阪急神戸線の昔の終点の駅があった上筒井2丁目の方に坂を下っていくと、市電が走っていた原田通りにでます。
その角に創立当初の関西学院大学の旧チャペルの建物が修復されて残っています。現在は神戸文学館になっています。
入場は無料で、明治以降の神戸ゆかりの、あるいは神戸を舞台にした小説を書いた作家たちの資料をゆっくり見る事ができます。
原田通りを西へ歩きました。いつもは車で通り過ぎるだけの道も歩いてみると、違った街並みに見えます。
新神戸駅周辺にはいつ完成したのか高層マンションが立ち、現在ももう一棟建設中でした。
生田川の対岸に大きな教会がありました。
新神戸駅から徒歩5分のこのホテルは「ダイエー」がオーナーでしたが、今は外資が買い取って営業されています。
日本で最初にスーパーマーケットを開き、日本の小売業界に革命を起したダイエーの創立者故中内さんは、今となっては乱世の一代の梟雄だったのでしょうか。
この日1日の万歩計の数字は11333歩でした。
阪急電車の王子動物園駅の北には動物園やグランド、体育館、テニスコート、弓道場などがあります。また海星や松蔭などの女子中高、市立葺合高校もあります。
葺合高校の前の坂を下りました。
市立葺合高校は戦前は旧制神戸市立一中があった場所で、太平洋戦争当時、小説家の野坂昭如(当時は張満谷昭如)が通学していました。
ここには昭和10年頃に六甲台に移転するまで神戸高商ー神戸商業大学があり、下の地図のように大正9年に十三から敷設された阪急電車の当時の終点
「上筒井2丁目」の『神戸駅』がありました。この上筒井線は阪急が三ノ宮まで延びた昭和11年から4年後の昭和15年に廃線になりました。
関西学院大学もこの場所で設立されました。webから借用したこの地図は昭和初年頃のものだと思われます。
(関西学院は昭和4年に西宮市上ヶ原に移転)
不審火で一度焼けた弓道場も再建され、通りかかったこの日は有段者たちが射場で弓を引いていました。
この場所で緊張しながら弓を引き、昇段試験を2回受けたのは遠い昔のことですが、弓道二段の免状を頂いたのは嬉しい思い出です。
葺合高校の前から坂を見上げると海星女子学院の上のマリア像が見えました。
旅行記の一部から・・
「●座間味①早速ですが、クジラの見つけ方です。
で、船からのクジラの見つけ方は簡単です。水平線をずっと裸眼で追うのです。すると、冬に息をふっとした時の息吹が白くなります。あのような感じの霞がかすかに小さく、あたかも目の錯覚のように視覚のどこかに現れます。そこで「あっ!居た!」と言えば、船長はその方向に船を向けてくれます。簡単でしょ?
実は座間味への往復の船上でも、天気さえ良ければ、この方法でクジラを楽しめるらしいです。試してください。
クジラ展望台からクジラを探すのも楽しいものです。ここでは双眼鏡が必需品です。通常はクジラ展望台には監視人が居るので、クジラの居る場所辺りを教えてくれます。そこで、双眼鏡をゆっくりと移動させながら、冬の息吹を探すのです。クジラを見つけ、そこをじっと見ていると、クジラが飛び出すのです。なぜか楽しくて時間が過ぎるのを忘れてしまうのです。」
♪ 面白くてためになる沖縄旅行記の全文はこちらです。
またこの沖縄旅行の全画像アルバムはこちらです。
クジラ用クルーザー。手前の小さな方に乗ったそうです。
「○スノボ青野が都庁前広場でジャンプ披露
スノーボード・ハーフパイプで世界選手権を制した青野令(18=スノーフレンズク)が都心でのパフォーマンスに挑戦した。7、8日に都庁前広場で行われる「Tokyo Snow Style」のイベントを前にして6日にテストジャンプも兼ねて飛んだ。普段のハーフパイプではなく約15メートルの高さがあるクオーターパイプからの滑り出しで、この日は雨も降りしきる悪条件。それでも「こういう場所に作られているのがいいですね。街中では名古屋でも飛んだことはあります。(地元の)松山でもやってみたい」と笑顔を見せていた。
○ 摩天楼をバックにスキーヤーが大ジャンプ――。東京・西新宿の東京都庁前の広場に6日、人工雪を敷き詰めたジャンプ台が出現した。
都民のスポーツ熱を盛り上げようと、都が7、8日に開くスキーとスノーボードのイベントのために特設された。6日午後には、イベントに参加するフリースタイルスキーのトップ選手らが15メートルの高さから45度の急斜面を滑り降り、クオーターパイプの曲面を使って空中で1回転したり、足を交差させたりするダイナミックな技を次々と披露した。」webから引用。
◎画像は全て山田プロカメラマン(ガンマ)が撮影したものをお借りしました。
♪見ていると新宿のど真ん中ながら、彼らが人間不在の岩山で演じているようにも見えてきました。
周囲は建て替えが進んでモダンな住宅に変わっていっているのですが。
廃屋のある場所から10分ほど歩き、阪急六甲駅の山側にある六甲登山口の大きな交差点を過ぎて神戸市営の②系統のバスが走る道を歩いていくと、神戸護国神社があります。桜の名所でもあり、近くにあるY組の本部の皆さんが初詣をしたり、日頃清掃にこられることでも知られています。よく知っている人が、昔ここの神主さんとの見合い話があったと言っていたので、前を通る度にそのことを思い出します。
その横には同じく昭和20年代に開店したという「アカデミーバー」があります。駅からの距離もあって入ったことはありません。市電が走っていた頃は、目の前の交差点で市電に乗れば、酔っ払っても歩かずに市内東西どこへでも帰れたロケーションだったと思います。
大磯の吉田茂宰相の屋敷へ毎朝、パンを航空便で届けたという伝説を持つドイツパンの
「フロインドリーブ」は、震災後中山手の本店からこの元ユニオン教会の建物に移転しました。今から40数年前、初めてフロインドリーブの山食を食べた時、それまで食べていたパンはなんだったのだろうと思いました。なお、昭和45年に開店した東京・広尾の「東京フロインドリーブ」は神戸のフロインドリーブで8年間修業した人がやっているそうです。
大通りから少し入ったところにお風呂屋さんがあるのに気がつきました。
表通りで戦後づっと小商いをしていた個人経営の店は殆ど姿を消し、洒落たマンションやコジャレたショップに変わってしまって、自分が知っていた街はもうなくなっています。この大衆浴場もいつまで営業出来るのかと思います。