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『鹿児島のキリシタン』 パチェコ・ディエゴ著

2013年12月12日 | 本と雑誌

131212_book_kirishitanこれは図書館の特別整理期間前にまとめて借りたキリスト教関係の本のうちの一冊。

『天文十八年―鹿児島でのザビエルとヤジロー』 [単行本] 
新村 洋   (著) につづいて読んだ。

amazon 本 検索でも見あたらないので調べ物をしながらこの記事を書いています。

聖フランシスコ・ザビエルが鹿児島に来航した時代(1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたことで有名)から、明治初年のキリシタン禁制停止までの鹿児島におけるキリシタンの歴史を紹介する。

薩摩は日本で最初にキリスト教と接触した地であった。それは、全く新しい世界観に触れる機会を持ち得た幸運な土地であったことを意味する。

しかし、ザビエルをはじめ、その後、来日した宣教師たち事跡や、はじめてキリスト教に触れ、ヨーロッパの文化に接した往時の鹿児島人たちの反応についてはあまりに知られていない。

本書はそのことについて学術的に徹底的に研究するというのではなく、歴史の流れをとらえながら、多くの写真も使いながら一般読者向けにわかりやすい表現で書かれている。

なかでもザビエルと福昌寺 (鹿児島市)について興味を覚えたので、wikipediaで調べてみる。

薩摩は他の地域に比べキリスト教に寛大であったことがわかる。

wiki キリスト教と福昌寺
フランシスコ・ザビエルは鹿児島滞在中、島津貴久によってこの福昌寺を宿所としていた。この時に当時の福昌寺住持であった15世忍室とはかなり親しくしており、ザビエルは書簡で忍室のことを激賞している。

ザビエルが親しくした福昌寺住持、忍室(にんしつ)についても調べる。

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福昌寺跡のキリシタン墓地
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