(メルケル首相とプーチン大統領 サンクトペテルブルク近郊で2013年9月撮影 【3月13日 ロイター】
東ドイツ出身のメルケル首相はロシア語が話せ、KGB時代には東ドイツで活動していたプーチン大統領はドイツが話せる・・・ということで、二人はコミュニケーションも取りやすいのではないでしょうか。)
【追加制裁発表の日 独前首相、露大統領と抱擁】
ウクライナをめぐる欧米とロシアの対立は、アメリカの追加制裁を受けて、ロシアがウクライナ国境での軍事演習を中止し、部隊を撤収させることを明らかにし(撤収規模は不明)、また、ウクライナ東部スラビャンスク市で拘束されている全欧安保協力機構(OSCE)の監視団員7人について親ロシア派住民の代表が「即時釈放は可能」と発表する(解放時期は不明)など、これまでの「一触即発」とは少し異なる情勢も生まれてきています。
しかし、依然としてウクライナ東部の情勢が緊張状態にあることには違いはありませんが、そうしたなかで、ドイツの前首相シュレーダー氏とロシア・プーチン大統領の親密ぶりが話題となっています。
****独前首相の誕生日祝う プーチン大統領****
ドイツメディアによると、プーチン露大統領は29日、露西部サンクトペテルブルクで開かれたシュレーダー独前首相の70歳の誕生会に出席し、ともに祝った。ウクライナ情勢でドイツを含む欧米と対立を深めるなか、プーチン氏はかねて親交の深い前首相との友情を確認した形だ。
誕生会はバルト海を通じて独露間を結ぶ天然ガスのパイプライン運営会社が企画したもよう。シュレーダー氏は首相時代にパイプライン計画を推進し、退任後に露国営企業ガスプロムの子会社である運営会社の幹部に就任している。
独メディアは、会場前で出迎えたシュレーダー氏が車で到着したプーチン氏と笑顔で抱き合う写真も合わせて報じた。誕生会にはガスプロムのミレル社長も加わったという。
シュレーダー氏はクリミア併合問題で、かつてのユーゴ空爆を引き合いに欧米も国際法に違反したなどとロシアに擁護的な発言をし物議を醸している。
独政府高官は会合の報道を受け、「シュレーダー氏は政府を代表していない」とロイター通信に強調した。【4月30日 産経】
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シュレーダー前首相は、ドイツの脱原発を進めていくためにロシアからの天然ガスの安定供給を重視し、ウクライナなど“問題国”を経由せず、ロシアからバルト海を通って直接にドイツにもってくるパイプライン“ノルド・ストリーム”建設を推し進め、政界を退いた後は、ノルド・ストリームにかかわるロシアのガス供給会社ガスプロムの子会社の経営陣として迎えられています。
また、プーチン大統領の個人的な信頼関係に基づく良好な独露関係も築きました。
そうした経歴からみて、また、これまでのウクライナ問題に関するロシア擁護姿勢からしても、今回の誕生会は特別驚くべき話でもありません。
ただ、ドイツ国内にはこうしたシュレーダー前首相の行動への批判もあるようです。
“前首相が政界から離れたとはいえ、こうした行為が「無神経」だとの批判が炎上した。また、シュレーダー氏と距離を置くと表明した独政府関係者も相次いでいると報じられた。ある独政府高官は、シュレーダー氏が独政府を代表しないと発言。また、別のドイツメディアは、シュレーダー氏が方向を見失っているとも批判した。”【4月30日 Kabutan】
もともと、シュレーダー氏がガスプロムの子会社の経営陣に就任したことについても、“選挙で敗れて政界を引退したばかりの元首相が利益相反を疑われる外国企業にかかわるという節操の無い姿勢がドイツでは非難の対象となった”【3月26日 SYNODOS】ということもあります。
そういう批判はあるにせよ、今回の話はドイツとロシアの結びつきの深さを示すエピソードでもあります。
【ロシアとの強い経済・資源関係 歴史的親近感も】
今後の対ロシア制裁については、アメリカ・オバマ政権は(国内からの“弱腰批判”も意識して)場合によっては本格的な経済制裁をも念頭に置いた強気の姿勢を見せていますが、欧州で大きな影響力を有するドイツ・メルケル首相は、天然ガスや貿易などのロシアとの関係を考慮して慎重な姿勢を崩していません。
****独首相 対ロシア経済制裁に慎重姿勢****
ウクライナ情勢を巡ってドイツのメルケル首相は、状況がさらに悪化した場合、ロシアに対する制裁を強化すべきだとする一方、直ちに本格的な経済制裁を科すことには慎重な姿勢を示しました。
ドイツのメルケル首相は25日、ベルリンの首相府でポーランドのトゥスク首相と会談するのに合わせて声明を発表しました。
この中でメルケル首相はウクライナ情勢を巡り、「事態に進展が見られない。われわれは追加の制裁について検討するだけでなく、決定を下さなければならない」と述べ、状況がさらに悪化した場合、ロシアに対する制裁を強化すべきだという考えを示しました。
その一方で、制裁は資産凍結や渡航禁止といった現状の枠内で行われるべきだとして、直ちに本格的な経済制裁を科すことには慎重な姿勢を示しました。
ロシアへの制裁を巡っては近くEUの外相が会合を開き、対応を検討するということです。
ドイツは国内で導入している天然ガスの40%近くをロシアに依存するなど資源や経済の面でロシアとの結びつきが強く、産業界を中心にロシアに対して厳しい制裁を科すことに慎重な意見が広がっています。【4月26日 NHK】
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ロシアへの融和的、あるいは慎重な姿勢はシュレーダー氏やメルケル首相だけのことではなく、ドイツ社会全般にそうした傾向があるようです。
****独国民 露クリミア併合を容認? 世論調査「認めるべきだ」54%****
■「英仏より歴史的親近感」
ウクライナ情勢をめぐるドイツ国内の世論で、クリミア自治共和国の併合を強行したロシアに理解を示す意見が目立っている。
ドイツと経済関係が深いロシアが米欧の経済制裁への対抗措置をとった場合の影響を懸念しているためとみられるが、独露間の歴史に根差す複雑な国民感情も背景にあると指摘されている。
4月中旬、独東部ポツダム市内での集会。「ロシアに全責任があるようにいわれるが、米欧の行為も挑発だ」。野党左派党の議員が訴えると、数十人の聴衆から拍手が上がった。参加者からは、「クリミアも元は旧ソ連が(ウクライナに)贈った」との声も聞かれた。
独誌シュピーゲルが3月報じた世論調査によると、「クリミア併合を認めるべきだ」との回答者は54%に上った。公共放送ARDの今月の調査では、ドイツがとるべき姿勢として「欧米と露の中間的立場」(49%)が「欧米との団結」(45%)を上回り、驚きをもって伝えられた。
シュミット元首相も「プーチン露大統領の立場なら(誰もが)似た対応をとるのではないか」と語り、コール、シュレーダー両首相経験者も過度の対立を回避するよう促した。
メディアはこうした傾向について、「(独露は)心の友」(シュピーゲル誌)などと、過去の経緯も踏まえながら分析を試みている。
ドイツの露専門家、ハンス=ヘニング・シュレーダー氏が指摘するのは、東西ドイツ統一を認めた旧ソ連への「感謝」だ。
また、第二次大戦でナチスが対ソ戦を人種差別に基づく「絶滅戦争」と位置付け、膨大な犠牲を生んだことへの「責任感」もあるとみる。
同氏は、ドイツでは露近代文学の影響で大戦時まで「精神的に英仏よりロシアに近いと感じられていた」とも語り、そうした背景が「同情的」な世論の土壌にあるとの見方を示した。
ただ、ウクライナ情勢をめぐっては、メルケル独首相は欧米との協調を重視しているだけに、融和姿勢は「欧米同盟からの半分離脱だ」(独紙ウェルト)と警鐘が鳴らされている。【4月28日 産経】
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【ドイツとロシアの関係はさまざまに難しい状況にあっても、常に対話は継続してきた】
このドイツとロシアとの関係については、現在のウクライナ問題への対応も含めて、森井裕一氏が「強行するロシアを前に、ドイツは何ができるのか――ウクライナ政策の展望」(http://synodos.jp/international/7616)【3月26日 SYNODOS】で詳しく論じています。
その中から、東西ドイツ統一前後のドイツ・ロシア関係に関する部分を抜粋します。
****戦後ドイツにとってのソ連・ロシア****
・・・・キューバ危機後の東西緊張緩和の状況の下で、西ドイツも次第に東ドイツと東欧諸国との関係の再構築を模索するようになっていった。
1970年代に入ると、ブラント首相による社会主義諸国との関係を回復させるいわゆる「東方政策」によって、東欧諸国と次々と国交が回復され、東ドイツとも基本条約を締結して東西ドイツ間にも実質的な関係が復活することとなった。
この「東方政策」の成果をアメリカとソ連も含む全ヨーロッパの国々が制度としてまとめ上げたものが1975年にフィンランドのヘルシンキで開催された全欧州安全保障協力会議(CSCE)であった。
今日ウクライナへの監視ミッションを派遣している全欧州安全保障協力機構(OSCE)はこのCSCEが冷戦の終焉後に国際機構として発展したものである。
CSCEは、軍事的な対立状況にあった東西陣営が、第二次世界大戦後のヨーロッパの国境線を軍事力によっては変更しないという国境不可侵の原則で合意し、当時の現状を固定することによって安定を築いた。
CSCEの枠組みによって、敵でありながらも相手に軍事演習などを公開することによって偶発的な軍事的衝突を防ぐための信頼醸成措置(CBM)などが構築されるようになっていった。
ここで重要なことは、西ドイツにとってソ連や東ドイツ、東欧諸国は、たとえ体制の異なる安全保障上の敵であっても、関係を構築し外交的な手段によって緊張を緩和し、つきあい続けてゆかなければならない存在であり続けたということである。
そしてソ連の存在が再び強く印象づけられたのがドイツ再統一のプロセスであった。ドイツ統一が可能になったのは、ソ連が冷戦時代のブレジネフドクトリン(社会主義圏のためには衛星国の国家主権は制限されるというソ連が東欧諸国をコントロールする原則)を放棄し、東ドイツの民主化と体制移行を認め、最終的に統一ドイツのNATO帰属までソ連が承認したためであった。
戦勝国ソ連の承認無しには東西ドイツの統一は実現し得ないものであった。最終的に当時のゴルバチョフ大統領が1990年7月にコール西独首相とコーカサス会談でドイツ統一の最終的な条件について合意したことによって、東西ドイツの統一が可能となった。
その後、ソ連が崩壊したことから、旧ソ連の地域ではソ連成立以前に存在していたバルト諸国やウクライナなど多くの国々が独立を回復した。
ソ連崩壊後もドイツとロシアは良好な関係が続いた。ドイツ統一を達成したコール独首相は旧ソ連の指導者に対して恩義を感じ常に敬意を示していたし、ソ連崩壊後にはエリツィン露大統領と個人的な友好関係を築いた。
その後1998年末に保守中道のコール政権を終わらせ独首相となった社会民主党(SPD)のシュレーダー前首相もプーチン露大統領と個人的な信頼関係に基づく良好な関係を築き上げていった。
プーチン大統領は、ソ連時代にはKGBの一員として旧東ドイツに滞在していたこともあり、非常にドイツ語が堪能である。現実主義的なシュレーダー前首相とは特に個人的にも波長が合ったようで、両者の信頼関係に基づく独露経済関係の緊密化が進んでいった。
もっとも、現在のメルケル首相も主要な政治家も、歴史的な経緯があるからといって、ロシアに特別な配慮をしているわけではない。
プーチン大統領は3月18日のクリミアのロシアへの帰属を認める演説でドイツ統一の過程でソ連がドイツを支援したことを引き合いに出し、ドイツ人はロシアが歴史的なロシアの範囲を再統一することに理解を示してくれるはずだと訴えたが、これに応えるものはいなかった。
この歴史的な経緯の議論を紹介して強調したかったことは、ドイツとロシアの関係はさまざまに難しい状況にあっても、常に対話は継続してきたことである。外交的な対話と関与はどのような状況の下でもドイツの対ロシア外交の基軸であり、今回のクリミア危機に際しても両国間のやりとりは極めて密なのである。【3月26日 森井裕一 SYNODOS】
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“ドイツ外交は決して19世紀的な外交を標榜していない。いかにEU全体をまとめながら、国際法の原則と現実的な選択肢、経済的利益のバランスをとりつつ、ロシアやウクライナと関わっていくかに腐心している。またそうであるがゆえに19世紀的な軍事力を背景としたような外交はあり得ない。それゆえにロシアに足下を見られるような状況にもなっている。”
“ドイツとロシアの関係はさまざまに難しい状況にあっても、常に対話は継続してきた”という関係を基にして、“ドイツのウクライナ情勢をめぐる外交のオプションは限られている。しかし、ウクライナが旧ユーゴスラビアのように混乱することはなんとしても避けなければならない。政策オプションは限られているが、ドイツ外交にはこれまでのEUやOSCEも重層的に利用した徹底的な外交的関与の政策を継続し続ける以外に道は無いようである。”と森井氏は論じています。