奄美 海風blog

写真。植物や本 ネットで映画感想。相撲見てツイート
04年4月~14年11月ブログ人
トップへはタイトルをクリック

『島津の陣風』 義久の深謀、義弘の胆力 単行本 – 2017/2/7

2017年07月08日 | 本と雑誌

島津の陣風 義久の深謀、義弘の胆力 単行本  – 2017/2/7

片山洋一 (著)  
 
5つ星のうち 5.0
       1 件のカスタマーレビュー

関ヶ原の義弘の敵中突破(島津の退き口)のシーンから伊集院一族粛清までを描いている。

関ヶ原戦の他、予備知識として

島津氏家中最大の内乱である庄内の乱(しょうないのらん)

慶長4年(1599年)に日向国庄内(現在の宮崎県都城市及びその周辺)で起きた、島津氏とその重臣である伊集院氏との争乱である。この乱は、島津氏家中最大の内乱であり、最終的には徳川家康の仲介により解決に至ったものである。また、慶長の役直後、関ヶ原の戦い直前の大乱であり、島津氏が関ヶ原の戦いに大軍を送れなかった原因になったともいわれている。


豊臣秀吉による九州平定 戦後処理

など押さえておきたい。

ほかに、明船襲撃、西軍唯一の領地安堵を勝ち得た背景に、琉球、奄美(道の島)もあったと思うが、紙幅の関係もあって詳述されているわけではない。

澪標(みおつくし) p223 本多正信「島津が果たして澪つ串となるか試してから、どのような形で赦すかを考えても遅うはござらぬ」

wikipedia澪標は川の河口などに港が開かれている場合、土砂の堆積により浅くて舟(船)の航行が不可能な場所が多く座礁の危険性があるため、比較的水深が深く航行可能な場所である澪との境界に並べて設置され、航路を示した。

本多正信:家康の重臣で江戸幕府の老中(側近であり頭脳役であり友)