
(釈放されたヌルル・イザ氏(アンワル元副首相の長女で人民正義党副党首) 【3月17日 gooニュース】)
【揺らぎ始めた既存の体制】
世界各地で宗教的・民族的対立が噴き出すなかで、多数派マレー系の他、華人系、インド系などの複合民族国家(2013年時点で、マレー系60%、華人系23%、インド系7%、その他10%)であるマレーシアは、比較的そうした対立を先鋭化させることなく国家運営をおこなってきたとされています。
政治的には、1957年の独立以来、経済的に劣後したマレー系を優遇するブミプトラ政策のもとで、現在の与党連合が政権を維持してきましたが、マレー系優遇策であるブミプトラ政策を根幹とした体制には近年揺らぎがみられています。
野党勢力を牽引して政府・与党を追及してきたのが、かつて政権内部で副首相も務めたものの、内部抗争で政権外に追われたアンワル氏で、2013年5月に行われた総選挙では初の政権交代があるかどうか注目されました。
しかし、野党連合は得票率で上回りながらも議席では与党を下回る結果に終わり、政権交代は実現しませんでした。
その後も、アンワル氏を軸にした野党側の政府・与党追及が注目されていましたが、左派勢力からイスラム保守派まで幅広い野党勢力を取りまとめていたアンワル氏が、2008年に事務所スタッフの男性に「同性愛行為」をしたとして異常性行為罪に問われていた事件で、事実上政治生命を断たれる事態となりました。
その経緯や、背後には与党側の政治的思惑があるのでは・・・といった疑念、野党勢力の再構築が求められていることなどは、2月12日ブログ「マレーシア 野党指導者アンワル元副首相の「有罪」確定で再構築を迫られる野党連合」http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20150212でも取り上げたところです。
【熱心なイスラム教徒の支持を集めるため、与党を含めたさまざまなイスラム政党が宗教保守化】
こうしたマレーシア社会の変質を懸念させる動きが最近目立ちます。
ひとつはイスラム色を強める流れです。
95%がイスラム教徒のクランタン州州議会で、3月、イスラム法(シャリーア)をさらに厳格化するイスラム刑法(フドゥ)の改正法案が可決されました。
****マレーシアでも石打ち刑が?****
イスラム教、仏教、キリスト教の三大宗教が共存するマレーシア。先週、住民の95%がイスラム教徒であるクランタン州でシャリーア(イスラム法)をより厳格に適用することを定める刑法の改正が決まった。
全マレーシア・イスラム党(PAS)が多数派を占めるクランタン州議会が、シャリーア刑法の改正案を全会一致で可決。
これによりアルコール摂取や背教行為といった罪に対して、むち打ち刑や石打ち刑が可能になる。建前上はイスラム教徒だけに適用されるが、実際には全住民が対象となり、異教徒の共存を脅かしかねないとして批判の声が上がっている。
PASは93年に施行されたシャリーア刑法の厳格運用を目指してきた。今後は連邦議会で改憲を目指すとみられている。
マレーシアは長らく、比較的穏健なイスラム国家として知られてきた。しかしここ数年は熱心なイスラム教徒の支持を集めるため、PASを含むさまざまなイスラム政党が宗教保守化している。
マレーシアは人口3000万のうち60%がイスラム教徒で、20%は仏教徒、9%がキリスト教徒。国教はイスラム教だが、憲法で信教の自由が認められている。
クランタン州の動きにより、多宗教という国家の基本理念が危機にさらされると、マレーシアの社会活動家アズラル・モフド・カリブは懸念する。「シャリーア刑法の厳格運用は宗教や民族、信条にかかわらずすべての人に影響するだろう」
シャリーア法の刑法を厳格に運用するテロ組織ISIS(自称イスラム国、別名ISIL)の思想が普及する下地にもなりかねない。
ナジブ首相率いる与党・統一マレー国民組織(UMNO)も、保守派の支持層を取り込むためにイスラム色を強化。イスラム勢力が主導権を握るのを黙認するようになってきた。与党連合がクランタン州に追随するようなら、懸念は一気に高まる。【3月31日号 Newsweek】
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イスラム法はイスラム教徒へ適用されることにはなっていますが、それは建前で、“「実際には全住民が対象とされ、信教の自由が崩壊する事態にまで発展」(宗教専門家)しかねない。”【選択 5月号】とも言われています。
実際に、イスラム法の下、非イスラム教徒が罰せられる事件は多く発生しています。
また、すでにマレーシアは、ISや「アラビア半島のアルカーイダ(AQAP)」、更には東南アジアの土着イスラム過激派「ジェマ・イスラミア(JI)」などイスラム過激派とのつながりが問題となっています。
****「テロの温床」と化すマレーシア****
「イスラム過激派」アジアでの拠点に
マレーシアは、イスラム国家の中では「穏健派」とみられてきた。イスラム過激派についても、同じ東南アジアで世界最大のムスリム人口を抱える「インドネシアと比較して、対策を講じてきた」(米政府筋)と認識されている。
しかし実際のところ、マレーシアは羊の皮を被っているだけなのだ。同国は、国際的なイスラム過激派の「ヒト・モノ・カネ」の一大拠点となり、テロの温床になっている。
実際にISなどに加わっている人数は「数百人」(米政府筋)に上る。すでに昨年、十五人のマレーシア人がシリア国内で自爆テロを起こした実績もある。(後略)【選択 2月号】
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こうしたイスラム過激主義の浸透と政治のイスラム化が互いに刺激しあう形で、更に勢いを強めることも懸念されます。
【窮地に立つナジブ政権が強権姿勢を強める】
マレーシアで進むもう一つの流れは、政府・与党による野党など批判勢力への締め付けが急速に進んでいることです。
****マレーシアが矢継ぎ早の法改正、独裁へ一気呵成***
言論を弾圧、イスラム刑法導入の懸念も
・・・・また、このイスラム刑法に加え、マレーシアではさらに4月10日未明、12時間以上に及ぶ国会での与野党攻防戦を経て、煽動法改正案が与党の強硬決議で可決された。
この法律は共産党党員粛清や共産ゲリラ封じ込めに乱用された英国植民地時代の「1948年煽動法」の改正案。名目は宗教や人種間の対立を深めたり、政情不安を策略する言動を禁止する法律だが、実際は「独立後(1957年以降)の政権維持を図るため、与党が、野党や反体制派弾圧目的の“政治的道具”に使ってきた」(政冶アナリスト)経緯がある。
隣国のシンガポールはいまだ、悪名高き「国家治安維持法」を敷き、マレーシアはすでに同法を廃止しているが、今回の煽動法改正は「マレーシア版国家治安維持法」の復活と言っていいほど政府の独裁色を強めた内容となっている。
オンラインメディア遮断の権限も
「最高3年間の禁固刑、あるいは最高5000リンギ(約16万5000円)の罰金」だった改正前から、「3年から7年の禁固刑」と罰金制度を廃止した上、懲役年数が延長され、器物破損や傷害を犯した際には、「5~20年の禁固刑」が科されることや、政府にオンラインメディアを遮断する許可も与えられることが新たに加えられた。
2016年の総選挙を睨み、すでにオンラインニュースメディアだけでなくヤフーなども許認可制に移行したシンガポールと異なり、マレーシアでは政府系の大手メディアこそ言論統制してきたものの、インターネットメディアには政府の批判を含め自由な報道が許されてきた。
その結果、マレーシアは数百万人以上に及ぶ読者を抱える世界でも類を見ないインターネットメディア大国となった。今回、政府にオンラインメディアの遮断許可を認めたことで、「いよいよ魔女狩りが始まった」(メディア幹部)と関係者は憤りを覚えると同時に戦々恐々だ。(中略)
今回の煽動法改正の数日前の4月7日には、マレーシアではテロ防止法案も可決され、テロに関与した疑いのある人物は裁判なしで長期間拘束できることが可能になった。
言い換えれば、テロという大義名分の下、反体制派の野党議員、弁護士、ジャーナリストもその対象になるということ。(後略)【5月1日 JB Press 末永 恵氏】
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3月16日には、アンワル元副首相の長女で国会議員のヌルル・イザ氏(34)(アンワル元副首相も所属する人民正義党(PKR)の副党首)も、マレーシアの司法制度を疑問視するアンワル氏の声明を議会で代読したことが政情不安をあおる言動を禁じた扇動法違反にあたるとして逮捕されています。(ヌルル氏は翌日には釈放されましたが、捜査は続けられるとのこと)
前出の末永 恵氏は、マレーシア・ナジブ政権の急速な強権姿勢強化の背景として、ナジブ首相や政府が政治的に窮地に立たされていることを挙げています。
前回選挙でもあきらかになった従来からの体制の揺らぎに加え、ナジブ首相も巻き込んだ不正疑惑も問題になっています。
ナジブ首相が代表を務める政府系投資会社「1MDB(ワン・マレーシア・デべロップメント)」の1兆6500億円にも上るとされる巨額負債、更にこのIMDB絡みの資金が「国民の税金が資金運用や売買取引で不正取引に使われ、マネーロンダリングなど第三者への資金流出につながったのでは?」(RHB銀行関係者)という不正使用疑惑、ナジブ首相の義理の息子の関与などが問題となっています。
1MDBは、外国直接投資誘致を加速化し、持続した経済成長を図り、首都クアラルンプールを「イスラム金融のロンドン」にするという首相の野心的な目的の下に設立された政府100%出資の国有投資会社です。
野党からの批判に加え、マハティール元首相も批判の急先鋒に立ち、「財務状況が不透明。首相には説明責任があり、公明正大に説明できなければ首相を辞任すべき」と発言するなど、ナジブ首相は野党と与党の双方から猛攻撃を受けています。
更に、ナジブ首相の側近が有罪判決を受けたモンゴル人通訳女性の暗殺事件に同首相夫妻が関与している疑惑などのスキャンダルも表面化しているそうです。
強権発動の姿勢を強めるナジブ政権に国連人権高等弁務官からも懸念が表明されています。
****数週間に100人以上のジャーナリストなどを拘束*****
・・・・2月10日に野党党首のアンワル元副首相が同性愛行為容疑で5年の禁固刑を受けたのを皮切りに、多数の人々を拘束し始めた政府は、今回のイスラム法と煽動法の改正、テロ防止法の可決で、野党の切り崩しを加速すると見られる。
マハティール元首相からも公然と退陣を要求されているナジブ首相はここにきて、強権を超え独裁色を進めている。
4月28日、政府転換プログラム(GTP)と経済転換プログラム(ETP)の2014年度の進捗状況を公表した中で、「独立以来60年間政権を担ってきたBN(与党連合・国民戦線)は国の発展を促してきた」と強調した上、「根拠のない批判は国家を混乱させるだけだ」と首相や政府への批判を断固取り締まる構えを見せた。
国連のゼイド・ラアド・アル・フセイン人権高等弁務官は「昨年だけで78人、今年に入って36人が拘留されるか、有罪判決を受けて投獄された」と懸念を示し、「マレーシア政府が悪法を一層悪化させる提案をしていることに非常に失望した」と異例の声明を発表した。
国際人権団体の調べでは、今回の種々の法改正前後の数週間だけで、野党国会議員、市民活動家、ジャーナリストら100人以上が拘束されたという。
マレーシア警察当局は3月末、1MDBのスキャンダルを精力的に報道してきた主要ニュースサイト「マレーシアン・インサイダー」の編集幹部とともに、最高経営責任者兼発行人ら計5人を逮捕。編集部を家宅捜索し、パソコンや携帯電話も押収した。
同サイトが、「マレーシア王室がイスラム刑法改正導入に慎重な姿勢を示している」と報道したことに対して、煽動容疑をかけたと見られている。(後略)【同上】
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比較的順調にいっている民主的な複合民族国家、穏健なイスラム国家・・・・といったイメージのマレーシアでしたが、イスラム色を強め、強権支配があらわになるという変質が起きています。
アンワル氏という軸を失った野党勢力がこの流れにどのように対抗していくのか注目されますが、その野党勢力のひとつがイスラム原理主義政党PASですから、話は簡単ではなさそうです。