カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

やはり 桃源郷

2015年03月26日 | ☆ ふるさと・大和

  

 五條市西吉野町川岸に、私は今年も来た。もう何年続いているだろう。

初めて川の対岸からこの景色を目にした時、「ここは桃源郷だ。」と思ったままをブログの記事にした。

それ以来毎年この里に住む元同僚に「お花は咲いたかなぁ。」とこの時期になると花の情報を、電話で尋ねる。

初めの頃は彼女がこの里に住んでいることを知らなかったのだが、天川村から川岸に嫁いだことを話してもらったのを、思い出して連絡を取ることができた。

自分の感覚から勝手に「桃源郷」ときめているが、今国語辞典で「桃源郷」を調べてみた。

 

陶淵明桃花源記」に描かれている桃林に囲まれた平和で豊かな別天地から》俗界を離れた別世界。仙境。理想郷。

 

友人と二人で渡ると、ゆっさ・ゆっさと揺れる吊橋は、花木の世話をする人の生活道路のようなものだが、膝を痛めている私にとって、今までになくこわごわゆっくりと渡る。

 

吊橋を渡ってから今来た道路側の、山の斜面に植えられたサンシュユの黄色と、ケイオウザクラの淡いピンクや、白梅のすべてが朧なのが、辞典にある仙境の佇まいで、これがとても好きである。

 

道路側からの光景も、川あり、吊橋が遠くに見えて、ケイオウザクラの縁取りとサンシュユが、これもまた、朧な景色となっている。(明日に続く・多分)

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倒れても尚 花を咲かせるあなたの強さ

2015年03月25日 | 季節の花木

 

 

いつも季節の花の開花を知らせてくれる友人から 、「裏の空き地の桜が満開になってるので、写真、撮りにお出でよ。」と電話を貰ったのは22日だった。この日は親戚の法事があるので、お天気を見て行けそうな日に行くと約束をしていた。今日も時々降ったり晴れたり曇ったりと、気まぐれなお天気だったが、花は待ってくれないかもしれないと、晴れた時を見計らって行ってきた。

上の写真が25日現在の開花状況だった。

必死に咲いている満開の花に涙が出そうになった。

 

この桜の根元である。太い根が何年か前の台風で土の中で折れてしまっている。折れているのは木の半分くらいで、あと半分は地面で土を被っている。 

 

 

木の向こうに回ってみると、折れた幹に斜面の土が被さっている。友人に聞くと誰も世話をしないまま、斜面の土が崩れたために折れた部分に、自然にかけてもらったようになって、命を繋いでいるのだと分かった。

 

 

横たわった幹の下に誰が置いたのか、ブロックがあり、そこから幹が少しずつ体をもたげ始めたようだ。 

 

 

体をもたげた幹から細い枝が斜めに育っている。丁度ここで幹が二股に分かれて両方に枝が伸びて次第に空へ向かって伸びようとしたもののようだ。 

 

 

これは画像が横と間違ってUPしたのではない。

上に伸びなくて横に伸びて育った枝の一部分が地面に横たわったまま、花盛りの時を今迎えている。

後ろに写っている家のわずかな窓の部分を見ても、桜は横たわっているのが分かる。

 

 

所がこの画像のように、横たわった幹の途中から上へ上へと、自然の法則にしたがって成長していった小枝が、しっかりと花の季節に美しく華やかな存在感のある「さくら」になっている。

 

 

花のてっぺんがこの写真である。

花だけを見ると、折れて倒れた木がこの美しい花を支えていることは、誰の目にも入らない。

台風で倒れた翌春、ブログにこの記事を書いた記憶がある。

もう見れなくなっていることだろうと思っていたのに、なんと綺麗に季節を忘れず一生懸命に花を咲かせていることか。

桜の種類は何であるかは知らないけれど、横たわった幹に、「あんたは、ほんとうにえらいね。」とカメラを向けていた私だった。 

  

  

 

 

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デジブック 『万葉の里 高円の杜』

2015年03月24日 | ☆ ふるさと・大和

デジブック 『万葉の里 高円の杜』

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落ち椿 杜の彩 

2015年03月23日 | ☆ ふるさと・大和

 

 

 

 

広い境内の入口には、椿の赤と梅のピンクが華やかな色どりで迎えてくれる。

歩いてくる人はまずこの美しい花を愛でながら神社の境内に入っていくことになる。

車ではこの彩を横目にし乍ら、どんどんと上の方に上がって何か所かにある駐車場の空いたところに車を置く。

 

お社の方へ行こうかと思ったが、先ず私は深い木立の森の中の道を、足に任せて下って行った。

 

心地良い風が森を通り過ぎて、少し汗ばんだ額を拭ってくれる。

 

参道の両側には椿の木がありその木の下には、万葉の詠を記した木が沢山あって、できるだけ見逃さないようにカメラに納めながらの参道歩きだった。カメラに収めたごく1部は1昨日UPしたが、後のは後日時間のある時に整理したいと思っている。

 

護国神社のご祭神について、明治維新以来の戦争で亡くなった方の御霊が祀られていることと、このあたりは山の辺の道の北道で多くの古墳群のあった地であることや、古の油山城跡のあった場所であることなど、説明文を読みながら初めて知ったことがかなりあって、このたび訪れた意義深いものとなった。

 

 

 

 

この万葉歌は私を1番驚かせた。戦時中、学校で習ったのか学校行事で歌ったのかは覚えていないのに、「兵隊さんになって戦地へ行けば、海であっても、山であってもそこがこの世との別れの場所であるというような、漠然とした別離の悲しい歌であると教えられてきた国民学校の低学年の頃の事である。

万葉集に詠われた大伴家持のこの詠は、どんな戦いの時の「心の戒め」だったのか・・・生き方の決意を人に示すのでなく、自分の心の支えのようなものであったような気がする。

万葉集を研究している人のこの詠の解釈は読んだことはないが、私の記憶では、第2次世界大戦の時の「兵隊さんの決意」としての「悲しい歌」なので今更ながら驚いている。

 

さて本題の「落ち椿」だが、山茶花は「散る」と言うけれど、椿は「花が落ちる」とよく表現する。

私も木の根元を彩っているかのような「落ち椿」がとても綺麗に見えたのでその画像の何枚かをUPした。

 

 

 

 

 落ち椿 やがては杜の 土となり 花の命を 繋ぐ彩

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かなり慌てて

2015年03月22日 | ★ 日々の呟き

 

今日終日かなり多忙で、あたふたしていました。

法事に出て帰ってきたら孫夫婦が来ていたり、パソコンを開けたのは午後8時を回っていました。

そこで気が付いたのは、昨日の記事を書いた時、かなり慌てていたらしく、同じ画像を2枚使っているのさえ気が付かないままでいました。

いつも慎重でないから、「またやったのね。」なんて言われそうですが、気が付いたのは、やはり気になって、画像の差し替えを今し終えました。

これから今日頂いた方へのコメントのお返事を書いて、その方のサイトを訪問して、多分今夜はそれで終わってしまうことでしょう。

 

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