阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

わが子のジャンプに心から驚くユキヒョウのママ(動画)

2018年10月09日 | びっくり画像・映像


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ひらい圓蔵亭で橘家富藏師匠の落語を2席楽しんだ

2018年10月08日 | 身辺あれこれ

圓蔵亭のサイトから「◆落語の世界へようこそ
今回は、特別に橘家富藏師匠が落語を二席披露します。
日時:10月7日(日曜日)午後1時30分から
講師:橘家富藏



同じ目線の高さかつ3mしか離れていない高座で橘家富藏師匠の落語を聞かせてもらった。この日が圓蔵師匠の命日とあって二席披露してくれた。
 こんな狭い和室というかお座敷で真打の落語をライブで聞くと、つくづく日本の伝統話芸の面白さと凄みを感じる。
やはりプロの落語は人間のおかしみとペーソスとえげつなさと生きる楽しみを伝えて余すところがない。

 落語家 橘家富蔵さん

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ゴリラのボス 「今日はこの程度にしておいてやる」  動画

2018年10月08日 | びっくり画像・映像

gorilla drags ranger

ノシノシと歩いて来る、ボスゴリラ。
(成熟したオスゴリラの背中は灰色になり、シルバーバックと呼ばれます)

撮影隊の横を通り過ぎたと思ったら、無造作に右腕を伸ばし……。

何かを引きずっている!? なんと男性だった!「たた、助かったー」

後ろを振り返る男性。

これは怖い!

パニックも起こさずに冷静に対処していますが、もしゴリラにその気があれば、人間などひとたまりもありません。

「こちらの力はこんなものだぜ」と見せつけられた格好ですが、ゴリラが優しいとなめてかかったら、大変なことになるのは目に見えています。

引用元


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国技館でアンパンマンショーを楽しむ二人

2018年10月08日 | 身辺あれこれ

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「肉食の社会史」を読んだ。諏訪大社が全国的に勧請されたのは肉食の文化と関係があるのか?

2018年10月07日 | 乱読は楽しい

【内容情報】(出版社より)
日本人は中世以降、殺生禁断の思想が広まり、一般的には肉食は禁じられてきたと考えられている。しかし、仏教伝来までは、どうだったのであろうか。
それ以後も、鷹狩りや肉を口にしたとの記述が見られるが、庶民も同じように口にしなかったのか。これまでの、「穢れ」からくる肉食の実態に迫る。
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
殺生・差別をめぐる葛藤ー人間は、動物を殺して食べることに、いつから「うしろめたさ」を抱いてきたのか、それともそれは後世の“文化”なのか。難問のひとつがここにある。
【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 禁欲から禁忌へ/第2章 肉食の実態/第3章 家畜は不浄か/第4章 殺生・肉食の正当化/第5章 諏訪信仰と殺生・肉食/第6章 武士の覇権と殺生・肉食
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎肉食を禁ずる考えは仏教の殺生禁忌思想からきたのか、それとも神祇の穢れ思想からきたのか?東国と西国で肉食に関する考えの違いはあったのか?
米と肉の関係は?身分による肉食の違いは?諏訪大社が出した鹿食免のお札の由来と意味は?
古代から近世明治までの日本文化を肉食の切り口から解き明かす。
 日本人は実は歴史を通じて肉を食べていた!! これまでの通説と最新の研究状況の違い。各説あるがそれぞれを知るだけでも面白い。諏訪大社と鎌倉幕府の強い関係も面白い。

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近頃のランチ

2018年10月07日 | ある日のランチ
☝チーズコンビーフと蒸しキャベツ


カレー焼き飯など。
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私を撫ぜて撫ぜて! 動画

2018年10月07日 | びっくり画像・映像
Bird in Need of Cuddles || ViralHog
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近頃のお寺の掲示板コレクションから  「おまえも死ぬぞ」

2018年10月06日 | ゲストルーム












コレクションの引用元

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印旛沼の里山住人夫妻のインド花紀行 そ の5完  タージマハルの観光  10月7日追加あり。

2018年10月06日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

千葉県は印旛沼の近くの栄町に住む会社同期入社のKさんと奥さんの「インド花紀行」その5です。
Kさんとはお互い四国の新居浜市の工場独身寮で出会って昭和41年に「椎(41)の会」という同期会に加入して以来の付き合いです。
⇒最後の日はタージマハルの観光だった。
前の日12時30分にムンナールのホテルを出発してデリーのホテルにチェックインしたのは翌朝午前1時。
4時間後の5時にバスでアグラに向かった。
高速道路の両側には地平線が見える平地で農地だという、時々レンガを焼く工場の煙突が見えた。
この高速道路は国営ではなく私営だという、観光客に自分の経営するホテルに来てもらう道だ。
直線道路で前後を見渡しても車の数は数台しかいない。ここはインドではない。
タージマハルは幸いにも修復工事は行われておらず綺麗な姿を見せていた。

天気も快晴で大理石の白と青空が映えていて、素晴らしい景色だった。
何も勉強せずに行ったがそこは私の素人目にはイスラム建築だったので驚いた。



墓廟フロアーのヤムナー川沿いの日陰では川からの涼しい風が吹き抜けていて街の熱気とは別世界だった。





高速道路のサービスエリアの土産物売り場に枕絵の本が売られていた。ガイドによればインドでは昔から
枕絵があるという。ネパールの観光地では枕絵を高い値段で売りつけている姿を見た記憶がある。
 今回のインド旅行ではバスの移動が30数時間あったのでいろんな景色、人々の暮らしを見た。
いつもの旅行では早朝、夕方にホテルから散歩に行くが、今回はムンナールのリゾートホテルから1回だけ
10分ほど散歩しただけだった。時間がないこともあったが外出する気にならなかった。
      ということで綺麗な写真だけで終わりにします。←
☆私の体験のインドも今回の花の台地のインドもやはりインド。インドは亜大陸と言われるだけあって広大だ。そのインドの民を銃と剣という暴力で制圧し
植民地支配したイギリス人やフランス人やポルトガル人。その歴史を誰も無視できない。はるか東海の小島の国の民とは言え、自国と他国の歴史を知らぬ国民は
国外に出れば現代をも知らぬ三流国の人間として扱われますよね

10月7日Kさんから。⇒ムンナールの街はイギリス人の避暑地として開拓されましたがムンナールに近づくと 村々にはキリスト教教会があった。 ムンナールから山奥へも1時間位走ったが村々にはやはり教会があった。 どう見てもイギリス人用の教会とは思えない。  インドはヨーロッパに占領されただけでなく、ヨーロッパ人により 中東、インド洋の島、南アフリカへ奴隷として連れていかれた。 モーリシャスは無人島だったが大航海時代に発見され、水その他の補給基地として発展していったが インド人、アフリカ人が奴隷として連れてこられた。 例えばモーリシャスの人口は、インド人60%、アフリカ人30%です。 ケープタウンには奴隷として連れていかれたインド人の住むインド街が残っています。
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キャベツなどアブラナ科野菜を食べるほど全死亡リスクが減少

2018年10月06日 | SNS・既存メディアからの引用記事

画面clickで本文に飛びます。

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池袋で映画を観たあと赤羽へまわって「まるます屋」で鯉のあらいと鯉こくを楽しんだ。

2018年10月05日 | 食べる飲む
秋葉原で山手線内回りに乗り換えると池袋までの間に巣鴨駅がある。巣鴨は50数年前、当時学生の身内が長く下宿していた街で、
大坂から住金鹿島へ出張したとき夜遅く数回泊めてもらったことがある懐かしい地名だ。
池袋のシネリーブルを探すのに2回人に訪ねて無事上映時間前に席に着くことが出来た。観客は130人ほどの箱に30人くらいいた。



映画がはねてから、昼飯をどこにしようと考えて一年ほど前に三人会のМさんに教えてもらって共に飲んだ昼からやっている「さかば ふくろ」の前まで行った。
これまでに一度しか行ってない場所だったが迷わず店まで行けて、自分の方向感覚はまだまだ大丈夫だと安心した(笑)。



店に入ろうとしたらふと池袋なら赤羽は近いことを思い出した。

確かに乗って9分で赤羽についた。まっすぐ前に一回行った「まるやす屋」へ向かった。

相変わらず店は満員だったがすぐに入れた。右隣は女子会の3人で左隣は現役の50代の人だった。

中が見えないが鯉こく。

鯉やドジョウやナマズ料理のラインアップが居酒屋にあるというのが赤羽の嬉しいところだ(笑)。
次回はドジョウとじ(丸煮)とナマズから揚げを楽しむつもりだ。

今回は長居せずに芋焼酎の水割り一杯で打ち止め。帰りは東京上野ラインの快速で上野へ、上野で山手線に乗り変えて帰った。



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ボール遊びが好きな牛がいる。

2018年10月05日 | びっくり画像・映像
Cow plays fetch - 1005400
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画家熊谷守一の日々を描いた映画「モリのいる場所」を観ました。

2018年10月04日 | 音楽・絵画・映画・文芸
熊谷夫婦の役を山崎努と樹木希林がやっている。シネスイッチ銀座で封切られたときはバタバタしていて見に行けなかった。
ネットで調べると池袋のシネリーブルでまだやっていた。シネリーブルは神戸でもよく行ったので何となく懐かしい。
映画『モリのいる場所』予告編

[映画.com]から引用。
「山崎努と樹木希林という、ともに日本映画界を代表するベテランが初共演を果たし、伝説の画家・熊谷守一夫妻を演じた人間ドラマ。

30年間もの間、ほとんど家の外へ出ることなく庭の生命を見つめ描き続けたという熊谷守一=モリのエピソードをベースに、晩年のある1日を、「モヒカン故郷に帰る」
「横道世之介」の沖田修一監督がフィクションとしてユーモラスに描いていく。昭和49年の東京・池袋。守一が暮らす家の庭には草木が生い茂り、たくさんの虫や猫が
住み着いていた。それら生き物たちは守一の描く絵のモデルであり、じっと庭の生命たちを眺めることが、30年以上にわたる守一の日課であった。そして妻の秀子との
2人で暮らす家には毎日のように来客が訪れる。守一を撮影することに情熱を傾ける若い写真家、守一に看板を描いてもらいたい温泉旅館の主人、隣に暮らす佐伯さん夫婦、
近所の人々、さらには得体の知れない男まで。老若男女が集う熊谷家の茶の間はその日も、いつものようににぎやかだった。」引用終わり。
 山崎努と樹木希林の演技は見にきて良かったが映画のつくりとしてはちょっと不満が残った。庭とモリと奥さんとのシーンだけでは盛り上がりに欠けると考えたのか、
来るものは拒まずという守一の人柄を表現したかったのかわからないが、家に集団で呼んでみんなで飲んだり食ったり歌ったりという長い場面が入っていて
映画は二つに分裂気味だった。でもトータルとしては監督はなかなか才気あふれる人で、ファーストシーンの天皇のセリフには笑いました。
 人は人の集まり・群れの中に生きるが、その人なりに自分が自分のボスでありさえすれば、どんな状況にあっても幸せなんだと思った。
熊谷守一は画家のキャリアとしては正当なルートを歩いたが若い時はとても貧しくて5人の子のうち3人まで失くしている。
その切なさは奥さんのセリフの中にさりげなく入れられていた。
「ヤキバの帰り」

この映画では好きな役者の一人の加瀬亮が熊谷家に親しく出入りする写真家の役を好演しているのもうれしかった。彼は周防正行監督『それでもボクはやってない』でデビューした。
山崎努は黒澤明の映画「天国と地獄」の誘拐犯で売り出したとき、映画館で鮮烈な印象を持った。いままでいなかった悪役を演ずる新しいタイプの俳優が出てきたと思った。
その若者がいま94歳の熊谷守一の役を演じている。時は流れ人は老いる。そこに何の不思議もない。そんなことも思わせる映画だった。




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印旛沼の里山住人夫妻のインド花紀行   その4全5の内

2018年10月04日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集
千葉県栄町に住む古い友人K夫妻のインド花紀行その4です。
⇒ムンナールの茶畑、花。











インドでは5つの州でアルコールの販売が禁止されている。ムンナールのあるケララ州は2年前から禁止となった。
旅行会社からムンナールのホテルではアルコールが無いので必要な人はスーツケースに入れて持参下さいとの案内があった。
 カース台地の麓サタラはアルコールの制限がないが泊まったホテルのレストランには置いていないという。
日本人には申し訳ないので必要数を街で購入して準備します、但し他の客より見えない様な席で
飲んでくださいと。ビール大瓶1,000円だった。









ムンナールの町の隅に禁止されているはずの酒屋があった。鉄格子沿いに対面販売するシステムだ。
夜の酒屋前の広場は大勢の人で殺気だっていた、昼も20人位が酒屋も前にいた。・・バスから見えた・・
 泊まったホテルはケララ州の経営らしく(?)街一番のホテルだ。
ここにはバーがあり、レストランではビール、ワインを置いていた。
 ケララ州コチ周辺では8月中旬に100年に一度の豪雨となり洪水が発生、インド首相も現地視察する事態となった。
コチからムンナールの移動中に川に残った流木、がけ崩れ、壊れた橋を目にした。
12年に一度のニーラクリンジの開花を目前にして州政府はコチ~ムンナールの道路復旧を優先したようだ。
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手をつなぐ三人

2018年10月04日 | 身辺あれこれ
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