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『琉球からみた世界史』 [単行本]

2011年12月09日 | 本と雑誌

111209_book_ryukyu 琉球からみた世界史 [単行本]

村井 章介 (編集), 三谷 博 (編集)

カバー写真
テ・ィオゴ・オーメン作「アジア図1558年(大英博物館蔵)
表=極東部分拡大 裏=全体図
ボルトガル人のごく初期の琉球・日本認識を示すもので、
琉球.のなかに日本の西西端部分が描かれ.太平洋に
あたる海に「琉球海」と記されている。(説明文より)

寝転がって読めるような本ではないのに、布団の中で読んでしまった。

タイトルの意味を考えるだけで頭がいたくなりそうだが、最後の「8章 世界史からみた琉球処分-「近代」の定義をまじめに考える 」のところにきて少し目がさめた。

「7章 ペリー艦隊の琉球来航-西洋の衝撃と対応をめぐって」も興味深く読めた。ペリー艦隊の乗組員の琉球住民に対する乱暴狼藉の話はなにかの小説で読んだ気もするが、日本本土でもあったのだろうか、また公式記録があるのだろうか。

琉球・沖縄の歴史がこのまま「知る人ぞ知る」になってしまったらこの先日本はどうなるのだろうと思う。この2007年のシンポジュウムは反響が大きかったそうだが、あれから政権交代、普天間問題、震災、原発事故など昨今に日本の現状に照らして考えると「8章 世界史からみた琉球処分-「近代」の定義をまじめに考える」は目からうろこ。

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出版社 / 著者からの内容紹介
2007年11月17日に開かれた史学会第105回大会の公開シンポジウム「琉球からみた世界史」の成果を取りまとめ、関連する論文の寄稿もあおいで、現在の琉球史の研究状況を俯瞰し、さらに今後の課題を考えようとするもの。「キカイガシマ」海域の考古学、古琉球をめぐる冊封関係と海域交流、ラタナコーシン朝初期シャムにみる「朝貢」と地域秩序、鄭秉哲の唐旅・大和旅、琉球と朝鮮の儒教、ペリー艦隊の琉球来航、世界史からみた琉球処分、の8章構成。

amazon 登録情報
単行本: 161ページ
出版社: 山川出版社 (2011/06)

発売日: 2011/06

商品の寸法: 21.2 x 14.6 x 1.2 cm
おすすめ度: 5つ星のうち 5.0  レビューをすべて見る (1 カスタマーレビュー)
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もくじ:序
1章 「キカイガシマ」海域の考古学-「境界領域」としての奄美群島
 はじめに
 1 ヤコウガイ大量出土遺跡(奄美大島)
 2 「カムィヤキ古窯跡群」(徳之島)
 3 「城久遺跡群」(喜界島)
 4 散乱する滑石製石鍋(大隅諸島)
 5 寺社に奉納された貿易陶磁器(トカラ列島)
 6 「キカイガシマ海域」の歴史的性格
2章 古琉球をめぐる冊封関係と海域交流
 はじめに
 1 冊封体制下の琉球
 2 『歴代宝案』から海域交流をかいまみる
 3 ヤマトとの私的関係から琉球中心の君臣秩序へ
 むすびにかえて-薩摩への従属化
3章 久米島と琉球国-久米島おもろの世界
 はじめに
 1 久米島と「やまと」
 2 中山への入貢と支配領域
 3 久米島と宮古,八重山
 おわりに
4章 ラタナコーシン朝初期シャムにみる「朝貢」と地域秩序
 -「まるで琉球のようだ」(伊藤博文 1888年1月23日)
 はじめに
 1 清朝への朝貢と交易
 2 冊封とシャム王権-二世王の事例
 3 シャムと周辺諸国-ベトナムとカンボジア
 おわりに-「まるで琉球のよう」だったのか
5章 鄭秉哲の唐旅・大和旅-皇帝と話をした琉球人
 はじめに
 1 久米村の鄭秉哲-そのキャリアと五度の唐旅
 2 日本における鄭秉哲-大和旅の諸相
 3 最後の唐旅-皇帝との会話
 おわりに
6章 琉球と朝鮮の儒教
 はじめに
 1 琉球儒教の特色
 2 朝鮮儒教の特色
 結語
7章 ペリー艦隊の琉球来航-西洋の衝撃と対応をめぐって
 はじめに
 1 ペリーの通商戦略
 2 琉球に対する認識
 3 琉球王府の外交
 4 外圧と民衆
 むすびにかえて
8章 世界史からみた琉球処分-「近代」の定義をまじめに考える
 はじめに-「近代」という厄介な主題
 1 近代=国民国家論再考
    -琉球処分はナショナリズムの論理で遂行されたのか?
 2 近代=主権国家論再考
    -琉球処分は必然的に朝貢体制を破壊したのか?
 3 西洋近代再考
    -そもそも近代とはいかなる体制なのか?
 4 東アジア(初期)近代再考
    -西洋との分岐はどこで生まれたのか?
 5 日本近代再考
    -日本史が世界史上で占める位置とは何か?
 おわりに-「近代から近世へ」の転換点に立って
あとがき

琉球からみた世界史 琉球からみた世界史
価格:¥ 3,360(税込)
発売日:2011-06


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1 コメント

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自分に必要なものがあるならば、自分自身でそれを... (noga)
2011-12-10 20:58:05
自分に必要なものがあるならば、自分自身でそれを取得する算段をしなければならない。
それが、大人というものである。
http://sns2.sasayama.jp/modules/topic/topic_view.phtml?id=70572&grpcd=112695

他力本願・神頼みでは、自分の理想はひとりでに実現しない。
言霊の効果を期待して無為無策を決め込んでいれば、閉そく感は増すばかり。
そこで、伝統的な諦観に入るか。浪曲師・語り部となるか。
http://sns2.sasayama.jp/modules/topic/topic_view.phtml?id=70269&grpcd=112695

日本人には、意思がない。
意思のあるところに、方法はある。
意思は、未来時制の内容である。
日本語には、時制がない。だが、英語にはある。
http://sns2.sasayama.jp/modules/d/diary_view.phtml?id=68993&y=2010&m=1

意思があれば責任がある、罪もある。
意思がなければ、罪もない。子供・アニマルと同じである。
犠牲者が出れば、日本人は意思がないので加害者になることはなく、被害者になる。
そして、他人を非難する。
http://sns2.sasayama.jp/modules/topic/topic_view.phtml?id=74119&grpcd=112695

日本人には、世界観がないので、未来社会を念頭において建設を進めようとする意欲がない。
政治の大局を見て良しとする考え方がない。
議論も重箱の隅を楊枝でほじくるように非建設的なものになる。

内閣も短期間で次々と変わる。
政局を安定させ建設に励もうとする国民的な内容は見当たらない。
どうしても建設が必要となれば、日本人の批判そのものを禁じるしかない。
このようなメンタリティでは、国がひっくり返っても学習は進まない。
http://sns2.sasayama.jp/modules/topic/topic_view.phtml?id=71357&grpcd=112695

世界観がなければ建設計画もなく、日本人同士でも議論は不毛となる。
ピントはずれの議論下手では英米との外交などできるはずもない。
会議では、発言もなく、微笑んで、居眠りをするばかり。
http://sns2.sasayama.jp/modules/topic/topic_view.phtml?id=73354&grpcd=112695

日本人は、知的能力改善のために日本語と英語を併せて学ぶべきである。
大人になるためには、英米の高等教育の助けが必要である。
日本独自の励みでは、子供にも理解可能なマンガ大国にしかならない。
http://sns2.sasayama.jp/modules/d/diary_view.phtml?id=68478&y=2009&m=12
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