「仁徳天皇陵」初の共同発掘へ。「本当は誰の墓?」宮内庁に聞いてみた https://t.co/rDAMBW0po9
— achikochitei (@achikochitei1) 2018年10月15日
画像クリックで本文が開きます。
私は8冊返して新しく4冊借りました。
この本で田辺聖子さんは川柳作家の岸本水府と彼が生きた明治大正昭和の日本という国家のありようを細部のエピソードを積み重ねて克明に描いていました。
出版当時にも興味を持ちましたが、読まずにそのままになっていました。開架式の図書館の棚で見かけて上巻を借りて読んだら期待以上に面白く下巻も借りました。
田辺聖子さんという作家の筆力と魅力をあらためて感じました。下巻を読むのが楽しみです。
図書館の蔵書はネットで確認できるので庄野潤三で検索するとまだ読んでいない本があったので借りました。
最新版の神戸のガイドブックが出たと新しく図書館に入った本のサイトに出たので借りてみました。
四日市祭り https://t.co/Q0T33Guk2t
— achikochitei (@achikochitei1) 2018年10月9日
四日市祭り 2 https://t.co/uxYIy2xf4G
— achikochitei (@achikochitei1) 2018年10月9日
画像クリックで本文が開きます。
四日市祭り2から引用
「旧四日市を語る会」岡野繁松編集 第1集より 四日市祭り
2学期になると、諏訪さんの祭りの事で頭がいっぱいであった。遠くからやってくる親類の者に会えること、小遣いが貰えること、学校が休みになること、いつもは食べられない寿司などのご馳走が食べられること、いい着物が着られること等などである。しかし、それまでには家の掃除、片づけを手伝わなければならないことである。そのひとつに、障子、れんじ洗いがあった。
障子、れんじなどを家族総出で三滝川へ運ぶ。川に中にしばらくつけて紙のふやけるのを待って洗い出す。亀の子たわしに磨き砂をつけてごしごしと洗う。力を入れすぎると障子の桟が折れるのでやかましく注意をされた。子供はざっとした洗い方なので大人がそのあとを洗いなおしていた。
洗い終わると川原で乾かす。この時になると子供は俄然元気が出てきて川の中へ。親も濡れてしまっている服にとやかく言わなかった。乾くまでのひと時、川原に腰を下ろしてのひと時一家団欒の光景があちこちに見られた。
揚げ寿司、巻き寿司、押し寿司(箱寿司)握り寿司等を造った。練のある町内では、いろいろな稽古を早くからしていた。おはやしの音に力が入ってくると祭りが近づいた印であった。高くて大きな観音開きの戸が開かれて、練りの屋台が出され、飾り付けがされて祭りを待った。
9月25日は各小学校とも全児童が引率されて諏訪神社へ参拝に行きあとは放課となった。子供は晴れ着に着かえ諏訪さんへ出かけた。練りを持つ町の者は法被に着替えて町練りに参加した。旦那衆や商家ではれんじを外し、表座敷には赤毛氈を敷き、生花をいけ、金屏風を立てて酒肴を振舞った。太い竹で組んだものを置いたりもした。練りに祝儀を渡すと木札が立てられ、練りがその前で演技を披露した。
諏訪神社の本殿前には、氏子の町の提灯が挙げられた。境内には多くの露店商が並び、公園には露店商、屋台、見世物、遊戯店があった。サーカス、ろくろく首、覗き、綿菓子、ういろう、みたらしだんご、ラムネなどの飲食、玩具、手芸品、学用品、射的、輪投げ等の店が並ぶ。ういろう屋は今年もここというように大体同じ場所に張っていた。また、新道などの町筋にも多くの露店商が店を張っていた。香具師の口上は分からなかったのに面白く聞いた。
大名行列には頼朝さんが馬に乗っていた。この頼朝さんに触ったり抱いたりすると、出世するというので姐さん連中は競って抱いたりした。北町清繁の姐さん連は、熱心に抱いたりしていた。南町にある森看護婦会の前の空き地には祭りの救護所が設けられた。
諏訪神社に入るとすぐ左側に二台の大山車の姿が目に浮かぶ。新田、浜田の大山車ではなかったか。高さが四間以上もあり、仰向いてもまだ上が見えないので、ずっと後ろへさがり背伸びをして眺めたものだった。大きすぎて町の中を曳くことが出来なかったので飾ってあるのだと聞いていた。
出版社のサイトから⇒ 著者 アストリッド・リンドグレーン 作 , イングリッド・ヴァン・ニイマン 絵 , 菱木 晃子 訳
対象年齢 > 小学3・4年から シリーズリンドグレーン・コレクション
世界中で愛されてきた,だれよりも強くて自由な女の子.「ピッピ」の物語をスウェーデン語初版挿絵と新訳で.
この本の内容
著者略歴
1941年の冬,病気の娘を元気づけるためにリンドグレーンが語り聞かせたのが,世界一強くて自由な赤毛の女の子の物語.世界中で愛されてきた「ピッピ」を,
作者自身がお気に入りだったイングリッド・ヴァン・ニイマンによる挿絵と新訳でお届けします.ハチャメチャだけど心やさしくまっすぐなピッピの活躍から目がはなせません.
「私は,自分自身のなかにいる子どもを喜ばせるために書いてきたの.それを,ほかの子どもも同じように楽しんでくれるといいなと願っただけ」
――アストリッド・リンドグレーン
◎はらはらドキドキ、次はどうなるどうなる! それがあるかないか、阿智胡地亭が本を読んだり映画を観る基準の一つだ。
昭和20年にスエーデンで発行されたこの本は全世界70国で6600万部売れた。その理由は読むと胸に落ちる(笑)。
世界中の子供やYoung-at-heartはハチャメチャな話を待っている!!