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『やっぱり、人はわかりあえない』 (新書) 中島 義道 小浜 逸郎 (著)

2010年02月01日 | 本と雑誌

100201bookphilosophy ラーメンの写真がたのしいのだけど、今年は何冊の本の写真を撮ることができるのか?カウントします。

やっぱり、人はわかりあえない』 (PHP新書) 中島 義道 小浜 逸郎 (著)

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amazon 内容(「BOOK」データベースより)
“ならず者”の哲学者と“ふつう”を尊ぶ思想家。二十年にわたり論壇で異彩を放つ同世代の二人が、五年前に邂逅。「人間づきあい」「ものを書く理由」「善悪」「愛」「幸福」「未来と死」「哲学と人生」の7テーマで、殴り合いの往復書簡が始まった。そこで浮き彫りになった感受性と信念の明瞭な違い。「小浜さんの本を読むと、そのまともさにイライラします」「中島さんはワルぶってるけど、まともな常識人でしょ?」―どんなに言葉を尽くしても、人はわかりあえないものなのだ。そんな絶望的な存在だからこそ見えてくるものがある。

新書: 229ページ
出版社: PHP研究所 (2009/7/16

名前をしらなかった、この哲学者と思想家の二人の本は、よく読まれているらしい。

この本を手にして買おうと思った動機。

むかし読んだ奄美関連の本にうろ覚えだが、「わかりあえないのは百も承知で、笑顔でこちらを迎えいれる島のおばあちゃん」とかいう言葉があったのをナゼか覚えていた。

だれの本でどんな文脈で書かれていたのか、もう正確には思い出せない。
読んだ当時、その著者のそういう感受に感心しのだが、今では、おばちゃんがどういう経緯(そのおばあちゃんの個人的経験だけではないのかもしれない)でそういう達観にいたったとその著者が思ったのか、知りたいところだが、もちろん、きょうのこの本にその答えがあると期待したわけではなかった。

そして、当然だが、この本を読んでもやっぱり、わからなかった。しかし・・・。

”ならず者の哲学者”、と”ふつうを尊ぶ思想家”というが、本などを書く人に、ふつうの人はそうはいないのではないか。

本書の二人の議論は、かみ合っているようには読めなかったが、”ならず者の哲学者”が”ふつうを尊ぶ思想家”を勝たせてあげた、という印象が残った。
まあ、たしかに、あの島のおばあちゃんに言わせても「哲学は単なる気晴らしである」というならず者の哲学者のいうとおりかも知れない。「単なる」などと言うから、「旅程で進みあぐねたとき、哲学は現れる」という”ふつうを尊ぶ思想家”に突っ込まれるのである。相手にわざわざつっこみどころをさりげなく与えておく”ならず者の哲学者”は、やっぱりこころやさしい常識人なのかもしれない。が、やっぱりわからない。

いつも規則正しい散歩を日課としていたイマヌエル・カント( 1724年 - 1804年)がジャン=ジャック・ルソー(1712年 - 1778年)の「エミール」を読みふけってしまい、いつもの散歩を忘れてしまったというエピソードを思い出した・・・。


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