東京大会の開幕を前に8日、国連総会では、この決議の順守を求める議長の声明が発表され、大会が平和や相互理解を促進する重要な機会になると強調したうえで、オリンピック開幕の7日前からパラリンピック閉幕の7日後まで、あらゆる紛争について休戦するよう、すべての加盟国に呼びかけました。(後略)【7月9日 NHK】
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(【6月24日 TBS NEWS】ロシア訪問時に、クーデターの正当性を主張するミン・アウン・フライン国軍総司令官)
【市民弾圧にのめり込む国軍】
ミャンマーにおける軍事政権の市民弾圧の苛烈さが報じられています。
****ミャンマーで拘束の米国籍ジャーナリスト 目隠しされ殴打と証言****
ミャンマーの治安部隊に3か月以上拘束された同国生まれの米国籍ジャーナリストが25日、米バージニア州からロイターの電話インタビューに応じ、「何度も殴られ、平手打ちされた。何を言っても殴られるだけだった」と拷問を受けた様子を語った。
オンラインメディア「カマユート・メディア」の編集長のネーサン・マウン氏(44)は3月9日にオフィスに踏み込まれて拘束され、ニュースの内容や同氏の役割、同メディアーの運営について尋問を受けた。
最初の3、4日の拷問が最もひどかったという。両手で鼓膜の辺りを何度もたたき、あるいは両頬をはたき、両肩を殴るなどの暴行を受けた。立つことが許されず、両足が腫れ上がった。また、後ろ手に手錠をかけられ、1週間以上も布で二重に目隠しされた。3、4日間は眠ることが許されず、絶え間なく尋問されたという。
マウン氏が米国市民だと分かると、4日目になってようやく殴られる回数が減った。8日目に部隊幹部がやって来て目隠しを外した。6月15日に解放されて米国に送還されたという。同氏は1990年代に難民として米国に脱出していた。
マウン氏によると、自分よりも同僚の拷問の方がきつく、その同僚は今も拘束されたまま。2日間同室になった人は手錠された手を机の上で置いて殴られ、皮膚は裂けていた。他の建物からは叫び声や嘆願する声、悲鳴が聞こえてきたという。
人権団体によると、ミャンマー国軍が2月1日にクーデターを起こして以来、5200人近くが収監され、治安部隊に殺害されたのは少なくとも881人という。
国軍側は、収容者は法にのとっって扱われていると主張している。【6月28日 ロイター】
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****ミャンマー軍事法廷、無罪主張の未成年に「見せしめ」死刑判決*****
クーデター以後、軍政が立法、行政、司法を掌握し、反軍政を唱える国民への弾圧を続けているミャンマーで、また大きな悲劇が起きた。中心都市ヤンゴンなどで起きた反軍政の市民運動に参加したとして逮捕された64人の「被告」に対し、軍事法廷が6月24日までに死刑判決を下したことが明らかになったのだ。
64人の中には17歳と15歳の少年という未成年2人がふくまれているとされ、人権団体などが激しく抗議している。
冤罪の可能性ある死刑判決が続々
これは6月25日に米政府系放送局「ラジオ・フリー・アジア(RFA)」がミャンマー発で伝えたもので、死刑判決を受けた64人はクーデター支持者の殺害や軍兵士殺害に関与したなど個別の反軍政活動が問題とされ、軍事法廷で死刑判決を受けたという。RFAが情報源から得た話では、64人は死刑判決を受けたものの、これまでのところ刑を執行されてはいない、という。
ミャンマーでは1998年以降、裁判で死刑判決が下されても、その後に終身刑に減刑されるなどして実質的に死刑執行は長い間行われてこなかったとされる。しかし今回の軍事法廷による死刑判決で実際に刑が執行されれば、新たな社会問題、人権問題となる可能性が高い。
そもそも、RFAが伝えた複数の「被告」や「被告家族」の声によれば、ほぼ全ての「被告」が問われた容疑との関わりを否定しているだけでなく、軍事法廷で十分な弁護活動が行われたのかについても大きな疑問が呈されている。となると、冤罪による立件や不公正な裁判が行われた可能性さえある。
軍支持派を殺害の容疑で17歳学生逮捕
死刑判決が伝えられた64人は、クーデター発生の2月1日以降に、大半がヤンゴン、あるいはヤンゴン周辺地区で軍や警察に逮捕、訴追された人々だという。
死刑判決を受けた17歳のニン・キャウ・テイン君は、タンリン訓練学校の生徒で、4月17日に逮捕された。
ヤンゴン南部タゴン郡区で軍によるクーデターに支持を表明していたゾウ・ミン氏という男性が、反軍政の市民に殺害、遺体が焼かれるという事件が発生しているが、治安当局はテイン君の逮捕はこの事件に関連したものだと証言しているという。
しかしテイン君と連絡をとった母親によると「当局は私を殺人者と呼ぶが、真実ではない。私は誰も殺してなどいない」と無罪を主張しているという。母親は、ゾウ・ミン氏殺害事件の2週間後の4月17日、突然兵士が自宅に来てテイン君を逮捕、連行して行ったとRFAに語っている。
ゾウ・ミン氏が殺害された当時はヤンゴンやその周辺では反軍政を訴える市民による集会やデモが盛んに起きている時期で、これに対して軍が実弾発砲を含めた強圧的な鎮圧を各地で展開していた。
母親によるとゾウ・ミン氏が殺害された当日、テイン君は銃撃戦を逃れるため避難しており殺害事件や銃撃戦とは無関係だったとして、無罪を訴えている。
15歳学生も同容疑で逮捕、死刑判決
(中略)このゾウ・ミン氏殺害事件では18人が逮捕されているが、テイン君やミン君という未成年を含む全員が訴追され、死刑判決を受けた。このうち実際に逮捕されて刑務所に収容されているのは11人だけで、残る7人はいまだに捜査の手を逃れて逮捕に至っていないという。それでも法廷では「欠席裁判」で審理され、そこで死刑が言い渡されている。
「死刑判決は見せしめ」と人権団体が批判
2013年からミャンマーでも活動していた東南アジア諸国連合(ASEAN)を主要活動地域とする人権団体「フォーティファイ・ライツ」は(中略)「今回のような死刑判決は反軍政の活動を続ける国民への見せしめや警告の意味もある」と指摘する。
ミャンマーの司法関係者などによると、軍事法廷とはいえ、被告側は判決公判から15日以内に控訴が可能という。
もっとも刑務所などに拘留中の被告は控訴の手続きを進めるに際し、刑務官の署名による同意が必要不可欠とされ、収監中に暴力を受けるなどしていると訴えている「被告」の「控訴」という希望が叶うかどうかは刑務官の胸三寸次第という状況で、人権上も問題があると指摘されている。【6月30日 大塚 智彦氏 JBpress】
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市民監視も強化。
****ミャンマー国軍、監視強化 政変5カ月、民主派も抗戦****
ミャンマーのクーデターから1日で5カ月。大規模な抗議デモは鳴りを潜めたが、民主派は各地で「防衛隊」を結成し、国軍の弾圧に手製の武器で抗戦する。一方、国軍は退役軍人らによる「自警団」を結成。一般市民に紛れ込んで民主派を逮捕させたり、スパイ活動をさせたりし、監視を強めている。
人権団体「政治犯支援協会」によると、クーデター以降、国軍の弾圧による死者は883人に上る。
国軍がつくった「ピューソーティー」と呼ばれる自警団は、退役軍人らで構成する。地元メディアによると、主な任務は国軍に協力する市民の警護や民主派の情報収集という。【6月30日 共同】
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また、軍政に批判的な外国メディアに対する統制も強化されています。
****「軍政」と書いたら法的措置=偽ニュースに警告―ミャンマー国軍****
ミャンマー情報省は30日、クーデターで権力を握った国軍が設置した最高意思決定機関「国家統治評議会(SAC)」を外国メディアが「軍事政権」と表記した場合、「法的措置を取る」と警告する声明を発表した。
声明は「SACは憲法に従って国務に当たっている」と説明し、「クーデター政権ではない」と強調。「国連や世界の国々もSACをミャンマーの合法政府と認めている」と主張した。
その上で、ミャンマーに拠点を置く外国記者の一部が軍政という表記を使い、根拠のない情報源の話を引用していると指摘。「偽ニュースの引用や誇張、偽情報の流布」をしないよう求めた。【6月30日 時事】
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【激しさを増す武装市民・少数民族武装勢力の抵抗】
こうした「力による支配」によって、一般市民の大規模なデモはできなくなり、不服従運動を続けていた市民も生活がありますので、一定に職場に戻りつつはありますが、その一方で、抵抗運動に身を投じた者は武装化を進め、国軍支配に対する暴力的な抵抗は増加するように見えます。
****それでも絶えない市民の反軍政抵抗運動****
軍政は今回の死刑判決を、反軍政活動を強める国民に対する「警告」と考えているのだとしたら、それは逆効果となる可能性が高い。というのも武装市民組織である「国民防衛隊(PDF)」や少数民族武装組織などによる軍の拠点や兵士を狙った「攻撃」が、ますます激しくなっているからだ。
軍政に対抗して身柄を拘束されているアウン・サン・スー・チーさんやウィン・ミン大統領、与党「国民民主連盟(NLD)」幹部、少数民族代表などで構成される民主派政府組織「国民統一政府(NUG)」が軍による人権侵害、虐殺などの残虐行為に対抗するため結成した市民による武装組織がPDFで国内各地において軍や警察への武装闘争を繰り返しているのだ。
PDFは6月24日、北部のカチン州で活動する「カチン人民防衛軍(KPDF)」が少数民族武装組織である「カチン独立軍(KIA)」の支援を受けてカタ軍区モタ・トラクトにあるシェ・カヤン・コネ村の軍拠点を攻撃したことを明らかにした。この戦闘で軍兵士30人を殺害したとしている。
また6月27日には中部の都市マンダレーのミリチャン地方で軍政府組織の代表を務める男性がユワンニ村近くのガソリンスタンドで殺害された。(中略)
6月27日には中部サガイン管区のカレイ郡区で軍の輸送トラックを地元のPDF組織が待ち伏せして攻撃、兵士少なくとも9人が死亡、PDF側に死傷者などの被害はなかったという。
ほぼ同じ場所では前日の26日に、やはり軍の兵員輸送トラックを道路に埋設した地雷で攻撃したという。この時の死傷者などは分かっていない。
このように各地で武装市民組織PDFや少数民族武装組織による活動は激化している。そうした戦闘から逃れようとする人々も増えている。
国連人道問題調整事務所(UNOCHA)によると、2月1日のクーデター以降、軍による攻撃を逃れるため国外に脱出した難民はミャンマー南東部地域で約18万人に達し、このうちカヤ州だけで10万人以上という。難民の多くは国境を越えて隣国タイのメーホンソン県などで難民生活を送っているという。
各地で軍への攻撃、兵士の犠牲が増えていることに対して、軍のほうも軍事的行動を含めた対応を強化している。それが市民の犠牲や拘束をさらに増やすという悪循環に陥っている。
最近では日本でミャンマー情勢が報じられることが減っているようだが、事態が鎮静化したわけでは全くない。軍政と民主化を求める市民、さらには少数民族武装勢力の衝突は激化の一途を辿っている。【同上】
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こうした市民抵抗への懐柔策でしょうか・・・
****ミャンマー 政治犯まもなく約700人釈放****
ミャンマーで、政治犯がまもなく一斉釈放される。
2021年2月のクーデターに抗議し、逮捕された市民などおよそ700人が、まもなくヤンゴンの刑務所から釈放されることになり、収監者の家族など数百人が門の前に集まっている。
当局は、ほかの刑務所もあわせ2,000人以上を釈放する見通しで、ジャーナリストなども含まれている可能性がある。
釈放の理由は明らかにされていないが、依然として連日クーデターに抗議する市民が逮捕されていて、国軍側が弾圧を弱める姿勢は見られない。【6月30日 FNNプライムオンライン】
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【以前にも増して高まる「スー・チー人気」】
こうした混乱状況で、国軍による軟禁下にあるスー・チー氏への市民の支持は、反軍政の象徴として、むしろ強固なものになっているようにも。
****軟禁下にあるスー・チーさんの誕生日に国中が花で溢れた理由****
ミャンマーの民主政権で実質的な国家指導者に立場にあったアウン・サン・スー・チー国家最高顧問兼外相が、6月19日に76歳の誕生日を迎えた。スー・チーさんは2月1日の軍によるクーデターでその地位を奪われ、現在も身柄を拘束された状態にある。
首都ネピドーの自宅で拘束された後に自宅軟禁されているスー・チーさんは、複数の容疑で起訴され、現在は週に1度の割合で公判に出廷する被告の身だ。担当弁護士との面会はこれまでにオンラインだけだったが、6月7日の公判前にミン・ミン・ソー弁護士が30分間だけ初めて直接面会することができたという。
その際にスー・チーさんは、「全ての国民は健康に留意して過ごすように」と国民へのメッセージをミン・ミン・ソー弁護士に託したという。また法廷でも堂々と軍政と闘う決意を固めているという。
スー・チーさんは1989年のソウ・マウン軍事政権時代に自宅軟禁され、1995年には一度解放されるも、2000年に再度自宅軟禁を強いられた。その後、2010年にようやく解放されたが、その半生のほとんどは軍事政権との対峙しながらのものだった。今回、三度目の自宅軟禁という境遇にありながら、改めて法廷で国軍と「闘う姿勢」を示したことで、国民の間では、以前にも増して「スー・チー人気」が高まっている。(後略)
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****ミャンマー治安部隊、スー・チー氏の誕生日祝う市民ら拘束****
国軍がクーデターを強行したミャンマーの地元メディア「ミジマ」によると、国軍に拘束されているアウン・サン・スー・チー氏(76)の19日の誕生日を祝った市民らが、治安部隊に相次いで拘束された。国軍側には、国民の間で人気が高いスー・チー氏の影響力を排除する狙いがあったとみられる。
19日には、誕生日を祝う集会や国軍への抗議デモが、国内外で行われた。第2の都市マンダレーでは、カフェの客に花を配った店主や従業員計12人が治安部隊に連行された。最大都市ヤンゴンでは、花の髪飾りを使うスー・チー氏にちなんで花を髪に挿していた女性2人が拘束された。【6月22日 読売】
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下記の報道からは、スー・チー氏が、自分が今も正統な国家指導者であることをアピールしているようにも思えます。
****スー・チー氏、国民にコロナ感染への警戒強化呼び掛け****
ミャンマーの2月1日の国軍クーデター直後から軟禁されているアウン・サン・スー・チー氏が28日、新型コロナウイルスの感染に警戒を高めるよう国民に呼び掛けた。弁護士のミン・ミン・ソー氏が明らかにした。
ミン・ミン・ソー氏によると、スー・チー氏はこの日も違法行為の訴追に関して出廷。裁判所で弁護団に対しコロナ感染に注意を払うよう呼び掛け、「われわれに手洗いやマスク着用の注意喚起をした」(ミン・ミン・ソー氏)。スー・チー氏はさらに、同様のメッセージを国民に伝えてほしいと述べたという。同氏に問われている違法行為にはコロナ感染対策の規定違反も含まれている。
ミャンマー保健省が発表した28日の新規感染者数は1225人と、1日当たりではスー・チー氏の政権が直近の感染拡大局面を抑え込んだ昨年12月半ば以降で最も高水準になった。昨年10月の同国のピーク時の新規感染者数に近づいている。
ミャンマーの医療システムや、ウイルス検査などの感染対策は、クーデター以降機能不全に陥っている。多くの医療従事者が軍の政権掌握に抗議して職場を離脱していることもある。【6月29日 ロイター】
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【ミン・アウン・フライン国軍総司令官の誤算】
こんな混乱を引き起こし、国軍トップのミン・アウン・フライン国軍総司令官は一体何をしようとしているのか?
かつての軍事政権のように従順な市民を支配して、スー・チー政権より自分たちの方がうまく国家運営できることを示したかったのでしょうが、民主化のもとで自由を経験した市民による激しい抵抗は全くの想定外、誤算だったのでしょう。
「従順な」とは書きましたが、以前の軍事政権でも1988年に民主化を求める抵抗はありました。しかし、軍は何千人をも虐殺する圧倒的暴力で押さえました。
今の国軍にはそこまでやる考えもないでしょうし、時代的にそういう暴力が許されるような国際環境にもありません。そのあたりの時代変化も「誤算」の要因でしょう。
****「誤算」クーデターのこれまでとこれから****
軍の蜂起の背景にある思想とは?
ミャンマーでクーデターが起きてから5ヵ月。混迷が深まるばかりだが、なぜこんな事態に陥つたのか。
2月1日未明に決行したクーデターで、ミャンマー国軍はアウンサンスーチー国家顧問やウィンミン大統領ら政府高官を大きな衝突もなく次々に拘束していった。その手際の良さに、首謀者で国軍トップのミンアウンフライン国軍司令官はさぞ満足したことだろう。
しかしその後は誤算続きで、今では「こんなはずではなかった」との思いに駆られているのではないだろうか。
当初国軍は無血クーデターであることを印象付け、国民の支持を得ようと考えていたとみられる。国軍には伝統的に「国軍こそが政府を指導するべきだ」との思想がある。
スーチー率いる国民民主連盟(NLD)は経済政策などで失策を重ねており、自分たちのほうが国をうまく運営できると考えていた節もある。
そして、国軍系政党が壊滅的な敗北を喫した昨年の総選挙に不正があったとして、クーデターを決行したのだ。
しかし、2011年の民政移管後に自由な空気を吸ってきた市民は、国軍の支配に激しく抵抗した。全土で数百万人ともいわれる市民が街頭で声を上げ、公務員らは市民不服従運動(CDM)と呼ばれるゼネストを決行。国の政治・経済の中枢はマヒした。(後略)【7月6日号 Newsweek日本語版】
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あとは弾圧と抵抗の応酬による泥沼。意図した政策なども何も出来ずにいます。
ここまで失敗した以上、身を引くのが筋ですが、それが出来ないのが権力争い。
強引に権力に居座り、国民の犠牲は据えるばかり。
(火災は22日にロヒンギャの難民キャンプをのみ込んだ 【3月23日 CNN】)
【難民キャンプ大火災 漂う絶望感】
ミャンマー西部ラカイン州で暮らしていたイスラム系少数民族ロヒンギャが、ミャンマー国軍などにる殺害・レイプ・放火などの民族浄化的な暴力によって追われ、70万人超の難民が隣国バングラデシュのキャンプで生活していることはこれまでも再三取り上げてきました。
そのロヒンギャの難民キャンプで3月に、約1万戸が焼失する大火災が起きました。
****ロヒンギャ難民キャンプで大規模火災、数万人の命に危険 バングラデシュ****
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“出火原因について(バングラデシュの難民問題当局の)ハヤト氏は(3月)24日、難民が使用していたコンロが火元で、強風にあおられて調理用のガスボンベに次々と引火した可能性があるとの初期調査結果を明らかにしている。”【3月26日 AFP】
難民らは故郷ラカイン州での悪夢から抜け出し、キャンプで新たな生活に立ち上げていこうとしていた矢先の大火で、現地には絶望感が広がっているとも。
****キャンプ大火災 ロヒンギャ難民のいま****
今年3月、バングラデシュ南東部・コックスバザールにあるロヒンギャ難民キャンプで大規模な火災が発生し、約4万人が住む家を失った。火災発生当時現地を取材したジャーナリストの小西遊馬さんに、被害の様子とロヒンギャ難民の今後について話を聞いた。
■約86万人が難民キャンプで生活
(中略)
――ロヒンギャ難民は今どんな状況に置かれているのでしょうか?
元々はミャンマーで生活していたのですが、ロヒンギャの人々はイスラム教徒であるため、人口の9割が仏教徒とされるミャンマー国内では「バングラデシュからの不法移民」とされてしまいました。
ミャンマー国籍が与えられず、治安部隊から迫害を受け、国を追われました。しかし隣国のバングラデシュにも入国を認めてもらえず、今も86万人近くが特別に設けられた難民キャンプで生活している状況です。
■一面の焼け野原で子どもが…
――そんな中で起きた今回の火災。(中略)難民の人々の被害は?
元々キャンプにはシェルターが密集していましたが、火災の翌日には一面焼け野原になり、遠くの景色が見える開けた平地になっていました。
布団や毛布などの生活必需品や、なけなしのお金で買った家財道具も燃えてしまい、幼い子供が、まだ使える皿やソファの骨組みなどを拾い集めていました。(中略)
■キャンプに充満する“絶望感”
――現地を取材して、どんなことを感じましたか?
2年前にも現地を取材しました。当時は2017年にミャンマーの治安当局が数千人のロヒンギャを虐殺するという事案があった直後でした。キャンプには新たにたくさんの難民がなだれ込み、家を建て、NGOの人が走り回り、難民キャンプには痛みと叫びが充満していました。
今回数年が経って、少ないながら家具が揃ったり、以前よりはシェルターを綺麗にしたり大きくしたりして、キャンプ内がある程度落ち着き始めていました。そんな中で起きた火災でしたので、振り出しに戻されたという絶望感が、まるで火災の煙のようにキャンプ全体に充満したように感じました。
■先行き見えず、現地民との軋轢も
――難民キャンプで生活するロヒンギャの人たちは、今後どうなるのでしょうか?
現在のミャンマー国内の混乱や、バングラディッシュ政府によるバシャン・チョール島という島への難民移住計画などさまざまなことがありますが、端的に言えば行き先は決まっておらず、先が見えていない状況です。
ホストコミュニティとの軋轢という問題を懸念しています。難民の彼らが支援を受けている一方、バングラデシュ国内には、難民の彼らよりも貧しい生活を強いられている人々がいて、「なぜ彼らだけ支援を受けるのか」という意見があります。
また、ロヒンギャ難民がドラッグの運び屋として使われ国内にドラッグを持ち込まされていたり、キャンプ外で不法に現地民より安い賃金で働いて雇用を奪ったりするなど、現地民には不満も溜まっています。深まる軋轢によって、難民の彼らが今の居場所さえ失ってしまう可能性もあると思います。
■小さなことでも、できることから
――ロヒンギャの問題。日本の私たちができることは?
小さくて意味がないと思うことでも、是非やってほしいと思います。
2年前にロヒンギャ難民キャンプに行ったのが、僕の初めての取材でした。カメラの使い方もよく分からない状態で足を運び、現実の厳しさに圧倒され、自分には何もできないかもしれないと思ってしまったんです。その時ロヒンギャの方に、「君が来てくれたという実存によって、『僕たちはまだ忘れられていない。僕たちを思ってくれる人がどこかにいる』と思える。自分たちの存在の承認や希望になるんだ」と言われました。
■鉛筆を受け取る難民の子どもたち
以前、北星鉛筆さんという老舗の鉛筆屋さんにご協力いただき、難民キャンプの学校に鉛筆を送らせていただきました。鉛筆代よりも送料の方が高かったのですが、“機能”とか“費用対効果”という問題ではありません。やはり人は心で生きていると思うんです。ささいなことでも、彼らの希望になります。ぜひどんなことでも、できることから始めていただけたらと思います。【5月22日 日テレNEWS24】
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【「新天地」を求めてキャンプを脱出するも、待ち受ける現実】
これまでも厳しい生活を強いられていましたが、大火で更に・・・
当然ながら、このキャンプを脱出して「新天地」(そういうものがあれば・・・ですが)に向かう難民も。
しかし、悪質な密航業者、向かった先での入国拒否など、難民にとって「新天地への旅」が命がけのものであることは、ロヒンギャでも、その他の地域の難民でも同じです。
****ロヒンギャ難民81人、マレーシアに上陸拒否され113日漂流 インドネシアで救出へ****
<コロナ禍やクーデターなどで世界の関心は減ったが、難民たちは今日も生き延びようとしている>
インドネシアのスマトラ島最北部にあるアチェ州の無人島に6月4日、ミャンマーの少数民族イスラム教徒のロヒンギャ族の難民81人が乗った船が漂着。付近のインドネシア人漁民が通報して明らかになった。
アチェ州当局者などがロヒンギャ族難民から事情を聴取したところ、81人はミャンマー南部からマレーシアを目指して船で脱出したものの、マレーシア当局がコロナ禍を理由に受け入れを拒否。
再びマラッカ海峡北部のアンダマン海周辺を航行、船の故障などでほぼ漂流状態でアチェ州東アチェ地方の沖合にある無人のイダマン島に漂着したという。近くのアチェ人漁民が発見したロヒンギャ族は女性49人、男性21人、子供11人で食料、飲料水が枯渇状態だったという。
ミャンマーではなくバングラデシュから
アチェ州当局者に対して漂着したロヒンギャ族の人々は「ミャンマー南部から来た」と述べているというが、国連難民高等弁務官事務所の関係者などは「たぶん彼らはミャンマーから隣国バングラデシュ南東部にある難民キャンプに逃れ、そこから船でマレーシアを目指したものと思われる」としている。
ミャンマー西部ラカイン州などに定住していたロヒンギャ族は仏教徒が多数の同国では少数派のイスラム教徒であることや、ミャンマー政府から正式の市民権や国籍を付与されず、長年社会的経済的な差別を受けていた。
2016年10月にロヒンギャ族武装勢力「アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)」がラカイン州にあるミャンマー警察施設3カ所を襲撃したことをきっかけにミャンマー軍が治安維持名目でロヒンギャ族の武装組織壊滅に乗り出した。
その過程で多くのロヒンギャ族の市民が軍兵士に虐殺、暴行、家屋放火、女性はレイプなどの人権侵害される事件が発生。多数が隣国バングラデシュに難を逃れた。
バングラデシュ南東部チッタゴン管区にあるコックスバザールなどに設けられたロヒンギャ族の難民キャンプでは約70万人が避難所生活を送っている。
アチェ州はロヒンギャ族難民拒否せず
バングラデシュのロヒンギャ族難民キャンプはほぼ飽和状態で政府による人道支援はあるものの、食料は慢性的に不足。医療事情が悪くコロナ感染防止が不十分であること、さらに居住区では顔役による暴力や物品の奪取などがあるとされ、必ずしも平穏なキャンプ生活が維持できないのが実状といわれている。
こうした状況から逃れるために多くのロヒンギャ族難民が新たな生活拠点を求めて、イスラム教徒が多いマレーシアやインドネシア、地理的に近いタイなどを目指して船で脱出を図るケースが絶えない。
当初はロヒンギャ族の難民船を受け入れていたマレーシアやタイは自国のコロナ感染拡大もあり、海上で発見した場合、最近は食料や水を与えて受け入れ上陸を拒否するケースが増えているという。
これに対し、ロヒンギャ族難民が漂着することが多いインドネシアのアチェ州は住民の多数が厳格なイスラム教徒で唯一イスラム法(シャーリア)に基づく統治が認められていることもあり、同じイスラム教徒であるロヒンギャ族難民を原則として受け入れてきた。
2020年6月にはコロナ感染を懸念するあまり、ロヒンギャ族の漂着を拒否したアチェ州当局の判断に地元アチェ人漁民が反発して、独自に難民を上陸させる事態も起きている。
アチェ州にはロヒンギャ族を収容する施設もあり、多数が収容されているものの、なぜか最終的にはマレーシアを目指すロヒンギャ族難民が多く、知らない間にマラッカ海峡を横断してマレーシアに密航するケースも増えているという。インドネシア人の密航請負人が船を用立ててこうした密航を支援しているとされている。
漂流中に9人が死亡
今回漂着したロヒンギャ族漂着民がインドネシアメディアに語ったところによると、海に乗り出した際は合計90人が船上にいたが、長い航海中に男性4人、女性5人の合計9人が船上で死亡したという。
また海に乗り出した直後に乗りこんでいた船がインド沖合で故障したが、付近にいたインド人漁民ら駆けつけてくれ、水漏れなどが激しいことから新たな船を提供してくれたために航海が続けられたとしている。
漂着した81人は、アチェ州ロスマウェにある収容施設などには2020年の6月と9月に漂着した合計約400人のロヒンギャ族難民に続く集団漂着という。
アチェ州では2021年1月に収容施設からロヒンギャ族難民100人以上が行方不明になる事件が発生。その後の調査で難民は密航を支援する代理人によってマラッカ海峡を横断、マレーシア密入国したものとみられている。
難民の間では、マレーシアにはコロナ禍以前から渡航したロヒンギャ族のコミュニティーがあること、不法ではあるが就業機会があることが密航の理由とされている。
ミャンマーでは2月1日の軍政によるクーデター発生後、難を逃れたバングラデシュの難民キャンプでは生活困窮とコロナ禍と厳しい環境の中、多くのロヒンギャ族が新たな自由の天地を求めて粗末な船で海に乗り出している。国際社会の支援が不可欠になっているのは間違いない。【6月7日 大塚智彦氏 Newsweek】
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“なぜか最終的にはマレーシアを目指すロヒンギャ族難民が多く・・・”
これは私の全くの想像ですが、インドネシア当局にとってロヒンギャは“招かざる客”“お荷物”であり、どこかに消えてくれたら助かる・・・ということで、密航業者の活動などはあまりきつく取り締まっていないのでは・・・・全くの想像です。
【ミャンマーの民主派勢力でつくる「国家統一政府」がロヒンギャに協力要請 市民権付与も】
“ミャンマー政府から正式の市民権や国籍を付与されず、長年社会的経済的な差別を受けていた”ロヒンギャ。
国軍の暴力だけでなく、スー・チー政権も結局国軍を擁護し、ロヒンギャに手を差し出すことはありませんでした。
そのスー・チー政権が国軍のクーデターで崩壊し、民主派勢力は少数民族武装勢力と手を結んで国軍への抵抗を続けていることは周知のところ。
その民主派勢力でつくる「国家統一政府」はロヒンギャにも協力要請し、市民権を付与し、帰還を実現させるとの申し出。
****ミャンマー「民主派政府」、ロヒンギャに軍政打倒への協力要請 帰還約束****
ミャンマーの民主派勢力でつくる「国家統一政府」は3日、同国で迫害されているイスラム系少数民族ロヒンギャに対し、軍事政権打倒への協力を求め、政権奪回後の市民権付与とミャンマーへの帰還を約束した。
ミャンマーでは、2月1日の国軍クーデターで、アウン・サン・スー・チー国家顧問と国民民主連盟政権が倒れて以来混乱が続き、反体制派に対する弾圧で800人以上が死亡している。
政権から追い出されたNLDの議員らは、反クーデター派をまとめてNUGを発足させた。軍事政権はNUGを「テロ組織」に指定しており、ジャーナリストを含めNUGに接触した人物は、テロ対策法に基づいて起訴される恐れがある。
スーチー氏のNLD政権は、ミャンマーの多数派である仏教徒を刺激しないよう「ロヒンギャ」という言葉の使用を避け、「ラカイン州に住むイスラム教徒」と呼んでいた。だが、NUGの今回の声明は、「ロヒンギャの人々に、われわれや他の人々と協力し、軍事独裁政権に対抗する『春の革命』に参加するよう呼び掛ける」と述べている。
ミャンマーでロヒンギャは、バングラデシュからの侵入者とみなされ、市民権や行政サービスへのアクセス権などを何十年間も否定されてきた。その状況を、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは、アパルトヘイトさながらと形容している。
NUGは同じ声明で、ロヒンギャを差別する1982年の国籍法の廃止も約束。ミャンマー生まれ、あるいはミャンマー人との間に生まれた全員に市民権を与えるとしている。
また、バングラデシュの難民キャンプにいるロヒンギャ全員が「自発的かつ安全に、尊厳を持って帰還できるようになり次第」、ミャンマーへの帰還を実現するとしている。
国連が民族浄化だと非難した2017年の軍事作戦以後、74万人以上のロヒンギャが国境を越えてバングラデシュに避難した。
一方、今でもラカイン州に残っている60万人以上のロヒンギャは市民権を持たず、行動範囲はキャンプや村の中に制限され、多くが医療を受けられずにいる。 【6月4日 AFP】
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今の段階では、「国家統一政府」の国軍への抵抗は圧倒的な国軍の武力の前では厳しい立場にありますので、その申し出が実現される可能性は現実問題としては小さいと言わざるを得ません。
それはそうとして、「スーチー氏のNLD政権の流れをくむ「国家統一政府」がロヒンギャ容認・・・単なる状況打開の便法でしょうか?
それとも、自分たちが迫害される側に回って、考えも変わったのか?
後者であることを願います。
(現実的な話をすれば、仮に「国家統一政府」が国軍を退けて権力を掌握したとしても、ロヒンギャ嫌悪はミャンマー国民の間で根強く、市民権云々を実行することができるかは疑問ですが)
(3本指で反独裁の意思を示す(4月18日、南部ダウェイ)【4月28日 Newsweek】)
【「ミャンマーと日本の現在の友好的な関係と将来の関係」を考慮】
周知のように、国軍による市民弾圧が続くミャンマーで逮捕・起訴されていた日本人ジャーナリスト北角裕樹さんが解放されました。
****ミャンマーで拘束の日本人記者、解放 本日中にも帰国へ****
クーデターで国軍が権力を握ったミャンマーで、虚偽のニュースを広めたなどとして当局に訴追された日本人フリージャーナリストの北角裕樹さん(45)が14日に解放され、帰国の途に就いた。同日夜に成田空港に到着する予定だ。
北角さんは日本経済新聞の元記者。ミャンマーではフリーの立場で、2月1日の国軍によるクーデター直後から抗議デモなどを取材していたが、4月18日にヤンゴン市内の自宅で逮捕され、郊外のインセイン刑務所に収容された。北角さんが発信する国軍にとって都合の悪い情報が「虚偽」と判断されたとみられる。
拘束は1カ月近くに及んだが、国営テレビが5月13日夜、北角さんが解放されると報道。14日付の国営紙は、市民が職務を放棄して抗議する不服従運動などを北角さんが支援し、法律に違反したと指摘する一方、「ミャンマーと日本の現在の友好的な関係と将来の関係」を考慮し、起訴が取り下げられたと伝えた。
北角さんは現地時間の14日午前に解放され、ヤンゴンの空港から成田に向かう便に搭乗した。現地の日本大使館によると、健康状態に問題はないという。
日本政府は拘束以来、大使館などを通じてミャンマー側に北角さんの解放を求めてきた。茂木敏充外相によると、丸山市郎・駐ミャンマー大使のほか、ミャンマー国民和解担当日本政府代表を務める笹川陽平氏が働きかけたという。
茂木氏は14日の記者会見で、「率直に言って苦労した」とも述べた。日本政府関係者は「国軍による弾圧で700人以上が死亡している。拘束で北角さんが何をされるのか分からないという、強い懸念を抱いたはずだ」と指摘する。
一方で、国軍は欧米からの制裁で国際的に孤立を深めており、日本との関係を損ないたくないとの事情もあったとみられる。日本は途上国援助(ODA)を2019年度に1893億円拠出するなど、最大の援助国だった。
国軍側は解放の理由で日本との友好関係に言及しており、外務省幹部は「起訴されれば、普通は解放は難しい。ミャンマー側も、日本のこれまでの取り組みを考慮したのだと思う」と述べた。【5月14日 朝日】
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同じ日本人として、北角さんが不当な逮捕から解放されて、最悪の事態を免れたことは喜ぶべきことですが、抵抗する市民への容赦ない弾圧を続けるミャンマー国軍、その国軍に対し欧米とは異なる日本独自の対応をとるとのことで、制裁などの強硬な対応は避けている日本政府の対応を考えるとき、「ミャンマーと日本の現在の友好的な関係と将来の関係」云々と言われるようなことには釈然としないものもあります。
“北角さんはフリーランスのジャーナリストとして活動し、日本の大手メディアに情報を提供していた。ミャンマーに残っている数少ない外国人記者だった。
また、日本メディア向けに今回のクーデターやその後の抗議活動や殺害行為を報じていた一方、自身のソーシャルメディアに、ミャンマーの現状が市民に与える影響について頻繁に投稿していた。”【5月14日 BBC】
もし、今回の解放をめぐって、日本政府が国軍に対し「借りをつくる」、あるいは更に「宥和的」になるのであれば、それは国軍の市民弾圧を厳しく報じていたジャーナリストとしての北角さんの望む所ではないのでは・・・とも。
【徹底した市民弾圧が続く国軍支配】
ミャンマーでは、抗議の意思表示に鍋をたたいた者は実弾で撃ってもいい・・・といった国軍の徹底した弾圧によって、一時期のような表立ってのデモなどは難しくなっています。
犠牲者は780人超にのぼっており、また、44人の報道関係者が拘束中であり、市民は3885人が拘束中であるとされます。
また、そうした真実を報じる報道も封じこまれています。
****【ミャンマールポ】現地報道もデモも、国軍の「さじ加減」で消されている****
<日本人ジャーナリストの北角裕樹氏が訴追されたが、多くの人はそれほど驚かなかった。多くのミャンマー人が彼と同じように、あるいは彼以上に危険を顧みずに行動し、拘束されている。徹底弾圧の過去は繰り返されるのか>
(中略)「日本人ジャーナリスト北角(きたずみ)裕樹氏が国軍により拘束」。その速報はわれわれの元に驚くほど早い段階で入ってきた。しかし、恐らく多くの人がそれほど驚かなかった。実際、私も「まさか」とは全く思わなかった。
彼の活動は多くの日本人のみならず、それ以上の数のミャンマー人が知るところだったからである。 彼のこれまでの報道姿勢やソーシャルメディアでの発言にはさまざまな意見もある。ただ多くのミャンマー人が、日本人である彼がミャンマーのためにいま起こっている出来事をつぶさに発信してきたことに感謝している。
そして彼は批判が来ることも、場合によっては迷惑を掛けてしまうことも、もちろん自分の身の危険も全て覚悟していたであろうことは想像に難くない。
さらに、多くのミャンマー人が彼と同じように、もしくは彼以上に危険を顧みず真実を報道し続け、軍によって拘束され、場合によっては命を奪われている。
(中略)唯一の救いは、彼が公開で捕まったことかもしれない。ミャンマー人で「闇に葬られた」人も少なくない。拘束されながら、いまだに具体的な数字として表れてきていない人々のことである。
現状、戒厳令下で捕まった人間は上訴が認められない軍法裁判にかけられる。軍法裁判とは、本来罪を犯した軍人がかけられるものではなかったか。 北角氏が捕まったのは戒厳令下ではない管区で、今のところ正式裁判が行われる予定だ。しかし、それもいつ覆るかは分からない。全ては「向こう」のさじ加減一つなのだ。
街へ出ると、今が平時であるかのような錯覚に陥ることがある。3月のような緊張感はある意味で薄れている。以前は自分が動く範囲のそこここで物々しいバリケードや、タイヤが燃えた痕が見られたが、そういった光景を見る機会は随分少なくなった。
<3段階でネットを規制>
これまでインターネットの制限は3段階で強化された。 最初の制限で深夜1時から朝9時までのネット遮断が行われた。これにより、夜間に起こった事件については次の日の朝まで情報を広めることができなくなった。
それから携帯のネット遮断。これによって固定回線を持たない大多数のミャンマー人のインターネットへのアクセスが遮断された。
次にモバイルWi-Fiでのネット通信の遮断。この結果、人々は外で起こる一切をリアルタイムで発信するすべを失った。
そして、この間に国軍が運営する以外の全メディアの報道ライセンスは取り消された。今この国で正式なニュースというのは一部の決められた人間が出しているものだけだ。
今は街に妙な静けさがあり、一見すると平時のように見えてしまう。ただ、この感覚に陥るのは、以上のようなことが原因だと気付くと、背筋が凍る思いがする。
どんなに国軍が取り繕ったとしても、毎日犠牲者は増え続けている。そして人知れず市民は拘束され、全ての人がいつでも罰せられるルールが出来上がっている。
私の住んでいる地域から、毎晩8時に行われていた軍事政権への反意を示す鍋たたきはなくなった。耳を澄まして遠くの音を探しても全く聞こえない。広範囲で地区の代表や重鎮がやめるように働き掛け、徹底させているようだ。
今われわれに示されている「ルール」は、鍋をたたいた者は実弾で撃ってもいいというものだ。自分がたたけば別の誰かも撃たれる──人々が鍋をたたけなくなった理由だ。
誤解されがちだがデモに参加していた人々は、そもそも非武装・非暴力のデモで救われるという単純な発想で行動をしていたのではない。
外国の圧倒的な軍事力による介入で国軍の暴挙を止めてほしいと懇願し、それを可能にするために、市民として非武装・非暴力で反意を示していた。これが1つ目の試みだ。
2つ目は人道的介入が「内政不干渉」という、とある大国の思惑で制限されるため、これを超える「R2P(自国民を保護できない国家の国民を国際社会が保護する責任)」を強く打ち出したこと。
<直情的で純粋、でもしたたか>
そしてその2つの可能性も残しつつ、今は国軍の敵対勢力である少数民族軍連合と連邦議会代表委員会(CRPH)が組んで軍事的衝突を起こし、他国が介入しやすい、介入するしかない状態をつくり出そうとしている。
<行く末を見届けたい>
ミャンマーの人々は直情的で純粋である。しかし感情だけに流されずしたたかだ。後進国だと侮る人も多いが、アジアで最先端を走っていた歴史もある。多様性に富み、そのせいもあってさまざまな思惑が複雑に絡み合う。
悲観的に捉える多くの人は民主化デモが徹底弾圧された1988年、そして2007年の繰り返しになると言っている。しかし歴史は同じところを回っているように見えてらせん階段のように上っていくと、過去の偉人は言う。
ミャンマーの歴史は国民の半分以上を占める若い世代を中心に、確実に未来へ向かっていると信じる。苦難を乗り越え、さらなる発展を遂げるこの国の行く末を、1人の在住外国人として見届けたい。 (筆者はミャンマー在住日本人。身の安全のために匿名) 【4月28日 Newsweek】
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こうした厳しい状況にあっても、フラッシュモブのような命がけの抗議行動が行われています。
****ミャンマー、クーデター100日 短時間デモ活発化****
治安部隊の目を盗み抵抗
ミャンマーで国軍によるクーデターが起きてから100日が過ぎた。最大都市ヤンゴンでは、治安部隊に拘束されないような短時間の抗議デモが活発化している。国軍による徹底した弾圧で、抗議活動はいったん下火になったが、若者を中心とする市民の抵抗は続いている。
同国では治安部隊の銃撃などによる死亡者が780人を超えている。クーデターから100日目の11日、ヤンゴンでは数カ所で抗議デモが起きた。いずれも場所は中心部ではなく工場地区や住宅街などが多いエリアだ。横断幕を掲げ、速足で行進しながら「ミャンマーに民主化を」と叫ぶ。逮捕者はいなかったもようだ。
通行人にまぎれていた人々が治安部隊の目を盗んで瞬時に集まり、5~10分の短時間で解散する。こうした「フラッシュモブ」型と呼ばれるデモは4月下旬から連日起きている。
ある地区の抗議デモのリーダー(26)によると若者らは地区ごとにグループを組織し、情報は信頼できる仲間だけに伝えている。弾圧を受け大半の市民がデモに参加できなくなるなか「我々のような若い世代が声を上げなければ」と話した。
ヤンゴンでは2月、数十万人規模の大規模デモが頻発した。同月末から強制排除が始まると、市民は大通りや路地にバリケードを築き、治安部隊に抵抗した。国軍は発砲を繰り返してデモ隊を制圧し、街頭デモを行うのは難しくなった。
4月中旬以降、商店やオフィスが再開し、車や人の往来が増えた。医師らの職務拒否で閉鎖されていたヤンゴン総合病院などの公立病院は一部診療を再開した。次第に日常を取り戻しつつあるようにみえる。
だが抵抗の芽は消えていない。デモがあれば近隣住民は拍手で支持。夜8時に一斉に音を鳴らして抵抗の意思を示す「鍋たたき」は今も続く。
市民側が武装して国軍に立ち向かう動きも出ている。民主派勢力が発足させた「挙国一致政府(NUG)」は5日、「国民防衛隊」の設立を宣言した。これに呼応して地区ごとの「防衛隊」を設立し、連携を目指す動きが広がる。【5月13日 日経】
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夜8時の「鍋たたき」については前出【Newsweek】の記載とは異なりますが、地域によって差があるのでしょう。
“17歳少女、軍政による拘束下女性への暴力語る ミャンマー”【5月14日 AFP】といった現実も。
上記のような市民として非武装・非暴力の意思表示以外に、武装することを選択する動きも。
徹底した弾圧にさらされている状況では、当然と言えば当然な帰結でしょう。
ただ、その効果は限定的ですし、国軍に弾圧の口実を与えることにもなります。
****ミャンマー 市民が武装して軍に抵抗 双方合わせて16人死亡****
(中略)軍の弾圧が続く中、現地では市民の一部が武器をとって戦う動きが相次いでいて、現地メディアによりますと、このうち、北西部ザガイン管区のインド国境に近い村では11日から12日にかけて治安部隊と銃で武装した住民が衝突し、治安部隊15人と住民1人の、合わせて少なくとも16人が死亡したということです。
また、市民の中には少数民族の武装勢力のもとで訓練を受ける人たちも出てきていて、8年前の国際的なミス・コンテストにミャンマー代表として出場した女性がみずからのSNSに銃のようなものを持った写真と「反撃の時が来た」ということばを投稿し、訓練を受けているのではないかと話題になっています。
現地では、民主派勢力が軍の弾圧から人々を守るためだとして「国民防衛隊」と名付けた部隊を結成したと発表しましたが、軍は市民の武装化を口実にさらに弾圧を強めるおそれがあります。(後略)【5月13日 NHK】
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【厳しいジャーナリスト・メディア弾圧】
北角さんを含むジャーナリスト・メディア弾圧も厳しく行われています。
****ミャンマー、デモ取材記者に実刑 強まるメディア弾圧****
クーデターで国軍が権力を掌握したミャンマーで12日、抗議デモの取材中に逮捕された現地メディア「ビルマ民主の声」(DVB)の男性記者(51)に、禁錮3年の実刑判決が言い渡された。記者への実刑判決はクーデター後、初めてとみられる。国軍側はメディア弾圧を強めており、拘束中のほかの記者にも厳しい判決が下される懸念が高まっている。
DVBの声明によると男性記者は3月3日、中部ピーで抗議デモの取材中に虚偽のニュースを広めたりした容疑で逮捕された。当局から激しい暴行を受け、重傷を負ったという。
国軍側はこれまでにDVBなど現地メディア8社の免許を剝奪(はくだつ)。虚偽のニュースを広めたりした場合、最長で禁錮3年を科せられるよう刑法を改正した上で、日本人フリージャーナリストの北角裕樹さん(45)を含め、国軍に不都合な取材をした記者らも相次いで拘束している。(中略)
国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは12日に声明を出し、「国軍は自分たちの犯罪を暴こうとする人々を黙らせて、反対意見をつぶそうとしている」と非難した。
現地メディアの一部の記者は国境を越え、隣国タイなどに逃れている。9日にはDVBの記者3人が、タイ北部チェンマイで不法入国の疑いでタイ当局に逮捕された。DVBはタイ当局に対し、記者らを強制送還しないよう求めている。【5月13日 朝日】
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不法入国の疑いでタイ当局に逮捕された逃亡記者に関し、タイ外務省報道官は11日、この問題について「人道的解決策を見つけるために関係当局が調整している」とコメントしています。【5月13日 毎日より】
タイのプラユット首相はミャンマー国軍と同じように軍事クーデターで実権を掌握したこと、タイ国内においても市民の抵抗運動を強権的に抑え込んでいることなどから、ミャンマー国軍とは近い関係にあると見られています。
【日本ミャンマー外交の特殊性・・・と言うか「曖昧さ」】
まあ、タイ・プラユット政権はともかく、日本政府はどう対応すべきか・・・です。
****北角さん解放が明らかにした日本ミャンマー外交の特殊性 〜東京外国語大学 篠田英朗教授に聞く〜****
(中略)5月3日には18カ国の大使が拘束されている報道関係者の即時解放などを求め、声明を出した。
日本はジャーナリストの北角裕樹さんが拘束されていたが、声明に加わらなかった。
――共同声明に参加しない日本についてどう見るか
篠田教授:
正当性の高い民衆側に立っていないという批判には非常に弱い。
一方で、国軍が勝つはずだという考え方もありそれは短期的に見れば事実だろうが、国軍が勝利するとしても、5年10年というスパンで見た時にそれは極めて表層的な勝利だ。国軍が勝利した翌日から国民みんなが喜んで国家を運営し、日本のODAを上手く回してくれるなんてことは余りにも非現実的。
共同声明を出すか出さないかの判断をする際、ミャンマーはどちらの方向に進んでいけばより安定した素晴らしい国に近づくのかを考えるべき。
国際的な原則に則した形で考えてみると、軍隊が銃を振り回して民衆を抑圧するやり方が持続可能性の高い施策とはとても思えない。ミャンマーはそのやり方でずっと国としての脆弱性が高かった。このやり方を何かのきっかけで変えてもらいたい。
日本は、約10年間の民主化のなか変えようとして変わらなかったこの問題について、今回もまた無理だったという結論ではなく、これを産みの苦しみと捉えて、なんとか国民を銃で抑圧しない国に生まれ変わる方向に、外野で第三者ながらも支援するという姿勢について、客観的な認識の中で判断していくべきだ。(中略)
同盟国や友好国が考えている“ミャンマーの進むべき道”について、日本は賛同しているのか否定しているのか表明するべき。すべては大きな方向性の中で、“10年後ミャンマーにどんな国になってほしいのか”という枠組みの中で進めるべきだ。
外務大臣から現地の大使を含めて共有している共通の政策的方向性があるのか。あるなら、日本国民もが分かるように説明してもらわなければならない。現地の大使が「何かよく分からないけれども上手くやれ」と指示されているような状態にいるのではないか心配だ。そんな無茶ぶりをされても成果を出せなくて当然だ。
私は対ミャンマーの外交政策に批判的だが、現地の大使には同情的な立場だ。方法論を示されず、方向性や成果目標さえ与えられず、「とにかく上手くやれ」と指示されるという無茶苦茶な仕事は他にない。(後略)【5月14日 FNNプライムオンライン】
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菅首相は「日本独自の役割」を強調していますが、一体何ができたのか、何をしようとしているのかを明らかにすべきでしょう。
ミャンマー国軍が「ミャンマーと日本の現在の友好的な関係と将来の関係」をアピールする状態でいいのか?
北角さんが解放されたから、それでいいのか?
(ヤンゴンで、路上に張った物干しロープに伝統衣装のロンジーをつるし、バリケードにする抗議デモの参加者ら【3月10日 AFP】)
【激しさを増す国軍のデモ鎮圧行動】
ミャンマーの軍事クーデターに対する抗議活動に関して、興味深かったのは、女性用ロンジー(巻きスカートのようなもの)に対する男性の忌避感(それ自体はミャンマーにおける深刻な女性蔑視を示すもののひとつですが)を利用したもの。
*****伝統の巻きスカートで治安部隊を足止め ミャンマー*****
ミャンマーの路上で物干しロープに巻きスカートがつるされた様子は一見、何の変哲もない光景に見える。だが女性の衣服にまつわる昔からの迷信が、抗議デモの鎮圧を図る治安部隊の動きを阻止しているようだ。
2月1日のクーデターで軍部が文民政府を追放し、権力を奪取して以来、ミャンマーは大きな混乱状態にある。巻き起こった大規模な抗議デモの鎮圧に、軍事政権はますます武力行使を強化している。
軍が使用しているのは催涙ガス、閃光(せんこう)発音筒(スタングレネード)、ゴム弾、そして時には実弾さえある。
これに対してデモ隊は、創意に富んだ独自の戦術で応戦している。その最新戦術の一つが、街路を横切るように張った物干しロープに、女性の下着や伝統衣装の長いスカート「ロンジー」をつり下げることだ。
ミャンマーでは古くから、女性の下半身やそれを覆う衣服は、男性から「hpone」と呼ばれる力を奪ってしまうと言われている。
活動家のティンザー・シュンレイ・イー氏はAFPに「女性のロンジーの下をくぐると、彼らの『hpone』が破壊されるのです」と説明した。軍兵士の中には、武運を損なうことを恐れて、女性のロンジーに触りたがらない者もいる。
ティンザー・シュンレイ・イー氏は「住民がロンジーをロープにつり下げていると、(警官や兵士は)街頭に出動したり、それを横切ったりすることができず、(ロンジーを)引きずり降ろさなければならないのです」と語った。 【3月10日 AFP】
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現地の人間でなければ考えつかない工夫です。(繰り返しますが、そうした男性兵士の感情は、ミャンマーの女性差別を形成している要素のひとつです)
工夫という点では、ウェディングドレスなどでデモに参加する女性が話題になったことがありましたが、あれも別にふざけている訳でもなく、周囲やカメラの注意を引くことによって、治安部隊の暴力の対象となるのを防ぐ効果を期待したものとも。
しかし、治安部隊の鎮圧行動は戦闘用武器の乱射など、残念ながらロンジーなどの工夫で対応できるレベルを超えています。
****デモ弾圧に戦場用兵器=人権団体が非難―ミャンマー****
ミャンマーでクーデターを実行した国軍によるデモ隊の弾圧に関し、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは11日、戦場で用いる兵器が使われているとの調査結果を発表した。アムネスティは「組織的かつ計画的な殺害だ」と非難した。
ミャンマーの人権団体、政治犯支援協会によると、2月1日のクーデター後、治安部隊の銃撃などでこれまでに60人以上が死亡している。
アムネスティは最大都市ヤンゴンや第2の都市マンダレーなどで2月28日から今月8日にかけ、弾圧の様子を撮影した映像55本を検証した。
その結果、国軍や警察は狙撃銃や軽機関銃、短機関銃など治安維持用ではなく、本来なら戦場で使う武器の装備を増強。また、市街地で繰り返し実弾を無差別に乱射していた。【3月11日 時事】
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【「デモ参加者を撃てと言われた」】
こうした暴力的鎮圧を拒否して逃亡する警官などもいます。
****ミャンマーから逃亡の警官ら、「デモ参加者を撃てと言われた」 BBCに語る****
国軍への抗議デモが続くミャンマーから、国境を越えてインドに逃亡した警官10人以上が、BBCの取材に応じた。これまでにほぼ例のないインタビューで警官らは、一般市民を殺傷する事態を恐れ、国軍の命令を拒否して国外に逃げたと語った。
「デモ参加者を撃てと命令された。それはできないと言った」
そう話したナイン氏(27)は、ミャンマー(ビルマ)で9年間、警官として働いてきた(BBCは安全への配慮から警官らの名前を変えている)。現在、インド北東部ミゾラム州で身を隠している。
BBCはミャンマーで警官として働き、命令に従わなかった後、職を放棄して逃げたと話す20代の男女の一団に取材した。「軍に抗議している罪のない人たちを殺傷するのを強制されるのが怖かった」と、1人は話した。
「私たちは、選挙で発足した政府を軍が転覆したのは間違いだったと思っている」
国軍が2月1日に権力を奪取して以来、民主制を支持する抗議者ら数千人が、通りに出てデモを続けている。
これまでに50人以上が、治安部隊によって殺されたとされている。
ミャンマー西部の町の下位の警官だったナイン氏の話では、2月末になって抗議デモが激しくなり始めた。
デモ参加者らに発砲するよう命令されたが、2度拒み、逃亡したという。
「上司に、できない、あの人たちを支持すると伝えた」
「軍はいら立っている。どんどん残忍になっている」
取材中、ナイン氏は携帯電話を取り出し、残してきた家族の写真を見せた。妻とまだ5歳と6カ月の娘2人だ。
「もう二度と会えないかもしれないと心配だ」(中略)
ミャンマーから逃亡したのは警官だけではない。BBCは、民主化運動に参加するようオンラインで呼びかけ、当局から令状が発行されたという商店主に会った。
「身勝手に逃げているわけではない」と彼は言い、なぜ危険を冒して国を去ったかを説明した。
「国内の誰もが不安を感じている」
「私は身の安全のためにここにいる。今後も運動を支援するため、こちら側でできることを続けていく」【3月11日 BBC】
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3月6日ブログでも取り上げたように、こうした造反する警官・兵士が増えていけば、国軍にとっては大きな圧力となり、流れを変える力にもなります。
逆に、散発的なレベルにとどまる限りは、国軍の暴力的支配を止めることは難しいようにも。
【「仲介役」を目指す中国】
国際圧力の面では、一番カギとなるのは国軍が頼りとする中国の対応です。
国連安全保障理事会は10日、「女性や若者、子供を含む平和的なデモ参加者に対する暴力を強く非難する」とする議長声明を発表しましたが、中国・ロシアは制裁などを示すような文言の削除を求めたものの、削除後の上記のような声明は承諾しています。
中国としても、正面きって国軍の暴力を容認できる状況にもなく、国軍と一体となっているというように見られることは警戒しています。
****ミャンマー、デモ隊が中国大使館で抗議活動 「国軍支援」と非難****
ミャンマー国軍のクーデターに抗議する数百人のデモ隊が11日、ヤンゴンの中国大使館で抗議活動を行った。デモ隊は、中国がミャンマー国軍を支援していると非難しているが、中国側は否定している。
デモ参加者は「ミャンマーを支持せよ。独裁者を支持するな」と中国語と英語で書かれたプラカードを掲げて抗議。別の参加者はミャンマーのメディアに対して「中国の政府高官は軍事クーデータを支援する行動をしているように見える」などと不満を漏らした。
現時点で中国大使館からの反応はない。
インターネットなどでは、中国がミャンマーに機器やIT専門家を送り込んでいるとのうわさが流れている。
これについて中国外務省報道官は「ミャンマーに関連する問題を巡って、中国について虚偽の情報やうわさがある」とした上で、中国は状況を注視しており、関係者すべてが国家の発展と安定を念頭に行動するよう望むと改めて強調した。【2月11日 ロイター】
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中国は、国軍とアウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)の双方と友好関係を維持してきた経緯があり、国軍を明確に非難しない中国の姿勢は、ミャンマー市民らから批判されています。
王毅国務委員兼外相は、こうした状況を意識し、「仲介役」を担おうとする姿勢を見せています。
****中国、ミャンマー情勢安定化に向け全当事者と対話の用意=外相****
中国の王毅国務委員兼外相は7日、緊迫化するミャンマー情勢を安定させるため、全ての当事者と対話する用意があるとし、どちらか一方を支援するつもりはないとの考えを示した。
全国人民代表大会(全人代、国会に相当)に合わせて開かれた記者会見で語った。
国軍が先月権力を掌握したミャンマー情勢について「明らかに中国が望んでいるものではない」と強調した。また、中国が軍のクーデターに関与しているとのソーシャルメディア上のうわさについて、ナンセンスだと否定した。
「中国はミャンマーの主権と人々の意思を尊重し、全ての当事者と接触し、対話する用意があり、緊張緩和に向け建設的な役割を担う」と述べた。
欧米諸国は2月1日のクーデターを強く非難している。一方中国は、ミャンマー情勢の安定化が重要だとの見解を示しているものの、批判的な姿勢を取ることには慎重になっている。
王氏は「国民民主連盟(NLD)も含め、ミャンマーの全ての党や派閥と長期にわたり友好的な関係を築いている。中国との友好関係は、ミャンマーの全てのセクターにおける総意だ」と説明した。
NLDは、ミャンマーのクーデターで拘束されたアウン・サン・スー・チー氏が党首を務める政党。【3月8日 ロイター】
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ただ、こうした二股をかける対応が成り立つのか、結局は国軍支配を容認することになるのではとの批判は当然にあります。
【日本も中国同様の二股外交】
その意味では、欧米のように国軍批判を前面にださず、やはり「仲介」的な役割を目指す日本も、中国と似たような立ち位置にあります。
日本は欧米のような制裁措置ではなく、ミャンマーへの政府開発援助(ODA)の新規案件を当面見送るといった対応。
****政府が「ロヒンギャ」人道支援20億円を決定 クーデター後初****
茂木敏充外相は9日の記者会見で、ミャンマーで国軍による迫害を受けてきた少数派イスラム教徒「ロヒンギャ」への医療、食料などの人道支援に、国際機関を通じた計1900万ドル(20億9000万円)の緊急無償資金協力を決定したと発表した。
2月に起きたクーデター後、政府がミャンマー関連の支援を決めるのは初めてで、ミャンマーとバングラデシュ内の避難民が対象となる。
赤十字国際委員会(ICRC)、国連世界食糧計画(WFP)、国際移住機関(IOM)を通じて支援し、国軍との交換公文の署名などは行わない。ミャンマーに900万ドル、バングラデシュに1000万ドルをそれぞれ支援する。
茂木氏は「ミャンマーの国民生活や人道上の問題で支援は続けねばならない」と述べた。
日本は米欧のような制裁措置を打ち出していないが、ミャンマーへの政府開発援助(ODA)は当面、新規案件を見送る。日本は同国へのODAで、詳細な支援額を公表しない中国を除き、最大の拠出国となっている。
また茂木氏は、丸山市郎駐ミャンマー大使が8日、国軍に任命されたワナマウンルウィン外相と会談したと明らかにした。
東南アジア諸国連合(ASEAN)以外の外国政府関係者の接触は異例。日本外務省によると、丸山氏が民間人への暴力の停止やアウンサンスーチー氏らの解放を求め、「重大な懸念」を伝えたのに対し、ワナマウンルウィン氏は国軍による行動の正当性を主張したという。会談は首都ネピドーのミャンマー外務省で行われた。【3月9日 毎日】
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国軍を通さない人道支援は問題ないと思いますが、上記記事に“国軍に任命されたワナマウンルウィン外相と会談したと明らかにした”ということが問題にもなっています。
****日本大使館、ミャンマー国軍任命の人物を「外相」呼称 批判殺到*****
クーデターで国軍が全権を掌握したミャンマーにある日本大使館は8日夜、フェイスブックへの投稿で、国軍が任命した人物を「外相」と表記したうえで、「丸山(市郎)大使は、ワナマウンルウィン外相に申し入れを行いました」と述べた。
これに対し、ミャンマー市民からは「人々によって選出された外相ではない」「日本は軍政を応援するのか」などと批判の書き込みが相次いだ。
フェイスブックへの投稿は、ビルマ語、英語、日本語で行われ、丸山氏が「外相」に対し、市民への暴力の停止や拘束中のアウンサンスーチー氏の早期解放、民主的な政治体制の速やかな回復を強く求めたとした。だが、市民からは「外相と認めてはいけない」「修正を求める」などのコメントが多数寄せられた。
加藤勝信官房長官は10日の記者会見で、ミャンマー国軍が任命したワナマウンルウィン氏を日本政府が「外相」としていることについて「国軍によるクーデターの正当性やデモ隊への暴力を認めることは一切ない」と強調した。
加藤氏は「事案発生以来、クーデターを非難し、国軍に民間人への暴力の即時停止や拘束者の解放などを強く求めている」と日本政府の対応を説明。
そのうえで「ミャンマー側の具体的な行動を求めていくうえで、国軍と意思疎通を継続することは不可欠で、これまで培ってきたチャンネルをしっかり活用して働きかけを続けることは重要だ」と述べた。【3月10日 毎日】
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国連でも、国軍批判を行うミャンマー大使を認めず、別人物を国連大使とする国軍の対応が問題となっているように、国軍が任命した人物の役職をどのように扱うかは微妙な問題で、外務省が留意しないはずはありません。
今回「外相」と明記したということは、日本政府の一定に国軍支配を容認する姿勢が示された形です。
こういう中国の国軍支配への影響力拡大を阻止したい狙いからの二股外交が、ミャンマー国民にどのように映るのか?
(負傷したデモ参加者の応急手当てにあたった救急隊員3人を救急車から降ろし、銃床や警棒で打ちのめす治安部隊 【3月5日 ANN】)
【激しい抵抗に苛立つ軍政 武力弾圧を強める】
多くの報道があるように、ミャンマーの軍事クーデターに対する市民の抵抗が続いており、それに対する鎮圧行動は激しさを増し、ロイター通信によれば、クーデター以降少なくとも55人が死亡したとのことです。
****Tシャツには「全てうまくいく」…ミャンマーデモで撃たれ死亡の10代女性****
ミャンマー第2の都市マンダレーで3日、軍事クーデターに抗議するデモに参加していた若い女性が銃で撃たれ、亡くなった。着ていたTシャツの胸元には、英語のメッセージが記されていた──「全てうまくいくよ」。
ダンスが大好きで、「天使」の愛称で知られたチャル・シンさんは、いつもファッションにメッセージを託してきた。黒い上着の背中に「私たちには民主主義が必要だ。ミャンマーに正義を。国民の投票結果を尊重せよ」というスローガンを貼り付けて、軍事クーデターに対する抗議デモに参加したこともあった。
「全てうまくいくよ」という言葉は、たちまち新たなスローガンとなってソーシャルメディアで広がった。4日に行われた葬儀には数千人が参列した。
チャル・シンさんにとって、ミャンマーに民主主義を取り戻すことは、自分の身の安全よりも重要だった。そして、2月1日に起きたクーデターで拘束されたアウン・サン・スー・チー国家顧問の解放を求める全国的な抗議デモに身を投じた。
今週には、抗議デモに行く前にフェイスブックに血液型と電話番号を掲載し、もし自分の身に何かあれば、臓器を提供すると書き込んでいた。
国連によると、3日のデモでは少なくとも38人が死亡。クーデター発生後、最悪の流血の事態となった。
ソーシャルメディアに投稿された動画には、撃たれる直前のチャル・シンさんの様子が映っていた。銃声が響き、催涙ガスが立ち込める中、道路を這い物陰に隠れようとしていた。
医師はAFPの取材に、チャル・シンさんは頭を撃たれたと話した。
チャル・シンさんの死が報じられると、インターネットには追悼の言葉や彼女を描いたイラストなどがあふれた。
4日午前には、人々が花束や花輪を手にひつぎの前に列をつくり、ミャンマーで広く歌われる革命歌「この世の終わりまで忘れない」を歌った。
ネットでは多くの人がチャル・シンさんを殉難者とたたえ、悲しみを分かち合っている。フェイスブックでチャル・シンさんとつながっていた男性は、こう追悼の言葉を寄せた。「安らかに眠ってください、友よ。われわれは最後までこの革命を闘い抜きます」 【3月5日 AFP】
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****ミャンマーで子供500人拘束か=5人死亡、催涙ガス被害も―ユニセフ****
国連児童基金(ユニセフ)は4日、ミャンマー国軍による抗議デモの弾圧が続くミャンマーで、推計500人以上の子供が恣意(しい)的に拘束されていると発表した。多くが外部との連絡を絶たれている。
ユニセフはこうした拘束や子供に対する実弾の使用を「最も強い言葉で非難する」と表明した。
ユニセフによると、3日時点で少なくとも子供5人が死亡したという報告があった。また、多くの子供が催涙ガスや音響閃光(せんこう)弾の被害にさらされている。家族が閃光弾などの標的になる例もあり、ユニセフは「深刻な精神的苦痛のリスクがある」と警告した。【3月5日 時事】
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救急車両から降ろされたボランティアの救急隊員3人が座らされ、複数の警官に繰り返し銃や警棒で殴られたり、蹴られたりする様子を映した動画も国内外に広がっています。
クーデターで全権を掌握したミャンマー軍政は、抗議デモへの弾圧を強化しています。デモ隊に対して殺傷能力の高い短機関銃を使用したとも報じられています。
そうした鎮圧行動強化の背景には、クーデターから1カ月を過ぎてもデモが収束せず、更に公務員による不服従運動など抵抗が拡大していることへの焦りやいらだちがあると思われます。
しかし、強引な鎮圧行動の犠牲者の様子がSNSで国内外に広く流され、市民側は更に抵抗を強める・・・という形で、混乱は拡大しています。
正直なところ、「力」の行使をためらわない国軍を前にしては、市民の抵抗も難しいのでは・・・と、個人的に考えていましたが、早期収束を狙う国軍の想定したシナリオは狂いつつあります。
【中国・ロシア 欧米とは一線を画しつつも、様子見の面も】
国際的な批判も強まっています。国軍はそうした批判は想定内としていますが、頼みの綱の中国なども、批判を強める欧米とは一線を画してはいるものの、それほど積極的に国軍を支援するという雰囲気でもなく、これも国軍にとっては想定外の事態でしょう。
****無抵抗者への銃撃映像が拡散 ミャンマー、弾圧が過激化*****
国軍がクーデターで権力を握ったミャンマーで3日、治安部隊が各地でデモ参加者に発砲し、38人が犠牲になった。1日の犠牲者数としては2月1日のクーデター以来最悪で、武力弾圧は激しくなる一方だ。最大都市ヤンゴンでは外出を控える人が増え、街は閑散としている。(中略)
ミャンマー国軍側は意図的に、抗議デモへの抑圧の度合いを強めている。現地の映像を見ると、市民を手当てする救護隊員にも暴行しており、状況は日に日に悪化している。
国軍は、市民の不服従運動はいずれ沈静化すると踏んでいたのだろう。運動の広がりと長期化は、想定外だったはずだ。
もう一つの計算違いは、彼らの「数少ない友人」である中国やインド、ロシアが自分たちを積極的に支援しようとせず、静観し続けていることだ。
その中で不服従運動は続き、国民は言葉による警告や脅しにもひるまなかった。
国軍側が「我々は制裁には慣れている」と強弁したり、デモへの抑圧を強めたりしているのは、それだけ国軍が追い詰められている証拠とも言える。
国軍側のシナリオは崩れているが、トップのミンアウンフライン最高司令官に、国際社会と妥協点を探そうとする姿勢は見えない。
市民への抑圧を強めればミャンマーは国際社会でさらに孤立し、民政移管以降の経済成長の果実も失われて、かつての軍事政権時代に後戻りしかねない。
国際社会は一致して強硬な非難声明を出し、制裁と対話を進めながら、国軍に方針転換を迫るべきだ。(聞き手・福山亜希)【3月4日 朝日】
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“国際社会は一致して強硬な非難声明を出し・・・”というのは、やはり中国・ロシアの消極姿勢で困難な状況です。
このあたりは、国軍が期待するシナリオどおりです。
****ミャンマー巡る安保理議長の声明案、中露の難色で協議継続…緊急会合*****
国連安全保障理事会は5日、クーデターを強行した国軍による抗議デモへの弾圧が続くミャンマー情勢を協議するため、オンラインによる非公開の緊急会合を開いた。英米両国は暴力の停止や民政復帰に向けた議長声明の採択を目指すが、中国とロシアが慎重姿勢を示し、協議は継続となった。
この日の会合では、ミャンマーを担当するクリスティン・ブルゲナー国連事務総長特使が、弾圧で市民約50人が死亡したなどと報告。弾圧に歯止めがかからない状況について「国連に対する(ミャンマー国民の)希望がしぼみつつある」と訴え、安保理に結束を求めた。
安保理筋によると、英国が配布した議長声明案について、中国とロシアが難色を示したという。中露は武器輸出などを通じてミャンマー国軍と関係が深く、国軍への非難も避けている。
緊急会合の開催を要請した英国のバーバラ・ウッドワード国連大使は会合後、記者団に「状況を注視し、安保理が合意に到達できるよう行動する」と述べた。【3月6日 読売】
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【「内政不干渉」を原則とするASEAN内にも批判】
ただ、「内政不干渉」を原則とするASEAN内にも批判があります。
****ミャンマー情勢 ASEAN外相会議が異例の「懸念」表明****
国軍によるクーデターが起きたミャンマー情勢を巡り、2日に非公式の特別外相会議を開いた東南アジア諸国連合(ASEAN、10カ国)は「懸念」を表明する議長声明を発表した。ASEANは1967年の創設以来、加盟国の国内問題には干渉しない「内政不干渉」を原則としており、異例の対応となった。
声明は、ミャンマーの治安当局が、抗議デモに参加した人々を強制排除する動きを加速していることを念頭に、「全ての当事者に暴力の抑制と建設的な対話を通じた平和的な解決を模索してほしい」と要請。
「ASEANは積極的、平和的、建設的にミャンマーを支援する用意がある」とした。また、アウンサンスーチー氏を念頭に「政治的理由で拘束されている人たちの解放を求める声があった」と指摘した。
ロイター通信によると、会議ではインドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポールの4カ国がスーチー氏らの解放などを要求。全権を掌握している軍事政権に対応を迫った。
外相会議の開催を主導したインドネシアのルトノ外相は2日、内政不干渉の原則を重ねて示しながら「民主主義を回復軌道に乗せなければならない」と強調した。【3月3日 毎日】
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インドネシアとシンガポールの両外相は、ミャンマー国軍が任命したワナ・マウン・ルウィン氏を外相と呼称しなかったとも。【3月3日 共同より】
【軍政からの権限移譲の受け皿にもなりうるNLD新組織】
こうした混乱のなかで、注目される二つの動きが。
ひとつは、政治的には抵抗運動の「核」となるスー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)メンバーら動きです。
****スー・チー氏支持派、複数の「大臣代行」任命 対決姿勢鮮明、国軍は警戒****
国軍がクーデターで実権を握ったミャンマーで、アウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)メンバーらが複数の「大臣代行」を任命するなどして、国軍による政権運営を認めない動きを強めている。
国軍側を「テロ組織」とも批判。メンバーへの支持は拡大しつつあり、警戒する国軍は摘発に乗り出す構えを見せている。
2月1日のクーデター後、昨年11月の総選挙で当選したNLD所属議員らは「連邦議会代表委員会(CRPH)」という組織を設け、反国軍に向けた政治活動を開始。クーデターに抵抗する意思表示として職場を放棄する「市民不服従運動」も推進している。
CRPHは「スー・チー政権」こそが正統だと主張。今月2日には、スー・チー氏ら閣僚が拘束されているため、「内閣は職務を遂行できない状態だ」と述べ、外相など複数の「大臣代行」を任命した。国軍が設けた最高意思決定機関「国家統治評議会」による大臣任命を認めない姿勢を鮮明にした形だ。
CRPHは治安部隊がデモ隊に発砲するなど弾圧を続けていることを受け、国家統治評議会を「抗議者を殺害と暴力で恐怖に陥れているテロ組織」とも批判している。
CRPHをめぐっては、2月26日に国連総会非公式会合で異例の国軍批判を展開したチョー・モー・トゥン国連大使が支持を表明していた。NLD関係者によると、国軍は外交官にCRPH支持が広がることを警戒しており、スー・チー政権下で赴任した複数の在外公館職員に帰国の内示を出したという。
国家統治評議会は声明でCRPHは「非合法組織だ」と指摘。今月6日までに離脱しないメンバーには「重大な行動を取る」と宣言するなど強硬な姿勢を示している。【3月4日 産経】
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****NLD新組織に存在感=国軍、警戒強める―ミャンマー*****
(中略)CRPHは国際的にも受け入れられつつある。ドイツのショイブレ連邦議会(下院)議長はCRPHに書簡を送り、「国軍はミャンマーの民主化を不当に停止させた」と非難。「皆さんが苦境を乗り切るよう願う」とエールを送った。
国軍は国連総会の会合でCRPHの立場からクーデターを批判し、国際社会に支援を訴えたチョー・モー・トゥン国連大使を解任。ティン・マウン・ナイン次席大使を代理大使に指名した。
しかし、次席大使は辞意を表明。ミャンマー国連代表部はチョー・モー・トゥン大使がそのまま務めることを確認し、国軍は面目をつぶされた。【3月6日 時事】
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【今後のカギとなる軍・警察からの離反者】
もうひとつの注目される動きは、軍・警察など身内からの造反です。
****軍人や外交官、不服従の動き ミャンマー国軍、内外から反発*****
クーデターで国軍が権力を握ったミャンマーで、足元の国軍や警察の内部から不服従の動きが出ている。4日には陸軍大尉とみられる人物がSNSで国軍を批判。不服従は外交官にも広がっており、国軍は内外から揺さぶりを受けている。ただ、抗議デモに対する武力弾圧は5日も続き、犠牲者も出ており、国軍への反発はさらに高まりそうだ。
「国と国民に対する国軍指導者の態度は間違っている」「もはや彼らの下では働きたくない」。首都ネピドーで任務にあたる陸軍大尉というニートゥーター氏は4日夕、フェイスブックにこう投稿し、職務を放棄して国軍に抗議する不服従運動に加わると宣言した。
ニートゥーター氏は投稿で、クーデターが起きた2月1日から反対の立場で、「間接的に不服従運動に協力してきた」と説明。治安部隊による抗議デモ参加者への武力弾圧が続くなか、「1人の兵士として、ひどい事態を防げなかったことをおわびしたい」とした。さらに「国軍の尊厳は史上最悪の状態にある」と非難し、「勇気と知恵は正しい場所で使うべきだ」「私より勇気を持った兵士はたくさんいる」と訴え、他の兵士にも不服従運動に加わるよう呼びかけた。
ニートゥーター氏は投稿後、顔を出さない条件で現地記者の取材に応じ、その様子の動画がユーチューブで公開された。同氏は国軍から処罰される可能性が高く、現在は身を隠しているという。同氏のフェイスブックのアカウントは5日夕までに削除された。
また、現地メディアによると、東部カレン州でも国軍兵士約10人が任務を離れ、少数民族の武装勢力に合流したという。
警官の離反も相次ぐ。ロイター通信は4日、これまでに少なくとも19人のミャンマー人警官が西隣のインドに逃れたと報じた。逃れた警官は「国軍から従うことのできない指示を受けた」と話しているという。ミャンマーメディアによると、不服従運動に賛同を表明した警官は100人以上に上り、デモ参加者への発砲命令を拒否した若手のほか、最大都市ヤンゴンの警察署幹部もいるという。
外交関係者の反発も目立つ。これまでに、米、独、スイスなどの在外公館の外交官や職員ら少なくとも11人が不服従運動への参加を表明した。在ワシントンのミャンマー大使館は4日に出した声明で、「平和的なデモをした民間人の命が失われたことを深く悲しみ、致命的な力の行使に強い反対と拒絶を表明する」と国軍側を非難した。(後略)【3月6日 朝日】
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****「国軍指示従えぬ」ミャンマー警官600人超「不服従運動」参加****
国軍がクーデターで実権を握ったミャンマーで、デモ隊弾圧の最前線にいる警察官の間にも、職務を放棄して抗議の意思を示す「市民不服従運動」参加の動きが広がっている。地元メディアは600人以上が職を離れたと報道。デモ隊の犠牲者が50人を超える中、強硬姿勢に対して国軍の足元でも反発が広がり始めた。
6日も同国各地で抗議デモが相次いだ。最大都市ヤンゴンでは治安部隊が催涙弾を発射し、強制排除に乗り出した。デモに参加していた男性(22)は産経新聞通信員に、「声を上げ続けなければ軍政を認めたことになる」と話した。
地元メディアによると最大都市ヤンゴンの警察幹部が2月下旬、「国軍の下で任務に就きたくない」として、不服従運動参加を宣言した。その後、デモ隊への銃撃を拒否する警察官も相次いでいる。
警察官やその家族、約30人が国境を越えて西側のインドに入国し、保護を求めたとの情報もある。ロイター通信によると「国軍の指示に従えない」と話したという。ミャンマー側は身柄引き渡しを要求しており、インド政府が対応を協議している。
一方、地元メディアによると、「エンゼル」(天使)の愛称で知られ、デモ参加中に銃撃で死亡したチェー・シンさん(19)の遺体が5日、国軍関係者によって墓地から掘り起こされた。遺体はその後、戻されたというが、遺族に無断で死因を調べるなどした可能性があり、国内で反発の声が上がっている。【3月6日 産経】
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こうした身内からの造反が今後更に増えるようだと、市民の抗議活動への実力行使が困難になり、国軍側も追い詰められる状況ともなります。
そうなれば、前出の「連邦議会代表委員会(CRPH)」が軍に権限移譲を迫る・・・ということにも。
逆に、軍・警察の軍政支持が崩れなければ、抵抗運動の継続も難しいでしょう。
(【2月17日 共同】最大都市ヤンゴン中心部の幹線道路では数千人が交差点を占拠 画像中央奥に見える仏塔はスーレーパゴダ)
【国軍は選挙を行うとは言っているものの、与党NLDを無力化した後か】
ミャンマーでの軍部クーデターによって拘束され自宅軟禁状態にあると思われるスー・チー氏は、当初拘留期限が今月15日とされていましたが、その後17日に延長、更に別件でも訴追と、解放される目途はたっていません。
国軍は、スー・チー氏個人だけでなく、スー・チー氏が率いる与党・国民民主連盟(NLD)への弾圧を強めています。
****スー・チー氏、別容疑でも訴追=NLDへの弾圧強まる―ミャンマー****
ミャンマーで国軍によるクーデターの発生後、訴追されたアウン・サン・スー・チー氏の弁護士は16日、スー・チー氏が別の容疑でも訴追されたことを明らかにした。
国軍はスー・チー氏が率いる国民民主連盟(NLD)の関係先の捜索や関係者の拘束を続けており、実施を約束している総選挙の前にNLDへの弾圧を強め、弱体化する狙いがあるとみられる。
スー・チー氏は無線機を違法に輸入して使用したとして輸出入法違反で訴追され、拘束されている。弁護士によると、これとは別に災害管理法違反でも訴追されたことが判明した。
NLD政権で大統領を務めたウィン・ミン氏も、選挙運動に参加して新型コロナウイルス対策の規定に抵触した疑いがあるとして、災害管理法違反で訴追されている。
国軍報道官は16日、クーデター後初めて記者会見し、国軍による実権掌握はNLDが国軍系政党に圧勝した昨年11月の総選挙で不正があったためで、憲法にのっとっていると正当性を主張。
「再選挙後に勝利した政党に権限を引き渡す」と強調した。自宅軟禁下に置かれているスー・チー氏とウィン・ミン氏については、健康状態は「良好だ」と語った。【2月16日 時事】
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国軍は、クーデターではない、将来選挙を実施して勝利した政党に権限を移譲するとは言っていますが・・・
仮に(いつになるかはわかりませんが)選挙を普通に行えば、再びスー・チー氏のNLDが前回以上に圧勝するのは間違いないので、NLDを選挙から締め出す何らかの処置(例えば、解党命令など)を行ったうえでの形だけの選挙実施でしょう。
【市民によるあの手この手の抗議行動 弾圧を強める国軍】
こうした国軍のクーデターに対し、市民の抗議活動が連日続いています。
****ミャンマー、12日連続抗議デモ****
ミャンマーでクーデターを起こした国軍への大規模な抗議デモが17日も各地で続き、デモは12日目に突入した。
参加者は過去最大規模となり、一部地元メディアは全土で数百万人に上ったと報じた。
クーデター後に訴追されたアウン・サン・スー・チー氏の裁判が16日に開始されたほか、別件でも訴追されたこともあり市民の反発はさらに強まっている。
最大都市ヤンゴンでは午前中から10万人以上がデモに加わった。中心部の幹線道路では数千人が交差点を占拠。地元の歌手が、ステージから「軍政は受け入れられない」と鼓舞すると、大きな歓声と拍手が巻き起こった。【2月17日 共同】
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大規模抗議デモだけでなく、著名人の抗議の呼びかけ、僧侶のデモ、一部警官のデモ参加、車を故障とみせかけて車上に止めて軍の活動を妨害、タクシーのノロノロ運転、鉄道職員の運行妨害、医療従事者や公務員など幅広い職種の業務ボイコット等々、あの手この手で軍への抗議が示されています。
一方で、軍の方も、インターネットを遮断し、指導的立場の著名人の拘束や不服従運動公務員の逮捕など、抗議行動への締め付けを強めており、“最大都市ヤンゴンのデモでは、一時、参加した市民と治安部隊がにらみ合う場面もあり、緊張が続いている。”【2月18日 FNNプライムオンライン】とも。
****「ミャンマーの正義のため」軍事政権サイトにサイバー攻撃 公務員の逮捕相次ぐ****
クーデターでミャンマーの実権を掌握した軍事政権のウェブサイトが18日、サイバー攻撃を受けた。
当局が全国的な抗議デモを妨害しようと4夜連続でインターネット接続を遮断し、国軍部隊を各地に展開する中、クーデターに抗議するハッカーらがサイバー空間を舞台にした闘いを挑んでいる。
「ミャンマー・ハッカーズ」を名乗るグループは、国軍のプロパガンダ(政治宣伝)用サイトや、中央銀行、ミャンマー国営放送、港湾局、食品医薬品局などのウェブサイトを攻撃した。
「われわれはミャンマーの正義のために闘っている」とフェイスブック上で主張し、サイバー攻撃は「政府系ウェブサイトの前での大規模デモ」だとうたっている。
サイバーセキュリティーに詳しい豪ロイヤルメルボルン工科大学のマット・ウォーレン氏は、「(サイバー攻撃の)影響は限定的かもしれないが、目的は人々の関心を高めることだ」と述べた。
一方、世界のネット接続状況を監視する英団体ネットブロックスによると、ミャンマー国内のインターネットは18日午前1時(日本時間同3時半)から4夜連続で8時間にわたって遮断され、アクセスは通常の21%まで減少した。
■車の故障装い治安部隊を妨害、公務員の逮捕相次ぐ
ミャンマーでは、アウン・サン・スー・チー国家顧問率いる文民政権に対する国軍のクーデターに抗議するデモが全国各地で続いている。
最大都市ヤンゴンでは18日も、前日に引き続き、故障したと見せ掛けてボンネットを開けた状態の車両で道路を封鎖し、治安部隊の通行を妨げるデモが各所で展開された。
複数の情報筋によれば、国内第2の都市マンダレーでは17日夜〜18日未明、線路を封鎖していたデモ隊に治安部隊が発砲し、1人が負傷した。使用されたのが実弾かゴム弾かは不明という。
人権監視団体「ビルマ政治囚支援協会」は、市民的不服従運動に参加していた国鉄の運転士4人が拘束され、銃を突き付けられて北部ミッチーナまで列車を移動させられたとしている。
また、外務省当局者によると、同省職員11人が18日未明、市民的不服従運動に参加したとの理由で逮捕された。AFPの取材に匿名で応じた警察官は、この4日間に逮捕された公務員は少なくとも50人に上ると語った。
MRTVは、不服従運動を呼び掛けた複数の著名な俳優、映画監督、歌手が指名手配されたと伝えている。 【2月18日 AFP】
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【蘇る1988年の「虐殺」の記憶】
1988年の民主化運動の元学生リーダー、ミン・コー・ナイン氏も指名手配されているようです。
上記のように市民の抗議行動は続いていますが、軍事政権時代のミャンマー(ビルマ)では軍が抗議する市民を数千人規模で大量虐殺した痛ましい「歴史」があり、その責任は未だ問われていません。
****ビルマ:1988年の虐殺の真相と責任 明らかに****
弾圧から25年 いまだ不十分な責任追及と法の支配
(中略)1988年の抗議運動と弾圧は、ビルマにとって分岐点となった。1988年3月から9月まで、ビルマ全土で大規模な民主化デモが起き、陸軍や治安部隊の弾圧で数千人が死亡した。(中略)
1988年8月8日に、多数の学生や仏教僧、公務員、一般市民が参加した全国的なストライキが、ビルマ全土での同時デモにつながった。人々は民主主義への移行と、軍政支配の終結を求めていた。
抗議の規模に驚いた政府は、軍隊にデモ隊を物理的に弾圧するよう命じた。兵士は非暴力のデモ隊に発砲し、数百人の死傷者を出した。多数が逃げ惑うなかで、一部は火炎瓶、剣、毒矢、尖らせた自転車のスポークで反撃し、警官と当局者にも死者が出た。
8月10日、国軍部隊は、ラングーン(ヤンゴン)総合病院で、負傷した民間人の治療にあたる医者と看護婦に故意に発砲、殺害した。
8月12日、長年にわたり独裁体制を敷いたネウィン氏の辞職を受けて、大統領となったセインルイン氏は、就任から17日で辞職した。大半の部隊が街頭から撤収し、文民であるマウンマウン博士を大統領とする暫定政権が、8月19日に発足した。
8月26日、ラングーンのランドマークであるシュエダゴン・パゴダで、約100万人が抗議行動に集まった。1991年にノーベル平和賞を獲得することになる民主化指導者アウンサンスーチー氏も演説を行って軍事政権に反対し、権威主義体制の終結を訴えた。
8月から9月にかけて、抗議行動は連日続き、参加者は仏教僧や学生、コミュニティ・リーダーと共に、地域行政委員会を組織した。
9月18日に国軍はクーデターを行い、ソウマウン将軍を議長に、国家法秩序回復評議会(SLORC)が創設された。9月18日と19日、兵士は街頭に再登場し、非暴力のデモ隊に実弾射撃を行って、数千人を殺害した。このほか数千人の活動家が逮捕され、数千人が近隣諸国に逃れた。
運動の先頭に立った学生指導者などの活動家は、長期にわたり投獄され、刑務所では拷問などの人権侵害を受けた。政府職員で、弾圧時の人権侵害で責任を問われた者は一人もいない。(後略)【2013年8月6日 ヒューマン・ライツ・ウォッチ】
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こうした虐殺の「傷」が未だ癒えないなかでの今回のクーデターですので、市民らの反発も強い訳ですが、上記の虐殺の歴史が示すような「体質」を持つ軍が再び同様の惨劇を起こさないか・・・強く懸念されます。
欧米において国軍によるイスラム系少数民族ロヒンギャへのジェノサイド批判があるのも、国軍のこうした市民に銃を向けることをためらわない「体質」があってのことです。
【米バイデン政権は制裁措置】
政権発足直後で、その姿勢が試される形になっているアメリカ・バイデン大統領は、国軍幹部らに制裁を科す大統領令に署名して国軍批判を強めています。
****クーデター批判、ミャンマー制裁=軍幹部ら対象、同盟国と連携へ―バイデン米大統領****
バイデン米大統領は10日、ホワイトハウスで演説し、ミャンマーで起きたクーデターを批判し、指揮した国軍幹部らに制裁を科す大統領令に署名したと発表した。国軍幹部に対して、ミャンマー政府の在米資産10億ドル(約1040億円)へのアクセスを禁止することも明らかにした。
具体的な制裁対象者については週内に発表する予定。国軍幹部のほか、幹部の関連事業や近親者たちも対象になる。対ミャンマー輸出規制も強化する。
バイデン氏は、国軍に対して、アウン・サン・スー・チー氏らの即時解放や、権力の放棄を改めて要求。クーデターに対する抗議デモへの暴力行使は「容認できない」と強調した。
また、日本などを念頭にインド太平洋地域をはじめ世界の同盟国やパートナー国と緊密に連絡を取り合い、国際的な対応を調整していると指摘。国軍への対抗措置で同盟国と共同歩調を取りたい考えを示した。【2月11日 時事】
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【中国はどこまで国軍を支えるのか?】
制裁だけでは、国軍の中国接近を加速させるだけなので、日本が橋渡し的な役割を演じて・・・といった類の指摘も多々ありますが、決定的に影響力を持つのは欧米でも、日本でもなく、中国の対応でしょう。
今回クーデターについて、中国が事前に聞かされ黙認した云々の指摘もありますが、当然ながら中国は否定しています。
****3週間前に軍司令官と会談…ミャンマー政変で囁かれる「中国黒幕説」****
(中略)国内外から「民主主義の否定だ」と非難を浴びる一方で、世界のメディアや識者の間で「中国黒幕説」が流れた。疑念を生んだ理由は、1月11、12日に中国の王毅外相がミャンマーを訪問していたからだ。王氏は政変の主役、フライン氏と会談し、ミャンマーを「兄弟」と持ち上げたとされる。
この訪問で両国は「中緬経済回廊構想の加速」に同意、中央部のマンダレーから西部のチャウピュー間の鉄道建設に向けた共同研究に着手することになった。チャウピューはベンガル湾に面した港湾で、ここから中国への原油パイプラインが敷設されている。次のステップとして鉄道で中国へのアクセスの良いマンダレーと結ぼうとし、最終的に中国・昆明へ延びる予定だ。
中国にどんなメリットがあるのか
昨年には習近平国家主席が中緬国交70周年を記念し19年ぶりに中国指導者として訪問し、ミャンマー重視は強まっていた。
ただ、スーチー政権は日本や欧米ともバランスを取りたい姿勢で、構想の進捗の遅さに中国は不満を持っていたとされる。
中国外交部のクーデターへの声明も微温的で、国連安保理での非難声明にも消極的だと伝えられたことも黒幕説をさらに勢いづけた。
中国が背後で国軍を操ったということはないだろうが、軍政の復活で各国が制裁を発動しミャンマー離れが進めば、奇貨とみて中国がさらなる浸透に乗り出す可能性は高い。
インド洋に面し、インドやタイ、中国と国境を接する「アジアのクロスロード」に位置するミャンマーに深く食い込めれば、エネルギー供給ルートの脆弱性をカバーでき、「一帯一路」の重要成果にもなる。そして「自由で開かれたインド太平洋」構想などによる日米豪印の対中包囲網に大きな穴があく。中国にとってはまさに一石三鳥となる。(後略)【2月18日 文春オンライン】
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ミャンマー国内では、国軍を支援するとされる中国への反発も広がっています。
****ミャンマー、反中デモ拡大 「国軍支援やめろ」****
国軍がクーデターで実権を握ったミャンマーで、中国に反発する抗議デモが相次いでいる。中国が「国軍を支援している」と主張するもので、最大都市ヤンゴンの中国大使館前には連日数百人が集結している。中国がクーデターへの積極的な批判を避けていることもあり、反中感情の高まりが続く可能性がある。
「クーデターを支える中国は受け入れられない」。中国大使館前で16日のデモに参加した女性(30)は、産経新聞通信員の取材に憤りの声を上げた。参加者は若者が中心で、大使館の防犯カメラの前に立ち、建物内に向けて抗議文を読み上げる様子も見られた。
国内では中国製品ボイコットの動きもあり、デモ隊は中国とミャンマーを結ぶ天然ガスパイプラインで働く地元職員に職務を放棄することも求めている。中国が1日のクーデター後、「インターネット検閲システムを国軍に提供するため、技術者を派遣した」という噂が広まるなど、中国への反発は根深い。
中国は1988年の民主化運動弾圧で国際的に孤立したミャンマー軍事政権に経済援助を続けた。ミャンマーの天然資源は魅力的で、インド洋へのアクセスを可能にする地政学的なメリットも大きかったためだ。「国軍を支えた存在」というイメージが強く残っていた上、中国がクーデターを「内政問題」として国軍批判を避けていることが怒りに火をつけた。(後略)【2月17日 産経】
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こうした事態に、中国からも一定に「火消」発言も。
****ミャンマーのクーデター「決して中国が望むものではない」、現地大使****
ミャンマーで起きた軍事クーデターとそれに続く混乱について、現地の中国大使が16日、「決して中国が望むものではない」と述べ、中国が関与したとするソーシャルメディア上のうわさを一蹴した。
(中略)中国の陳海駐ミャンマー大使は大使館の公式サイトに公開された談話の中で、「わが国は以前から選挙をめぐるミャンマーの内紛には気付いていたが、政変については事前に知らされていなかった」と述べた。
中国やロシアのようなミャンマー国軍の昔からの同盟国はこれまで、クーデターに対する国際的な反発に「内政干渉」だと反論していた。中国国営メディアは今回のクーデターとミャンマーの事実上の指導者であるアウン・サン・スー・チー氏の拘束についても「大規模な内閣改造」と表現し、クーデターというレッテルを貼らないよう婉曲表現を用いていた。
だが今回、陳氏は「ミャンマー現在起きている展開は、決して中国が望むものではない 」と述べた。さらに中国は、ミャンマーの全当事者が政治的・社会的安定を維持しながら、相違点について対処することを望んでいると付け加えた。(中略)
ソーシャルメディア上でうわさされているクーデターへの中国の関与について、陳氏は「ナンセンスでばかげている」と一蹴した。うわさの中には、ミャンマーの市街に中国兵が現れた、ミャンマーのファイアウォール構築を中国が支援しているといったものがある。 【2月17日 AFP】
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「中国黒幕説」云々は別にしても、今後国軍がより強硬な市民弾圧に出た場合、中国が国際批判の集まる国軍をどこまで支えるのかが、その後の推移を決定づけます。
中国にとって、ミャンマーの持つ地政学的メリットは大きいですが、国内外からの批判を浴びる国軍と連携する形で何らかの権益を獲得したとしても、軍政が永続する訳でもなく、長期的には中国にとっての大きな損失、信頼の失墜につながると思うのですが・・・・習近平主席がどのように考えるのか・・・
(1日、ミャンマーの首都ネピドーで、議会近くの道路を封鎖する戦車(ロイター)【2月1日 産経】)
【非常事態宣言が1年で終わるのか、再選挙はいつやるのか・・・不透明】
ミャンマー情勢については、一昨日の1月30日ブログ“ミャンマー 民意は軍とのバランス、穏健な段階的改革か けん制圧力を強める軍の動向”で取り上げたばかりです。
そのなかで、スー・チー与党が圧勝し、国軍系政党が大敗した昨年11月の総選挙で不正があったと主張・抗議する軍による不穏な動きはあるものの、「常識的には、軍としても今更、(おそらく中国をのぞいて)国際的に容認されないクーデター云々という手荒い手段は“得策ではない”と考えているとは思いますので、いわゆる“けん制”なのでしょう。」と結論付けていました。
大外れでした。今日多くのメディアが一斉に報じているように、スー・チー国家顧問やウィン・ミン大統領を拘束し、非常事態宣言のもとで実権を握るという憲法に規定されたものではあるものの、事実上のクーデターに踏み切っています。
これまで欧米国際世論は、スー・チー氏の軍への宥和的対応を非難してきましたが、両者の間には思った以上に強い軋轢が存在していたようです。
****ミャンマーでクーデター=スー・チー氏や大統領拘束―国軍が全権掌握、非常事態宣言****
ミャンマー国軍系のミャワディ・テレビは1日、全土に非常事態宣言が発令され、国軍のミン・アウン・フライン総司令官が全権を掌握したと報じた。
与党・国民民主連盟(NLD)筋によると、国軍はアウン・サン・スー・チー国家顧問やウィン・ミン大統領を拘束。同筋は「国軍によるクーデターが発生した」と非難した。
国軍はNLDが圧勝した昨年11月の総選挙後、初めてとなる国会が1日に招集されるのを前に、総選挙で不正があったと繰り返し抗議していた。
ミャワディ・テレビによれば、選挙管理委員会が不正に対処しなかったとして、1年間の期限で非常事態宣言を発令。暫定大統領に指名された元国軍幹部のミン・スエ副大統領がミン・アウン・フライン総司令官に立法・行政・司法の全権を授けた。
国軍系を除くテレビ局は放送を中断し、電話やインターネットはつながりにくくなっている。ロイター通信によると、最大都市ヤンゴンの市庁舎周辺には兵士が展開した。
上下両院の議席を争った総選挙では、NLDが改選476議席の8割を超す396議席を獲得。最大野党で国軍系の連邦団結発展党(USDP)は33議席にとどまった。【2月1日 時事】
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****ミャンマー、深まる混乱 国軍「選挙で不正」で行動正当化****
ミャンマー国軍がアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相らを拘束した背景には、スー・チー氏が率いる国民民主連盟(NLD)が昨年11月の総選挙で圧勝したことで求心力が低下することへの軍指導部の危機感があるとみられる。(中略)
選挙結果に対して、国軍は一貫して反発を続けた。国軍報道官は1月26日に「選挙に不正があった」と主張し、クーデターの可能性を否定しなかった。
27日には国軍トップのミン・アウン・フライン総司令官が「法律を守らない人がいるなら、憲法であっても廃止されるべきだ」と述べた。真意は不明だが、クーデターを示唆したのではないかとの観測が広がった。
国軍は不正の証拠を示しておらず、選挙管理委員会は「選挙は公正だった」とコメント。選管の主張に対し、国軍は「公正に実施されたことを示す証拠の提示」を求め、主張は平行線をたどっていた。
国軍には、1日から始まる予定だった国会を経て第2次スー・チー政権が正式発足した場合、存在感が低下するとの焦りが募っていた。そもそも国軍には2015年総選挙に勝利して政権を握ったNLDへの不満がくすぶっていた。根強い「スー・チー人気」などで、求心力低下が顕著となったためだ。
スー・チー氏は少数民族武装勢力との和平を推進しようとしたが、政治的影響力を維持したい国軍はスー・チー氏の思惑どおりに動かなかった。
スー・チー政権は昨年、軍政下で制定された憲法の改正に乗り出したが、国軍の反対に直面し、国軍に有利な条項は残る結果となった。
ただ、都市部を中心にNLDへの支持は厚く、国民の支持が得られるかは未知数で、政局の混乱は続きそうだ。【2月1日 産経】
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「軍指導部の危機感」とは言うものの、軍は憲法改正を阻止できる数の議員を軍人から指名できる仕組みなっており、「どうしてそこまで?」という疑問もあります。改憲には全議員の4分の3を超える賛成が必要で、議席の25%を軍人枠として握る国軍には事実上の拒否権があります。
スー・チー政権の攻勢で、軍人議員の中からも“寝返り”が出るような事態を憂慮したのでしょうか?
“国軍側には、総選挙で2度にわたって大敗した焦りや、軍に有利な現在の憲法を改正することで民主化を推進しようとするNLDへのいら立ちがあったとみられる。”【2月1日 朝日】と言われていますが、ひょっとしたら、トランプ前大統領のように、本気で「不正選挙で勝利を盗まれた。正しくやれば国軍系政党がもっと大幅に伸びていたはずだ」と信じているのかも。
ただ、おそらく何回選挙やっても、特にこういうクーデター後に選挙やっても、国軍系政党はスー・チー与党には勝てないでしょう。
非常事態宣言は1年間の期間限定です。
再選挙をやるとは言っていますが、国際社会が容認しないよっぽど強引なことをやらない限りは勝てないでしょう。
どういう「出口」を描いているのでしょうか?
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――非常事態は1年間で終わるのでしょうか。
憲法上は1年が限度だが、軍政側が強権発動をして非常事態宣言を延長したり、憲法を捨てて軍政を敷いたりする可能性もある。民政に戻す場合は総選挙のやり直しだが、よほどの不正をしない限り、軍側が議席を大幅に伸ばすことは考えられない。1年後をどうするのかは現時点では見えてこない。【2月1日 朝日】
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【国民に抵抗を呼びかけるスー・チー氏】
スー・チー氏側は軍への抵抗を呼びかけています。
****スーチー氏が声明 国軍の行動を批判 「軍のクーデターに心から抗議」****
ロイター通信によると、ミャンマーの与党・国民民主連盟(NLD)は1日、党首のアウンサンスーチー氏の名前で声明を発表した。
「国軍の行動は、この国を独裁政権下に引き戻すものだ」と批判し、「人々がこうした行動を認めず、軍のクーデターに対して心から抗議することを強く求める」と述べた。【2月1日 毎日】
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“軍は重要な人物をすべて拘束した。拘束された人の中には作家や文化人が含まれているという情報もある。今後の反対運動も意識して、政治家だけでなく、発信力のある知識人らを前もって拘束した可能性がある。”【2月1日 朝日】ということもあり、軍が街に展開する非常事態宣言下でどのような抗議行動が可能かも注目されます。
現在は“銀行は停止、品薄の米、携帯使えず…混乱のミャンマー”【2月1日 朝日】ということはあるものの、それ以上の混乱は起きていないようです。
【注目されるバイデン新政権、中国の対応】
国際的な反応は欧米は批判、日本は様子見といった感じで想定内。
そうしたなかでも注目されるのは、アメリカ・バイデン新政権の対応。
****米政権、アジアで最初の試練 ミャンマーのスー・チー氏拘束を非難****
ブリンケン米国務長官は1月31日、ミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相ら複数の高官が国軍に拘束された問題に関し「重大な懸念と不安を表明する」との声明を発表した。
バイデン大統領は、「アジア重視」を掲げてミャンマーの民政移管と民主体制の発展を支持したオバマ政権の副大統領だった経緯があり、今回の政変はバイデン政権のアジア政策をめぐる最初の試練となりそうだ。
声明で、ブリンケン氏は国軍に対して拘束された人々の即時釈放を要求するとともに、「(与党・国民民主連盟=NLD=が勝利した)昨年11月の総選挙の結果で示された民意を尊重すべきだ」と訴えた。
ブリンケン氏は「米国は、民主主義と自由、平和、開発を切望するビルマ(ミャンマー)の人々とともにある」と強調した。
サキ大統領報道官も声明で「(国軍による)一連の行為が撤回されなければ責任者らに措置をとる」と警告した。(中略)
米国は、ミャンマー民政移管の翌年となる2012年、当時のオバマ大統領が同国を訪問し、民主化支持の立場を強く打ち出してきた。16年に軍政時代からの経済制裁を全面解除した。
しかし、トランプ政権は19年、ミャンマーのイスラム系少数民族ロヒンギャの迫害に関与したとして国軍最高司令官ら軍幹部4人を制裁対象に指定。ミャンマー政府に対しても「迫害の責任追及に取り組んでいない」と批判していた。
NLD政権はこれまで、日本や韓国、東南アジア諸国などからの投資拡大に努めてきた。かつての軍政が中国寄りだった経緯から、経済分野などで中国の影響力が強まるのを回避する思惑があった。
米国も同盟諸国にミャンマーへの投資を奨励してきたが、今後、国軍の実権掌握が長期化し、米政権がミャンマーへの制裁に踏み切った場合、同国の対中傾斜が再び強まる恐れがある。
一方、中国が今後、巨大経済圏構想「一帯一路」の推進に向け、インド洋沿岸の貿易の要衝であるミャンマーの取り込みを図るのは必至だ。「自由で開かれたインド太平洋戦略」を進めるバイデン政権としてもミャンマー情勢への一層の関与を迫られることになる。【2月1日 産経】
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その中国は国軍非難は避けて、今後の影響力確保を狙っているようです。
中国「一帯一路」にとって、中国の弱点であるマラッカ海峡を通らずにインド洋に出ることができる点でも、ミャンマーは要になる国のひとつです。
****ミャンマー国軍を非難せず安定化訴え=軍政時代から関係緊密―中国****
中国外務省の汪文斌副報道局長は1日の記者会見で、ミャンマー国軍のクーデターに関し「ミャンマーの関係各方面は憲法と法の枠組みの下、相違点を適切に処理し、政治と社会の安定を守るよう望む」と述べた。中国はミャンマーが国際社会で孤立していた軍政時代から蜜月関係を構築しており、国軍への非難は避けた。
中国共産党機関紙・人民日報系の環球時報(英語版)は1日、「ミャンマーの現政権と軍の両者と関係が良好な中国は、両者が妥協案を協議するよう願っている」という専門家の見方を紹介した。
巨大経済圏構想「一帯一路」を進める中国にとってミャンマーは、インド洋に通じる物流ルートの要衝で、東南アジア諸国連合(ASEAN)における友好国の一角を占める。
習近平国家主席は昨年1月に訪問し、アウン・サン・スー・チー国家顧問、ミン・アウン・フライン総司令官の両者と会談。習氏は総司令官に「両国がどう変わっても緊密な協力、相互支持という正しい道を歩んできた」と強調し、総司令官は「経済社会の発展と国防建設への長期の援助」に謝意を伝えていた。王毅外相も今年1月に訪れ両者と会談した。【2月1日 時事】
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今後、国軍を批判する欧米の空白を埋める形で、中国がかつての軍政時代のように、再び存在感を強めることが予想されます。
****中国、国軍との関係でミャンマーへの影響力強める 欧米の制裁で加速か****
ミャンマー国軍がアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相らを拘束して全権を掌握したと発表したことは、中国がミャンマーへの影響力を強めることにつながりそうだ。
中国は、軍事政権時代のミャンマーにも経済支援を続けてきた経緯があり、欧米諸国が制裁など厳しい措置に踏み切れば、それを好機と捉えて関係強化を加速させるとみられる。(中略)
中国は歴史的に、国境を接するミャンマーとの関係を重視してきたが、とりわけ軍政時代に欧米諸国がミャンマーに経済制裁を科す中で経済支援を通じて密接な関係を築いた。その後、2011年の民政移管を受けて欧米諸国が経済制裁を解除し、スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)主導の政権が発足。それにより外国投資の呼び込みが進んで、中国の影響力は相対的に弱まっていた。
風向きが変わったのは、ミャンマーのイスラム教徒少数民族ロヒンギャへの迫害問題だ。欧米諸国の圧力の強まりを機に同国は再び中国に接近し、昨年1月には習近平国家主席が中国の国家主席として19年ぶりにミャンマーを訪問。今年1月にも王毅国務委員兼外相がミャンマーでスー・チー氏と会談し、新型コロナウイルス対策として中国製ワクチン30万回分の提供を申し入れたばかりだった。
習氏は、ミャンマー訪問時にミン・アウン・フライン国軍総司令官とも会見するなど国軍側とも関係を築いている。欧米諸国の反発に直面する国軍に対し、中国は経済支援などを通じて接近する可能性がある。【2月1日 産経】
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ただ、中国もむやみに国軍に肩入れすると、将来民政に復帰した際に、そのつけを払うことにもならないでしょうか。そういうこともあってか、国軍のクーデターを支持という訳でもなく、“事態の評価を避けた”【同上】という対応です。
【対応が分かれるASEAN諸国】
ASEAN・東南アジア諸国の対応は、国軍を批判する国と、「内政干渉は行わない」と静観する国に分かれています。
****ミャンマー政変でASEANの見解分かれる 先進国・国連は批判****
ミャンマー国軍がアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相らを拘束してクーデターを起こしたことに対し、先進国や国連が強く非難する一方で、ミャンマーと同じ東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国では批判する国と「内政問題」として静観する国など対応が分かれている。
ASEANでは、加盟国の中で最大の人口を抱える民主主義国家、インドネシアが1日、ミャンマー国軍の行動に「懸念」を表明する外務省の声明を発表。「自制と解決策を見いだすための対話」を全ての当事者に要求した。
シンガポール外務省も同日の声明で「重大な懸念」を表明してミャンマー国軍によるスー・チー氏らの拘束を非難。全ての当事者に自制を求めた。マレーシア外務省も国軍を非難した。
これに対し、同じASEAN加盟国でも、ミャンマーと同様に中国と近い関係を持つカンボジアは静観する姿勢だ。ロイター通信によると、同国のフン・セン首相は「内政問題」だとし、それ以上のコメントを避けている。
また、ASEANは内政不干渉を原則としており、フィリピンの大統領報道官は1日、国軍の行動は「内政問題」だとして、同国として干渉しない考えを明らかにした。タイも内政問題だとし、介入しない姿勢を示している。
一方、同じインド太平洋地域に位置する先進国のオーストラリアは、ペイン外相が「深い懸念」を表明する声明を出して「不法に拘束された全ての民間指導者やその他の人々」の即時解放を要求した。ニュージーランドのマフタ外相もミャンマー国軍の対応を非難する声明で「民政復帰を要求する」と述べた。
また、インド外務省も懸念を示す声明を発表し、「法の支配や民主的なプロセスが守られるべきだ」として今後の動きを注視することを強調した。
国連のグテレス事務総長は「強く非難する」との声明を発表。国軍が立法、行政、司法の全権を掌握することに「重大な懸念」を表明し、「ミャンマーの民主的改革に深刻な打撃を与える」と警鐘を鳴らした。
ミャンマーの人権状況を担当する国連のトム・アンドリュース特別報告者はツイッターで、「多くの人が恐れてい
たことが現実となった。常軌を逸している」と激しい言葉で国軍を批判した。【2月1日 産経】
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各国の民主主義の在り様がわかるリトマス紙のようです。
今後、スー・チー氏は自宅軟禁か、それに近い状態に置かれると思われますが、現実政治における「失望」から、このところすっかり失われていた欧米からの支持・信頼が、弾圧に対する抵抗のシンボルとして回復しそうなことは皮肉なところです。
(ヤンゴン市内では武装した車両の姿も目撃された(28日)=ロイター【1月29日 日経】)
【民主主義と軍政が共存したバランスの取れた独自の体制という選択も】
昨年11月、ミャンマーのスー・チー政権は、新型コロナ禍で野党勢力が十分な選挙活動が行えない状況で半ば強引に総選挙を実施し、十分とは言い難いこれまでの実績から議席を減らすのでは・・・との予想を覆し、圧倒的地滑り的勝利を収めました。
しかしながら、「さすが、民主化を牽引するスー・チー、この勢いで軍部を抑えて憲法改正を実現し・・・」といった、かつてのようなスー・チー氏へ期待感・熱気は、ミャンマー国内にも、国際世論にもあまり見られません。
****ミャンマー政治で相対化されつつある民主主義と軍の対立軸****
(2020年)11月8日にミャンマーでは、2015年のアウン・サン・スー・チー率いる国民民主連盟(NLD)の勝利以来、5年ぶりの議会選挙が行われた。
11月13日の連邦選挙管理委員会の発表によれば、NLDが上下両院(定数646)の384議席を獲得、過半数を大きく上回る地滑り的勝利となった。したがって、スー・チーが引き続き政権を担当することになる。
今回の選挙はスー・チーとNLDの過去5年の統治と実績を国民に問うレファレンダムだったと位置づけられよう。
2015年に比して選挙が公正とは言い難い状況で行われたことも注意を引いた。少数民族との和平のプロセスが停滞し、約束された自由と人権の擁護が進展したとも言い難い状況であったが、結果としてはNLDが信任を得たことになる。
軍政に対する抵抗の歴史と草の根レベルでの動員力のある唯一の全国政党であることが、勝利するに十分だったことになるのであろう。ただし、NLDが圧勝の勢いを駆って軍の力を削ぐための憲法改正に再び挑むのかどうかは分からない。
エコノミスト誌の11月7日付けの記事‘Aung San Suu Kyi was supposed to set Burmese democracy free’は、スー・チーに厳しい目を向ける。
記事によれば、スー・チーは、NLDを鉄拳で運営しており、「党に民主主義はない」との声がある。シビル・ソサイエティーとの関係でも同様である。彼女は批判者を黙らせることを何度も企てた。
2017年にはロヒンギャに対する暴力を調査したロイターの記者2人が投獄された。報道の自由は軍政の末期よりも制限されているとの指摘もあるらしい。
スー・チーは少数民族が託した希望にも応えていない。彼女は軍と戦う少数民族に彼等の権利を守ると約束したが、非中央集権的な連邦国家のビジョンは何もなく、少数民族との和平プロセスは停滞している。
経済成長も軍政末期より落ちている。記事によれば、こうした中、経済の運営について国を外に向かって開き始めた前大統領のテイン・セイン将軍の方がスー・チーよりも優れていたとして、民主主義と軍政とは互いに対立するものでなく共存し得るガバナンスのシステムだと見る国民が少数派ではあるが増えつつあることが示唆されるという。
この記事を読むと、果たしてNLDと軍の対立がミャンマーの基本的問題というだけの構図でミャンマーという国を観察することが妥当なのかとの疑問も生ずる。
スー・チーは変身し、民主主義を解き放つどころかその翼を切り取ったらしい。ロヒンギャ問題では国際司法裁判所での弁論を引き受けるなど、軍と協調する姿勢が目立った。
上記記事が指摘するように、民主主義と軍政が共存し得るガバナンスのシステムだと見る国民が増えつつあるとすれば、現在のように軍が圧倒的な権力を握ったままという訳には行くまいが、ミャンマーの国情(ムスリムの脅威や少数民族問題の存在)が軍の一定の政治的役割を必要とし、国民がそれを許容するのであれば、ミャンマーが何等かのバランスの取れた独自の体制を模索することを諸外国が嫌悪するには当たらないということになろう。【2020年11月26日 WEDGE】
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“民主主義の翼を切り取ったスー・チー”“軍の一定の政治的役割を容認する政治体制”といった、スー・チー氏に対し、いささかさめた、あるいは“突き放した”ような見方です。
(個人的には、軍出身のテイン・セイン前大統領は、軍に睨みが効く軍人という立場を利用して軍部の要求を一定に抑えつつ、経済・社会の民主化への道筋を切り開いた・・・ということで、高い評価に値すると思っています。 期待したスー・チー政権が迷走するなかで、「これだったら、テイン・セイン政権の方がまだうまくやったのでは・・・」と思うことも)
【昨年総選挙での与党圧勝の意味合いは、軍とも一定に妥協しつつ、国民生活の向上へ向けた穏健で段階的な改革を望む民意か】
期待された憲法改正も少数民族との和解も進まないなかで、スー・チー与党・国民民主連盟(NLD)圧勝の要因は、GDPなどには明示されていない地方の経済成長や所得水準の向上であったとの指摘が。
****2020年ミャンマー総選挙:スーチー勝利と2008年憲法****
2020年11月に実施されたミャンマー総選挙では、アウンサンスーチー氏が率いる与党・国民民主連盟(NLD)が国軍系野党・連邦団結発展党(USDP)を圧倒し、大勝した。
しかし、国軍は選挙に不正があったとして、NLDをけん制している。総選挙での圧勝を受け、スーチー氏が国軍の国政関与を保障する2008年憲法の改正を急げば、両者の関係が緊張する可能性も出てきた。
予想を覆しNLD圧勝
2020年11月8日にミャンマーで実施された総選挙は、アウンサンスーチー氏が率いる与党・国民民主連盟(NLD)が全体の8割を超える議席を獲得して圧勝した。
これにより国軍最高司令官が選挙を経ずに任命する軍人議員を含めても、NLDが連邦議会において単独過半数を占めることになった。順調にいけば、2021年3月に第2次スーチー政権が誕生する。
事前にはNLDの苦戦が予想され、特に7州においては少数民族政党の優勢が伝えられていた。前回15年の総選挙で大勝し、半世紀ぶりの民主政権を樹立したNLDであったが、最重要公約の少数民族武装勢力との和平や憲法改正を実現できず、経済成長も減速したといわれていたからである。それではNLDの勝因はなんだったのだろうか。
国民生活の向上が与党の追い風に
NLD勝利の最大の要因が、スーチー氏の国民人気にあることは間違いない。
選挙監視を実施しているNGO「信頼できる選挙のための人民同盟」(PACE)が2020年8月上旬に行った調査によると、国家顧問(スーチー氏)を信頼すると回答した人の割合はビルマ族が多い7管区において84%、少数民族が多い7州においても60%であり、この数字は他のいずれの政治制度(連邦議会、管区・州議会、国軍、裁判所など)に対するものよりも高い。(中略)
しかし、スーチー氏の人気だけで前回を上回る議席を獲得することはできない。半世紀ぶりの民主政権の誕生を賭けた前回総選挙におけるスーチー支持の熱気は、今回を上回るものであったからである。
筆者は今回NLD政権が根強い支持を受けたのは、経済成長を背景にした地元住民の生活水準の向上があったためと考えている。
一般に、スーチー政権下でミャンマー経済は減速したといわれる。しかし、別稿でも論じたように、土地バブルがはじけたヤンゴンやマンダレーでの景況感の悪化に比べて、地方都市や農村部での景気の悪化はそれほど大きなものではなかった。
例えば、スーチー政権下での経済減速の証拠としてしばしば外国投資の認可額の減少が指摘されるが、そもそも地方に外国投資は来ていなかった。
われわれは国内総生産(GDP)成長率やヤンゴンの実業家・外資企業へのインタビューをみて経済動向を判断するが、多くの国民は身の回りの生活環境・水準を軍政時代と比較して判断する。
軍政時代、電気は電線で来るものではなく、バッテリーを持って市場へ買いに行くものであった。 したがって、バッテリーで動く電化製品しか利用できなかった。今では農村でも電化率は55%になっているし、オフ・グリッドの電源もある。
当時、携帯電話やオートバイは村人の手の届くものではなかったが、今やそうしたものも頑張ればローンで買える。
少数民族村では軍政当局に農地の存在を知られるのを嫌がったが、今は農業銀行から営農資金を借りるために、政府に農地を登記してもらいたがっている。
先のPACE(選挙監視を実施しているNGO「信頼できる選挙のための人民同盟」)の調査によれば「郡(タウンシップ)の状況は良くなっている」と回答した人の割合は、19 年の44%から20 年には56%に上昇している。
(中略)良くなっていると答えた理由は、政府サービスの改善が58%、経済と所得の向上が40%、インフラ整備が26%であった。
しばしば話題になる連邦制の実現を理由に挙げる人は6%しかいなかった。一般の人々にとっては、連邦制の実現のような政治課題よりも、身近な生活水準の向上の方が重要であった。
スーチー政権下において、少数民族州は徐々にではあるが発展していたと考えられる。成長をもたらすのがNLDであれば、政権を担わない少数民族政党に投票するよりも、勝ち馬に乗ったほうが得策であると考える有権者がでてくるのは当然であろう。
国軍は国政関与を諦めない
しかし、大敗した国軍系の野党・連邦団結発展党(USDP)は選挙に不正があったとして、国軍の協力の下で選挙をやり直すべきであると訴えた。
ここで注目すべきはUSDPがわざわざ「国軍の協力の下で」と付け加えている点である。米国の大統領選挙でも明らかになったように、民主主義においては選挙結果に基づいた新政府の樹立を誰が保障するのかが問題となる。
ミャンマーにおいてそれを保障するのは、事実上国軍である。国軍が選挙結果を認めることではじめて、それに基づいた政府が樹立される。
実際、国軍はNLDが最初に大勝した1990年総選挙を認めなかったという前歴がある。
2020年総選挙の当日、ミンアウンフライン国軍最高司令官は選挙結果を尊重すると発言した。しかし、NLDの大勝が明らかになるにつれ、選挙不正があった可能性があるとして、NLDや選挙管理委員会をけん制する発言をするようになった。
これはUSDPの2回の大敗を受け、国軍がUSDPを頼りにできないことがはっきりしたことが背景にある。(中略)
こうなると、国軍が頼りにできるのは、国軍の自律と国政関与を規定する2008年憲法しかない。国軍の国政関与のロジックは政党政治(party politics)が混乱したとき、国軍が国民全体の利益を代表する国民政治(national politics)を行うというものである。
多くの国民は国軍が国民全体の利益を代表するとは思っていないが、ミャンマーを独立に導き、ナショナリズムを体現するとの使命感を抱く国軍が国政関与を諦めることはないだろう。
また、経済権益を守り、過去の不当行為への責任追及を逃れるためにも、国軍の自律を認める2008年憲法は必須である。国軍が1990年総選挙の時NLDへの政権移譲ができなかったのは、2008年憲法がなかったからである。
もちろん、スーチー氏は心の底では2008年憲法を認めていない。スーチー氏は2012年の補欠選挙で当選した際、議員に任命されるために必要な「2008年憲法を順守する」という議会での宣誓を拒もうとしたことがある。この時は珍しく国民からの批判を浴び、結局は宣誓することになった。
スーチー氏とNLDが2008年憲法の政治体制に組み込まれた瞬間であった。スーチー氏が憲法改正に執念を抱く原点でもある。
今後、国軍はますます自らの国政関与を保障し、組織としての自律性を担保する2008年憲法を堅持しようとするだろう。
しかし、逆説的ながら、国軍がNLD大勝という選挙結果を認めることができるのも2008年憲法があるからなのである。
2回の総選挙の大勝により勢いづくスーチー氏が改憲を巡って国軍との対立姿勢を強めれば、ミャンマー政治が緊張することもあり得る。最近のミンアウンフライン国軍最高司令官の発言は、スーチー氏に対してこのことを忘れないようにというけん制なのである。
国民が求めるのは「穏健な改革」
5年前にスーチー氏は「変化の時が来た」というスローガンで選挙戦を戦い、勝利した。しかし、現実にはテインセイン大統領の多くの政策を継承した。
スーチー政権は民族和平や憲法改正を掲げて登場したが、国民から評価されたのはむしろ経済成長や所得水準の向上であった。
そして、国軍系のUSDPの2度目の大敗にもかかわらず、国軍が第2次スーチー政権の発足を認めると期待されるのは、皮肉なことに第1次スーチー政権が2008年憲法の改正に失敗し、この憲法が引き続き国軍の国政関与を保障するからである。
こうした5年間の経緯と今回の総選挙の結果は、大方の人々の予測を裏切るものであった。もしかすると、スーチー氏やNLDにとっても意外な展開であったかもしれない。
しかし、今回の総選挙を通じて国民の希望は明確に聞こえたのではないかと思う。すなわち、スーチー氏とNLDは国軍との決定的な対立を避け、むしろ協力の方策を模索しつつ、国民生活の向上へ向けた穏健で段階的な改革を続けてほしいというものである。
半世紀にわたる軍政時代、薄暗い裸電球の下で、国民は「自由」と「豊かさ」の双方を求めてきた。どちらか一方を優先することで、もう片方を失うことはできない。スーチー氏と国軍の協力と一定の妥協がなければ、国民の希望をかなえることはできない。【1月13日 工藤 年博氏 nippon.com】
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“スーチー氏とNLDは国軍との決定的な対立を避け、むしろ協力の方策を模索しつつ、国民生活の向上へ向けた穏健で段階的な改革を続けてほしい”との“国民の希望”は、前出【WEDGE】の“軍の一定の政治的役割を認めたバランスの取れた独自の体制”にも共通するもののように思えます。
【スー・チー政権への圧力を強める最近の軍の動向】
一方、軍の方は、選挙直後よりも最近になってむしろ選挙結果を否定するような発言が目だっています。
****総選挙の「不正」主張 ミャンマー国軍が与党に圧力 クーデターの可能性否定せず****
改選後初となるミャンマー連邦議会(国会)が2月初旬に開会するのを前に、国軍が与党側への圧力を強めている。
昨年11月の総選挙で「不正があった」と繰り返し主張しているほか、クーデターの可能性も否定しておらず、国内で緊張が高まっている。
総選挙では、アウンサンスーチー国家顧問兼外相が率いる与党・国民民主連盟(NLD)が改選476議席の8割を占める396議席を獲得。最大野党の国軍系・連邦団結発展党(USDP)は33議席にとどまった。
国軍のゾーミントゥン報道官は1月26日の記者会見で、有権者名簿860万人分に不備があり、重複投票などの不正があった可能性があると主張、選挙管理委員会に調査を求めた。また、今後「クーデターの可能性がないといえるのか」との質問に「イエスともノーとも言えない」と明言を避けた。地元ジャーナリストによると、最大都市ヤンゴンなどでは28日、街中を走行する装甲車の姿が見られたという。
国連などは、選挙は公正に行われたとの見解だ。国連のグテレス事務総長は28日、「民主主義の規範を順守し、総選挙の結果を尊重するように要請する」との声明を発表。ミャンマー駐在の欧米外交団も29日、同様の共同声明を出し、国軍に自制を促した。
議会は下院が2月1日、上院が同2日に開会する予定で、新大統領の選出が焦点となる。スーチー氏は親族が英国籍のため憲法上、大統領資格がなく、国家顧問に留任する見通し。【1月30日 毎日】
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この軍による緊張の高まりが、前出【nippon.com】にある“スー・チー氏へのけん制”なのか、あるいは、それ以上のものを含んでいるのか・・・。
常識的には、軍としても今更、(おそらく中国をのぞいて)国際的に容認されないクーデター云々という手荒い手段は“得策ではない”と考えているとは思いますので、いわゆる“けん制”なのでしょう。
(ミャンマー・ヤンゴン郊外で開催された国民民主連盟(NLD)の選挙集会(2020年10月25日撮影)【11月6日 AFP】 車の前面にはスー・チー氏の看板 国内的には、シー・チー氏の威光はいまだ健在のようです。)
【与党 議席減も過半数維持が焦点 悪くとも第1党は維持か】
ミャンマーでは11月8日に総選挙が行われることについては、10月21日ブログ“ミャンマー コロナ禍のもとでの総選挙 選挙から排除されるイスラム教徒 中国マネーの影”でも取り上げました。
前回ブログで触れた内容に変化はなく、明後日に投票が行われます。
スー・チー国家顧問率いる与党NLDは、公約が実現されておらず、議席を減らすことも予想されてはいますが、スー・チー氏の圧倒的知名度、新型コロナ禍を逆手にとった与党側の強引な選挙戦略もあって、過半数、少なくとも第1党は維持する“そこそこの結果”はあげるのでは・・・と推測されています。
****ミャンマーで8日に総選挙 スー・チー氏与党に失望感****
任期満了に伴うミャンマー総選挙が8日、投開票される。
アウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相の与党・国民民主連盟(NLD)が優勢で、上下両院で単独過半数を維持できるかが焦点。
スー・チー氏人気は健在だが、NLDが前回2015年総選挙で打ち出した公約の多くは未達成。少数民族武装勢力との和平を期待した地方住民を中心に失望感も漂っており、逆風となる可能性がある。
総選挙は、上院(定数224)、下院(同440)のうち、25%の軍人枠を除く498議席を改選する。
前回選挙でNLDは改選議席の約8割を獲得し、軍系政党の連邦団結発展党(USDP)を抑えて圧勝。軍が半世紀以上、実権を握ってきたミャンマーで文民政府を実現した。国軍と少数民族武装勢力の和平実現や、軍政下で作られた憲法の改正などの公約が支持を集めた。
だが、NLDの政権運営は、強い影響力を持つ軍に配慮せざるを得ず、苦しいものとなった。
軍の抵抗などによって和平の機運は高まらず、逆に17年8月には西部ラカイン州で国軍とイスラム教徒少数民族ロヒンギャの衝突が発生。大量のロヒンギャ難民が隣国バングラデシュに逃れ、国際問題に発展した。
憲法についてもNLD政権は今年1月に改正案を国会に提出したが、軍系議員の反対に直面し、軍の権限を弱める案はことごとく退けられた。
今回の選挙では、前回選挙で和平実現を期待した票が野党側に流れるとの見方が出ている。政府は、武装勢力との摩擦が続く州の一部選挙区で「安全が確保できない」として投票実施の見送りを決めたが、地域政党への支持が厚い一帯が含まれており、「野党つぶし」との批判が集まる。
野党側は新型コロナ禍を受けて、投票延期を呼びかけたが政府は拒否。大規模集会が規制されたことなどで選挙戦は盛り上がりを欠いており、知名度や組織力で勝るNLDに有利との見方も出ている。
人口の約7割を占めるビルマ族を中心にスー・チー氏への支持は根強く、NLDは過半数割れでも第1党は維持できる見通しだが、議席を大きく減らせばスー・チー氏の求心力にかげりが出る可能性がある。【11月6日 産経】
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【国内的には争点にならないロヒンギャ問題】
国軍によるロヒンギャ弾圧をめぐる問題への消極姿勢、国軍擁護の姿勢から、スー・チー氏の国際的評価は大きく落ちていますが、国内的には“違法移民”ロヒンギャ弾圧・追放は問題視されていません。
****触れぬ総選挙 ミャンマー、8日投票 隣国に難民70万人****
総選挙を8日に控えたミャンマーで、少数派イスラム教徒ロヒンギャが蚊帳の外に置かれている。
アウンサンスーチー国家顧問が率いる与党・国民民主連盟(NLD)を含め、大多数の政党はロヒンギャ問題に触れず、争点にもなっていない。根強く残る差別意識のもと、迫害から逃れて隣国バングラデシュで暮らす約70万人の難民は帰還への希望を見いだせずにいる。
「長い間虐げられてきた。選挙に何を期待しろというのか」。バングラデシュ南東部コックスバザールの難民キャンプ。4人の子を抱えるアシフさん(38)は、故郷で目の当たりにした焼き打ちなどへの不安がぬぐえず、ミャンマーに戻れない。不衛生な環境で新型コロナウイルスの感染拡大にもおびえ、「いつまでこんな暮らしを続けなければいけないのか」と嘆く。
2017年8月、ミャンマー西部のラカイン州に住む大勢のロヒンギャが国境を越え、バングラデシュに逃げ込んだ。国軍は、先に攻撃を仕掛けてきたロヒンギャの武装勢力を掃討するための作戦だったと説明している。だが、難民となったロヒンギャの多くが、家族が殺され、家を焼かれたなどと証言した。
ミャンマー、バングラデシュ両政府は18年にロヒンギャの帰還を進めることで合意したが、帰っても安全が保障されないとして、希望する者は現れない。
この問題でミャンマー政府は、国際社会から厳しい批判を浴びている。だが大多数の政党は、ロヒンギャに関心を示していない。
国民の約9割を仏教徒が占めるミャンマーでは、ロヒンギャはバングラデシュからの移民とみなされ、多くが国籍も移動の自由も認められていない。ロヒンギャへの差別も根強く、融和的な態度を取れば有権者の反発を買いかねないのが実情だ。
また、ロヒンギャ問題に取り組むことは、国軍の行為の責任を問うことにもつながる。国会の議席に4分の1の「軍人枠」を持つなど、国軍は民政移管後も政治に大きな影響力を持っており、スーチー氏も配慮せざるを得ない。
ミャンマーの政治アナリスト、マウンマウンソー氏は「次の選挙でどの政党が勝っても、国軍の協力を仰がなければならず、この問題に言及することに消極的になっている」と指摘する。
こうした状況について、国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは「ロヒンギャが参加を拒まれている限り、この選挙は自由で公正なものではない」と批判している。【11月4日 朝日】
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【スー・チー氏の姿勢や政権運営には与党内の一部には批判も】
ロヒンギャ弾圧は問題視されていませんが、「ザ・レディー」ことスー・チー氏には与党内でも不満・批判は一部にあるようです。(大勢は、スー・チー氏に忠実に従う感じでしょうが)
スー・チー氏が“唯我独尊”的な性格で、そのせいもあって、若手・後継者が育たないという問題はかねてより指摘されていました。
更には、かつて軍事政権を批判していた与党が、今や当時の軍政と同じような強権的な反対派取締りを行っているとの批判も。
****「非常に独裁的」 スー・チー氏らNLD幹部に若手苦言 ミャンマー****
かつて民主主義の推進派とうたわれた元政治犯で、現在はミャンマーの政権与党・国民民主連盟の幹部となった年配の指導者らが今、抑圧、差別、検閲を行う当事者になったとして非難されている。
NLDが圧勝した2015年の総選挙から5年が経過した。今月8日の総選挙でも、NLDの勝利が広く予想されている。
この選挙の結果を受け、ミャンマーに民主主義を根付かせたいとする大勢の若者がNLDに参加した。
しかし、NLD上層部については、軍事政権に反対して服役した経験のない者には閉ざされたままとなっており、実質的に若者らを日陰に追いやっている。
NLDの現職議員で青年部の元代表アウン・フライン・ウィン氏は、「自分らが将来の政治的指導者になるのだと誇らしく思った」とAFPに語った。「しかし、残念なことに、そうはならなかった」
NLDの最高意思決定機関を構成する12人の平均年齢は、同党の代表で文民のリーダーでもあるアウン・サン・スー・チー氏を含め、70歳以上となっている。そして12人全員、軍事政権に反対して刑事施設への収容もしくは自宅軟禁を経験している。
NLDの若手党員の役割については、主に年長者の補助に限定されており、党外の人と話す際には許可が必要とされ、また演説をするには内容の「検閲」が求めらえれていると説明した。
「抑圧的な仕組みになってしまっている──軍事支配の頃の制度と変わらない」とウィン氏は述べ、「政治犯だったからといって、国を統治する方法を知っているわけではない」と続けた。
■ザ・レディー
2015年にスー・チー氏のNLD所属の下院議員として選出されるも、昨年に離党し、現在は「人民さきがけ党」の党首を務めるテ・テ・カイン氏もNLDの運営に批判的な見方を示している。
同氏は、党内では能力よりも忠誠心が評価され、細かいことまで上層部が干渉し、「ザ・レディー」と呼ばれるスー・チー氏に対して誰もが腫れ物に触るように接していると主張。「NLDの運営方法は秩序を欠き、非常に独裁的だ」と述べる。
少数民族が多数派を占める多くの地域ではNLD離れが広がったが、NLDは主要民族ビルマが多い地域では盤石な支持基盤を誇っている。
公の場で自分の意見を言えば、自身も親族もネット上でバッシングを受けるとカイン氏は言う。
「NLDにはもはや、わが国の問題を解決する道は示せない」
NLDは、1988年に起こった軍政に反対する民主化運動から発生した。
現在75歳になったスー・チー氏への支持が高まったのはこの時だった。国家的英雄となったスー・チー氏は、15年間の自宅軟禁に置かれた。政治的思想のために拘束された約1万人のうちの1人だ。
■何の疑いも持たずスー・チー氏を支持
NLDの「逆転した役割」についても指摘されている。
NLDは政治的抑圧を受けた当事者らが率いる政党ではあるが、政権の座に就いてからは反対派を取り締まっているというのだ。
事実、現政権の下で拘束された活動家の人数は急増している。最近では、活動家15人が拘束され、そのうち2人は軍部によるラカイン州での暴力行為の疑いを非難したことで、実刑6年の有罪判決を言い渡された。
人権監視団体、「ビルマ政治囚支援協会」の共同創設者ボー・チー氏は、これまでに実刑判決を言い渡された、または裁判を待っているという政治犯は、現在537人いると話す。
チー氏自身も軍事政権時代に収容された経験を持つ。そして釈放後には、関わりたくないとの雰囲気を周囲から感じたと言う。
しかし、今日の若い活動家らは、何の疑いも持たずにスー・チー氏を支持する人々と向き合わねばならず、状況はほとんどよくなっていないと指摘する。
「ほとんどの人は、誰かがスー・チー氏に盾突くことを望まないのです」 【11月6日 AFP】
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かつての「民主化運動のカリスマ的指導者」であった「ザ・レディー」は、これからどこへ向かうのか?
【依然として厚い国軍の壁】
唯我独尊的な姿勢はともかく、公約である憲法改正や少数民族との和解については前進させたいところでしょうが、国軍の壁は厚いようです。
****コロナ禍の中で総選挙、疑問呈す ミャンマー国軍トップ、改憲は否定的****
ミャンマー国軍トップのミンアウンフライン最高司令官が5日、総選挙(8日)を前に朝日新聞の質問に書面で答えた。
新型コロナウイルスの感染が広がる中での総選挙の実施に疑問を呈し、アウンサンスーチー国家顧問率いる与党・国民民主連盟(NLD)が目指す憲法の改正にも否定的な見解を示した。
――総選挙に対する軍の基本的な姿勢は。
「2015年の選挙は自由で公正だったので、野党だったNLDが選挙に勝てた。現政権が設立した選挙管理委員会は、この選挙が自由で公正だと保証しなければならない」
――新型コロナの感染が広がり、国軍系の連邦団結発展党(USDP)は総選挙の延期を求めてきた。
「新政権発足までには十分な時間がある。コロナが大流行している現状では、この期間の一部はコロナの厳格な予防と制御に使われるべきだ。選挙を12月に延期することも可能だった」
――国会の4分の1の議席を軍人議員に割り当てている憲法について、NLDは民主的でないとして改正を訴えている。
「国軍には、すべての市民に平和や安定、安全をもたらす義務がある。議席の4分の1に参加しているのは、この目標に向けて取り組んでいるからだ。(少数民族の武装勢力との)武力紛争という独特の状況にあり、和平交渉も続いていること、我々のシステムがまだ完全に成熟していないことも理由だ」
――少数派イスラム教徒ロヒンギャへの迫害をめぐり、国際社会はあなたや軍を厳しく批判している。
「国際社会は政治的な理由で我々に圧力をかけている。(ロヒンギャが)ミャンマーの領土内に住むことには反対しないが、市民権の問題や先住民の定義、権利については単に国内法の問題でしかない。この問題への国際的な介入は受け入れられない」
――ミャンマー政府は軍による犯罪行為があった場合には、国内で適切に対処すると主張しているが、国際社会は自浄能力を疑っている。
「我々は対テロ作戦においてさえも、民間人への暴力にかかわった兵士や部隊には、法に基づいて適切な処罰を科す」
■与党が有利、透ける強い不満
ミンアウンフライン氏はコロナ下での総選挙実施に疑問を表明。現政権と選管に対して「自由で公正な選挙」の保証を求めた。コロナによる街頭での選挙活動の制約などが、優勢が伝えられる与党・NLDに有利に働くとみられることへの強い不満がうかがえる。
今回の選挙で、NLDは前回よりは議席を減らすとみられてきた。それだけに、NLDへの追い風となりかねない状況への危機感が野党勢力には強い。
スーチー氏らが目指す軍の政治関与を定めた憲法規定の改定には、改めて否定的な考えを示した。軍の政治支配が長く続いたミャンマーで、この規定は民政移管後も軍の影響力を保つ足がかりであり、簡単には手放せない。改憲には軍人議員の賛成が欠かせず、総選挙後にNLD政権が継続しても、困難な状況が続きそうだ。
ロヒンギャへの迫害問題では、国際社会の介入を拒否する姿勢を改めて明確にした。【11月6日 朝日】
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国軍への配慮が欠かせないスー・チー氏ですが、国軍の反対を押し切って選挙を強行する力はあるようです。
8日の総選挙の結果がどうなるかはわかりませんが、アメリカ大統領選挙よりはまともな選挙にはなるでしょう。