大学院で学ぶ友人が、ついに修士論文を書き上げた。
修論発表会と口頭試問が行われる日の朝、彼女は完成した修論1部を家のリビングのテーブル上にさりげなく置いて、大学へやって来たという。
お昼近く、「あ、お父さんからmailが来てる。」という友人の嬉しそうな声。
「なんて書いてあるの?」と私。
お父さんからのmailには、2年間修士課程で学んだ娘の頑張りを労うとともにそれを高く評価し、残りの院生生活を充実させるようにという温かい思いが綴られていた。
「いいmailをもらったね。」と言った瞬間、お父さんからmailが届くなんて、一度も経験したことがないということに気がついた私は、それがおおいに羨ましく思えた。
もしも父が生きていたら、父と私はmailを送受信しているにちがいない。
幼い時から父がいない子は、ずっとこんな思いを抱きながら成長していくのだろうな‥と、初めて親のいない子どもの気持ちがわかったような気がするとともに、私の40才まで両親が揃っていてくれたことに今更ながら感謝した。
なくして初めてわかることは多々あるが、今回の出来事はまさにその感を強く抱かせた。
修論発表会と口頭試問が行われる日の朝、彼女は完成した修論1部を家のリビングのテーブル上にさりげなく置いて、大学へやって来たという。
お昼近く、「あ、お父さんからmailが来てる。」という友人の嬉しそうな声。
「なんて書いてあるの?」と私。
お父さんからのmailには、2年間修士課程で学んだ娘の頑張りを労うとともにそれを高く評価し、残りの院生生活を充実させるようにという温かい思いが綴られていた。
「いいmailをもらったね。」と言った瞬間、お父さんからmailが届くなんて、一度も経験したことがないということに気がついた私は、それがおおいに羨ましく思えた。
もしも父が生きていたら、父と私はmailを送受信しているにちがいない。
幼い時から父がいない子は、ずっとこんな思いを抱きながら成長していくのだろうな‥と、初めて親のいない子どもの気持ちがわかったような気がするとともに、私の40才まで両親が揃っていてくれたことに今更ながら感謝した。
なくして初めてわかることは多々あるが、今回の出来事はまさにその感を強く抱かせた。