孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

フランス  国名変更までした北マケドニアのEU加盟に反対 再燃する“スカーフ論争”

2019-10-23 23:08:29 | 欧州情勢

(ベルギー・ブリュッセルで10月18日、欧州連合(EU)首脳会議に出席したフランスのマクロン大統領(中央)、ドイツのメルケル首相(左)ら=ロイター【10月22日 朝日】)

 

【“屈辱的”との批判も浴びながら、国名変更を実現】

バルカン半島の旧ユーゴ諸国のひとつ、マケドニアがアレクサンダー大王ゆかりの国名をめぐって“本家を自任する”隣国ギリシャと長年争っており、そのことがマケドニアのEU・NATO加盟の道を閉ざしてきた件、そのためマケドニア・ザエフ首相はギリシャ政府との合意をもとに、マケドニアが自ら国名を「北マケドニア」に変更するという大きな譲歩をすることで、EU・NATO加盟への道を開こうとしている件については、1月13日ブログ“マケドニア  EU、ロシア、さらには中国が争うバルカン半島で、EU加盟に向けた一歩”でも取り上げました。

 

****「北マケドニア」に国名変更 EU、NATO加盟へ前進****

旧ユーゴスラビアのマケドニア議会(120議席)は11日、国名を「北マケドニア共和国」に変更する憲法改正案を承認した。

 

国名論争を抱えマケドニアの北大西洋条約機構(NATO)加盟に反対していたギリシャとの合意に基づくもので、NATOや欧州連合(EU)への加盟へ向け大きく前進した。

 

バルカン半島の旧ユーゴ諸国でロシアや中国が影響力を強めており、マケドニア国内では国名変更への反対も強い。改憲が頓挫すればEUやNATOのバルカン拡大戦略の停滞が懸念されていたが、難関を切り抜けた。

 

国名変更は、ギリシャ議会による両国合意の承認後となる。【1月12日 共同】

****************

 

当然ながら「アイデンティティーを守るべきだ」との野党からの反対は強かったのですが、単にEU・NATO加盟を進めたいマケドニア政府の意向だけでなく、バルカン半島におけるEU・アメリカとロシアの勢力争いを反映したものでもありました。

 

“問題は「欧米対ロシア」の対立構図が表面化した形。ロシアの影響が強かったバルカン半島で親欧米国を増やしたい米国とEUはマケドニアのNATO加盟を望んで与党を支援し、影響力を強化したいロシアは野党を後押しした。”【1月12日 毎日】

 

反対する野党勢力を切り崩して辛うじて憲法改正を実現したマケドニアですが、隣国ギリシャがこれを議会承認するかという難題もありました。

 

アレクサンダー大王に由来する「マケドニア」という名称については、自国の文化遺産だとするギリシャ国内世論は、「北」であろうがなんであろうが、「マケドニア」を名乗ることには拒否感が強くありました。

 

(マケドニアの名称を使うことは、マケドニア側のギリシャ内マケドニア地方への領土的野心を示すものだという主張もなされていましたが、本音は上記のような「拒否感」でしょう)

 

そうしたなかでギリシャ・チプラス政権も辛うじて、議会承認という難題をクリア。

 

****「北マケドニア」ギリシャ国会も承認 国名論争に終止符**** 

ギリシャ国会は(1月)25日、隣国マケドニアが「北マケドニア共和国」に国名変更する両国政府間の合意を賛成多数で承認した。マケドニアは国名変更の憲法改正を議会で承認済み。両国は1991年にマケドニアが旧ユーゴスラビアから独立後、四半世紀以上に及ぶ国名論争に終止符を打った。

 

合意により、ギリシャはマケドニアの北大西洋条約機構(NATO)と欧州連合(EU)加盟への反対を取り下げる。

 

マケドニアの加盟が実現すれば、ロシアが影響力の保持をうかがうバルカン半島の安定にもつながることが期待される。

 

採決の結果は全300議席中、賛成153票だった。合意をめぐっては、反発する連立相手が政権から離脱し、与党は過半数の議席を喪失。主要野党も反対だったが、小党や無所属議員の支持を取り付け、ぎりぎり多数派を確保した。

 

チプラス首相は議会承認後、「きょうわれわれはバルカン半島にとって新たなページを書き込んだ」と表明。マケドニアのザエフ首相は「歴史的な勝利だ」とたたえ、EUやNATOも議会承認を歓迎した。

 

マケドニアの名称はアレキサンダー大王の古代王国に由来する。同国は旧ユーゴからの独立時に採用し、同名の地域を国内に持つギリシャが反発。対立の原因となってきた。両国内ではなお反対論も強く、ギリシャでは24日、首都アテネなどで大規模な抗議デモも起きた。【1月26日 産経】

*******************

 

このように、マケドニアおよびギリシャ両国とも、自国内の強い反対を辛うじて抑え込むことに成功して、両国は和解し、マケドニアのEU・NATO加盟への道が開けました。

 

その後、“北”マケドニアのNATO加盟は順調に進みました。

 

****マケドニア、NATO加盟へ…ギリシャ議会承認****

ギリシャ議会は8日、隣国マケドニアの北大西洋条約機構(NATO)加盟を賛成多数で承認した。NATO加盟29か国は6日に加盟を承認する議定書に署名しており、マケドニアのNATO加盟は確実な情勢だ。

 

ギリシャ紙カシメリニによると、マケドニアのNATO加盟について、賛成は153、反対は140だった。今後、その他の加盟国の議会承認を経て、年内にもNATOの30か国体制が決まる。今回の承認を受け、マケドニアは近く新国名を「北マケドニア共和国」として国際社会に報告する。

 

ギリシャは、国内にマケドニアの地名があることを理由に、マケドニアのNATOと欧州連合(EU)への加盟を拒否してきた。両国は昨年6月、EUの呼びかけに応じ、マケドニアが新国名を北マケドニア共和国に変更し、ギリシャがマケドニアのNATO、EU加盟を承認する内容で合意していた。【2月9日 読売】

******************

 

2月13日には正式に「北マケドニア」に国名を変更。

 

北マケドニア国内には依然として国名変更への反対も根強くありますが、北マケドニア・ザエフ政権は、接戦となった大統領選挙にも勝利しました。

 

****国名改称支持の与党候補が勝利 北マケドニア大統領選****

旧ユーゴスラビアの北マケドニア(マケドニアから改称)大統領選の決選投票が5日行われ、国名の起源を巡る論争を抱えていたギリシャとの合意に基づき国名変更を進めた与党、社会民主同盟連合などが推す元大統領顧問ステボ・ペンダロフスキ氏(56)が勝利宣言した。

 

改称後初の大統領選で、焦点は国名改称の賛否。改称により、ギリシャが反対していた北大西洋条約機構(NATO)加盟が2月に承認されたが、屈辱的との国民感情は根強い。

 

ペンダロフスキ氏は「恥じることなど何もない。全ての人の大統領となる」と結束を訴えた。

 

北マケドニアは欧州連合への加盟も目指している。【5月6日 共同】

****************

 

【フランス・マクロン大統領がEU加盟に反対 「EUが約束を破った」(ザエフ首相)】

でもって、“次はEU加盟”と見られていました。ギリシャの反対もクリアされましたので。ところが・・・

 

****国名まで変えたのに…北マケドニア、EU加盟に黄信号****

悲願の欧州連合(EU)加盟のために国名まで変えたバルカン半島の小国・北マケドニア(旧マケドニア)が、18日のEU首脳会議で加盟交渉入りを棚上げされた。

 

親EU路線を進めてきたザエフ首相が早期辞任を迫られている事態となっている。

 

北マケドニアの主要政党は20日、来年末の予定だった総選挙を前倒しし、4月12日に行うことを決めた。ザエフ政権は来年1月初めに退陣する。ザエフ氏は「EUが約束を破った」と訴え、「私も国民も大いに失望した」と述べた。

 

北マケドニアは、旧ユーゴスラビアから独立した1991年以来の国名「マケドニア」をめぐり、長年にわたりギリシャと対立。「英雄アレクサンドロス大王のマケドニア王国に由来する国名を他国が名乗るのは認めがたい」とギリシャ側は主張していた。

 

ザエフ政権は、EUや国連の後押しでギリシャと交渉し、昨年に国名を「北マケドニア」にする合意を結んだ。両国ともに国内で根強い反対を抑え、今年2月に国名変更が実現。ギリシャによるEU加盟反対という障害がなくなり、EUの欧州委員会は、北マケドニアの加盟交渉入りを加盟国に勧告していた。

 

ところが、統合拡大よりEU内部の改革を優先するフランスなどが異を唱え、18日のEU首脳会議で全会一致を拒否。トゥスクEU首脳会議常任議長は来年5月ごろまで交渉入りの判断は棚上げとの見通しを示した。【10月22日 朝日】

******************

 

“EU内部の改革を優先するフランスなどが異を唱え”とのことですが、“AFP通信によると、EU拡大に慎重なマクロン仏大統領だけが反対した”【10月18日 時事】とも。

 

「EUが約束を破った」(ザエフ首相)・・・EUとの“約束”がどういうものだったのかは知りません。

そもそも“約束”と言えるほど確実なものでもなかったのでしょう。

 

もちろん、フランス・マクロン大統領がEU拡大に難色を示していることは欧州政界では知られていたことでしょう。

 

ただ、一連の流れを覆す形で反対するとは、ザエフ首相も思っていなかったのでしょうか。「何とかなるだろう」という見通しの甘さがあった・・・ということでしょうか。

 

それにしても、マクロン仏大統領も(統合拡大よりEU内部の改革を優先というのは一つの見識ではありますが)この時点で反対するのなら、国名変更に動き出す前のもっと早い段階で、反対の旨をマケドニア側に明示すべきだったでしょう。

 

そうすればザエフ首相も危ない綱渡りをしてまで、“屈辱的”との反対も強い国名変更には踏み切らなかったのかも。

EU・北マケドニアの間でどういう話がなされてきたのかは知りませんが、表に出ている話からすれば、ザエフ首相が“梯子をはずされた”と怒るのも無理からぬように思えます。

 

フランス・マクロン大統領のやり様には、いささか「大国」の身勝手さ・非情(傲慢とまでは言いませんが)のようなものも。ザエフ首相の怒り失望には「小国」の悲哀のようなものも。

 

【いつもの「たかがスカーフ、されどスカーフ」】

そのフランス国内の話題。

また、イスラム教徒のスカーフで揉めているようです。

 

****フランスでヴェール論争再燃***** 

フランスではまた新たなヴェール論争(注1)がわき起こり、この10日ほど毎日のようにメディアで議論が行われていた。

ランスは、普遍主義(個別のもの、個別性・特殊性よりも、全てまたは多くに共通する事柄、普遍性を尊重・重視の立場)と、ライシテ(政教分離)の尊重から、ムスリムの女性の象徴的衣装ともいえるヴェールを許容できない立場を貫いてきた。

 

そこで「コミュノタリズムを容認してはならない」ことがフランス政界の共通の認識とされ、法整備も行われてきたのだ。

 

フランスで使われるコミュノタリズムと言う言葉は、英語の「Communitarianism」やその訳語としての「共同体主義」とは違う。

 

フランスでは、少数派の民族的・宗教的グループが文化的または政治的な独自性を主張し、その承認を社会全体に対して要求することを指し、どちらかと言うとネガティブな意味合いを持つ。

 

フランスはカトリック教会との長い苦闘をへて、やっとカトリック支配から逃れ、ライシテの原則を打ちたてることに成功した歴史があるだけに、宗教要素が強い主張を受け入れるわけにはいかないと考えるのは当然だ。

 

そのため、幾度となくムスリムの女性のヴェールに関する議論がなされてきた。しかしながら、エマニュエル・マクロン大統領就任後は、そこまで活発な議論が起こってはいなかったのだが、今回、再び盛り上がりを見せたのだ。

 

発端は、ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏の議会で起こった出来事だ。10月11日、議会は通常通り行われていた。だが、そんないつもの風景の中、15人ほどの子供たちが教師と何人かの付き添いの親たちとともに、議会を見学するため室内に入った時にその事は起こった。国民連合(以降RN、旧党名は、国民戦線 FN)の一の人の議員が憤慨して声を上げたのだ。

 

「議長、お願いしたいことがあります。ライシテのもとに、今、室内に入ってきた付き添いの方にお願いしたい。そのイスラム教のヴェールを取るようにお願いしたい。…ここは、公共施設内です。我々は民主主義の圏内にいます。彼女の家、路上では好きな時にヴェールを付けることは可能です。しかし、ここではダメだ。今日はダメだ。」

 

ライシテを尊重するフランスでは、こういった言葉に賛同する人が多いのかと思われるこかもしれないが、反対に、多くの議員からブーイングの嵐が起こった。

 

「ファシストだ。」「あなたは法律を知らないだけだわ。」

また、議長自身もその議員に対して憎しみを助長させる発言として抗議を行った。

 

ヴェールを取ることを要請された子供の付き添いに来ていた母親は、慰めにきた子供を抱きしめキスをした。その様子は象徴的な場面としてフランス中に拡散された。母親は大きなショックを受け、議会のトイレで泣きはらしたと言う。後日、「暴行」と「増悪の扇動」の容疑で、発言した議員に対し弁護士を通して訴えた。

 

法律の観点から言えば、フランスは初めてヴェール論争が起こった国であり、一般にヴェール禁止法と呼ばれる学校内でのヴェール着用の禁止に関する法律を2004年に制定した最初の国だ。また2010年には、路上や公共の場で顔を隠すことを禁止した。

 

しかしながら、議会は学校内ではない。しかも、ヴェールは顔のほとんどを隠すタイプではないため、公共の場であっても法律にはなんら違反していない。

 

しかも、2013年には、最高裁判所としての役割を持つコンセイユ・デタにて、両親に対しては、学校内の職員に課している規則は適応しないと判断を下している。要するに、校外学習に付き添いに来ている親がヴェールをかぶって議会を見学に来てもなんの問題もないと言うことなのだ。

 

しかし、ジャン=ミシェル・ブランケール教育相は、こう述べる。

「校外学習の付き添いの親が、ヴェールをかぶることは違法ではないが、しかし、ヴェールは望ましいことではない。」

 

この出来事は、本当に多くの論争を巻き起こした。(中略)

 

発端となった発言をした議員はツイッター上でも発言を続ける。

「私たちの共和国とライシテの原則のもとに、私は議長(中略)に学校の付き添い者に対してムスリムのヴェールを取り除いてもらうことを求めました。4人の警官が殺された後、我々はこの共同の挑発を容認できません」

 

4人の警官が殺されたと言うのは、10月3日に起きたパリ・警視庁本部で起きた男性職員による同僚4人の殺害事件である。テロである可能性が疑われている。(中略)この事件後、RNのマリーヌ・ルペン党首は無秩序な移民政策のせいで、イスラム原理主義が広がっていることを懸念していた。 

 

2020年3月に地方選を控え、移民政策とテロを結びつけて支持につなげる構えを見せたのだ。そして、今回のヴェール問題がおきた。この好機はルペン氏は逃すことなく考えを表明している。

 

ルペン氏は、「ヴェールはただの布切れではなく、イスラム過激化の印でた。…女性の自由はまだ確立されていないため、後退することもありえる。ゆえに、フランス社会は制限を設けるべきであり、校外学習の付き添いをする場合は、ヴェールは禁止するべきだ。」

 

エドゥアール・フィリップ首相は、「校外学習時に、付き添いをする場合にヴェールをかぶることは法律で禁止されておらず、また、今、その法律を作るべき時期でもない。」と、この論争に歯止めをかけたい意向を示している。

 

その翌日にエマニュエル・マクロン大統領は、「コミュノタリズムと、過激化と、ライシテを関連づけるべきではない。コミュノタリズムはテロリズムではない。コミュノタリズムに対して妥協はしないが、同じ国の人を刺激するべきではない。」とし、マクロン氏は、大統領就任演説時に述べたように、分断したフランスを一つにすることを目標としており、国が分断する方向に進むことは望んでないことを示した。

 

さらに「分断を招きかねない状態を作り出すのは、ルペン氏がやろうとしていることであるが、私たちがやろうとしていることではない。」と続けたのだ。

 

この結果、狂信的な盛り上がりは収まりつつあるが、それでも、議論はまだ完全に収集しているわけではない。ヴェールを外すことを要求された母親には同情の声も大きく集まったが、一方でフランスのPTAともいえるFCPEの調査では、66%が学校の付き添いの親はヴェールをかぶるべきではないという結果もでている。

 

この出来事は、ヴェールに関してみてもまだまだフランスは分断しており、マクロン大統領もだが、歴代の大統領がなんとか修復しようとしてきた問題ではあるが、溝はまだまだ深いことを改めて浮き彫りにしたともいえるだろう。

 

注1 ヴェールとは、ムスリム(イスラーム教徒)の女性が頭や身体を覆う布である。詳細には、単なるスカーフやビジャブなどいろいろな種類があるが、それらを称して日本語ではヴェールと訳されていることが多いため、ここではヴェールと呼ぶことにする。【10月22日 Japan In-depth

******************

 

顔を覆い隠すブルカや、目だけを出すニカブとは異なり、スカーフ(ヴェール)は殆どファッション的・民族衣装的なものにも見えて(宗教的意味合いがないという訳ではありませんが)、個人的には違和感はありません。

 

ライシテ(政教分離)の尊重という立場からは(日本でも神道をめぐる問題がありますが)・・・という話になるのでしょうが、根底にはイスラム的なものへの嫌悪感があるように思え、心にザラつくものを感じます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする