大浜 12時すぎ写す。満月なのでこれから潮が大きく引き、さんご礁の一部が干上がり、顔を出します。(礁原
海岸線に平行の沖の白波のあたりに帯状の長い干瀬が現れます。http://t.co/bnomlK2k7n←月齢カレンダー pic.twitter.com/S7dBhIgjhY
? 奄美海風荘 (@amami_kaihu_so) 2014, 6月 13
ハマアズキ(マメ科 ササゲ属)
別名:ハマササゲ(浜大角豆)
屋久島・種子島以南
浜辺のつる性、または匍匐性の多年草。
本種に似た奄美大島以南分布のナガバハマササゲ(長葉浜大角豆)の小葉は披針形~卵形で鋭頭。 pic.twitter.com/3MOoxABkxU
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撮影地 奄美大島 大浜海岸
オキナワクルマバナ(沖縄車花)シソ科
かわいいウェディングドレスを着たお人形二体のような形の花。 pic.twitter.com/iElborjdhU
? 奄美海風荘 (@amami_kaihu_so) 2014, 6月 11
オキナワクルマバナ(沖縄車花)は、大浜海岸で見つけた。
以前、林道で見て名前が分からずじまいだったのは、クルマバナだったかもしれない。
シソ科に特徴的な唇弁花。
上唇弁の毛の周りも赤い、葯(やく=おしべの一部で,ふつう花糸の先端に生じ,花粉形成が行われる袋状の部分)
四角柱の茎は数十センチになる。
葉は対生し、卵状披針形。(披針形って何ですか?ヤフ知恵)ひしんけい=平たくて細長く、先のほうがとがり、基部のほうがやや広い形
先端はやや鈍頭、縁は鈍鋸歯(ぎざぎざ)、表面にやや深いシワができ縮れてみえるのもシソ科の特徴のひとつ。水滴あり。
唇弁花は角度によっていろいろなもの(人形)に見える。
「OCNブログ人」のサービス終了について
2014年11月30日をもって「OCNブログ人」のサービス提供を終了。
その後もブログを継続する場合は、「goo ブログ」への移行が推奨されている。これまでのIDでログインできるよし。
『gooブログ』への引越し方法などは、2014年8月中旬に知らされるという。
詳しくは、ニュース 「OCNブログ人」のサービス終了について(2014年5月21日)
これは、取り急ぎ、確認するための記事です。
1/2 ソテツとクワズイモ 雄花 雌花 pic.twitter.com/N9x7ulXUOF
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2/2 ソテツとクワズイモ 雄花1本対2本 pic.twitter.com/0Huxn0ByFM
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グアバ の 花 (バンジロウ 蕃石榴 )Guava フトモモ科 バンジロウ属 pic.twitter.com/qL9iV5FBSD
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モモ 色づく pic.twitter.com/A2rAffrFaM
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『旅の一句』 : 奄美と大西郷に出会う
川井田健一 著
5月新着図書。
貸し出し中につき予約して借りた。
2014年5月29日 (木曜日)
『かごしま俳句紀行』 [単行本] につづいての俳句本。
新聞連載を本にまとめたもので、52句にそれぞれ写真と句の解説がついている。
著者は鹿児島県に生まれ育ち50歳を過ぎるまでほとんど奄美のことを知らずにいたが単身赴任の二年間で奄美の魅力にとりつかれて作った句。
著者が出版を決意した理由の一つ目がそれで、二つ目は、奄美群島日本復帰60年、
三つ目がサブタイトルの大西郷。
二度目の島流しの沖永良部から赦免され日が1864年3月29日で今年はそれから150年目。
それ以降京都へ出た西郷は禁門の変(1864年8月20日)で活躍し、維新への一直線を走り出す。本書には西郷隆盛のCDが付いていて、「さつまびと」でyoutube検索して聴くこともできる。
俳句好き、そしておそらく歴史好きの人にとっては、観光ガイドブックよりも深いだろう。
奄美にこれだけの史跡があるとは、改めて驚かされる。本書は史跡だけではないが、
喜界島の僧俊寛とその後の奄美の平家の落人伝説についてwikipediaで調べてみた。
俊寛(しゅんかん(1143年) - 1179年)平安時代後期の真言宗の僧
村上源氏の出身で後白河法皇の側近で法勝寺執行の地位にあった。安元3年(1177年)、藤原成親・西光らの平氏打倒の陰謀に加わって鹿ヶ谷の俊寛の山荘で密議が行われた(ただし、『愚管抄』によれば、信西の子・静賢の山荘で密談が行われたとされている)。だが、密告により陰謀は露見し、俊寛は藤原成経・平康頼と共に鬼界ヶ島(薩摩国)へ配流された。(鹿ケ谷の陰謀)
どこか、幕末のお由羅騒動に関係して奄美大島に流された名越左源太を思い出すような。
俊寛を知るためには、
鹿ケ谷の陰謀
鹿ケ谷の陰謀(ししがたにのいんぼう)は、平安時代の安元3年(1177年)6月に京都で起こった、平家打倒の陰謀事件。京都、東山鹿ヶ谷(現在の京都市左京区)の静賢法印(信西の子)の山荘で謀議が行われたとされ、このように呼ばれる。近年では、この陰謀が平清盛によってでっち上げられたものだとする説もあり、「鹿ヶ谷事件」と著す学者もいる。
俊寛が流された鬼界ヶ島の場所については、鹿児島県大島郡喜界町の喜界島、鹿児島県鹿児島郡三島村の硫黄島、長崎県長崎市の伊王島など諸説ありはっきりしていない。また、ひそかに島を脱出したという説も多く、鹿児島県阿久根市や出水市、佐賀県佐賀市などにも俊寛に関する言い伝えが残っている。
日本全国の平家の落人伝説
鹿児島県大島郡(奄美群島) 平家一門の平資盛が、壇ノ浦の戦いから落ち延びて約3年間喜界島に潜伏、弟の平有盛、いとこの平行盛と合流して、ともに奄美大島に来訪したという。
それぞれの場所に実際に行ってみて句を詠むのいいだろう。まだまだ歴史上重要なポイントとなった場所もあって興味は尽きない。
YouTubeをビジネスに使う本 [単行本(ソフトカバー)]
熊坂 仁美 (著)
↑ 静止画でよかったのですが・・・。(2007年から始めたyoutubeはこれで695本。)
先週読んで、アップを忘れていた。
タイトルの”ビジネスに使う”にはこだわらないほうがよいかもしれない。
その前に、まず動画を作ること、そして継続すること、本書の主眼もそのあたりにあったと思う。過去動画の再生回数は忘れたころに増える。
タイトル名で検索すると、本書のプロモーションムービーを見ることができる。
amazon 登録情報
単行本(ソフトカバー): 224ページ
出版社: 日本経済新聞出版社 (2014/2/26)
言語: 日本語
発売日: 2014/2/26
近所の病院はつづく道は、埋立地。
かつて波がすぐそこまで迫り、今は急峻な法面に所々むき出した岩肌は落石防護網で覆われ、その網もソテツやさまざま木々が生い茂り、目につかなくなっている。
いつもは車で通る道。歩いてみると、身近にいろいろな亜熱帯の植物が生い茂っている。蝶も舞っている。近所の意外な撮影スポット。灯台下暗し。ここは名瀬灯台も近いのだが。
車に気をつけながら、法面を見上げてみると、カメラから2メートルほどのところにシジュウカラ?のつがい。いつまでも撮らせてくれた。やぶのなか。
↑ ビデオ後半は赤崎公園への道の途中、松ノ木伐採で見晴らしのよくなった所から、奄美市名瀬朝仁(あさに)の街並みと海岸。それに小宿漁協のエメラルドブルー。
シジュカラ(四十雀) 地鳴き Japanese great tit (call note)
クワズイモとノアサガオ pic.twitter.com/D5fHYiWg7s
? 奄美海風荘 (@amami_kaihu_so) 2014, 6月 6
アオノクマタケラン?
ゲットウ クマタケラン アオノクマタケランの順に花は小ぶりになる。
『日米同盟と原発』 隠された核の戦後史 [単行本]
中日新聞社会部 (編集)
amazon 内容(「BOOK」データベースより)
世界唯一の被爆国がなぜ原発大国になったのか。米外交史料と百人以上の証言で解明したもう一つの昭和史。
amazon 登録情報
単行本(ソフトカバー): 264ページ
出版社: 東京新聞出版局 (2013/11/18)
言語: 日本語
発売日: 2013/11/18
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まだamazon カスタマーレビューが3件しかないのは意外だ。
タイトルがいまひとつ、ピンと来ず、サブタイトルが興味を引き目次へと進んだ。読後は妙に納得。
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「歴史とは、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。」
E.H.カー(『歴史とは何か』岩波新書)
「歴史を学ばなけれれば、歴史が教えにくる」 マンスフィールド元駐日大使
~~~~ ↑ 本書あとがき
きのうのニュース、「天安門事件から25年、重圧下の共産党批判押さえ込む」
TVやツイッターなどでは、「日本に対しては歴史を直視せと迫りながら、自らの歴史から目をそらす」などの中国政府批判の論調もいくつかみられた。
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「人間は歴史から学ばない、ということを、わたしたちは歴史から学ぶ」
(へーゲル)
原発について、エネルギーや経済、科学技術の分野からだけでなく歴史の視点からアプローチする。
「自分こそ正義」の声高の批判ではなく客観的な事実をつみあげる緻密な調査報道は、「原子力ムラ」の元官僚の態度をも一変させ、取材協力にも応じさせた。
時系列
戦時下の日本でも原爆開発計画はあった。
広島長崎につづいて三度目の原爆被害、第五福竜丸事件(1954年3月1日、アメリカ軍の水素爆弾実験によっていわゆる死の灰を浴びた、遠洋マグロ漁船)
このあたりから記憶が鮮明になる。
ここでも核のおそろしさは隠蔽、封印された。原因は「サンゴの粉塵」と。P81
「平和利用」の大儀がもちあがる。 第5章 毒をもって毒を制す1955~57 (P92)
アメリカによる日本人の核アレルギー緩和策に日本のマスコミが乗る。
第6章 アカシアの雨 核の傘1957~72
「平和利用でバラ色」
「日米安保闘争」と関連付けて語られることが多くある「アカシアの雨がやむとき」1960年4月(西田佐知子)
支持の背景には1960年1月の日米安全保障条約調印。安保闘争後、反対運動の成果ゼロという結果に疲れた若者たちが廃頽的な詞に共鳴したといわれる。
そして、
「デモは終わった就職だ」P123
このフレーズで検索するとwikipedia 「就職活動抗議デモ」がトップ表示された。
隔世の感があると同時に歴史は繰り返すのかの感もある。
首相岸信介(60)は1957年5/7日 自衛のための核保有なら「合憲」という考え方を示す。
1960年代、高度経済成長と共に日本の電力需要が高まり、エネルギーの活路を原子力発電に求めた。
東海発電所
日本初の商業用黒鉛炉かつ商業用原子力発電所。
1960年1月に着工し、1965年5月、日本初の商業用原子炉となった。
安全性や核廃棄物の問題は安保闘争当時から指摘されていたが、技術で克服できると考えられ、安保闘争とは結びつかなかった。
そして原発事故・・・。
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奄美には原発はないのだが、電力の歴史はやや複雑だ。
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日米同盟と原発 隠された核の戦後史 価格:¥ 1,728(税込) 発売日:2013-11-21 |