東京都大田區の蒲田駅西口の廣場で、薹湾の夜市を再現したイベントがあるとのことで、薹湾とは珍らしいと覗きに行ってみる。廣場をぐるりとまわって、焼小籠包(¥600)がお手頃かな、と一包買ってみる。お手輕に、ちょっとした腹ごなし。……ニッポン人が、海外で露店モノを口に入れるのはかなりキケン云々。ニッポンにゐるからこそ安心安全な、夜市体験。 . . . 本文を読む
町田市立國際版画美術館で、「両大戦間のモダニズム 1918-1939 煌めきと戸惑いの時代」展を觀る。第一次と第二次の世界大戰の狭間二十一年間における、戰勝國と敗戰國それぞれの情勢を當時の版画作品から見ていく。勝った側の佛國や米國は「狂騒の時代」と呼ばれ、版画の色調も浮薄なくらゐに明るく軽やかだが、米國の黒みを帯びた色調は經済不況からやがて始まる二度目の世界大戰を暗示させ、しなくても . . . 本文を読む
ラジオ放送の觀世流「小鍛冶」を聴く。前半の聴かせ処は、“草薙の剣”の靈威が火攻めの危機に陥った日本武尊を救ふ件りで、おかげで人々は戸締まりをしなくてもよいほどに國土が平和になったと語る。カネも知力(アタマ)も無い亂暴な輩による、高齢者宅を狙った手荒な強盗事件が續發してゐる現今、再び剣の靈威を見たいものと願ふ。 . . . 本文を読む
川崎浮世繪ギャラリーの「光と影の浮世絵師 小林清親展」を、前期と後期通して觀る。武士として生まれ、明治と云ふ“御一新”の世へ光と影を色彩に取り入れた江戸版画を生み出した非凡なる浮世繪師の、その影響を受けたと思はれる小倉柳村(おぐら りうそん)に、今回は注目する。と云っても、明治十年代半ばに作品が確認されるだけで、經歴などは一切不明の謎な人物云々、しかし小林清親の作風をしっかり自分のものにしてゐる . . . 本文を読む
橫濱開港資料館で、二部構成で企画された日米和親條約170周年記念特別展を觀る。“Part1”は「外国奉行─幕末の外務省」で、江戸幕府の終はりに始まった外交の部署と、その担當官たちの氣概を、最前線で記された文書などから追っていく。安政五年(1858年)六月に日米修好通商條約が締結された直後の七月八日、老中の下に外交専門の實務官僚として外國奉行が創設され、任命された秀才なる外交經験者五名の初仕事が、露 . . . 本文を読む
東京都澁谷區東の實踐女子大學香雪記念資料館にて、「幻影の日本・憧憬の西洋」展を觀る。 十九世紀後半、西洋と云ふ未知の世界の藝術に惹かれた日本人女性、また東洋ニッポンの藝術に興味を持った米人女性それぞれの顛末を、遺された作品から見ていく。清原玉は幕末江戸の富裕層に生まれ、繪の道を志すなかで伊國人彫刻家ヴィンツェンツォ・ラグーザと出會ひ、二十二歳の時(明治十五年)にラグーザに伴はれて姉と共に伊國へ渡り . . . 本文を読む
國立國會図書館で開催された企画展示「ひろげて、まいて、あらわれる 絵巻の世界」を、三期通して觀る。同図書館が所藏する展示の繪巻物約六十作品はすべて後世の模冩である點が特徴で、すでに原本が失はれてゐるため却って貴重なものであったり、原本には無い書き込みもあるなど、そこに模冩の筆をとった繪師の息遣ひまでも窺へるやうで、國寶級原本とは一味違った魅力を樂しむ。第一期で觀た「平治物語繪巻」では、押し寄せる軍 . . . 本文を読む
ラジオ放送で聴き馴染んでゐるアロハ太朗氏が企画&司會進行の“音樂寄席”「ご近所ミュージックフェスティバル2024」を聴きに、埼玉縣さいたま市のプラザノースホールへ出かける。藝大出身の若手“純”邦樂演奏家たちの現代音樂あり、願はくば幼児の頓馬な合ひの手ナシでじっくり聴きたかったアロハ太朗氏の二人の娘による本式の合唱あり、そしてトリをとったビッグバンドのジャズ演奏と、和洋の第一線な音を樂しんだ . . . 本文を読む
この時期はどこへ行っても見事に「ゲホッゲホッ!」のバイ菌だらけ、浮世にはこんなのしかゐないのかと、あまりの數に恐怖すら覺える。しかしあれらの平然とした様子(かお)を眺めてゐると、『ばかは風邪をひかない』は、もともと、『ばかは風邪をひいてゐることに気が付かない』が本来のコトバであったことを、ナルホドと納得する。かつて人災疫病禍元年には、これらもにわかに命が惜しくなってマス . . . 本文を読む
JR川崎驛の東口廣場を通るたびに氣になってゐた「石敢當」と彫られた石碑、昭和四十一年九月の薹風で甚大な被害を受けた宮古島を超党派で復興支援した當時の川崎市へ、返禮として宮古島が贈った沖縄傳統の魔除け石云々。この時代の沖縄は米夷の占領下にあり、しかもニッポン本土から精神的に切り離さうと、「守礼の光」誌に象徴されるプロパガンダ活動が盛んな頃でもあった。戰後に重工業地帯として再興した川崎に . . . 本文を読む
ラジオ放送の寶生流「小督」を聴く。平清盛の權勢に圧されて散った、高倉院と小督局の悲戀譚の一篇(ひとつ)。高倉院の御書を携へた源仲國が、清盛を恐れて姿をくらました小督局を馬で嵯峨野に探し訪ねる場面は、特に“駒の段”と云って、謠ひの聴かせどころとされてゐる。つまりそれなりの技量(うで)のある人に許される件りだと思ふのだが、忘年忘月、忘謠曲愛好者が發表會でこの“駒の段”を謠ふと云ふので、すごいぢゃないで . . . 本文を読む
今秋も恒例の市民文化祭に参加し、現代手猿樂「おわら娘」をつとめる。今回は、再開發事業で昨年に新築されたばかりの複合施設内のホールに會場を移し、一度はここの舞薹に立ってみたいと願ってゐたので、こは嬉しや。越中の民謠「おわら節」と歌舞伎長唄とを突き合はせて創ったこの曲を演じるのは夏以来の二度目、今回は新たに手に入った衣裳を付けて、身と心にしっくり合ふ感触を味はひながら、樂しくつとめる。今日は昨日の雨天 . . . 本文を読む
今年で全車両引退となる模様の橫須賀線・総武快速線のE217系のデビュー三十周年を記念した冩真展が、鶴見驛前のサルビアホールギャラリーで開催されると知り、どうしても氣になったので雨天をおして觀に出かける。(※會場内接冩以外で撮影可)それまでの“スカ色”113系の置き換へとして、平成六年(1994年)十二月にE217系が登場した時、普通車が編成の両端を除いてロングシート仕様であることに、とても衝撃を受 . . . 本文を読む