散ってもきれい、ヒカンザクラ
これから満開の木もある峠道の桜
すごいカメラを持った人を見かけたので、今頃が見ごろ、撮り(鳥)ごろか、と思った。
<名瀬 2月1日 11時 13.3℃ 降水0.0 東北東 1m/s 日照0.0h 湿度75 1022.8hpa>
つれゞ草 上
第19段 折節
折節の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。
「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今一(ひと)きは(さらに一層)心も浮き立つものは、春のけしきにこそあンめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、墻根(かきね)の草萌え出づるころより、やや春ふかく、霞みわたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、折しも、雨・風うちつづきて、心あわたたしく散り過ぎぬ、青葉になりゆくまで、万(よろづ)に、ただ、心をのみぞ悩ます。花橘(はなたちばな)は名にこそ負へれ、なほ、梅の匂ひにぞ、古(いにしへ)の事も、立ちかへり恋しう思い出でらるゝ。山吹の清げに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。
「灌仏の比(くわんぶつのころ- 陰暦4月8日釈尊の誕生日)、祭の比、若葉の、梢涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」と人の仰せられしこそ、げにさるものなれ。(中略)
さて、冬枯のけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀(みぎわ)の草に紅葉(もみじ)の散り止まりて、霜いと白うおける朝(あした)、遣水(やりみず)より烟(けぶり)の立つこそをかしけれ。(中略)
かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとはみえねど、ひきかへめづらしき心地ぞする。大路のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。
つれゞ草 下
第137段 花は盛りに
花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ見るものかは。
雨に向かひて月を恋ひ、垂れ込めて春の行衛(ゆくへ)知らぬも、なほあはれに情け深し。 咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ、見どころ多けれ。
歌の詞書(ことばがき)にも、
「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ。」とも、
「障(さわ)ることありて、まからで。」なども書けるは、「花を見て」と言へるに劣れることかは。花の散り、月の傾くを慕(した)ふ習ひはさる事なれど、殊(こと)にかたくななる人ぞ、
「この枝、かの枝、散りにけり。今は見所なし。」などは言ふめる。
よろづのことも、始め終はりこそをかしけれ。男女の情けも、ひとへに逢ひ見るをば言ふものかは。逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契(ちぎ)りをかこち、長き夜をひとり明かし、 遠き雲井を思ひやり、浅茅(あさじ)が宿に昔をしのぶこそ、色好むとは言はめ。
望月の隈なきを千里の外まで眺めたるよりも、暁近くなりて待ち出でたるが、いと心深う、青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる木の間の影、 うちしぐれたるむら雲隠れのほど、またなくあはれなり。 椎柴(しいしば)・白樫(しらかし)などの、濡(ぬれ)たるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身に沁(しみ)て 心あらむ友もがなと、都恋しう覚ゆれ。
すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨(ねや)の内ながらも思へるこそ、いとたのもしう、をかしけれ。よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまも等閑(なほざり)なり。片田舎の人こそ、色濃くよろづはもて興ずれ。花の本(もと)には、ねぢ寄り立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌して、果ては、大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手・足さし浸(ひた)して、雪には下(お)り立ちて跡つけなど、よろづのもの、よそながら見ることなし。