曽根麻矢子による「平均律クラヴィーア曲集 第1巻」(avex-CLASSICS AVCL-25176-7)、ききはじめてすぐに感じたのが、即興性のある演奏だということ。即興性といっても、耳なれない音を織りこんでるというのではなく、いいかえれば自在性といえるもので、その録音におけるさまざまな一期一会が、その即興性を生みだしたのかもしれません。
曽根の「録音後記」によると、「パリでのレコーディングは10年ぶり」で、「ここ数年の、ライヴに合わせて録るというやり方ではなく、別枠でのセッション」であったこと。また、「自分が希望するチーム」との録音で、パリ・コンセルヴァトワールから「門外不出の楽器」を貸しだしてもらったこと。つまりこの録音には、いつものとはちがう空気が流れていたようです。
じっさい、「不思議なことに、日本で練習し準備していったテンポやイメージとは全然違うものが、教会で指慣らししている時に湧いてきて、自分でも驚いたものでした。楽器が違うこと、場所が違うことだけでこんなに変わるなんて!」と記しています。そんなちがいが、きき手に即興性のある演奏と感じさせたのだと思います。
(じつは借りものの)曽根の録音をきいて、比較のためにと購入したのが、ピーテル・ヤン・ベルダーによる「平均律クラヴィーア曲集」(Brilliant Classics 93892)。1966年生まれのベルダーは、曽根とほぼ同世代ということ、録音も1年ちがいということで選びました(それに2巻とも収録された4CDで安価という理由も)。
曽根とベルダーをくらべると、楽器(ミートケによるブルース・ケネディ製作)はもちろん、録音の場所や録音技師もちがうので、たんじゅんな比較はできませんが、演奏をどうこういうまえに、チェンバロの響きがずいぶんちがいます。曽根にくらべると、ベルダーのチェンバロは、低音のエネルギー感が薄くきこえてしまいます。
曽根のチェンバロは、パリ・コンセルヴァトワールから貸しだされたという、デイヴィッド・レイ(調律も)が2005年に製作したもの(ヨハン・ハインリヒ・グレープナーの1739年製作のチェンバロによる)で、「当時としては異例に低いCCまでの低域をもつ」こともあり、音も深く豊かで、とても美しい響きです。
そんな楽器との出会いをはじめ、プロデューサーにスキップ・センペ(チェンバロ奏者)を擁しての録音は、それまでのものとは一味も二味もちがった演奏を生みだしたのかもしれません。その確認は、この「平均律」以前の録音をきいてたしかめる必要がありますが、そういうふうに思わせる演奏であることはたしかです。
楽譜を手にしてきいていたとはいえ、まだ第一印象的な感想なのですが、曽根の演奏はとてもみずみずしいもので、これからも何度かきくことになると思います。なお、「調律はマルブルグ調律法を基本に独自にアレンジを加え、マルブルグが合わないと感じられた曲についてはヴァロッティ調律法をアレンジしたものを用いている」とのことで、ピッチはA'=415Hzです。