もう雨は降らないだろうと、たかをくくっていたら、なんだかゲリラ豪雨のような雷雨。そんな雨にもたたられて、予定がくるってしまい、さきほどようやく夕食にありつけました。今夜はもう何もしないでやすもうかとも思ったのですが、雨のあがった夜空にも星がみえてきています。そんな夜空をみていると、せっかくの秋の夜長にすぐにやすんでしまうのはもったいない気がしたので、これからしばし、ちょっとだけBWV869つながりの、アルカンジェロ・コレッリの音楽を楽しむことにします。
きくのはコレッリの作品5から、気のむくままにいくつか。コレッリは、1653年、イタリアのフジニャーノ生まれ。ヴァイオリン奏者としても、作曲家としても名をなし、死後も弟子たちを通して影響力のあった音楽家です。コレッリは、同時代にはまれな寡作の作曲家で、出版された作品のほかは、ごくわずかな作品がのこされているだけ。しかも、2声、3声のソナタは、独奏楽器がすべてヴァイオリンのためのもの。2曲の4声のソナタの1曲に、「トランペットと2つのヴァイオリン」という例外があるだけです。作品6のコンチェルト・グロッソも独奏は「2つヴァイオリンとチェロ」なので、コレッリはまさにヴァイオリンの申し子といえるでしょう。
作品5については、「イタリア・バロックを代表するコレッリのヴァイオリンソナタ作品5」(「私的CD評」)にくわしい解説があるのでそちらにゆずり、ここでは、トリオ・ヴェラチーニ(ジョン・ホロウェイ、デヴィッド・ワトキン、ラルス・ウルリク・モルテンセン)の演奏について説明しておきます(Novalis 150 128-2)。一般にこの作品5は、ヴァイオリンと通奏低音で演奏され、通奏低音に複数の楽器をもちいます。ところが、ホロウェイたちは、「Sonate a violino e Violone o Cimbalo」、つまり「ヴァイオリンとヴィオローネあるいはチェンバロのためのソナタ」を字義どおりに解釈し、ヴァイオリンとチェロ、あるいは、ヴァイオリンとチェンバロで演奏しています。
コレッリの真意がどうだったか、いまとなってはわかりませんが、ホロウェイたちの試みは耳にも新鮮で、アカデミックな雰囲気が醸しだされています。証言や逸話などからすると、コレッリは技術をほこるための技術をきらっていたらしいので、コレッリの演奏もホロウェイたちのようだったのかもしれません。とにかく、ヴァイオリンと複数の低音楽器とによるにぎやかな演奏とは一線を画すもので、ホロウェイたち試みは評価できると思います。ところで、教会ソナタの緩急緩急は、コレッリが完成したといわれますが、教会ソナタとされる作品5の前半6曲には、これにあてはまるものはありません。どうしてそうなってしまったのでしょう。