秋冬物の宣伝だらう、その街中ではあちこちで、カメラの前でポーズをキメてゐるモデル──らしき──を見かける。
乱暴な絵柄のTシャツを着たチンピラもどきの兄ィが、派手に落書きされた壁を背に、カメラに向かってイキがった見得をしてゐる。
── 兄ィのTシャツの絵柄より、うしろの落書きの絵柄のはうが、よっぽど上手く描けておりゃる。
私はその街が嫌ひといふより、
何者かが演出したその街の空気にす . . . 本文を読む
ずっと気になってゐた、神奈川県立金沢文庫の特別展「安達一族と鎌倉幕府」を見る。
源頼朝の流人時代から郎従し、時は下って“元寇”の際には密教の力を借りて未曾有の国難を退けた──と、される──安達一族は鎌倉幕府の権力者としての絶頂を極めるが、弘安八年(1285年)十一月十七日、反安達派である平頼綱の謀略により滅ぼさるる──
この「霜月騒動」で安達泰盛父子は自害、その法要すら憚られるまでに勢力は衰 . . . 本文を読む
横浜市南区の吉野町市民プラザが発行してゐる九月号の情報紙に、去る七月二十八、九日に行はれた「真夏のダンスステージ」の記事が掲載され、その舞台写真の一枚に、嵐悳江(わたし)の「猩々」を見つける。
当日は舞台袖などからプロのカメラマンが記録用の撮影をしてゐたのは知ってゐたが、かうして自分の姿を見ると、ちゃんとそれらしく見へるやう撮れてゐて、やはり専門家だなぁ、と失礼ながら感心する。
あの日、七月 . . . 本文を読む
横浜市磯子公会堂にて、大藏流狂言師•善竹富太郎師による公演「笑いの芸術 狂言」を観る。
善竹富太郎師は私の好きな狂言師であり、また入場無料といふ良心的企画でもあり楽しみにしてゐた公演だったが、果たして期待以上に楽しく、笑ふてござる。
上演に先立っては富太郎師本人が狂言装束をつけた姿で登場し、狂言を楽しむ秘訣と演目の解説を平易な日本語で聞かせ、観客をいっぺんに惹きつけたのは、さすが傳統台詞劇 . . . 本文を読む
東京都文京区駒込の、昔ながらの雰囲気がのこる天租神社の祭礼にて、松本源之助社中の江戸里神楽を楽しむ。
観たのは、神功皇后が武内宿禰を従へて海外遠征に向かふ「八幡山」。
身振りの一つ一つが丁寧かつ優美で、目の良い浄化となる。
夕暮れからは気の向くまま鉄道模型店をハシゴして、
見る楽しみに浸りけり。
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横浜市中区の日本新聞博物館ニュースパークで、「新聞が伝えた明治──近代日本の記録と記憶──」展を観る。
明治といふ新しい時代を、新聞といふ新しい文化が、常に時の最前線から人々に、情報を傳へんとする──
現代に遺された、活字の書体すら定まらぬ黎明期の紙面から、そんな使命を読み取る。
その新しい情報を実際に人々へ提供してゐるのは、名も無ひ市井の配達人たちだ。
開港間もない横濱でその傳達役を担 . . . 本文を読む
京浜急行2000形──“スター2000”が心底惜しまれながら勇退して、半年近くが経った。
今では京浜急行に乗る楽しみがすっかり失はれたなか、その“スター2000”の模型を、思ひがけない廉価で手に入れる。
勇退以来、2000形の鉄道模型類はほとんどが売り手の底意地悪さそのままの高値が付ひてゐるだけに、初めは何かワケありでは……、と疑ったが、そんなことは杞憂の美品なり。
全盛期の二扉を再現してゐ . . . 本文を読む
長月に入ってやうやく炎暑もおさまり──もっとも、まだ油断は禁物だが──、次の季節の訪れをなんとなく予感させる今日の昼下がり、一輪のひまわりが小さいながらも背筋をピンと伸ばし、目をパチッと見開くやうにして咲ひてゐる姿を見かける。
月が変わり、今年の異常な“熱さ”をなんとか乗り越へたと安堵してゐるなか、時期遅く今が盛りのその花に、
つひ先日までの、
暑すぎるなかを生きた日々が、
急に懐かしいも . . . 本文を読む
神奈川県立博物館で開催中の、「真明解・明治美術 増殖する新メディア」展を観る。
150年前、明治維新といふ時代の大転換に出くわした藝術家たちが、それによってもたらされた西洋藝術を上手に自分たちの藝術へ取り入れた様を、静かな調光のもとでじっくり鑑賞する。
写実性と陰影に富んだ西洋絵画は、色彩の無い古写真からでは窺ひ知ることの難しい当時の風情を、如実に伝へてくれる利点がある。
高橋由一の「 . . . 本文を読む
横浜市港北区大豆戸町の八杉神社へ、奉納里神楽を見に出かける。
見たのは「熊襲征伐」。
暴れ者ゆゑ持て余し気味の小碓命(おうすのみこと)をわざと負傷させて大人しくさせるべく、父の景行天皇が熊襲健(くまそたける)の征伐を命じる場面が前半、
後半は敵を油断させるため女に扮した小碓命が、
見事に熊襲健を征伐、
熊襲武の勧めで“倭健命(やまとたける)”と名を改める場面の、二場構成。
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