渡辺 宏 (著)
この記事はかきかけです。
薩英戦争のきっかけとなった生麦事件は、
2011年1月24日 (月曜日)
『生麦事件』 吉村 昭 (著) [単行本]
を読んで興味をもった。
そのあとがきに、”生麦事件(1862年9月14日)が、幕府崩壊、明治維新成立の上できわめて重要な意義をもつものであるにもかかわらず、専門の研究者がいなかった”ことに著者は驚いたとあったのが印象に残っていた。
事件当時、西郷隆盛は、奄美二度目の、徳之島・沖永良部島遠流 を命じられていて、まだこの物語りには登場しない。
薩英戦争の戦後処理に重要な役割りを果たし、奄美大島に西郷と同じ時期に遠島になっていた、重野 安繹(しげの やすつぐ=江戸末期から明治初期に活躍した漢学者、歴史家。日本で最初に実証主義を提唱した日本歴史学研究の泰斗、また日本最初の文学博士。通称は厚之丞wiki)について知りたい気持ちもあって読んだのだが、ここまではまだ本格的な登場はない。
薩摩藩が当時、これだけのことができた経済的背景を考えると奄美や沖縄と無縁ではない。という意味でも読みたかった。
『明治維新のカギは奄美の砂糖にあり』 薩摩藩 隠された金脈 (アスキー新書) [新書]
大江 修造 (著)
生麦で死亡した、リチャードソンに最初の一太刀をあびせたのは奈良原喜左衛門であると
いうのが定説だが(『薩藩海軍史』)喜左衛門の弟の奈良原喜八郎との説もある。
奈良原喜八郎(奈良原 繁ならはら しげる。のち沖縄県知事に就任し、異例の16年にわたって在任し「琉球王」の異名をとった)
物語は、生麦事件の起きる文久2年8月21日(1862年9月14日)の16日前、薩摩藩の小松帯刀らが幕府の監視を欺くため、半天に大工姿に変装してイギリスのジャーディン・マセソン商会横浜支店長とのガウアーと会いに行く場面から始まる。
今後の薩摩藩との蒸気船などの取引のためだ。
本編最後のほうでは、鹿児島湾にやってきたイギリス艦隊に対して、武士が変装する「スイカ売り決死隊」の場面もある。
薩摩は変装 偽装が得意なのか、奄美の人々も、琉球人にさせらられたり日本人にさせられたり、ときには中国人にさせられたりしたこともあったのだろう。
薩摩は、議を言うな などの堅苦しいイメージがあるが、本書では郷中教育の「穿議」 談合(奄美方言でもだんごなどとよく使う)など、身分の上下関係の間で比較的自由に物が言えたことや、クリエイティブ・シンキング・コース ブレーンストーミングP285など組織における改革改善の歴史など意外な面も強調されていたように思う。
つぎの怒涛編もよむつもり。
amazon 内容紹介
超大国イギリスを撃て!―― 生麦事件に端を発した薩英戦争。 超大国を相手に薩摩はどのように準備をし、戦端を開いたのか。幕府、朝廷はどう動いたのか。細部に至るまで渾身の力が注がれ、膨大な資料に基づいて史実は再現された。本書は空前の幕末スペクタクル巨編である。登録情報
単行本: 292ページ
出版社: 南方新社; 1版 (2009/3/4)
言語 日本語発売日: 2009/3/4
薩英戦争 疾風編 価格:¥ 3,045(税込) 発売日:2009-03-04 |