたが、「厩舎(うまや)」だけが建築当時のまま残っています。
日本庭園の池のそばに「浮き輪」が!
かって溺れた人がいたのか?神戸市港湾局のスペアーが寄贈されたのか?
私は昔から、葉が落ちた大木の枝を見るのが大好きです。
◎相楽園は、本市都市公園のうち唯一の日本式庭園であって 元神戸市長小寺謙吉氏の先代小寺泰次郎氏が明治18年頃築造 に着手し、明治末期に完成したものです。なお、平成17年11月に相楽園が国の登録記念物(名勝地)に登録されました。
戦前には、園内に豪壮な本邸その他付属建物がありましたが第二 次大戦により焼失し旧建物としては、欧風スタイルの厩舎 (昭和45年6月重要文化財指定)、塀および各門が名残をとどめています。
その後、旧ハッサム住宅(昭和36年6月重要文化財指定)、 相楽園会館(昭和38年10月完成)、茶室(昭和38年10月完成)、船屋形(昭和55年移転)などが 建築され、往時にまさる景観が見られるようになりました。 (相楽園HPから引用)
◎三田藩士・小寺泰次郎が幕末から明治維新の混乱で困窮する三田藩の財政を立て直すべく、九鬼隆義、白洲退蔵(白洲次郎の祖父)らとともに神戸で事業を起こし実業家として成功を収め、小寺の私邸として建設されたもので、1885年頃から築造を始め1911年に完成させた広大な庭園と邸宅である。当初「蘇鉄園」と呼ばれていたが1941年に神戸市が譲り受け、名称を中国古書にある「和悦相楽」より取った「相楽園」と変えて一般公開されるようになった。
庭園の形式は池泉回遊式を基本としているが、西洋文化の影響をうけて広場が設けられている。戦前までは園内に小寺家本邸をはじめとする多数の建造物があった。しかし西洋風の旧小寺家厩舎(重要文化財)以外は全て1945年6月の神戸大空襲により焼失した。現存する大楠や蘇鉄林、大灯篭、塀、門などから失われた邸宅の雄大さをうかがうことができる。
第二次大戦後になって神戸市生田区(現・中央区)北野町から旧ハッサム住宅(重要文化財)が移築保存され、神戸市の迎賓館施設として相楽園会館、茶室「浣心亭」が建設され、さらに神戸市垂水区から船屋形(重要文化財)が移設されて現在の景観に至る。(『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用)
建物は、こたびのアメリカ空軍の焼夷弾絨毯爆撃ですべて消失しましたが、「厩舎(うまや)」だけが建築当時のまま残っています。
日本庭園の池のそばに「浮き輪」が!
かって溺れた人がいたのか?神戸市港湾局のスペアーが寄贈されたのか?
私は昔から、葉が落ちた大木の枝を見るのが大好きです。
◎相楽園は、本市都市公園のうち唯一の日本式庭園であって 元神戸市長小寺謙吉氏の先代小寺泰次郎氏が明治18年頃築造 に着手し、明治末期に完成したものです。なお、平成17年11月に相楽園が国の登録記念物(名勝地)に登録されました。
戦前には、園内に豪壮な本邸その他付属建物がありましたが第二 次大戦により焼失し旧建物としては、欧風スタイルの厩舎 (昭和45年6月重要文化財指定)、塀および各門が名残をとどめています。
その後、旧ハッサム住宅(昭和36年6月重要文化財指定)、 相楽園会館(昭和38年10月完成)、茶室(昭和38年10月完成)、船屋形(昭和55年移転)などが 建築され、往時にまさる景観が見られるようになりました。 (相楽園HPから引用)
◎三田藩士・小寺泰次郎が幕末から明治維新の混乱で困窮する三田藩の財政を立て直すべく、九鬼隆義、白洲退蔵(白洲次郎の祖父)らとともに神戸で事業を起こし実業家として成功を収め、小寺の私邸として建設されたもので、1885年頃から築造を始め1911年に完成させた広大な庭園と邸宅である。当初「蘇鉄園」と呼ばれていたが1941年に神戸市が譲り受け、名称を中国古書にある「和悦相楽」より取った「相楽園」と変えて一般公開されるようになった。
庭園の形式は池泉回遊式を基本としているが、西洋文化の影響をうけて広場が設けられている。戦前までは園内に小寺家本邸をはじめとする多数の建造物があった。しかし西洋風の旧小寺家厩舎(重要文化財)以外は全て1945年6月の神戸大空襲により焼失した。現存する大楠や蘇鉄林、大灯篭、塀、門などから失われた邸宅の雄大さをうかがうことができる。
第二次大戦後になって神戸市生田区(現・中央区)北野町から旧ハッサム住宅(重要文化財)が移築保存され、神戸市の迎賓館施設として相楽園会館、茶室「浣心亭」が建設され、さらに神戸市垂水区から船屋形(重要文化財)が移設されて現在の景観に至る。(『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用)