奄美 海風blog

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幕末、奄美の気候と桜

2008年02月10日 | うんちく・小ネタ

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↑ 奄美市名瀬小宿 共同墓地のヒカンザクラ 今日午前

080210book ←南島雑話 幕末奄美民俗誌 1 、2

平凡社 東洋文庫 

幕末のIターン者?が感じた奄美の気候と桜

幕末に、奄美大島に流刑となった薩摩武士、
名越左源太(なごやさげんた google)が
感じた今頃の名瀬の気候と桜

この本は字を読むのは、すこしたいへんですが、
詳細な絵入りなので、ブログのように楽しめる。

名越左源太は、嘉永3年(1849)の春から名瀬の小宿(こしゅく)に民家を借り、遠島を許されるまで、約5年間奄美に住んだ。

この人は,
文武にすぐれた一級の知識人で、当時島民にも慕われたようである。

そのほか重野安繹(しげの やすつぐgoogle)江戸の昌平黌に学び、罪を得て奄美大島阿木名村に7年間流された。維新後、東京帝国大学名誉教授。日本最初の文学博士)など多くの知識人が奄美各島に流され、奄美の子弟に教育をほどこしたということは、次回の勉強とする、

名越左源太 南島雑話  1の132頁
南島雑記

季候之事 
 
「新玉(あらたま)の年立かへる初春より、余寒なく早や暖かになれども、雨勝ちにして快晴なく長閑(のどか)なる春の景色なければ、木伝ふ鶯(うぐいす)も春を告ぐれども高音なく、ホケホケの声も漸(ようよう)にして早し。」中略

と、これは、ちょうど今頃のことではないかとおもう。
きょうも雨がちなる名瀬です。
春を告げているのは、メジロではなく、チャッ、チャッと鳴く、マチキャのことだと思われる。

「春を告げる情けばかりは愛すべけれど、吾藩(鹿児島)の声限りの初音を聞し耳にては、嗚呼持前の声をとのみ意(こころ)に願ひて覚ゆ。
亦(また)吾藩の桜木一、二本移し植て、木は大木になりしあり
花稀々(まれまれ)に咲き出、意柄(こころがら)かして桜花の如くあらず、賞翫(しょうがん=事物の美しさ・良さなどを味わい楽しむこと)薄し。」

このころは文字を読むひとは少なかったろうし、読者を気にすることなく、左源太は随所で本音を述べている、ところがおもしろい。(なかには?と思う評価もあるのですが)

また、本茶峠の桜並木などは、このころ無かった。

「しかはあれど吾藩の花と思ひ珍しければ、彼の花にをかしくも詠ぜしことあり。」

「此(この)島に一本の桜咲くを見て面かけかすむ故郷の春」

(中略)


「暖地にて暑気は強かるべきを左には無く、吾藩より却って和やかなるを覚ゆ。」

左源太は、その理由として

「是(これ)山林草木繁茂し、馬場筋狭く石垣なく庭にも石を使うことなく、浜島なれば涼風吹きすさぶが故なり」

とのべている。


寒気吾藩より余程微冷なり。極寒の肌持時半に袷(あわせ)一枚、(中略)

中略

このあと

蘇鉄之事 
「南島は、我藩の恩沢を蒙(こうむ)りて今日を渡ると雖(いえど)も」以下略 

とあるのですが、おそれながら、うりや、逆しまや、ありょうらんにゃ、と思う話と、なぜ蘇鉄はソテツというかという話は、次回ににつづく。

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名瀬に久しぶりの青空サンシャイン

2008年02月08日 | 気象 お天気

きのうは、このブログのOCN ブログ人のメンテナンスでした。

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↑↓ 奄美市名瀬長浜町 海風荘 駐車場(8番)の桜とハイビスカス

名瀬の街なかの緋寒桜も満開になりつつあります。

名瀬は、すこし寒い日がつづいていますが、

1月下旬から2月初旬ごろから、平均気温、日照時間などの平年値が底を打って、これから暖かくなっていくころです。(←気象庁で確かめる↓)

夏の名瀬の気温は、鹿児島市と比べてもほとんど変わりませんが、冬の気温が、大きく違うところ(その差は小さくなっている傾向にあるようだ)が、奄美の気候の海洋性をしめしています。

名瀬2月の日ごとの値

名瀬 1月の日ごとの値

名瀬 3月の日ごとの値

名瀬  平均気温   1月 14.6  8月28.1
鹿児島 平均気温   1月 8.3   8月28.2

気象庁 過去の気象データ検索

平年値(日ごとの値)
降水量
平均気温
最高気温
最低気温
日照時間
日射
平均雲量 など

ただし、2005年3月5日には、奄美の高い山では19001年以来記録のない雪が降り、ニュースにもなったのですが、これも記録には残らなかった)

これまで名瀬の気温がもっとも低かったのは1901年2月12日の3.1度である。

きょうの名瀬
12時 15.7℃ 降水0.0 北 2m/s 日照0.4h 湿度45 1020.5hpa

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↑↓本茶(ほんちゃ)峠(龍郷町) のヒカンザクラ 今日10時ごろ写す

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本茶峠 桜並木のすきまから見える山と海

♪お日様がとけて、まもなく青い海に。


桜、花と実と新芽が同時

2008年02月05日 | 植物

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↑ 湯湾岳公園入り口のヒカンザクラ

メジロたちも見捨てたり、完全葉桜。去年暮れに咲き始めた。

根元の土に返りたいか、山桜の花。

ワゴン車や、観光バスは、道路にはみ出した低い枝を避けて通る。

黄葉、落葉、つぼみ、開花から赤ジュウタンまで見届けたが、今年は満開を見逃した、「なぁ、さくら」。国会中継で見逃した里山の相撲も二番あった初場所だった。

さまざまの 事おもひだす 桜かな(芭蕉 1644~1694年)

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↑ さくらと芭蕉(島バナナ) 龍郷町

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↑フォレストポリスの昨日の写真を縮小しないで切り取った。

花とサクランボと新芽が写っていた。今年咲いて落ちた花からできた実と思われるが、見たわけではない。花は7~8分ほど残っている。

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↑ なんとなく、いい感じなので載せた。


立春の桜 きのうの北風 はな散らす

2008年02月04日 | うんちく・小ネタ

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大和村 村営公園 フォレストポリス(地図) 水辺の広場

これも、ヒカンザクラの一種なのだろうか、花びらが一枚づつ、ひらひらと遠くへ

というのは、奄美ではめずらしいかも。

「風よりさきに 来ても見るべ」きだった。

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駐車場を下ったところに田畑佐文仁開田跡(福元用水路)がある。

080204cherry8工事は1720年に着手
用水路には、2つの隧道(トンネル)工事の跡が手付かずに残っている。
その緻密な測量技能は、江戸時代の中期当時の一流の土木遺産といえるという。(参考にした説明板の前の緋寒桜は満開だった)

奄美の 開拓の父ともいわれる田畑佐文仁は1678年、龍郷の生まれ。
干拓の功により藩公から田畑姓を賜った。
西郷が龍郷に潜居した時寄寓した家の当主 佐運(当時は異母弟佐民が管理)は佐文仁から7代目にあたる。

ほかにも、ここ福元盆地は、さまざまな歴史を秘めた土地でもある(うんちく続く)

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江戸がどうしてもなじめない、一茶はこう詠んだ。

みかぎりし 故郷の山の 桜哉

小林一茶(1763~1828)wikipedia

奥信濃の故郷柏原の桜は、江戸の桜より色濃いオオヤマザクラだった。(うんちくつづく) 

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つつじが咲いていた。


一ノ矢 断髪式と同時に披露宴

2008年02月03日 | 大相撲

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↑徳之島 2006年12月6日 46代横綱・」朝潮太郎銅像前で、もち投げ。

昨年11月場所後に46歳で引退した
元三段目一ノ矢(高砂部屋)が2日、
東京都内のホテルで断髪式を行い、
約550人が集まった、というニュース。

披露宴も同時に!一ノ矢が断髪式
スポニチAnnex

くわしい模様は

高砂部屋 一ノ矢ブログ
シマがくれた力 

でも公開されている。

一ノ矢は徳之島出身

戦後最年長力士、初の国立大学出身力士(琉球大)としても知られる一ノ矢は1983年11月場所が初土俵。
数少ない相撲理論の研究者としても知られている。

相撲を科学する一ノ矢/スポッ人ライト
nikkansports.com

情報によると、この日は引退後に結婚した妻との披露宴も同時に行い、25年目で初めて大銀杏を結った。

奄美が誇る大先輩の式には、奄美出身力士の十両・里山(幕内2場所)と旭南海(今月9日に披露宴)もならんで出席し、断髪式では、高砂部屋の横綱朝青龍もはさみを入れ、披露宴では入門当時の思い出話のスピーチをした。

一ノ矢は朝青龍の面倒を新弟子時代からずっと見続けていたため、朝青龍は横綱に昇進した現在も敬意を込めて「一ノ矢さん」とさん付けで呼んでいて、「彼ほど恐ろしい力士はいない」と一ノ矢を尊敬しているという。

一ノ矢充 wikipedia より

このブログ
2007年1月 9日 (火曜日)
大相撲、現役最年長力士、一ノ矢の研究/奄美出身行司 木村寿行(現在、幕内格)

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奄美のさくらの季節はまだまだつづく ヒカンザクラ紅白ハナハナ花

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奄美空港近くの県道の植樹帯でグラジオラス?ふつうは、大型連休ごろ、赤かオレンジ色


桜は龍郷か

2008年02月02日 | 日記・エッセイ・コラム

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↑ 西郷松 saigo pine

西郷隆盛 wikipedia

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↑↓ 西郷上陸の地の桜

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↑ 2006年2月4日撮影 西郷南州謫居跡(さいごうなんしゅうたっきょせき)

西郷遺跡 西郷の家(明治42年原型の通り改築)

上陸の地からすこし離れたところにある。

新築落成のとき西郷が手植えした緋寒桜(枯れたあと、根から新芽が出て成長したものであるという)。その横には龍郷で生まれた西郷の長男、菊次郎(のちに京都市長をつとめる)が後年植えた柿の木がある。

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家の前の 勝海舟の筆になる石碑は有名である。江戸開城 勝・西郷会談 google

通りから桜が咲いているのが見えた。ここもやはり今年は開花が早いかも。

遺跡の拝観は、やさしい鹿児島スイスイなび(西郷南州謫居跡)を参考にしてください。(現在、拝観料が必要です。4時半まで)

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土俵の向こうに西郷の家が見える。

西郷は潜居中、村の子弟に読書や手習いを教え、自宅の裏庭に弓場や相撲場をつくり共に体を鍛えた、という。

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西郷遺跡のある通り。桜の木が植えてある民家が多いような。


今日も本茶峠の桜 つれづれ折節 花は盛りに

2008年02月01日 | うんちく・小ネタ

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散ってもきれい、ヒカンザクラ

これから満開の木もある峠道の桜

すごいカメラを持った人を見かけたので、今頃が見ごろ、撮り(鳥)ごろか、と思った。

<名瀬 2月1日 11時 13.3℃ 降水0.0 東北東 1m/s 日照0.0h 湿度75 1022.8hpa>

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つれゞ草 上
第19段 折節

折節の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。
「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今一(ひと)きは(さらに一層)心も浮き立つものは、春のけしきにこそあンめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、墻根(かきね)の草萌え出づるころより、やや春ふかく、霞みわたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、折しも、雨・風うちつづきて、心あわたたしく散り過ぎぬ、青葉になりゆくまで、万(よろづ)に、ただ、心をのみぞ悩ます。花橘(はなたちばな)は名にこそ負へれ、なほ、梅の匂ひにぞ、古(いにしへ)の事も、立ちかへり恋しう思い出でらるゝ。山吹の清げに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。

「灌仏の比(くわんぶつのころ- 陰暦4月8日釈尊の誕生日)、祭の比、若葉の、梢涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」と人の仰せられしこそ、げにさるものなれ。(中略)

さて、冬枯のけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀(みぎわ)の草に紅葉(もみじ)の散り止まりて、霜いと白うおける朝(あした)、遣水(やりみず)より烟(けぶり)の立つこそをかしけれ。(中略)

かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとはみえねど、ひきかへめづらしき心地ぞする。大路のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。

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つれゞ草 下
第137段 花は盛りに

 
花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ見るものかは。
雨に向かひて月を恋ひ、垂れ込めて春の行衛(ゆくへ)知らぬも、なほあはれに情け深し。 咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ、見どころ多けれ。

歌の詞書(ことばがき)にも、
「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ。」とも、
「障(さわ)ることありて、まからで。」なども書けるは、「花を見て」と言へるに劣れることかは。花の散り、月の傾くを慕(した)ふ習ひはさる事なれど、殊(こと)にかたくななる人ぞ、
「この枝、かの枝、散りにけり。今は見所なし。」などは言ふめる。
 よろづのことも、始め終はりこそをかしけれ。男女の情けも、ひとへに逢ひ見るをば言ふものかは。逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契(ちぎ)りをかこち、長き夜をひとり明かし、 遠き雲井を思ひやり、浅茅(あさじ)が宿に昔をしのぶこそ、色好むとは言はめ。

 望月の隈なきを千里の外まで眺めたるよりも、暁近くなりて待ち出でたるが、いと心深う、青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる木の間の影、 うちしぐれたるむら雲隠れのほど、またなくあはれなり。 椎柴(しいしば)・白樫(しらかし)などの、濡(ぬれ)たるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身に沁(しみ)て 心あらむ友もがなと、都恋しう覚ゆれ。
すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨(ねや)の内ながらも思へるこそ、いとたのもしう、をかしけれ。よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまも等閑(なほざり)なり。片田舎の人こそ、色濃くよろづはもて興ずれ。花の本(もと)には、ねぢ寄り立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌して、果ては、大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手・足さし浸(ひた)して、雪には下(お)り立ちて跡つけなど、よろづのもの、よそながら見ることなし。

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