カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

水車のある風景

2015年06月16日 | ☆ ふるさと・大和

 

 

矢田民俗博物館の菖蒲園を訪れたのは、6月8日だった。

その日のうちにUPして置かなかったので、他の画像と一緒のフォルダーに入っていたから、うっかり忘れてしまうところだった。

このごろこんなことがたびたびあるので、自己診断で認知症かと深刻さのない考え方だ。

認知症でなく、なまくら症だなぁとこれも自己診断。

月曜日だった。公園の入口で、出てくる数人のグループの人と出会ったら、「今日は休館日ですよ」と親切に教えてくれたが、

「今日は菖蒲園の方に行くつもりなのです。」とお礼を言って目的地の方へ歩いて行った。

 

 

 

9日も前だから、現在はもっと咲いていることだろうが、花菖蒲は疎らな咲き方だった。

できるだけよく咲いている所を写真に撮った。折角来たのだから・・・。

 

これは水車小屋の中で使っていた石臼だろう。

 

休館日だったからか、もう動かさないのだろうか、他の日に行けば、前のように水車は回っているのだろうか。

花菖蒲と水車小屋のある風景が好きで、ここ何年かよく訪れていたのだが、この日は残念だった。

こっとん・こっとん 水車の音が聞きたいなぁ。

 

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和泉リサイクル環境公園

2015年06月14日 | 季節の花

 

 

 この公園は2度目の訪問である。

初めて行った時に、春の花木や植え込みの花が美しかったので、次期の花の植え込み中だったことから、季節が進んだら見に行こうと思っていたのに、なかなか出かける機会がなく、とうとう期待していた花を見ることもなく過ぎ去ってしまった。

 

遠目には華やかな色合いの薔薇が見えるのだが、傍に行ってみると、「あなた来るのが遅いよ。」といった感じで、花弁が落ちてしまって、最盛期にはさぞ美しい花壇だったことだろうと、残念な思いで広い花園を歩いた。

 

 

 

 

     

美しかった薔薇の姿を歩きながら求めて写していった。

もうっ薔薇の花壇は、選定に掛かっているような所もあって、本当に花は、時期を外せば後悔が残るなあと、友人と話しながら、それでも歩くことが不自由な膝のリハビリになるなどと、何とか理屈をつけていた。

 

 

 

 

 

 

 

今一番広い面積を占めているのは、ラベンダーである。

咲き始めているのはごくわずかで、この花たちがみんな開花すれば、薄紫の絨毯が花壇を覆うことになるだろう。

香りの花園になるころには、出かけてこれるかどうかわからないが、いつも車を走らせ慣れた場所でないだけに、あまり先に期待するのは止めておこう。この日に見た薄紫の蕾の美しさと、葉っぱに触れた香りを忘れないために記事にしておこう。

6月6日撮影 この後千早赤阪村の棚田を見て帰った。記事は前後する。 

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安倍文殊院・初夏のコスモス

2015年06月13日 | ☆ ふるさと・大和

 

 

テレビで安倍文殊院でコスモスが咲いているとの 放映があった。何かほかのことをし乍ら、つけっぱなしにしていたテレビだったので毎年のコスモス迷路のことかしらと、画面を真剣に見てはいなかった。

それでも、こんなに早く咲いたのかしらと気にはなっていた。

  

今日は月命日で、お寺さんがお詣りに来てくださって、その後お墓参りにも行って来た。

予定していたことがみんな済んだので、お昼にはまだ時間があるしと、桜井市の安倍文殊院へ出掛けた。

コスモスは金閣浮見堂の前の、植え込みに美しく咲いてた。

 

 

いつもの花の広場の所は、干支の植え込みが取り払われて、秋のコスモス迷路の順路のためか、綺麗に整備されて、今は何の花も咲いていなかった。それだけに、金閣浮見堂のコスモスが、が池を吹く風に揺れて、優しく迎えてくれているようだった。

安倍仲麻呂の望郷の和歌が、榊獏山の揮毫によって、コスモスとともに本堂に向かって立派に建っている。

 

 

広い境内のわずかな部分に咲くコスモスだけれど、今年1番の暑さを記録したという、夕方のラジオからの放送よりは、真昼間の池のほとりに揺れる風のせいか、お寺にいるときはそんなに暑く感じなかった。

 

  

本堂を取り巻くように、びっしりとかけている絵馬は、希望校合格祈願の必死な祈りと祈願を祈念してのお詣りの証だ。

 

 

 

  

本堂前の舞台から、絵馬の並びを見ると幾重にも重なって、見事な様相である。どなたの願いも叶えてやってほしいと、子や孫、甥や姪の代参のお詣りをした昔のことを思う。

 

   

舞台の吊灯籠と風鐸が綺麗だったのでカメラに納めた。

 

 

 

 

立派な道標の説明を読んで、江戸時代の伊勢や高野山への道しるべであることが分かった。

私の町にも伊勢と高野への道標の大きいのが今も本陣の交差点の脇に建っている。

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白百合に宿る雨粒

2015年06月12日 | 季節の花

 

南の山に巻く帯のような雲。

冷えた冬の朝の川霧に似ているがそうではない。昨夜降った雨の湿気がまだ空に帰ることなく、西吉野あたりの山の中腹にとどまっている。

この雲が上がらないとお天気の回復が遅い。

雨は降っていないけれど気温が高く、むしむしとして汗をかいても蒸発しないでしんどい朝になった。

 

ずうーっとカメラを東に振ったが、雲の帯はまだまだ続いている。

 

 

裏庭のユリは細い首にも、ヘリかえった花弁の先にもとどまれる所に雨粒を宿している。

もし太陽が出ていたら、この雨粒の一つ一つがもっと光って美しいなぁと思う。今日は午後にならないと日が差さないとのことだ。

雨粒はその頃までくっ付いていてはくれない。

 

塀際の白百合はもっと沢山の雨粒を宿していた。

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雨の庭に鮮やかな白

2015年06月11日 | 季節の花

 

 

 

 

 

 

 

 

先日から庭の鉄砲百合が咲きだした。

撮りためていたが、今夜の強い雨で花が叩かれてしまうような気がして、アップした。

上の2枚が1番先に咲いた花で、こんなところに球根を植えた覚えはないのだけれど、庭の土を動かしている時に、土と一緒に岩の間に球根が落ち込んだのかもしれない。

ササユリは7年もの長い時をかけて成長して開花すると、言うのにこの鉄砲百合は、球根を無造作に庭の端っこにうずめておいたら、いつの間にかその辺りにいっぱい伸びてきて、季節になると白い清楚な花を咲かす。

もう少し丁寧に居場所を作ってやればいいのだけれど、しゃがんでする作業ができないので、好きな所で好きなように咲いて、楽しませてねと言った感じの主である。 

 

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